エアプ探訪記 〜行ったことのない観光名所に行った体でする話〜   作:紫乃華まこ

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ウユニ塩湖

 自分探しの旅をしてみようと、ふと思った。

皆がよく言う人生が変わる経験というものを、してみたいと思ったのだ。

かの『土佐日記』の著者である紀貫之も、元々は男性であったが土佐……今の高知県を巡って人生観が変わった結果、性別まで変えてしまったというのは有名な話。

 

 だが今は、ワールドワイドな視点こそがコミットでエクスクラメーションな時代。桂浜ごときでは満足できないのだ。

 

 ならばどうするか。

私はガンジス川とウユニ塩湖を天秤にかけて悩みに悩んだ結果、真水と塩水の比重の差でウユニ塩湖に軍配が上がった。

 そうと決まれば即断即決悪即斬。

フットワークと頭の軽さが私の売りなのだ。

早速私は、ウユニ塩湖に向けて出立したのだった。

 

 東京から新幹線に揺られる事七時間。

そこからローカル線に乗り換えるのだが、この辺りから現地の言葉が怪しくなってきた。

 そこで、ガイドを雇うことにする。

アパという謎の通貨を要求されたのでとりあえず近場のコンビニで円と両替しておいた。

コンビニのバイトの子の方が日本語上手かったのは、どこか釈然としない。

しかしコンビニの店員というのはエリートの職業。複数言語を使い分けられるものしかその仕事に就くことはできない、小学生が選ぶ職業ランキングでも外交官の次に人気の職業だ。

 

 これ、いざとなったらコンビニに駆け込めばいいのでは……?と思いつつ。

これで現地の人々と意思疎通も取れるようになったので、いざ電車に乗りこんでみる。

電車のシートは年季の入っているかのような、少し色褪せたえんじ色をしていた。

その少しごつごつとした座り心地に何度も尻の位置を調整しながらも、三時間ほどでウユニ塩湖の最寄り駅についた。

 

 ところで、ウユニ塩湖といえばだ。

真っ先に思い浮かぶのはあの特徴的な鏡面のような景色だろう。

様々なメディアで取り沙汰されるまさに絶景とも言うべき光景だが、その景色を見るためには条件がある。

 

 晴れていること。

雨期の前であること。

塩湖の塩分濃度。

他にもいろいろと条件はあるが、そもそも見られる時間帯が限られているのだ。

あの景色は朝方にしか見ることができない。

なので、駅前のホテルで一泊することにした。

 

 

 チェックインした後、ガイドに明日の予定の相談があると話しかける。

するとガイドは背負っていたナップザックからごそごそとラジオを取り出すと、スイッチを入れた。

古びたラジオからバラード調の音楽が流れる。

現地ガイドの男はそれを聞くと、かぶりを振って私にこうのたまった。

 

「明日は、雨が降るでしょう。残念でしたね」

今の音楽が天気予報だったのだろうか……?

 

「だが、俺の知り合いに祈祷師がいます。凄腕ですよ。そいつに頼めば確実に晴れます。今なら二十万アパで紹介しましょう。忙しい方なのでなるべく早く渡りをつけたほうがいいですよ」

 

 怪しく思った私はスマホで『明日の天気 ウユニ塩湖』と検索した。結果はピーカンの晴れ。

 

 ガイドはさも知らぬ顔でニヤニヤと笑みを浮かべ、こちらを眺めている。

私は無言でその辺に穴を掘ると、ガイドを蹴り落して埋めた。

土の中から十九万アパ!いや十八万アパで……と往生際の悪い声が聞こえてくる。

 

 耳障りだ。

じょうろで水をかけて黙らせる。

どんどん提示する金額と共に声も小さくなっていき、しまいには聞こえなくなった。

 

 これでよし。明日には新しいガイドが生えてくるだろう。私はベッドの四隅に備え付けられた小皿にそれぞれウユニ塩を盛り、眠りについた。

 

 

 私は日も昇らぬうちに目を覚ますと、いそいそとウユニ塩湖に向かう準備を始めた。

昨日埋めたガイドは土の中から顔をのぞかせている。

もう少し待ってもいいが、時間がもったいない。

土の中から引っこ抜くとやはりまだ外に出すのは早かったのか、首から下は犬の体だった。

昔都市伝説で流行った人面魚みたいだと思った。

それの犬バージョンだから、人面犬と呼ぶべきだろうか。

 

 そんな姿へと変わり果ててしまったガイドと共にチェックアウトをすませ、ホテルの前に停まっていたタクシーに乗りこもうとする。

しかし、運転手からペットの乗車はNGだと言われてしまった。

これはペットではなくガイドだと言っても、運転手は聞く耳を持たない。

仕方ないのでガイドを置いていくことにする。

元気でやるんだぞ。

運転手とは普通に日本語が通じたため、別にガイドがいらなかった、という事もある。

彼が語るウユニ塩湖周辺の風土の話は、とても為になる話だった。観光客への対応は慣れているのだろう彼の語り口は軽妙で、リアクションを交えつつ話を聞いていると気が付けば目的地に着いていた。

 

「帰りもご贔屓に」

そういってはにかむ彼に、思わず帰りも同じタクシーに乗ることを約束してしまう。

 

 走り去っていくタクシーを見送り、振り返ればそこはウユニ塩湖。

目の前に広がるのは何処までも広がる凪いだ水面……ではない。

特定のポイントからしかエモい感じにあの景色を見ることができないため、長蛇の列が形作られているのだ。

近くにはウユニ塩焼きそばや、ウユニ塩ケバブ、ウユニ塩アイスの屋台が出ている。

 

 私は係員から整理券を受け取ると、エモを摂取するゾンビの群れが立ち並ぶ列の中に加わった。これで私もエモゾンビの一員だ。

 

 並んでいると、前から漂うエモの空気にあてられて列からふらりとはみ出る者が見えた。だがその瞬間、彼らはぬかるんだ湖面に足を取られてずぶりずぶりと沈んでいく。

近くの立て看板を見ると、『塩漬け注意』の警告が書かれている。

ああなったが最後、塩漬けになって原住民の冬の保存食になってしまうのだという。列とは原住民の塩漬けトラップに対して安全な立ち位置を伝えるためのものでもあるのだろう。

 

 

 そうこうしているうちに、私の番が来た。

係員に整理券を渡すと、「お時間三十秒とさせていただきます」の声とともにストップウォッチが時を刻み始める。

 

 前を向けば、写真でしか見た事のなかったあの景色が広がっていた。

 

 結晶と化した塩が吹き付けている。

肌を動かせば、少しパリつく感触がある。

 

 思い切って息を吸い込む。

塩と焼きそばの味がする。

 

 見えるものすべては青と白に覆われている。

観光客の喧騒が遠くから聞こえている。

その時私は確かに、体の全てでこの純粋な世界に立っていたのだ。

 

 『ウユニ』とは、現地の言葉で『天と地の全て』を表す。

『ウ』が天、『ユ』が地、『ニ』は全て、という意味なのだという。

 

 はるか昔からそう口々に伝えられてきた言葉を、私は今実感したのだ。

一瞬にも、無限にも思えた時の中で「時間です」と声が聞こえた気がした。

 

 振り向くと黒服の男が視界に入る。しまった、剥がしだ。私は口に布を当てられ、薬品の匂いを感じて意識を手放していった。

 

 ……その後。

私がどうやって東京まで帰ってきたのかは覚えていない。

まるですべてが夢うつつのようで。

しかし鮮明に、あの場所に立っていた実感だけはあるのだ。

 

 あれから、私の人生観は変わったのだろうか?

今はわからなくとも、十年後、二十年後に思い返した時、初めてあの時変わっていたと実感するものなのだろうか?

 

 ただ一つ言えることは、あの体験が私にとって得難いものであったという事だ。

私は連れて帰って来た人面犬の前に皿を置き、ウユニ塩を盛ってはそんな事ばかり考えているのだった。

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