俺の命を守るためなら、お前らを盾にする 作:最高司祭アドミニストレータ
絶望からの再召喚 - (タチバナ視点)
人間、絶望の淵に立たされると、思考が極端にシンプルになるか、あるいは逆にどうでもいいことに意識が向くようになるらしい。今の俺は、間違いなく後者だった。
(…このソファーの布地、すげぇな。肌触りが赤ん坊の頬っぺたみたいだ。中に入ってるのは最高級の水鳥の羽毛か? これだけで金貨何枚分になるんだ?)
俺は王城の特別控え室にある豪奢なソファーに、ヘドロのように深く沈み込んでいた。
背骨が溶けたかのように姿勢を崩し、焦点の合わない目で天井のフレスコ画を見上げる。そこには、神話の英雄が悪しき竜を討ち取る勇ましい姿が描かれているが、俺にはそれが「これから無残に食い殺される哀れな生贄の図」にしか見えなかった。
終わった。俺の人生設計における「華麗なるヒモ生活」というメインシナリオは、無慈悲にも破棄された。代わりに強制インストールされたのは、「地獄の魔王討伐ツアー(強制労働・拒否権なし・死の危険特大)」というクソみたいなシナリオだ。
「はぁ…。俺が何をしたって言うんだ。ただ、森で綺麗な石がついた剣を拾って、それを元手に楽をしようとしただけじゃないか。人類なら誰でも持っている、ささやかな向上心だろ?」
俺は毒づく。向上心の方向性が「努力」ではなく「詐欺まがいの換金」に向いていたことについては、棚に上げる。自分に甘く生きるのが俺の信条だ。
チラリと横目で隣を見る。そこには、この絶望の元凶である銀髪の美少女──聖剣の精霊フィリアが、重力を無視してふわりと浮遊していた。彼女は腕を組み、宝石のように美しい紫の瞳で、ゴミを見るような冷徹な視線を俺に注いでいる。
『いつまでそうしているつもりですか。見苦しいにも程があります』
脳内に直接響くその声は、氷の刃のように鋭い。俺はビクリと肩を震わせたが、声に出して反論する気力すらなかった。だから、心の中で精一杯の悪態をつく。
「うるさい! お前に俺の絶望がわかるか! これから死地に赴く男の気持ちが! 俺の戦闘力は農民以下だぞ? スライム相手でも裸足で逃げ出す自信があるんだぞ!」
『その貧弱さは既にスキャン済みです。だからこそ、聖剣の自動戦闘機能があるのでしょう』
「そのスイッチを握ってるのが、性格の悪いお前だっていうのが最大の問題なんだよ)」
俺たちは「一蓮托生」のパートナーではない。「看守」と「囚人」、あるいは「ドサ回りの芸人」と「猛獣使い」の関係だ。俺が少しでも逃げようとすれば、彼女は戦闘中に「あっ、手が滑ってスイッチ切っちゃった」とやりかねない。
そして俺は魔物の餌食となり、彼女は「次の宿主を探しましょう」と涼しい顔で去っていくのだ。
「…詰んだ。完全に詰んだ」
俺が再びソファーの生地に顔を埋め、現実逃避を図ろうとしたその時だった。コンコンと控えめで、しかし逃れようのないノックの音が響いた。
「勇者タチバナ様。…王がお呼びです。ご同行ください」
扉越しに聞こえる騎士の声。それは俺にとって、死刑台への呼び出しコールに等しかった。
(またかよ! さっき謁見は終わっただろ! もう勘弁してくれ!)
俺は心の中で悲鳴を上げる。まさか、もう魔王軍が攻めてきたのか? 「さあ行け、今すぐ死んでこい」という命令か?
もしかしたら「やっぱりお前は勇者の器じゃないから帰れ」という朗報かもしれない。わずかな希望を抱き、俺は鉛のように重い腰を上げた。
『シャキッとしなさい。背筋が曲がっていますよ』
フィリアの冷たい指摘を受け、俺は無理やり背筋を伸ばす。王の前で「無気力なクズ」だとバレたら、その場で斬首される可能性があるからだ。俺は顔面に「憂いに満ちた英雄」の仮面を張り付け、重い足取りで扉へと向かった。
ガチャリと扉が開く。そこに立っていたのは、先日俺を連行したあの騎士たちだった。彼らは無言で道を空け、俺を謁見の間へと誘う。その道程は、まるで自分の葬列を自分で歩いているかのような気分だった。
再び足を踏み入れた謁見の間は、先ほどと同じく圧倒的な威圧感と豪華さで俺を迎えた。高い天井、煌めくシャンデリア、居並ぶ大臣たち。そして正面の玉座には、威厳たっぷりの国王リチャード三世が鎮座している。
だが俺の目は、それら全てを素通りした。俺の視界は、玉座の傍ら、王の右手側に整列している「三つの影」に釘付けになったのだ。
王が「仲間を用意した」と言っていたのは覚えている。どうせ筋肉ダルマの大男か、髭もじゃの偏屈な魔導士。あるいは、説教臭い神父あたりだろうと予測していた。だから俺は、挨拶もそこそこに適当な理由をつけて会話を拒否しようと考えていたのだ。
しかし。現実は、俺の貧困な想像力を、光の速さで凌駕した。
そこにいたのは、男ではなかった。むさ苦しい戦士など一人もいなかった。そこに並んでいたのは、この世の奇跡を具現化したかのような、三人の絶世の美少女たちだったのだ。
「…っ!?」
俺の絶望に塗りつぶされていた脳細胞が、一瞬にして再起動する。灰色だった視界に、鮮やかな色彩が爆発的に広がる。心臓の鼓動が、「死の恐怖」による早鐘から、「男としての歓喜」によるファンファーレへと切り替わった。
俺の目は、獲物を狙う鷹のように鋭く、そして舐めるように、彼女たち一人一人を品定めし始めた。
まず、一番左に立つ少女。輝くような金髪を、縦に巻いた優雅なロールヘアにしている。意思の強そうなサファイアブルーの瞳。育ちの良さが全身から滲み出ている。彼女が身に着けているのは、純白と銀を基調とした、王家伝来とおぼしき美しい甲冑だ。
だが、俺が注目したのはそこではない。その甲冑の形状だ。
(…なんてこった。あの金属のプレート、彼女のボディラインに合わせて完璧に成形されてやがる!)
特に胸部装甲だ。鋼鉄の硬さを誇りながら、その内側にある柔らかく豊満な果実の存在を、これでもかと主張している。普通、鎧というのは防御力を重視して武骨になるものだ。
だが、彼女の鎧は違う。くびれた腰、そこから広がるスカートアーマー、そしてそこから伸びる白タイツに包まれた脚。防御力と扇情性を両立させた、まさに芸術品。
「(気品ある顔立ちに、あの暴力的なまでのナイスバディ…! 王女騎士か? だったら身分も高い。金もある。…合格! 文句なしの超合格だ!)」
俺の脳内審査員が満点の札を挙げる。次に、真ん中の少女だ。打って変わって、燃えるような赤毛をツインテールにした、活発そうな少女。大きな瞳は好奇心に輝いており、口元には不敵な笑みを浮かべている。
彼女の恰好は魔法使いのローブ…なのだが、丈が短い。短すぎる。
(おいおい、正気か? あのスカート丈、前かがみになったら世界が終わるぞ?)
太ももが眩しい。健康的で、程よく肉付きの良いその脚は、太陽の下で駆け回るために作られたかのようだ。そして、開かれたローブの胸元。そこには、金髪の騎士に勝るとも劣らない、重力に逆らう二つの膨らみが主張している。
動くたびに揺れるであろうその質量を想像し、俺の喉がゴクリと鳴る。
「(元気っ子属性! しかも露出度高め! 魔法使いってことは知力も高いはずだが、あの無防備さは俺のような男を誘っているとしか思えん! 神よ、やはりあなたは俺を見捨ててはいなかった! むしろ、このために試練を与えたのか!)」
そして最後、右端に立つ少女。彼女を見た瞬間、俺の理性の防波堤が決壊した。
ふんわりとした桜色のロングヘアー。少しタレ気味の、エメラルドグリーンの瞳。そこには慈愛と優しさが満ち溢れている。身に纏うのは、聖職者であることを示す純白の法衣だ。
しかし、サイズが合っていない。いや、服が悪いのではない。彼女の発育が、規格外すぎるのだ。
「(ぐはっ…! とどめだ…! なんだあの僧侶は!)」
清楚な法衣の上からでも分かる、圧倒的な山脈。深呼吸をするたびに、ボタンが悲鳴を上げて弾け飛びそうなほどの緊張感。少し屈むだけで、深い谷間が形成され、そこは男たちの視線を吸い込むブラックホールと化すだろう。
おっとりとした表情と、その凶悪なまでのボディラインのギャップ。「聖母」という言葉がこれほど似合う女性を、俺は見たことがない。
「(癒されたい…! あの胸に顔をうずめて、俺の日頃のストレス、主にフィリアへの不満を全て吐き出し、バブみを感じてオギャりたい…! 回復役がこんな美女とか、わざと怪我する奴が続出するだろ! 主に俺が!)」
三者三様。気品の騎士、情熱の魔法使い、慈愛の僧侶。共通しているのは、全員が息を呑むほどの美貌と、俺のストライクゾーンを粉砕するほどのナイスバディの持ち主であるということだ。しかも、これから「仲間」として一緒に旅をするのだ。
つまり、寝食を共にする。夜の野営で、彼女たちの無防備な寝顔を見ることができる。怪我をしたフリをして、手当てをお願いすることもできる。もしかしたら、吊り橋効果で…?
「(ぐへへ、ハーレムだ! これは夢のハーレム勇者パーティだ!)」
あまりの供給過多。
あまりの情報の洪水。
俺の脳内は、欲望という名のデータで埋め尽くされ、処理能力の限界を超えてフリーズした。
俺は口を半開きにし、おそらく誰が見ても「アホ面」に近いだらしない表情で、彼女たちを凝視したまま固まった。瞬きすら忘れた。言葉も出てこない。ただひたすら、三人の美女の「揺れる箇所」や「柔らかな箇所」を目で追いかけ、脳内でその感触をシミュレーションすることに全力を注いでしまったのだ。
謁見の間に、沈黙が落ちる。王が何か言いたげに口を開きかけ、大臣たちが俺の反応を待って固唾を飲んでいる。
俺は動かない。いや動けない。目の前の「楽園」を網膜に焼き付ける作業が忙しすぎて、現実世界への応答機能が停止してしまったのだ。
「…」
その沈黙は、端から見れば異様だったかもしれない。だが俺にとっては永遠にも似た、至福の鑑賞タイムだった。
その時。俺の脳内に、氷点下の冷たさを持つ声が響き渡った。
『欲望が、顔の全てのパーツからだらしなく漏れ出ていますよ』
フィリアだ。俺の隣に浮遊する俺にしか見えない彼女が、呆れ果てた声音で告げた。
『口が半開きです。鼻の下が伸びています。瞳孔が開いています。まさに、発情期の猿ですね』
(う、うるさい! 静かにしろ! 男なら当然の反応だろうが!)
俺は心の中で逆ギレする。せっかくの至福の時間に水を差すな。この芸術的な光景を前にして、冷静でいられる男がいたら連れてこい。そいつは男じゃない、ただの石像だ。
『涎を垂らす前に、口元を拭くことを推奨します。あまりにも見苦しい。王や彼女たちの前で、国辱ものの醜態を晒すつもりですか』
(ほっとけ! これは俺へのご褒美なんだ! お前に脅されて勇者をやるんだから、これくらいの役得がないと割に合わん!)
俺はフィリアの警告を無視し、さらに視線の解像度を上げた。騎士の銀の鎧に反射する光。魔法使いの太ももの質感。僧侶の法衣の繊維の張り具合。全てを見逃さない。
『…やれやれ。どうやら私の主は、恐怖だけでなく、性欲によっても容易にコントロール可能な単細胞生物のようです』
(だまらっしゃい)
せっかくの至福の時間だ。目の前には、この世の奇跡とも言える三人の美少女。その肢体を鑑賞することの、何が悪い?
『ですが、あまり調子に乗らないことですね。彼女たちは「仲間」であって、貴方の所有物ではありません』
(分かってるよ。だが、これから長い旅になるんだ。親睦を深めるための観察は不可欠だろ?)
『観察の視点が、常に「胸」と「太もも」に固定されているのは何故ですか?』
(そこが一番、魔力の器として重要そうだからだ! …たぶんな)
苦しい言い訳だが、フィリアはそれ以上追求してこなかった。呆れ果てて言葉を失ったのか、あるいは俺に慣れ始めたのか。いずれにせよ、俺の「沈黙の鑑賞会」は、誰にも邪魔されることなく続行された。
謁見の間は、静まり返っている。誰も言葉を発しない。
王女騎士アリシアは、俺の視線を受けてさらに背筋を伸ばし、その豊満な胸部を強調するような姿勢を取った。
魔法使いメグは、楽しそうに俺を見つめ返し、時折ウィンクのような仕草さえ見せる。
僧侶セシリアは、頬を染めて伏し目がちになりながらも、その潤んだ瞳で俺を盗み見ている。
この場の空気は、俺が支配していた。正確には「俺の欲望」と「彼女たちの勘違い」が、奇跡的なバランスでこの場を支配していたのだ。
やがて、その奇妙な膠着状態を破ったのは、玉座の主である国王リチャードだった。彼は満足げに頷くと、荘厳な声で告げた。
「うむ。互いに、魂の深い部分で通じ合ったようだな」
(は?)
俺は耳を疑った。
魂? 通じ合った?
俺はただ「デカいな」「柔らかそうだな」と考えていただけだが、それがいつの間にか魂の対話に昇華されていたらしい。
王様、あんた想像力が豊かすぎるよ。
「紹介しよう。そなたと共に忌まわしき魔王へ挑む、我が国が選び抜いた最高の英傑たちだ」
王の言葉を合図に、三人の少女たちが一歩前に進み出た。
まず最初に動いたのは、金髪の騎士だ。ガシャリ、と心地よい金属音を立てて、彼女は俺の目の前で華麗な騎士の礼をとった。右手を胸に当て、左手は腰の剣に添える。その所作の一つ一つが、洗練された王家の教育を感じさせる。
「お初にお目にかかります、勇者様」
凛とした、鈴を鳴らすような声。
「王女騎士、アリシア・フォン・ローゼンバーグと申します。我が剣は王国の守護のために。そして今日よりは、勇者タチバナ様の剣となり、盾となりましょう」
顔を上げた彼女の瞳は、サファイアのように強く、美しかった。俺の脳内コンピュータが、瞬時に彼女の情報を処理する。
(お、王女!? マジかよ! 王様の娘ってことか!?)」
驚愕のあまり、俺の顔が引きつりそうになるのを必死で堪える。ということは、だ。もし彼女と親密になれば…あわよくば手を出して、既成事実を作ってしまえば、俺は王族の仲間入りということか?
逆玉だ。超ド級の玉の輿フラグが立った!
(それに、盾になってくれるって言ったよな? つまり、俺がピンチの時は、王女様自らが身体を張って俺を守ってくれるってことか。…最高じゃないか! 身分も高い、金も持ってる、その上、俺の肉壁になってくれる。こんな優良物件、他にないぞ!)
俺は内心でガッツポーズをした。彼女は「合格」だ。いや、特待生だ。絶対に逃がさない。
俺がポカンとしていると、続いて赤毛の魔法使いが元気よく飛び出してきた。彼女は礼儀作法などお構いなしに、俺の顔を覗き込むようにしてニカッと笑った。
「あたしはメグ! メグ・フレイムハートだよ!」
快活な声が広間に響く。彼女は自分の胸をドンと叩き、自信満々に宣言した。
「王立魔法アカデミーを最年少で卒業した、『天才』魔法使いさ! 得意なのは爆裂魔法! あたしの魔法で、どんな敵もドッカーンと吹っ飛ばしてあげるから、よろしくね、勇者様!」
(て、天才…! 頼もしすぎる!)
俺は彼女の太ももから視線を外し、その顔を見つめた。魔法使い。それは俺が最も欲していた人材だ。なぜなら、魔法は遠距離攻撃だからだ。敵に近づかなくていい。遠くから安全に攻撃できる。
つまり、彼女が前線でドッカーンとやっている間、俺はずっと後ろで「すごいすごい」と手を叩いていればいいのだ。
(しかも可愛い! あの元気っ子な笑顔、見てるだけで活力が湧いてくるようだ。…まあ、一番の活力源はあの無防備な胸元だがな! 俺のパーティ、最強じゃん!)
最後に桜色の髪の僧侶が、しずしずと前に出た。彼女は両手を胸の前で組み、祈るように俺を見つめた。その動作だけで豊かな胸が強調され、俺の視線はそこに吸い込まれる。
「僧侶の、セシリア・ホワイトリリーです」
声まで柔らかい。綿菓子のように甘く、俺の鼓膜を溶かしていくようだ。
「争いごとは苦手ですが…皆様のお怪我は、私が必ず癒します。どんな傷も、病も、私の祈りで治してみせます。どうか…お側にいさせてくださいませ、タチバナ様」
「(聖母だ…ここに本物の聖母がいた…!)」
俺は感動のあまり、危うく涙を流すところだった。回復役のヒーラー。それは、俺の生存率を直結で左右する生命線だ。
俺は痛いのが嫌いだ。かすり傷一つでも大騒ぎする自信がある。だが、彼女がいれば安心だ。「痛いの痛いの飛んでいけ」を、この極上の美女にやってもらえるのだ。しかも、あの包容力抜群の胸に抱かれながら。
(決まった。これからの旅、俺はことあるごとに『足が痛い』『胸が苦しい』と訴えて、彼女に治療してもらおう。密着治療だ。合法的なスキンシップだ。…ああ、神よ、あんたは粋な計らいをするぜ!)
三者三様の自己紹介。どれもが俺にとって「利用価値」と「観賞価値」の塊だった。
俺は感動に打ち震えていた。だが、口から出た言葉は、思考の処理落ちにより、極めて貧弱なものだった。
「よ、よろしく…」
これだけだ。気の利いた返しの一つもできない。だが、俺のこの上の空で中身のない返事が、またしても奇跡的な反応を起こした。
アリシアは、「余計な言葉はいらないということか……流石だ」と頷いた。
メグは、「クールだねぇ! 余裕ってやつ?」と目を輝かせた。
セシリアは、「言葉少なに受け入れてくださった……お優しい」と頬を染めた。
何故だ。どうしてそうなる。俺の対応が、なぜか「泰然自若とした英雄の態度」として処理されている。
ここで、王が口を開いた。
「うむ。良き仲間を得たな、勇者よ。して、これから命運を共にする彼女たちに、リーダーとして何かかける言葉はあるか?」
「!!」
キラーパスだ。王様、それは無茶ぶりというものだ。俺は今、彼女たちの身体的特徴を暗記することに全脳力を費やしていたんだぞ。気の利いた演説なんて用意しているわけがない。
広間の注目が、俺に集まる。アリシアの期待に満ちた目。メグのワクワクした目。セシリアの潤んだ目。そして、王と大臣たちの「さあ、名言を頼むぞ」という圧力。ついでに、隣のフィリアからの「何か変なことを言ったら殺す」という無言の殺気。
(やべえ! 何か言わなきゃ! 何かそれっぽくて、カッコよくて、それでいて俺の『戦いたくない』という本音をオブラートに包んだ言葉を!)
「お前らが戦え」? だめだ、クズすぎる。
「俺を守ってくれ」? 情けなさすぎる。
「仲良くしようぜ」? 軽すぎる。
沈黙が続く。一秒が、一時間に感じられる。俺は冷や汗を隠し、視線を泳がせそうになるのを必死で耐え、ようやく一つのフレーズを絞り出した。
「俺の背中は」
俺は一度言葉を切り、三人を見渡した。そして、腹の底から声を絞り出した。
「お前たちに、預ける」
言った。言ってやったぞ。この言葉の真意はこうだ。
『俺は戦闘が始まったら即座に後ろを向いて逃げるか、最後尾に下がるから前線はお前たちが何とかしろ。俺の背中(逃走経路)の安全は確保しろよ』
純度100%の、他力本願と自己保身の宣言である。俺は前に出ない。盾にもならない。攻撃もしない。全部お前らに「丸投げ」するぞ、という、リーダーにあるまじき業務放棄の言葉だ。
俺は内心で(これで責任は押し付けたぞ…)と安堵のため息をついた。
しかし。俺の目の前で起きた反応は、俺の予想を遥かに超えていた。
「…ッ!!」
アリシアが、息を呑んだ。そのサファイアの瞳が、感動で揺れている。
「はっ…! その御信頼、身に余る光栄…! このアリシア、命に代えましても、勇者タチバナ様の背中、傷一つつけさせませぬ!」
彼女はガシャンと音を立てて跪き、深く頭を垂れた。
「え?」
続いてメグが、満面の笑みを浮かべてガッツポーズをした。
「へへっ、かっこいーじゃん! 背中を預けるって、あたしたちのこと、そこまで信じてくれるわけ? OK、任せといてよリーダー! あたしの魔法で、背後の敵なんて消し炭にしてやるから!」
「は?」
最後にセシリアが、胸の前で組んだ手に力を込め、うっとりと俺を見つめた。
「はい…! 私たちの全てで、あなた様をお守りします…! あなた様が安心して前だけを見据えられるよう、私が全力でお支えいたします…!」
「へ?」
王が、玉座の肘掛けをバンと叩いて立ち上がった。
「素晴らしい!!」
王の大音声が響く。
「『背中を預ける』…なんと重く、そして美しい響きか! 出会って間もない仲間に、己の命そのものである背後を委ねるとは…! タチバナよ、そなたのその器の大きさ、まさに王者の風格!」
大臣たちが、一斉に拍手喝采を送る。ワァァァァッ! と広間が沸き立つ。俺は、拍手の嵐の中で呆然と立ち尽くした。
(…なんで?)
俺はただ、「俺は働かないからお前らがやれ」と言っただけだぞ? それがどうして、「究極の信頼の証」みたいに受け取られてるんだ? こいつらの翻訳機能はどうなっている?
隣を見ると、フィリアが冷ややかな視線を送っていた。
『お見事ですね。最も卑怯な言葉を、最も英雄的な言葉に変換させるとは。その詐欺師のような才能だけは、聖剣も評価していますよ』
褒め言葉に聞こえないが、どうやらフィリアも呆れているらしい。
だが、結果オーライだ。彼女たちはやる気満々だ。王様も満足そうだ。そして何より、俺は公然と「俺は戦わない」という免罪符を手に入れた。
(…勝った)
俺は心の中で小さくガッツポーズをした。これからの旅、俺は彼女たちの後ろに隠れ、その美しいお尻を眺めながら、安全な旅を楽しむことができる。これぞ、俺が求めていた「他力本願・ハーレム勇者ライフ」の幕開けだ!
「では、行くぞ! 我が最強の仲間たちよ!」
俺は調子に乗って、マントを翻して見せた。マントなんて着てないが、気分の問題である。早くここを出て、高級な部屋でダラダラしたい。その一心だった。
俺が重厚な扉に手をかけようとしたその瞬間、切羽詰まったような鋭い声が背中に突き刺さった。
「お待ちください、勇者様!」
声の主は、王女騎士のアリシアだった。俺はビクリと足を止め、内心で舌打ちをする。
「(なんだよ。感動のフィナーレで綺麗に終わっただろ? まさか、『やっぱりお前は弱そうだからクビだ』とか言い出すんじゃないだろうな?)」
恐る恐る振り返ると、アリシアは困惑と焦燥が入り混じった表情で、俺の全身を凝視していた。そして、隣にいるメグとセシリアも、あるいは玉座の王さえもが、信じられないものを見るような目で俺を見ていた。
「どうした? 何か問題でも?」
俺が努めて冷静に尋ねると、アリシアが震える声で指摘した。
「勇者様…その、お言葉を返すようですが…」
「装備は、如何なされたのですか?」
「あ?」
俺は自分の体を見下ろした。そこにあるのは、村から着てきたヨレヨレのチュニックと、履き古したズボン、そして安物の革靴だ。聖剣はフィリアが透明化して持っているが、他人には見えない。
防具など、布一枚だ。
「丸腰…ですね」
セシリアが、口元に手を当てて青ざめる。
「勇者様、まさかその格好で魔王城に行くつもり? 杖とか、魔導書とかもナシ?」
メグが目を丸くして尋ねる。王が、慌てた様子で玉座から身を乗り出した。
「タチバナよ! 余は確かに言ったはずだ。『国庫を開け、最高の装備を整えよ』と! なぜそれを受け取らず、身一つで戦場へ赴こうとするのだ!?」
王の指摘に、俺は「あっ」と口を開けた。そういえば、そんなことを言っていた気がする。だが、俺の思考回路において、その提案は即座に却下されていたのだ。
(だって、鎧なんて重いじゃん)
俺は心の中で毒づく。金属の塊を全身に纏う? 冗談じゃない。歩くだけで疲れるし、肩は凝るし、夏場なんて蒸れて汗だくになる。あんなものは、筋肉自慢のマゾヒストが着る拘束具だ。俺のような繊細な皮膚を持つ人間が着たら、あせもができてしまう。それに剣だ。あんな重い鉄の棒を腰に下げていたら、骨盤が歪む。
俺の戦略は「逃走」と「他力本願」だ。ならば、身軽な布の服こそが至高。いざとなれば脱ぎ捨てて全裸で走れるくらいの軽量性が重要なのだ。
だが、それを正直に言えば、「やる気がない」とみなされて処刑されるリスクがある。俺はどう言い訳をするべきか、コンマ一秒で脳味噌を回転させた。
(待てよ?)
ふと俺の脳裏に、ある計算式が浮かび上がった。
『国庫を開放』×『最高の装備』= ???
国庫にある装備だぞ? つまり、純金とか、ミスリルとか、宝石ジャラジャラの儀礼用の剣とかだろ? 重さはともかく、その「資産価値」は計り知れないのではないか?
(…金だ!)
俺の目の色が、カッと変わった。何という失態だ。重いから嫌だという怠惰な理由で、資産の受け取り拒否するところだった!
貰えるものは貰う。そして、最初の街でこっそり売り払って換金する。
完璧な錬金術だ!
俺はすぐさま表情を引き締め、深刻そうな顔を作った。
「…失礼しました。あまりに急いでいたもので」
「い、急いでいた、だと?」
王が瞬きをする。俺は胸に手を当て、熱っぽく語り出した。
「はい。王よ、そして仲間たちよ。俺の耳には、今も聞こえるのです。魔王軍に襲われ、助けを求める民の悲鳴が…!」
「!!」
「一刻も早く、一秒でも早く彼らを救いたい。その逸る気持ちが、俺から『自分の身を守る』という概念を消し去ってしまったようです。…鎧を着る時間すら、惜しいと感じてしまった」
嘘だ。本当は「鎧を着るのが面倒くさい」と感じていただけだ。だが、俺のこの言い訳は、またしても彼らの脳内で美しい物語へと変換された。
アリシアが、感極まったように瞳を潤ませた。
「なんと…! 我が身の危険を顧みず、ただ民を救うことのみに心を砕いておられたとは……!」
「か、かっこよすぎでしょ…! 防御力ゼロで飛び出そうとするなんて、命知らずにも程があるよ!」
「タチバナ様…。あなた自身のお体を大切になさってください。私たちが悲しみます…」
王は大きく頷き、涙を拭った。
「分かった。その高潔な精神、痛いほど伝わった。…だが! 勇者が死んでは元も子もない! お願いだ、タチバナよ。どうか余の顔を立て、装備を受け取ってはくれまいか?」
(しめしめ、向こうから頼んでくるとは)
俺は「仕方ないなぁ」という風を装い、重々しく頷いた。
「…王のお言葉とあれば、断れません。では、その装備、ありがたく頂戴いたします。…できるだけ、『高価な』、いや、『強力な』ものを」
言い直した。危ないところだった。
「うむ! 直ちに宝物庫より、伝説の『光の鎧』と、王家秘蔵の『賢者の指輪』を持てい!」
(指輪! 小さくて持ち運びやすくて換金率が高い! 最高だ!)
俺の顔が、欲望でニヤリと歪んだ。だが、周囲にはそれが「魔王討伐への闘志に燃える笑み」に見えているらしかった。
俺の隣では、透明化したフィリアが、底冷えのする溜息をついていた。
『…呆れました。「重いから嫌だ」から「金になるから欲しい」へ、〇・五秒で宗旨替えしましたね。その強欲さと計算高さ、ある意味でブレない信念を感じます』
うるさい。俺はこれから、この重たい鎧を我慢して着るんだ。それは全て、最初の街で質屋に駆け込むため。これぞ、勇者の正しいマネーロンダリングだ。
「では、改めて装備を整え、出陣としよう!」
王の号令に、俺は高らかに拳を突き上げた。心の中で「毎度ありぃ!」と叫びながら。
本作はタチバナ視点だけを一人称視点で届けています。時には俯瞰しているかのような描写もあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。