エアプ探訪記 〜行ったことのない観光名所に行った体でする話〜 作:紫乃華まこ
私は生まれてこの方、嘘をついたことがない……なんてのは嘘だ。
人は、他人と関わり合いになっていれば必ずどこかで嘘をつく。
そこで罪悪感を覚えるか、何も感じなくなるかは人それぞれだ。
だからこそ、
嘘をおぶった人類が、唯一
しかし、今はグローバルでインフルーエンスな時代。
一年間嘘を封じられた反動を一日で晴らそうというのが無理な話だった。
今や時計の針が零時を指した途端に、膨れ上がった嘘は指先一つで世界を駆け巡る。
ネットを見ても嘘だらけ。
テレビを見ても嘘だらけ。
芸能人だって嘘をつくし、国家元首も嘘をつく。
誰もが何かを発信できる時代になったが故に、情報の価値が過去とは比べ物にならないほどに重くなったが故に。たった一日の情報網の麻痺が、一週間は世界の動きを縛る。
そうした世界の流れから、国連は四月一日から七日間を
元々機能していなかった一週間を多少は機能する一週間に作り変えてしまったあたり、この判断は正しかったのかもしれない。
そんなわけで、この嘘だらけの世界で真実というものを見つけてみたいと私は思った。
この
それに倣って手に入れた六日間を使い、この世界の真実を見極めたい。ジョニー。
というわけで一番真実というものに近そうなパワースポットめいた所、
支度金さえ用意すれば誰でもフランチャイズ契約ができ、契約次第真実の口が貸し出される仕組みになっている。
中には銀行と提携し、手の代わりにカードを入れることで口座から現金を出し入れできるタイプもある。
とりわけ日本人は真実の口が大好きなため、数多くの真実の口が国内に設置されているのだが……今回は本場イタリアの、本物の
私は東京湾に面したフェリーのりばに立っていた。
東京からフェリーで行くとこ三時間の位置に、水上国家イタリアはある。海に浮かぶ巨大な長靴の上に建国されたこの国は、諸説あるが世界最古の人工島とも呼ばれている。
だが、ここで一つ気をつけないといけないことがある。
決して四月馬鹿週間中にフェリーのチケットを買ってはいけない。
何故なら出航時間も行き先も嘘だからだ。フェリーのりば内のアナウンスさえあてにならない。
信用できるのは三月三十一日までに購入し発券したチケットのみ。
私は手のひらに収まる真実への道標を握り込んで、この鉄則を知らずハワイに行くはずがグリーンランドに連れて行かれた友人に黙祷を捧げた。
そうして、様々な嘘を掻い潜りながら私はイタリアに到着した。
フェリーを降りてすぐ、潮の香りとチーズの香りが鼻腔をくすぐる。
風上を見れば、広場でピエロが三枚のピザを回すパフォーマンスをしていた。
興味を惹かれた私は、広場に並べられていた椅子に座って鑑賞することにする。
新たな客である私に気づいたのか、ピエロはピザを天高くかちあげて手を振ってきた。
思わず手をふり返そうとしたその時、ピエロは落ちてきたピザを難なくキャッチして重ねてしまう。
三枚重なったピザを満足げに眺めたピエロは、声を張り上げこう言った。
「ハンバーガー!」
どうやらアメリカからの回し者だったらしい。
見ていた客からはブーイングの嵐。
国に帰れとシュプレヒコールが巻き起こる。
これは堪らんと海に飛び込んでいくピエロ。
そんなピエロに追い打ちをかけるように、コーラを海に流し込むイタリアの人達。
まるでボストン茶会事件の焼き回しを見ているようだ。
ピエロは常に偽りの顔を私たちに見せている。笑いながら泣いているそのメイクの裏では、いったいどんな顔をしていたんだろうか?
嘘をつくことが仕事のピエロは、四月馬鹿になってようやく真実をさらけ出せたのだろうか?
面白い見世物が見られたと満足した私は、イタリアの中心地ローマに向かうのだった。
ローマの中心地、コロッセオの中に
私はそこに向かうため、レンタルしたセグウェイに乗ってローマに続く道を駆けていく。
イタリアの全ての道はローマに続くようになっているので、四月馬鹿週間中にタクシーを使わなくても迷わないというのはありがたい。
ローマ上空に浮かぶ空中都市バチカンを遠目に眺めながら、私は四月馬鹿中にタクシーで家に帰るはずが瀬戸内海に沈められた友人に黙祷を捧げた。
おっと、じきに充電が切れそうだ。
セグウェイのモニターに映る電池のマークが点滅している。四月馬鹿中とはいえ、すべての機械はロボット三原則に基づき人間に嘘はつけない。
この一週間、機械だけは信じられるのだ。
寄り道すれば充電はできるが……しかし、目的地まではもうすぐだ。バッテリーはなんとか持つと信じ、私はローマへと走行を続けた。
機械は嘘をつかなかった。
だが嘘をつかれずとも、信頼を裏切られることはあるのだと知った。
引き返すにも中途半端な位置で充電が切れ、世にも珍しいセグウェイ
セグウェイスタンドにセグウェイを戻した私は、そのまま
本来の使い道としては、コロッセオで競い合う選手が互いに正々堂々戦うと宣誓する時に使われていたものだという。
スポーツマンシップの走りと言ってもいい。
このコロッセオだが、皆も知っている通り今でも野球やサッカーの試合などが活発に行われている現存する最古のスタジアムだ。
WBCの会場に選ばれ、あの大○翔平もマウンドに立ったことは記憶に新しいだろう。
そのため観光地として人気が高く、周りには出店の屋台が立ち並んでいた。
セグウェイを押して疲れ切った私には甘すぎる誘惑だ。コロッセオまんじゅうの屋台から漂うカスタードの匂いに思わず手が伸びる。
気づけば私の両手にはコロッセオまんじゅうと真実の口御座候が握られていた。おいしい。
コロッセオはスポーツの試合や選手団の調整がある時には閉まっているのだが、今日はそう言った予定がなかったため解放されていた。
それもそうだろう。
なにせ四月馬鹿中なのだから、虚偽申告も誤審もやりたい放題なのだ。これでろくな試合ができるはずがない。
ガイドブックに従って歩くこと五分、私はすんなりと
こうして目の前に立ってみると、その存在感に圧倒される。
荒々しさ、厳しさ、外に広がっていくようなその印象を理知的な瞳が引き締めていた。
真実を射抜くとされるその眼差しに真に迫るものを感じた私は、その説が信憑性を帯びるのも仕方がないことだと思った。
人の顔にしては大きすぎるように見えても、その存在感がそう錯覚させているのかもしれない。
そして、その口にあたる部分にぽっかりと空いた穴。
ここに手を入れるのが
私はおずおずと手を差し込む。
……特に何もない。少し拍子抜けだった。
もちろん、何もないのがこの
しかし、そんな私にむくむくと冒険心が湧いてきた。この状態で嘘をついたらどうなるんだろうか?と。
思えば、四月馬鹿だというのにまだ嘘をついていない。ここで嘘をついてみるというのは、面白いのではないか。
そうして私は少し頭を捻り、渾身の嘘を捻り出した。
「生まれたてのフラミンゴは、青い」
……何も起きなかった。
結局肩透かしだった。私は
四月馬鹿週間が終わったある日のこと。
私は夕飯を食べながら、何の気無しに動物番組を垂れ流していた。
すると、フラミンゴの特集が始まる。
ふむふむと唸りながら観ていると、フラミンゴの赤ちゃんが登場した。その体は真っ青で、私があの時搾り出した嘘は本当のことだったのかと思わず箸を落としてしまった。
キュイキュイと泣きながら母親の乳を吸い、みるみるうちにピンクに染まっていく様はある種神秘的でもあった。
……思えば、嘘とは何だろう。
嘘だと思って話したことが本当のことだった時、それは嘘だと言えるのだろうか。
逆に本当のことだと思って話したことが間違いだった時、それは嘘をついたことになるのだろうか。
誰も確固たる真実など持ってはいない。
そんな中で人は、一言一言嘘になるかもしれない言葉を発し続ける。
ああ、そうか。
だから、
自分が本当のことを言っているかどうかわからなくても、口に出すことを躊躇わない日。
他人と照らし合わせなくてもいい、自分の中の真実に基づいた言葉を口に出してもいい日。
そうして人は言葉を使ってきたのだから、たまには言葉にだって安息日があって然るべきだ。
私はほんの少し、この世の真実というものに触れた気がした。その真実はどこか石のように冷たく、ざらついていて……私はあの日突っ込んだ手の感覚を思い出すのだった。