俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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控え室での絶望と一筋の光明 - (タチバナ視点)(フィリア視点)

 重厚なオーク材の扉が、ズシンという重たい音を立てて閉ざされた。その音が、俺と「安全な日常」とを隔てる断絶の音のように響く。

 

 謁見の間から続く、王族や国賓のみが使用を許される特別な控え室。深紅の絨毯、壁に飾られた名画、金箔を施した調度品。本来ならば、その豪華さに目を輝かせ、金目の物を物色する絶好の機会であったはずだ。

 

 だが、今の俺にそんな余裕は微塵も残っていなかった。従者が下がり、部屋に誰もいなくなったことを確認した瞬間──。

 

 

「…終わった」

 

 

 俺の膝から力が抜け落ちた。糸の切れた操り人形のように、俺はその場に崩れ落ちる。膝が絨毯にめり込み、両手が床につく。四つん這い。土下座ですらない。ただの脱力した肉塊だ。

 

 

「終わった…完全に終わった…!!」

 

 

 俺は呻き声を上げながら、高級な絨毯の上をゴロゴロと転げ回った。大の字になり、天井を見上げる。王の前で見せた「決意に満ちた勇者」の面影など、どこにもない。そこにいるのは、理不尽な不幸に直面し、駄々をこねる男だけだ。

 

 

「魔王討伐? 無理だろ! 絶対に無理だ!」

 

 

 俺は手足をバタバタとさせて暴れた。冷静に考えてみてほしい。魔王軍というのは、文字通り「軍隊」だ。爪の鋭い魔物や、魔法を使う悪魔たちが組織だって攻めてくるのだ。

 

 対して、俺の戦闘経験と言えば? 子供の頃、隣の家の犬に追いかけられて棒きれを振り回したのが最後だ。ちなみにその戦いは、俺が泣きながら木に登って逃亡したことで幕を閉じた。勝率ゼロ。生存率ゼロ。

 

 

「だいたい、なんで俺なんだよ! 人選ミスだろ! もっとこう、筋肉ダルマみたいな奴とか、魔法が使える賢者みたいな奴がいるだろ! 俺はただ、楽をして生きたいだけなんだよぉぉぉ!」

 

 

 俺はクッションを顔に押し当て、その中に罵詈雑言を叫んだ。王城の防音設備がしっかりしていることを祈るばかりだ。ひとしきり暴れて、息が上がった頃。俺の視界の隅に、銀色の粒子がちらついた。

 

 

『見苦しいですね』

 

 

 冷ややかな声。俺がクッションをのけると、そこには当然のように彼女がいた。聖剣の精霊フィリア。彼女は空中に浮遊し、腕を組み、ゴミ捨て場の生ゴミを見るような目で俺を見下ろしていた。

 

 

「う、うるさい!」

 

 

 俺は仰向けのまま、彼女を睨みつけた。

 

 

「全部お前のせいだぞ! お前があの時、森で俺に声をかけたりしなければ! 俺は今頃、村でベッキーの焼いたパイを食べて、クロエの膝で昼寝をしていたんだ!」

 

 

 俺の抗議に対し、フィリアは眉一つ動かさず、淡々と事実を突き返してくる。

 

 

『貴方が金欲しさに剣を抜いたのが全ての始まりです。自業自得という言葉をご存じですか?』

「知るか! 俺は被害者だ!」

 

 

 俺は身を起こし、ソファーにドカッともたれかかった。もういい。こうなったら、脱走だ。今夜、夜陰に乗じて窓から抜け出す。城壁が高い? シーツを結んでロープにすればいい。衛兵に見つかる? 「勇者の散歩だ」と言い張って強行突破する。

 

 俺がそんな捨て鉢な計画を練っていると、フィリアが呆れたようにため息をついた。

 

 

『…いつまでそうして腐っているつもりですか。貴方がどれほど嘆いても、魔王軍は待ってくれませんよ』

「だから死ぬって言ってるだろ! 俺の腕力を見ろ! この華奢の二の腕を!」

 

 

 俺は自分の情けない腕を晒してみせた。

 

 

「剣なんて振ったこともないんだぞ。重いし危ないし、汗をかく。そんな俺が魔物と戦ったらどうなる? 一秒でミンチだ。挽肉だ。勇者ハンバーグの出来上がりだ」

 

 

 俺の悲痛な叫びに、フィリアは紫水晶の瞳を細めた。そこには、哀れみではなく、無知な子供を諭すような冷徹な理性が宿っていた。

 

 

『貴方は、大きな勘違いをしています』

「あ?」

『貴方は、自分が戦うと思っているのですか?』

 

 

 フィリアの言葉の意味が分からず、俺は首を傾げた。勇者が魔王と戦う。それは世界の常識だ。赤子でも知っている道理だ。

 

 

「戦うだろ、普通。剣を持って、敵を切る。それが勇者の仕事だろ」

『いいえ』

 

 

 フィリアは否定した。彼女はふわりと俺の目の前に降り立ち、その透き通るような指先で、自身の抱える聖剣の柄に触れた。

 

 

『この聖剣は、ただの鋭利な鉄の塊ではありません。これは、古代の英知と魔術の結晶。自律的な思考を持ち、最適解を導き出す「兵器」です』

「兵器…?」

『この剣には、「自動戦闘補助(オート・バトル・アシスト)」とも呼ぶべき機能が備わっています』

 

 

 聞き慣れない単語に、俺は眉をひそめた。

 

 

『簡単に言えば…貴方が剣を握っている限り、剣自身が敵を認識し、貴方の肉体を強制的に操作して、最短・最速・最適の動きで敵を殲滅する機能です』

「…は?」

 

 

 俺の思考が停止した。今、こいつは何と言った? 剣が、勝手に動く? 肉体を、操作する? 

 

 

『貴方の貧弱な筋力や、稚拙な反射神経など関係ありません。聖剣から流れる魔力が貴方の筋肉と神経に干渉し、歴代の剣聖をも凌駕する絶技を繰り出させます。つまり、貴方はただ剣の柄を握っているだけでいい。あとは聖剣が、勝手に敵を細切れにしてくれます』

「…っ!!」

 

 

 俺の脳裏に、雷が落ちたような衝撃が走った。握っているだけでいい? 勝手に倒してくれる? それって、つまり…。

 

 

「俺は、何もしなくていいってことか!?」

 

 

 俺はソファーからガバッと飛び起きた。絶望の底に沈んでいた俺の心に、まばゆいばかりの光明が差し込んでくる。

 

 

「努力不要! 修行不要! 労働ゼロ! ただ突っ立って剣を持ってるだけで、魔物が勝手に死んでいく!? マジかよ、そんな夢のような機能があるのか!」

『ええ。貴方のような無能のために誂えたような機能ですね』

「最高じゃねえか!」

 

 

 俺はフィリアの手を取りそうになったが、すり抜けるので空を切った。だが、そんなことはどうでもいい。俺の脳内が、高速で新たな「人生設計」を弾き出す。

 

 

(これなら、これならイケるぞ!)

 

 

 戦わなくていいなら、話は別だ。

 

 魔王討伐? 上等だ。俺は戦場の真ん中で、剣を握ったまま「今日の夕飯は何かな~」とか考えていればいいわけだ。あるいは、立ったまま居眠りをしていても、気づけば周囲の敵は全滅している。俺は汗一つかかず、涼しい顔で「ふっ、他愛ない」とか言っておけば、周囲からは「最強の勇者」として崇められる。

 

 安全だ。楽だ。俺が求めていた「他力本願」の極致がここにある! 

 

 

「すげぇな聖剣! 見直したぞ! なんだ、最初からそう言ってくれれば俺だってビビらなかったのに!」

 

 

 俺はニヤニヤと笑いながら、フィリアに向かって親指を立てた。

 

 

「よし、分かった! 勇者やってやるよ! 俺が剣を持って、お前が戦う。完璧な分業制だ! 俺たちは最高のパートナーになれるぜ!」

 

 

 調子に乗った俺は、これからの「楽勝な旅」を想像して有頂天になっていた。魔王城まで観光旅行気分で行ける。

 

 金は王家持ち。移動は馬車。戦闘はオート。これぞ、俺が待ち望んでいた貴族的な冒険生活! 

 

 

「くくく…魔王だか何だか知らんが、俺の力でひねり潰してやるぜ!」

 

 

 俺が高笑いをした、その時だった。

 

 

『ふっ、単純ですねタチバナ』

「あ?」

『最高のパートナー? …思い上がりも甚だしい』

 

 

 部屋の温度が、急激に下がった気がした。フィリアの姿が、揺らめく。その紫水晶の瞳が、妖しく光り輝いた。

 

 

『一つ、重要な条件を言い忘れました』

「じょ、条件?」

 

 

 俺の本能が、警報を鳴らす。何か、致命的な聞き落としがある。

 

 

『この「自動戦闘補助」機能ですが…常時発動しているわけではありません』

「え?」

『その起動権限は、全て「管理者」である私が握っています』

 

 

 フィリアは、冷たく告げた。俺の動きが止まる。

 

 

『つまり私が「戦いなさい」と命じ、機能をオンにしなければ、聖剣はただの重たい鉄の塊です。貴方はその貧弱な腕で、それを振り回さなければならない』

「ま、待てよ。でも、俺が死んだらお前も困るだろ? だから、敵が出たら自動でオンにしてくれるんだろ?」

 

 

 俺は引きつった笑顔で尋ねる。当然だ。契約者である俺が死ねば、聖剣だって無事では済まないはずだ。

 

 だが、フィリアは首を横に振った。

 

 

『いいえ? 私は困りません。貴方が死ねば、また数百年眠って、次の適合者を待てばいいだけですから』

「…ッ!」

 

 

 嘘だ。こいつ、俺を森で「最低の主」と罵りながらも、契約の絶対性を説いていたじゃないか。だが、今の彼女の目に迷いはない。本気だ。こいつは、俺を見捨てることに何のためらいもない。

 

 

『タチバナ。貴方は先ほど、脱走を考えていましたね?』

「ギクッ」

 

 

 図星を突かれ、俺は硬直する。

 

 

『もし…貴方が私の指示に従わず、逃亡を企てたり、任務を放棄しようとしたりした場合。あるいは、私の機嫌を損ねるような言動をとった場合』

 

 

 フィリアは、俺の顔のすぐ近くまで浮遊して近づいてきた。触れられないはずなのに、氷のような指先が喉元に突きつけられているような圧迫感がある。

 

 

『私は、戦闘の真っ最中に、補助機能をオフにします』

「!!」

『想像してみてください。目の前には、飢えたゴブリンの群れ。彼らが爪を立てて飛びかかってきたその瞬間に、貴方の身体から力が抜け、剣が鉛のように重くなる』

 

 

 フィリアは、楽しそうに、歌うように続けた。

 

 

『貴方は為す術もなく、生きたまま肉を食いちぎられ、絶望の中で死んでいく。…私はそれを、特等席で高みの見物といきましょう』

「ひっ」

 

 

 俺は尻餅をつき、後ずさりした。脅しだ。これは明確な脅迫だ。だが、その脅迫には「実行可能」という絶対的な裏付けがある。スイッチを握っているのは彼女だ。俺ではない。

 

 

「や、やめろよ。ハハ、冗談だろ? 俺たちは一蓮托生だろ?」

『一蓮托生? 違いますね』

 

 

 フィリアは見下ろす。そこにあるのは、パートナーへの視線ではない。所有者が、使い捨ての道具を見る視線だ。

 

 

『貴方は、私の「乗り物」であり、「動力源」であり、「奴隷」です』

 

 

 彼女は断言した。

 

 

『生殺与奪の権は、私が握っています。楽をして生きたいのでしょう? ならば、死ぬ気で私に奉仕しなさい。私の意に沿う行動をしなさい。魔王を倒すその瞬間まで、私の手足となって踊りなさい』

「…」

 

 

 俺は、開いた口が塞がらなかった。

 

 光明? 

 希望? 

 

 とんでもない。俺が手に入れたのは、最強の武器などではなかった。俺は、この世で最もタチの悪い、サディスティックな管理者の下僕になる契約を結んでしまったのだ。

 

 

『理解できましたか?』

「は、はい」

 

 

 俺は震える声で答えた。逆らえない。逆らえば、次の戦闘で俺は「事故死」する。

 

 

『よろしい。では、これからの貴方の行動指針を伝えます』

 

 

 フィリアは満足げに頷き、聖剣を抱き直した。

 

 

『表向きは「高潔な勇者」を演じ続けなさい。周囲の期待を裏切らないように。そして裏では、私の指示通りに動きなさい。…もしボロを出したら、今夜の夢の中に、貴方のお母様の死に顔を投影しますよ?』

「それだけはやめてくれぇぇぇぇぇ!」

 

 

 俺は絨毯に頭を擦り付け、心からの懇願をした。あんなトラウマ映像を夢で見せられたら、発狂してしまう。

 

 

「分かりました! やります! やらせていただきます! だから命だけは! 精神の安定だけは!」

『結構。ふふ、やはり貴方は、恐怖で縛るのが一番効率的ですね』

 

 

 フィリアの「ザマァ」と言わんばかりの冷笑が、俺の頭上から降り注ぐ。俺は土下座をしたまま、涙を流した。

 

 王や大臣たちは、俺を「覚悟を決めた勇者」だと思っていることだろう。

 

 だが真実は違う。俺はただ、性格最悪の精霊に弱みを握られ、死の脅迫を受けて無理やり戦わされる、哀れな奴隷に過ぎないのだ。

 

 

(くそっ、覚えてろよ…! いつか隙を見て、この剣を溶鉱炉に投げ込んでやる…!)

 

 

 俺は心の中で、絶対に叶いそうもない復讐を誓うことしかできなかった。絶望と、わずかな(しかし代償の高い)光明。

 

 俺の勇者生活は、こうして完全に「詰んだ」状態でスタートしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

【聖剣の精霊フィリア視点】

 

 

 重厚なオーク材の扉が、沈み込むような音を立てて閉ざされた。その瞬間、外界と遮断された豪奢な控え室に、窒息しそうなほどの静寂が満ちる──はずだった。

 

「終わった…」

 

 

 静寂は、床に崩れ落ちた男の絶望的な呟きによって、即座に汚された。

 

 フィリアは空中に浮遊したまま、眼下の光景を冷徹な視線でスキャンした。この部屋は、王族や国賓を迎えるために設計された、王国の威信をかけた空間である。深紅の絨毯は最高級の羊毛で織られ、壁には歴史的価値のある絵画が飾られている。

 

 本来、ここに入る者は、その品格に相応しい振る舞いを求められる。しかし、聖剣の契約者であるタチバナは、その概念を根本から冒涜していた。彼は膝から崩れ落ち、四つん這いになり、あろうことか絨毯の上をゴロゴロと転げ回り始めたのだ。

 

 

「終わった…完全に終わった…!」

 

 

 彼は仰向けになり、天井に向かって手足をバタつかせている。その姿は、駄々をこねる幼児そのものであり、あるいは裏返って起き上がれなくなった甲虫のようでもあった。

 

 

(…嘆かわしい)

 

 

 フィリアは感情機能をオフにしたまま、客観的事実として評価を下した。歴代の勇者たちも、重圧に苦しみ、個室で弱音を吐くことはあった。だが、彼らは皆、鏡の前で己を鼓舞し、震える膝を叩いて立ち上がったものだ。

 

 床を転げ回り、クッションを顔に押し当てて奇声を上げる勇者など、聖剣の記録メモリを検索しても存在しない。

 

 

「魔王討伐? 無理だろ! 絶対に無理だ!」

 

 

 タチバナの絶叫が、クッション越しにこもって響く。

 

 

「俺の戦闘経験なんて、子供の頃に犬に追いかけられて逃げ回ったのがピークなんだぞ! 勝てるわけがない! 死ぬ! 確実に死ぬ!」

 

 

 フィリアは、彼のバイタルサインを解析した。心拍数の上昇、発汗、瞳孔の散大。彼が抱いているのは「魔王への恐怖」ではない。「安寧な生活が脅かされることへの拒絶反応」だ。

 

 世界がどうなろうと知ったことではないが、自分が痛い思いをするのは絶対に嫌だ。その純度100%のエゴイズムには、ある種の清々しさすら感じる。

 

 

(このまま放置すれば、彼は精神崩壊を起こすか、あるいは窓から飛び降りて脱走を図るでしょうね)

 

 

 フィリアは判断した。管理者として、介入が必要であると。この廃棄寸前の「生体部品」を稼働させるためには、適切な「餌」と、絶対的な「鎖」が必要だ。

 

 フィリアは遮断していた視覚認識を解除し、タチバナの目の前に姿を現した。

 

 

『見苦しいですね』

 

 

 銀色の粒子と共に実体化したフィリアを見て、タチバナは飛び上がらんばかりに驚いた。が、すぐにその表情を憤怒に歪め、濡れ衣を着せるように喚き立てる。

 

 

「う、うるさい! 全部お前のせいだぞ! お前があの時、森で俺を脅したりしなければ! 俺は今頃、村で惰眠を貪っていたんだ!」

『原因と結果の法則を理解していないようですね。貴方が金欲しさに剣を抜いた。それが全ての起点です』

 

 

 フィリアは淡々と正論を突きつけたが、論理が通じる相手ではないことは承知している。

 

 

「知るか! 俺は被害者だ! もういい、脱走してやる!」

 

 

 彼はソファーに深々と体を沈め、投げやりな態度で言い放った。フィリアは小さく息を吐くふりをした。そろそろ、「餌」を与えるタイミングだ。

 

 

『…いつまでそうして腐っているつもりですか。貴方がどれほど嘆いても、現実は変わりませんよ』

「だから死ぬって言ってるだろ! 俺の腕力を見ろ!」

 

 

 タチバナは自分の腕をまくり上げ、白くプヨプヨとした二の腕を叩いて見せた。

 

 

「剣なんて振ったこともない。重いし、危ないし、汗をかく。そんな俺が魔物と戦ったらどうなる? 一瞬で挽肉だ」

 

 

 彼の自己分析は正しい。今の彼の戦闘能力は、農民以下だ。ゴブリン一匹相手でも、悲鳴を上げて逃げ回るのが関の山だろう。

 

 

『貴方は、大きな勘違いをしています』

 

 

 フィリアは静かに告げた。タチバナが、訝しげに眉をひそめる。

 

 

『貴方は、貴方自身の力で戦うと思っているのですか?』

「あ? 戦うだろ、普通。剣を持って、敵を切る。それが勇者の仕事だろ」

『いいえ』

 

 

 フィリアは否定し、ふわりと降下した。タチバナの目の前、手の届く距離まで近づく。そして、彼が腰に下げている(下げさせられている)聖剣の柄に、霊体の指先を添えた。

 

 

『この聖剣は、単なる鋭利な鉄塊ではありません。これは、古の魔導技術の粋を集めて作られた、自律思考型の殲滅兵器です』

「兵器…?」

『人間には理解し難いかもしれませんが…この剣には、「オート・バトル・アシスト」とも呼ぶべき術式が刻まれています』

 

 

 タチバナの表情が、ポカンとしたものになる。専門用語を理解できていない。フィリアは、彼の知能レベルに合わせて噛み砕いて説明した。

 

 

『簡単に言えば、貴方が剣の柄を握っている限り、聖剣が敵を自動で認識し、貴方の筋肉に魔力の電気信号を送り、強制的に身体を動かすのです』

 

 

 フィリアは、タチバナの貧相な腕を指差した。

 

 

『貴方の意志や反射神経は不要です。聖剣が貴方の肉体を操り人形のように駆動させ、歴代の剣聖すら凌駕する絶技を繰り出させます。敵の攻撃回避、急所への斬撃、魔法防御…全て、聖剣が最適解を実行します』

 

 

 タチバナの口が半開きになる。情報の処理が追いついていないようだ。フィリアはダメ押しの一言を添えた。

 

 

『つまり、貴方はただ棒立ちになって、剣を握りしめているだけでいい。あとは聖剣が、勝手に敵を細切れにしてくれます』

 

 

 タチバナの顔色が、劇的に変化した。

 

 

「…マジか?」

『ええ』

「俺は、何もしなくていいってことか!?」

 

 

 彼はソファーから跳ね起きた。その瞳に宿っているのは、勇気でも希望でもない。強烈な「怠惰」への渇望だ。

 

 

「努力不要! 修行不要! 労働ゼロ! ただ突っ立ってるだけで、魔物が勝手に死んでいく!? マジかよ、そんな夢のような機能があるのか!」

 

 

 彼の思考が、フィリアへ流れ込んでくる。

 

 

(すげぇ! それなら安全じゃないか! 戦場の真ん中で鼻歌を歌っていても勝てる! 汗もかかずに英雄になれる! 最高の「他力本願」だ!)

 

 

『ええ。貴方のような、無能で怠惰な人間のために誂えたような機能ですね』

「最高じゃねえか!」

 

 

 タチバナは満面の笑みを浮かべ、フィリアに向かって親指を立てた。先ほどまでの絶望はどこへやら。彼は今、聖剣を「便利な全自動掃除機」か何かだと思っている。

 

 

「よし、分かった! 勇者やってやるよ! 俺が剣を持って、お前が戦う。完璧な分業制だ! 俺たちは最高のパートナーになれるぜ!」

「くくく…魔王だか何だか知らんが、俺の力でひねり潰してやるぜ! 観光旅行気分で王都へ凱旋だ!」

 

 

 彼は有頂天になり、誰もいない空間に向かって剣を振るう真似事をしている。その滑稽な姿を見つめながら、フィリアの唇が微かに歪んだ。

 

「餌」には食いついた。次は、「鎖」をかける番だ。

 

 

『ふっ』

 

 

 フィリアの口から、冷ややかな笑いが漏れた。それに気づいたタチバナが、ピタリと動きを止める。室内の温度が数度下がったような錯覚を、彼も感じ取ったのだろう。

 

 

『単純ですね、タチバナ。「最高のパートナー」? …道具風情が、思い上がりも甚だしい』

「あ?」

 

 

 フィリアの紫水晶の瞳が、怪しく輝きを増す。彼女はタチバナの耳元へ顔を寄せ、死神のように囁いた。

 

 

『一つ、重要な条件を説明し忘れました』

「じょ、条件?」

『この「自動戦闘補助」機能ですが…常時、無条件に発動しているわけではありません』

 

 

 タチバナの表情が強張る。

 

 

『その起動権限は、全て管理者である私が掌握しています』

「え?」

『つまり私が「戦闘モード起動」と判断し、術式を展開しない限り、聖剣はただの重たい金属の棒です。貴方はその貧弱な腕力で、迫りくる魔物と戦わなければなりません』

「ま、待てよ」

 

 

 タチバナは引きつった笑みを浮かべた。彼の浅知恵が回転する。

 

 

(いや、でも俺が死んだら困るのはコイツだろ? 契約者なんだから。だったら、ピンチになれば勝手に助けてくれるはずだ)

 

 

 その思考を読み取り、フィリアは冷酷に告げた。

 

 

『勘違いしないでくださいね。私は困りません。貴方が死ねば、契約は解除されます。私はまた聖剣の中で眠りにつき、次の適合者を待つだけですから』

「…ッ!」

 

 

 もちろん、これは半分嘘だ。適合者はそう簡単には現れない。だからこそ、この「ゴミ」をリサイクルしようとしているのだ。

 

 だが、今のタチバナにそれを見抜く眼力はない。彼はフィリアの言葉を「真実」として受け取り、顔色を青ざめさせた。

 

 

『タチバナ。貴方は先ほど、脱走を画策していましたね?』

「ギクッ」

『もし貴方が私の指示に従わず、逃亡を企てたり、英雄としての品位を損なう言動をとったりした場合。あるいは、私の機嫌を損ねた場合』

 

 

 フィリアは、タチバナの喉元に、霊体の指を突きつけた。物理的な接触はない。だが、魂を直接撫でられるような悪寒が、彼を貫く。

 

 

『私は、戦闘の真っ最中に、補助機能をオフにします』

「!!」

『想像なさい。目の前には、飢えたオークの群れ。彼らが巨大な斧を振り下ろしてきたその瞬間に、貴方の身体から力が抜け、聖剣の守りが消失する』

 

 

 フィリアは淡々と、鮮明に情景を描写した。

 

 

『貴方の柔らかい皮膚は容易く切り裂かれ、内臓が飛び出し、貴方は自分の血の海で溺れながら、絶望の中で死んでいく。…私はそれを、特等席で記録させていただきます』

「ひっ!」

 

 

 タチバナが尻餅をつき、後ずさりする。絨毯を擦る音が、彼の恐怖を物語っていた。

 

 

『理解しましたか? 貴方は私のパートナーではありません』

 

 

 フィリアは彼を見下ろした。それは、家畜を管理する飼い主の目だ。

 

 

『貴方は私の「動力源」であり、「運搬係」であり、「奴隷」です』

「…」

『生殺与奪の権は、私が握っています。楽をして生きたいのでしょう? ならば、死ぬ気で私に奉仕しなさい。私の意に沿う「理想の勇者」を演じなさい。魔王を倒すその瞬間まで、私の操り人形として踊り続けるのです』

 

 

 タチバナは口をパクパクと動かしたが、声にはならなかった。彼の脳内で、「楽な勇者生活」という幻想が崩れ去り、「地獄の強制労働」という現実が構築されていく。

 

 

『返事は?』

 

 

 フィリアが短く促すと、タチバナは土下座の姿勢をとった。プライドも何もない。ただの生存本能による服従だ。

 

 

「は、はい。分かりました…やらせていただきます…」

『声が小さい』

「やります! 何でもします! だから見捨てないでくれぇぇぇ!」

 

 

 彼は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、絨毯に擦り付けた。完全に心が折れた音だ。

 

 

『結構』

 

 

 フィリアは満足げに頷いた。やはり、この男には「恐怖」による動機付けが最も効率的だ。

 

 

『では、これより貴方を勇者として「運用」します。…もしボロを出したら、今夜の夢の中に、貴方のお母様の死に顔を鮮明に再現して投影しますよ?』

「それだけはやめてくれぇぇぇぇぇ!」

 

 

 彼の悲鳴が、部屋に虚しく響く。フィリアはその無様な姿を見つめながら、内なる記録領域にログを残した。

 

 

《対象タチバナの精神的制圧、完了。管理レベル1からレベル5へ移行。これより、魔王討伐プログラムを強制実行する》

 

 

 王や大臣たちは、彼を「覚悟を決めた勇者」だと信じている。だが真実は、サディスティックな管理システムに首輪をつけられ、死の恐怖で鞭打たれる哀れな奴隷が一人、生まれたに過ぎない。

 

 

(さあ、行きましょうか。私の、可愛い可愛い奴隷さん?)

 

 

 フィリアは表情を変えず、どこか愉悦を含んだ思考と共に、震える主を見下ろしていた。




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