トリオンエラー   作:楕楕楕円

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12話「一月二十日」

 

 

 会議から数日が経った。あれからずっとラボで寝泊まりしているが、まだ侵攻はない。今日も陸平はラボの定位置であるPCデスクの椅子に座っている。いつも通り黒いジャージだが、腰には新たにウエストポーチがベルトごと追加されている。中身は救急セットだ。

 

 デスクトップの右上の表示は一月二十日、月曜日の午前八時ごろ。あっという間に時間が過ぎていく。

 トリオンの節約のため、ここ数日はずっと生身で生活していた。陸平は普段からそこまで動かないので、ラボに篭っているだけならば、ほとんどトリオンを消費しない。それでも、あまり意味はないかもしれないが、なんとなく気持ちの問題でそうしていた。なんでもいいからなにか対策をしないと気が済まなかった。それが本音だ。生身生活に終わりが見えないため、そろそろ限界ではあったが。

 

 気を紛らわせるようにコンパスを開く。わずかに揺れる数字をレンズ越しに眺めていると、玄関から扉がスライドする音が聞こえた。システム調整のためやってきた迅だ。左腕にはコンビニの袋がぶら下がっている。

 

「実力派デリバリー到着〜。もう朝飯食った?」

「まだ。なにそれ?」

「そぼろ弁当。唐揚げ付き」

「そっち置いといて。先に調整やる」

「唐揚げはレイジさんから渡されたやつ」

「やっぱ食う」

 

 キーボードとマウスを収納すると、ガサガサと目の前の机に袋が置かれた。

 袋にはそぼろ弁当と、タッパーに入った棒付きの唐揚げが二本。中身を取り出すと、片方の唐揚げを迅が取っていった。

 

「なんかカレーの匂いしない?」

「昨日桐絵が置いてったのが冷蔵庫にあるぞ。作りすぎたからって」

「あ〜、そういや沢山作ってたの視えたな」

「それで足りないんなら食っていいけど」

「いや、遠慮しとく」

 

 キャスターを滑らせて2つのコップに水を用意してから、割り箸を二本に引き裂く。

 そぼろご飯を口に運んでいると、横で出しっぱなしにしていたコンパスの光へ迅の腕が伸びた。唐揚げを持っていない方の手で、中でも一層太い分岐点をタップする。線の道の先は大きく二手に分かれており、そこから先は細々とした線が複数伸びていた。

 

「なに、気になるとこでもあんの?」

「そりゃね。気になるとこだらけだから」

 

 言葉通り、腕を滑らせて他の線の数字もいくつか開かれていく。迅が気にしていたものは、念のため青いタグをつけた。

 

「新はしばらく学校休む感じ?」

「残り十日分も休みとってある」

「相変わらず行動がはやい」

 

 レプリカの起動配置図のおかげであと十日以内に侵攻があることが絞れていた。それ以降は敵の国の軌道が離れるため、こっちの世界には来られなくなる。

 

 早々にからあげを食べ終わった迅と適当に話しながら、二十分ちょっとかけてプラスチック容器を空にした。さっさとゴミ箱に放り投げて、PCで処理されている数値化の本体システムを丁寧にチェックしていく。

 ズレはない。迅にはこれだけはっきりと大規模侵攻の様子が見えている。──いつ来るのかすらも、分かっていないというのに。結局、なにも答えは出ていない。

 もう一度、ひとつひとつの手順をなぞって、一時的に胸のざらつきを落とす。正直これも、不安だからやっているだけだ。ただ、自分が安心したくて繰り返している儀式でしかなかった。本部の開発室ですでに散々やっている。上層部からの使用許可が出ている以上、コンパスの品質は保証されているようなものだ。

 

「……オッケー、問題なし。もう帰っていいよ」

「なんだよ。せっかく来たんだから、もうちょい居座らせろよ」

 

 迅は作業台の方から持ってきた椅子に腰掛けて、見るからにまったりとしていた。

 

「おまえはこんなとこで時間使ってちゃダメだろ」

 

 迅に言ったというよりは、自分に言い聞かせるような声だった。

 未来視はボーダーにとって防衛の要だ。それなのに、自分の不安を取り除くために付き合わせてしまっている。陸平には罪悪感が募っていた。

 大規模侵攻までの日数は不確定。想定できる限りの備えをしているつもりだが、どれだけやっても焦燥感に襲われる。

 

「新はさ、肩肘張りすぎ」

「迅は逆に緊張感なさすぎ」

「来るのが確定したら連絡入れるから、少し力抜けって。ずっとそんなんじゃ疲れるだろ」

「わかってる。わかってんだよ、そんなこと」

 

 陸平は短く言い捨てて、背もたれに背中を押しつけた。そのまま水を一口飲む。適度に冷えた水が喉を通ると止まらなくなって、続けて残りも全て飲み干した。口の中が乾いていたらしく、体が水分を欲していた。

 

 コップを机に置くと、ふと、視界にデスクトップの右上が映り込む。時刻の横には、雲に隠れる太陽のマーク。

 陸平はPCデスクから離れ、椅子に乗ったまま横の壁にくっついているボタンを押す。ボタンの上の壁が滑らかに動き、ちょうど今の頭の高さと同じ位置に小窓が出てきた。

 外を覗く。晴れてはいるが、空には雲がそこそこ多く、快晴とは言えない。今朝のニュースによれば、確か明後日から一週間は雨だった。

 

「……なあ、迅。大規模侵攻時って晴れ?」

「おれを天気予報代わりにするな」

「いや、今回のは違くて」

 

 マウスを動かして、右上のアイコンをクリックする。天気予報のウィンドウが開かれた。

 

「これとおまえのSE組み合わせれば、十日からもう少し絞れるんじゃないかって。今回の予知、かなり精度高いし」

 

 ああ、と納得するように頷いて迅は目線を動かした。

 

「うーん、大規模侵攻中は雨降ってる様子はないな」

「じゃあ、明後日以降の可能性は今んとこ薄そうだな」

 

 とりあえず忍田に、今日か明日の確率が高そうということだけは資料付きで送っておいた。あくまで確率だが、心の準備はしておいた方がいいだろう。

 短い報告を終えて、スマホを握ったまま、迅の方へとくるりと椅子を回した。

 

「なんかオレに言っとくことある?」

「おまえ言うこと聞かないじゃん」

「最終的に決めるのはオレだから。でも参考にはしてるよ」

 

 コンパスの光が青いジャージの右腕を照らしている。

 迅はほんの数秒だけ目を閉じて、ゆっくりと開いた。

 

「おまえは基本自分の意思で行動した方が、結果的に良い方向に転がるよ。だからいつも通りでいい」

 

 言葉を区切ると、迅は笑って付け加えた。

 

「そんな気がする」

「気がするだけかよ」

「おれの勘がそう言ってる」

「言い換えても言ってること同じなんだよ」

 

 やっぱり適当だった。分かってはいたけど。

 陸平が不満を隠す気なく目で圧を与えるが、軽く受け流される。

 

「仕方ないだろ。おまえの未来、視えないんだし」

「おい、言い方。完全に見えないわけじゃない」

「おっと、間違えた。視えづらいだったな」

 

 へらりとした口調で、悪びれなく言われる。

 このやりとりも何回したかわからない。絶対にわざとだ。

 

「それに新が自由に動いた方が、おれが楽しいからな」

「へー、なかなか言うようになったな」

 

 迅は一瞬だけ目を細めると、わずかに首を傾げた。

 

「だって、道はおまえが作ってくれるんだろ?」

 

 その言葉の直後、真下から床に叩きつけるような硬い音がして、陸平の体が飛び上がる。同時に服装がツナギへと変わった。

 急いで下を覗き込むように見ると、手に持っていたはずのスマホが床に転がっている。落としたらしい。

 目線を戻せば、迅は横を向いていた。口元を手で覆い隠して、肩を震わすようにして笑っている。堪えているつもりなのか。

 

「…………掘り返すなよ。リラックスさせたいのか、プレッシャーかけたいのかどっちなんだ」

「ふっ、はは。いやいや、自分で言ったことには責任持ってもらわないと。頼りにしてるからな?」

「今すっげー後悔してる」

 

 換装を解いて、椅子に乗ったままミニエスクードを拾う。見た目通り頑丈なので、この程度で壊れることは絶対にない。

 迅はしばらくして肩の震えが落ち着いてくると、開きっぱなしのコンパスを見つめた。視線の先は青いタグをつけた場所。確か一番最初に迅が見ていたところだ。

 

「メガネくんは大きな未来の分岐点にいる。おまえも協力してやって」

「オレ、大規模侵攻中は終わるまで本部から出る気ないけど。ま、できる限りのことはやるよ」

「心配すんな。おまえはきっとメガネくんの助けになる」

 

 断言するように言い切ったあと、迅はわざとらしくいつもの笑い方をした。

 

「そんな気がする」

「もうちょっと自信つく感じで言ってほしい」

 

 中途半端な言葉を残し、迅はラボから出ていった。扉がスライドする音が耳に届き、ラボに一人残される。

 さっき迅が見ていた場所のタグは、特に大事そうなので赤色に変更してからコンパスの蓋を閉じた。手の中で強く握り込んでから、ベルトに引っ掛ける。

 数時間後──警戒区域の空は不自然なほど黒い雲に覆われた。

 

 

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