(通信は途絶えている。相手は黒トリガー。近くに戦闘員はいない。状況は絶望的)
自分から離れた位置にある扉へ、職員たちが合図とともに避難を開始した。
ツノ男は逃げる人には目もくれず、陸平に釘付けだ。相当好戦的と見える。陸平はほとんどのガラスが取り除かれてしまった窓から通信室へと足を踏み入れた。
通信室は足場がないほどに部屋の中が荒れ果てており、見渡す限りの精密機器がほぼ全壊している。
崩れたデスクの下敷きになり動けずにいるのは、ここから確認できるのは男性が二人のみ。まだ他にもいるかもしれない。
伏している彼らは全く動く気配がなく、腕が力なく隙間から垂れ下がっている。気を失っているだけならいいが。
「よそ見なんてしてていいのか? 余裕だなオイ」
ツノ男が口角を吊り上げたまま、攻撃を仕掛ける。
有無を言わさず、既に半分しかなかった近くのモニターが更に粉々になった。破片が飛び散る最中にも別の何かの破片が増えていく。
「せっかく出てきたってのによ、トリガー使いがちっともいやしねえ。ちゃんと遊んでくれるんだろうな?」
「待て待て。オレ、トリオン少ないから。当たったら一撃で終わるって」
「じゃあ、死ねよ雑魚。次の猿が出てくるまで殺しまくるだけだ」
足元から硬質化した刃状のものが一気に突き出てきて、陸平は机だったものに飛び乗って避ける。先にシールドを“展開”していて助かった。
陸平が避けるのを見て、男は嘲笑うように笑う。
「おっと、周りにも注意しねーとなあ?」
逃げ遅れた職員の一人が、モニターに足を取られ転びそうになっていた場所へ、追いかけるように硬質化した刃が複数伸びた。
迫り来る刃に職員が気がつく前に、その踏み込んだ足元へ斜めに傾いたジャンプ台が設置される。そのまま職員は加速して、廊下へと飛んでいった。
「あ?」
「よそ見してんのはどっちだよ。オレと遊んでくれるんじゃないの?」
戦闘で使えるものはなんでも利用してくるタイプらしい。しかも、陸平が周りの人を気にしてたのに気がついて、すぐさま揺さぶりをかけてきた。友人にはなれそうにない。
「だから遊んでやってんだろーが。せいぜい持ってくれよ」
職員に向けたものと同時に、陸平の周囲から多角的に複数の刃が迫ってきていた。職員への攻撃は本命を逸らすためのものだったようだ。トリオンが低いと言ってるのに、攻撃に容赦がない。
周りに気を取られて、一瞬反応が遅れてしまった。単純に物量が多い。どこから刃が飛んで来るかがわかっていても、全てを避けきれそうにはない。トリオン体を削る攻撃が入るには充分だ。
トリオン体の耐久力は本来一定であるが、陸平のトリオン体は他で使用するために耐久力を極限まで削ってある。この攻撃を耐えることは不可能だ。どこに当たろうと確定でベイルアウトしてしまう。
グラスホッパーで飛び上がるが、間に合わない。身を捻って避けようとするが、硬質化した刃がトリオン体の左腕へと触れそうになる。その直前に、陸平は生身になった。
(トリガー
刃の切先が肉に食い込み、血飛沫が弧を描くように宙を舞った。痛みが走り顔が歪むが、
無意識に左腕を押さえ距離をとった場所へと着地しようとすると、そこへも刃が突き出してきた。だが、それは“わかっていた攻撃”だ。
寸でのところをグラスホッパーで飛び上がり、剥き出しになった柱へ捕まってぶら下がる。
「あっぶねー。終わるかと思った」
すでに腕の痛みは引いており、じんわりとした違和感だけが残っている。
「……てめえ、戦闘中に換装を解いたのか。イカれたか?」
「あれくらいじゃ死なないから」
「なら、死ぬ攻撃なら使えねえな!」
さらにやってきた致命傷を狙ってくる攻撃を避けつつ、後方へと移動する。相手の技は先ほどよりもかなり大味になっていた。イラついているのが丸わかりだ。
室内にはまだ避難できずに倒れている人がいる。また職員の方へ攻撃が飛んでいく可能性もある。救護班が仕事できるように、早めにここから離れなければいけない。
(今、オレの役目は通信室のオペレーターを逃すまでの時間を稼ぐこと)
陸平のトリオン能力は低すぎるため、生成時間が非常に短い。なので通常であれば、戦闘体の破損自体は陸平にとってはなにも痛手ではないのだが、今回の目的は時間稼ぎ。ベイルアウトで玉狛に飛ばされるのは致命的だ。
研究室からここまでの道のりには人はいなかった。廊下なら一応撃退用のトラップがあるし、陸平が把握している限り、今一番近くにいる強い隊員は雷蔵だ。
職員たちが充分に離れたことを確認してから廊下へ出た。頭で進路をなぞって、敵を少しずつ誘導していく。
「ちょろちょろとクソ面倒くせえ!」
苛立ちを隠す様子もなく、ツノ男は当たらない攻撃を繰り返す。
なかなか当たらないのも当然。
陸平のシールドは防御としては使いものにならない。そのため「攻撃を防ぐ」ではなく、「攻撃が当たった」というのを探るためにシールドを使う。主な用途は不意打ち対策だ。
基本は自分を中心に細かく分割したり、広げて張ったりして攻撃の方向を特定する。ポイントは目視できないほどまでシールドを薄くすること。今回は自分の周りと、避難が完了していない人の周囲に展開していた。
あの状況でトリガー解除の判断をできたのも、敵の攻撃位置を全て把握していたからだ。
陸平は初見殺しを一番警戒しており、初見殺しに強い。
「いつまでも逃げ回ってねーで、反撃してこいよ!」
「おまえ攻撃効かないだろ」
風間隊の情報で、敵が液状化と硬質化をさせることができる黒トリガーなのは把握済み。もう一つの風間をベイルアウトさせた謎の攻撃もあるが、陸平はその攻撃法に関しては切り捨てていた。
相手は見る限り、非常にプライドが高い。トリオンが低く一撃で倒せるような文字通りの雑魚を相手に、“奥の手”を使ってくるとは思えなかった。現状、詳細が不明なので、使われたらどうしようもないというのもある。
攻撃トリガーは拳銃のアステロイドしか持っていない。威力はゴミだ。まともにやり合って勝ち目はない。だからこそ、相手にとって自分が“生かす価値がある”と思わせる必要がある。
ふと、陸平の視線が敵の右目に止まった。
「おまえの右目、頭に付けた“トリオン受容体”の影響か? 小さい時からそんなの埋め込んで、そっちの国はどうなってんだ」
わざと会議でレプリカから聞いた情報を口にした。おまえの国の技術を知っているぞというアピールだ。
返事は言葉より先に刃が飛んでくる。
「右目? 何言ってやがる。時間稼ぎが見え見えだ」
全く意に介さず、硬質の刃が空を切る。陸平には本気でわかっていないように見えた。
「……ん? あー……、脳が勝手に視野を補完するから、違和感を自覚しにくいんだ」
「なんなんだてめえ! さっきから適当なでまかせを並べやがって!」
「思ってたよりも距離感がズレてるとかないか? 見えてるつもりになるんだよ」
固体化ブレードを避ける合間で、試しにツノ男の右側へ見えるような角度でシールドで作ったキューブを出した。反応なし。陸平の攻撃を全く警戒していないのではなく、完全に気がついていない。瞳孔が少しも動かなかった。一瞬だけ、男の右目が痙攣するように瞬きした程度。
「なるほど、右側が死角か。だからこそ弱点である伝達脳と供給器官は“隠さなければいけなかった”ってわけだ。右から攻撃されたら、“なぜか対処が難しい”から」
ずっと続いていた男の攻撃がわずかに止まった。が、すぐに追撃がくる。
「……で? それが本当だったとして、てめえみたいな雑魚に何ができるんだ?」
「そうだな。オレじゃおまえは倒せない」
それは紛れもない事実。戦闘において自分の価値を見出すことはまず不可能だ。必然的に他の武器で戦うしかない。
「でもその症状のことなら、おまえらよりかは分かる。安心しなよ。今すぐ死ぬってわけじゃない」
「……医者気取りの玄界の猿が。俺は選ばれた存在だ。雑魚共の軟弱な体と一緒にするんじゃねえ!」
「でもな、それもう止まらない」
男の眉がわずかに動いた。
「おまえの角、脳の一番手前の部分、前頭葉ってとこについてる」
前頭葉は理性的な部分をコントロールする場所だ。そこにダメージがある場合、感情や思考、判断に影響が出てくる。
「周りから怒りっぽくなってるとか、衝動的とかって言われない? 自覚、ないだろうけど」
陸平は目を見据えて、まっすぐと言い放つ。攻撃は止まらず繰り出されていた。
「それ性格じゃない。症状だ」
けれど、流石に自身の体の状態は気になるのか、刃の速度が少しずつ落ちている。周りの自分への反応などから、不信感みたいなものは抱いていたのだろうか。
「そんでその目。おそらく角の影響が脳から右目の神経まで到達してる。おまえ、多分相当危険域にいるよ」
相手の口は固く閉ざされ、先ほどまでの挑発的な言葉は影を潜めている。
なにか考えているようだ。“状況的にも”押すなら今。
「玄界の知識なら、見ただけでこれだけ推測できる。止められるとは言わない。でも、こっちには遅らせる方法ならある」
嘘は言ってない。詳しく調べないと断定はできないが、こちらの医学技術ならば近界よりも可能性はあるだろう。
「オレはおまえの使える情報を持ってる。オレを消せば、その情報ごとこの場から消えるぞ」
相手に問いかけるようにゆっくり、はっきりとした口調で話していく。
いつの間にか、上の階まで吹き抜きで繋がっている開けた場所まで出ており、やけに自分の声が響いていた。
「オレはトリオンが低い。だから一撃、当てるだけで強制的に退かせられる」
心臓の辺り、自分のトリオン供給器官の位置を指で軽く叩く。
「次の攻撃は避けない。──決めるのはおまえだ」
陸平が足を止めると攻撃が止み、辺りはしんと静まり返る。ジジジと、ずっと繋げたままだった通信機のわずかな音だけが耳に残った。
戦闘中の思考時間とするなら長すぎる時間、男は口の端を強く噛んで黙っていた。
陸平は相手の様子を伺いながら、次の行動を待つ。
「…………取引か? くだらねえ……! てめえは雑魚、俺は黒トリガーだ!」
たっぷりと無言を貫いたあと、表情を歪ませて吐き捨てるような声を出した。
「玄界の猿ごときが、ベラベラと知ったように語るんじゃねえ!」
男は次々と陸平に罵声を浴びせる。その声はどんどん大きくなっていった。発言しているというより、喚いていると言った方が近い。衝動に駆られるように感情任せに怒鳴り散らしている。
しかし、どれだけ待っても攻撃は来ない。言葉だけを連ねるだけで、行動が伴っていない。ずっと煮え切らない態度のまま、激しい苛立ちをぶつけてくるだけだ。
「何言ってんだ。……今おまえが攻撃してこないのが全部答えだろ」
呟くように言うと、陸平はグラスホッパーで大きく後ろに下がる。タイミングを見計らったように、上の階から射撃音が轟いた。ツノ男に斜め上から散弾銃の射線がいくつも命中し、右半身が液状に弾を受け止めて形を変える。
諏訪からの内部通話が入っていたのは、陸平が取引を持ちかけた少し前。男がこの広間に足を踏み入れた時点で、陸平の役割は終わっていた。
「諏訪隊現着した! よく持たせた、新!」
「助かった〜! じゃ、オレは引っ込むから。あとはよろしく〜」
「おい、ふざけんなてめえ! 待ちやがれ!」
敵の怒号を受け流しながら、諏訪と堤の射撃に援護され、その場から素早く離脱した。