朝日が差す。
ベッドの上で目が覚める。
珍しく、弟が私を起こしに来ない。
それならそうといつものように顔を洗おうとして、部屋が違うことに気付く。
これは悪い夢などではない。
慣れたと思っていたが、そんなことはないようだ。
私の心はまだ、母や弟がいた家にあるのだろう。
まあ、やることは変わらないので顔を水で洗う。
簡単な水魔法なら私も使えるので、魔力から水を生み出して顔を洗うことにする。
いつも通りの朝が久しぶりに訪れたが、生憎なことに私たちには予定がある。
全てがいつも通りとはいかない。
「ヘレナ、そろそろ行くぞ」
寝間着から着替えるとセージさんに呼ばれた。
すぐに外に出ると、セージさんたちと門番の方が待っていた。
私が落ち着くと、セージさんが門番の方にお礼を言った。
「昨晩は泊めていただき、本当にありがとうございました」
「いやぁ、そこまで気にする必要ないっすよ。たまたま御一行様が来た時間が、俺の帰る時間と重なっただけだったんで」
門番の方はそう言って、快活に笑った。
粗野とは言ったが、細かいことを気にしなくて付き合いやすい人かもしれない。
「つまり、運が良かったってことですか?」
「ん?ああ、そうそう。御一行様は運が良かったんですよ。それに、オクルス様の性格からして、作業中に割り込まれたらご機嫌が悪くなってただろうし」
なるほど、オクルスに会いに行っていたらまた変な宿屋に案内されていたかもしれないのか。
だとしたら、門番の方にますます感謝しなければ。
「そんじゃあ、行くか。俺も仕事があるし」
「ああ、行こうか」
話もそこそこに、仮宿を後にする。
向かう先はオクルスの屋敷だ。
道を歩いていると、昨日通りを歩いたときとは毛色の違う人々が所々で歩いていることに気付いた。
総じて、その価値に関わらず、衣服や装飾品をお洒落に崩すことなく纏っている。
この村で
偶然近くを通りかかった
腕章や服、ピアスや指輪などだ。
門番の方も服に同じ紋章が入っているので、その服を仕事着とするならば、異邦人たちはオクルスの関係者だろう。
そんなことを考えて歩いている内に、オクルスの屋敷に着いてしまった。
「そんじゃ、頑張ってくれ」
「ああ、本当にありがとうな。助かった。…それで、名前を教えてくれないか?全部終わったら恩返ししたいんだ」
セージさんがそんなことを言い出した。
確かに、一宿一飯の恩とは言うが、私たちは一泊しかしていない。
しかし、それでも一晩屋根を借りたことは事実であり、返すべき恩なのだろう。
門番の方は驚いて、多少悩んでから答えた。
「俺の名前は『フューラー・ステイン』だ。お返し、楽しみに待ってるぜ!」
フューラーはそのまま門番の仕事に向かった。
思っていたよりも立派な名前だった。
それにしても、フューラーの性格を考えるに、『全部終わった後』というとても遠い時間の先をいつまでも待ち続けそうな気がする。
それは人生を縛り付けるのに十分な呪いの言葉ではないだろうか。
果たして、『勇者』にその責任がとれるのだろうか。
まあ、考えなくてもいい話だが、少し気になってしまった。
「待ってました!さあ、馬車に乗って彼の森に向かいましょう!」
門の前で妙に気分を高揚させているオクルスがそう言った。
全員が馬車に乗り込み、落ち着いたところで馬車が動き始める。
同時に、オクルスからの説明も始まる。
「今回の任務では、勇者一行の皆さまは『ヴィータ森林』に封印された魔族を討伐していただきたい。
そして、我々は森林の外で皆さまが出てくるのを待つので、皆さまには何が起ころうとも十日以内に森から出ていただく。
また、十日を過ぎても皆さまが出てこない場合は、我々は村に帰り皆さまを死亡したものとして扱う。
これでいいかな?」
「はい、了承しています」
期限は十日、それを過ぎれば私たちは死亡したことになる。
まだ旅も始まったばかりでそれは駄目だろう。
「森は数百年前から拡大を続けているが、その形状から考えるに、二日間歩き続ければ魔族のいる中心部に辿り着けるだろうと我々は予測している。無論、事実として森の中に入ることはできないため、参考程度に聞いてほしい情報ではあるがね」
「いえ、ありがとうございます。判断材料としては十分です」
オクルスの言葉を聞いて、口許を手で隠しながらセージさんが静かに目を瞑る。
これは集中しているときの動作で、一度考え始めると周りの声はほとんど入っていないらしい。
セージさん曰く、ふとした瞬間に音が聞こえない限り周囲を把握していないとのことだ。
「だとしたら…いや……でも……ヘレナはあの魔道具で魔力操作の練習をしておいて。森に入ってからも魔力操作は練習するから、慣れるためにと思ってやってくれ」
「は、はい」
セージさんが急に私に話しかけてきた。
脈絡のない話で驚いたが、馬車の中での半日を無駄にしたくないのだろう。
練習できる時間は少しでも多い方がいい。
まあ、もうかなり魔力操作に慣れてきているので、そこまで火急の問題ではない。
手の中にある魔道具に魔力を籠めつつ、窓の外を眺める。
既に馬車は『ロア村』の外にあり、広がる平原やその中にまばらに存在する木々、林などが凄まじい速さで流れていくのが見える。
馬車というものは便利だ。
馬の食事や車輪の壊れやすさを考えなければ、私たちが歩いて数日かかる距離を一日で移動することができる。
道がキレイなことや明るくなければ危険なことを考える必要があるにはあるが、街と街の間にある距離をかなり縮めることができるだろう。
『魔女』から逃げるとき、少し冷静になって、王太子が乗っていた馬車の馬だけでもいいから借りればよかったかもしれない。
そうすれば、兄貴は助かったかもしれないのだ。
あの日のことを未だに悔いている。
もう少し冷静に行動すればよかったかもしれない。
もしくは、次に備えた行動をしていれば良かったかもしれない。
考えても仕方ないが、考えてしまう。
いや、悔いなくなれば、考えなくなれば、それは人間として大事なものを失ってしまっているかもしれない。
悔いることは大切だ。
そこから学べることがあるのだから。
悔いなくなれば、次の事態を考えずに行動する即物的で救えない人間になってしまう。
私は『勇者一行』に居場所を定めた。
つまり、救われる人間ではなく救う人間にならなければならないのだ。
であれば、私自身が救いようも無いような人間では駄目なのだ。
そして、馬車内の沈黙はセレナさんの声に破られた。
「ヘレナさん、少し酔ってませんか?顔色が悪いですよ」
「…いえ、酔ってませんよ。ただ、少し、考えていただけです」
セレナさんの声が、私を感傷の海から対話へと引き揚げた。
沈黙と緊張が思考を偏らせていたのだろう。
考えてみると、馬車の中は異様な空気だった。
自身の持つ知識を回りくどい言葉や文章量で披露するオクルスと、普段なら真っ先に私を心配する声を上げるセージさんが
セレナさんはそんな中でいつもと違う私を心配して声をかけてくれたのだろう。
それにしても、オクルスはともかく、セージさんはどこまで考えようとしているのだろうか。
本当に緊張しているのはセージさんなのかもしれない。
「セージ、何を悩んでいるの?」
「いや、森の中でヘレナにどんな行動をしてもらおうかと思ってさ。どうしようかな…」
なるほど、確かに今の私は何も出来ない。
魔力操作を練習しているが、戦闘に役立つかといえば焼け石に水だろう。
しかし、それならセレナさんや私も議論に参加したい。
独りで勝手に決められて、森の中で問題が起きても困るのだ。
「森の中では三人で行動するんだから、私たちにも相談させてよ」
「そうですよ。“勝手に行動しないでください”って、前にも言いましたよね?」
「…ごめんなさい」
セージさんは驚くほど素直に謝った。
普通の人なら非を認めないようなものだが、そんな素振りすら見せない。
本当に、セージさんは我を通さないというか、拘りが無いというか、私たちが考えもしないことにずっと拘っているというか……とても生きづらそうに見える。
それはそうとして、問題は私がどんな役割をするかだ。
正直、二人の足手纏いになる気がするから外で待っていても構わない。
「実際、私は何も出来ないよね。この魔道具を使った特訓が何に効いてるのかも分からないし、外で待ってた方がいいかな?」
「う~ん、いや、多分そんなことはない。ヘレナはもう、魔法陣があれば複雑な魔法でも起動…じゃなくて発動出来ると思う」
…私が複雑な魔法を使えるかもしれないとか、初耳なんですけど。
もしそれが本当だとしたら、いつどこでそんな練習していたのだろうか。
もしかして、本当に私の魂を弄ったのでは?
『貴方の魂は弄られていないわ。この男は貴方の魂を四六時中見てるけど、手は出してきていないから安心なさい』
セージさんのことを「変態ですね」と言おうとした瞬間に『魔女』の声が聞こえてきた。…
同じ場所にいる『魔女』がそう言うならそうなのだろう。
四六時中見ているという表現が気になるが、考えないようにしよう。
「セージさん、それは魔法陣が無くてもヘレナさんはある程度の魔法戦に参加出来るということですか?」
セレナさんが多少険しい表情を浮かべて質問する。
対するセージさんは少し悩んでから質問に答え始めた。
「…専門的な訓練すらさせていないからなるべくそういった機会は避けさせたいと思っているが、否定はしない。素養の時点で多少の魔法は無意識的に発動できていたし、今なら、四大元素に関係する基礎的な魔法の発動はかなり高い練度になっていると思う」
つまり、私は簡単な魔法についてかなり理解がある状態らしい。
いや、なんでだよ。
「…そこまですごい能力は無いけど?」
「いや、魔道具を使った特訓がかなり
言われてみれば確かに、意識せずとも魔道具に正しい魔力を籠めることが出来ている。
少なくとも、その過程に四苦八苦していた昨日の私よりは魔力操作の精度が向上しているだろう。
そして、魔法を発動させるときの魔力の流し方と各色に魔道具を変化させるときの魔力の流し方が同じだから、魔法の発動に慣れたということにしても文意は違わない。
というか、セージさんはそういう理論で私の魔法を使う能力が向上していると思っているようだ。
「と、いうわけで、ヘレナにも何枚かスクロールを渡しておくよ。非常事態が起きたら使ってほしい」
セージさんは数枚のスクロールを私に渡してきた。
スクロールの端に書かれている添え書きによれば、どれも一芸特化のような火力重視の魔法であるようだ。
例えば『
セージさんはどんな非常事態を想定しているのだろうか。
「…ということは、ヘレナさんは私たちに付いて行くだけになってしまいませんか?少々危険に感じますが…」
セレナさんが此方を見ながら不安そうな表情を浮かべる。
「…危険であることは仕方がない。それに、ヘレナには自分の命を大事に扱ってほしいとは思ってる。でも、ヘレナが其処にいることで、ヘレナにしか出来ないことがあることも事実だ。だから俺は、なんとなくだけど、ヘレナがただ付いてくるだけにはならないと思っている」
セージさんがセレナさんの言葉に答えるが、それは随分と直感的な意見というか、セージさんらしくない意見だった。
理由を明言することすらなく憶測を断言するとは、不思議だ。
というか、理由が無いなら怖いのだが。
「あやふや過ぎない?っていうか、何言ってんの?」
「大丈夫ですか、セージさん」
セレナさんと一緒にセージさんを問いただす。
「なんとなくだよ。なんとなく、そんな気がするんだ」
少し悟ったような、寂しい顔をしながらセージさんは答えた。
ふむ、セージさんは、私たちが言わなくても察してくれるような都合の良い存在だとでも思っているのか?
残念ながら、さっきの発言だけでは意図を汲み取れない。
別に付いていくのは構わないが、それなら私が森の中で必要な理由を説明してくれ。
「セージ、それは理由になってないよ?」
「…ヘレナが必要な理由は説明できない。本当に、なんとなくでしか考えられないんだ。ごめん」
本当に無責任だな。
でもまあ、それでもいいとは思っているけど。
とにかく、状況が逼迫しない限り、私が出来ることは雑用ぐらいだろう。
「はあ…なら、私は予備の魔法使いってことで付いていこうかな。指示はセージが出してね」
「ああ、もしもの時は頼んだ」
セージさんはそう言って再び目を瞑り、静かになった。
再び、馬車の中に静寂が訪れる。
にまにまと微笑むオクルスがやけに怪しく見える。
ずっと私たちを見ている。
とても不気味で、煩い顔だった。
「到着しました」
御者の声がして馬車が停まり、私たちは外へ出た。
目の前にあったのは、躍動感溢れる深緑の木々だった。
絶えず裂けるような音が鳴り、視界の枝々が森の外へ伸びている。
「ありがとう、もう少しだけ頼む」
「ええ、分かっています。どうか、ご武運を」
セージさんが御者を労うと、逆に励まされてしまった。
セージさんは誤魔化すようにしてオクルスの前へ歩いていき、私たちはそれに追従する。
「それじゃあ、行って来ます」
「はい。…ここより先は魔力が濃く、まともな調査も出来なかった土地となります。せめて、道中が安全であることを願っています」
「ああ、ありがとう」
オクルスの申し訳なさそうな言葉に、セージさんは短く返した。
そして、迷い無い足取りで木々の間に足を踏み入れる。
「……森の中では全員離れずに行動する。目指すのは魔族が封印されていると考えられる森の中心部だ。
道中にいる魔物も勿論だが、何らかの問題が発生した場合も即座に戦闘に移れるようにしておいてくれ」
森に入る直前、セージさんはそう言った。
そして、