エアプ探訪記 〜行ったことのない観光名所に行った体でする話〜   作:紫乃華まこ

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ガンジス川

 自分探しの旅をしてみようと、ふと思った。

皆がよく言う人生が変わる経験というものを、してみたいと思ったのだ。

 かの『土佐日記』の著者である紀貫之も、元々は男性であったが土佐……今の高知県を巡って人生観が変わった結果、性別まで変えてしまったというのは有名な話だ。

 

 だが今は、グローバルなネットワークこそがイグザクトリィでエキスパンションな時代。桂浜ごときでは満足できないのだ。

 

 ならばどうするか。

私はガンジス川とウユニ塩湖を天秤にかけて悩みに悩んだ。

 真水と塩水の比重の差でウユニ塩湖に天秤が傾こうとした時。

どこからともなく修行僧たちが現れ、天秤の皿の上のガンジス川で修業を始めてしまった。

これではひとたまりもない。

皿がポクチンと音を立てて地面に着き、修行僧たちが経を上げた。

 

 そうと決まれば善は急げ。急がば回れともいうのだから、善とは即ち回転の事なのだろう。私は早速、ガンジス川に向けて出立したのだった。

 

 

 電車で少し移動して、インド行きの夜行バスが出ている駅へと向かう。

 今回は、夜行マニバスに搭乗してガンジス川に向かうことにした。

ミニバスではなくマニバスである。

 

 このマニバスというものはインド特有のものだ。

インドでは全国民が効率的に徳を積めるよう、あらゆるタイヤにマニ教の経文を彫っている。

 

 つまりマニ車化だ。

そうすることを法律で義務付けている。

 

 インド国内を通行する際にマニ車化をしていないと治安当局に身柄を抑えられ、地下でマニ車を回す労役を課せられるのだという。

 

 それはさておき。

東京からマニバスに十時間も揺られていると、インドに到着だ。

 そう、インドである。

インドに行けば人生観が変わると、インドに行った人は口をそろえてそう言う。

 

 私は自分のフォルダを開き、『人生観』のtxtファイルを確認してみた。

 ……更新は長らくされていない。

どうやら、インドの地を踏んだからと言って急にアップデートされるわけではなさそうだ。

これはいよいよガンジス川に行ってみないといけないな、という気力が湧いてくる。

 

 

 ここからはタクシーで移動することにする。

私は近くのタクシーを呼び止め、車内に入ってガンジス川に向かいたいと伝える。

 

 すると運転手はおもむろに窓を開け、人々がたむろしている方に向かって大声で「ガンジス!」と叫んだ。

何かまずいことをしたのか……!?

と思ったが、そうではなかったようだ。

 

 声を聞いた現地の人たちがわらわらとタクシーのルーフに乗ってくる。

ルーフから延びる手すりに手をかけ、車の横にしがみつくように乗っている人もいる。

 

 ざっと二十人程だろうか。

老若男女に囲まれたタクシーは、そのまま発車してしまう。

私の困惑を感じ取ったのだろう、タクシーの運転手は笑いながらこうなっている理由を話してくれた。

 

 曰く、このインドではタクシーにこうやって乗るのは庶民のマナーなのだという。

カースト制が未だ根深く生活に根付いているインドでは下層の国民はタクシーに乗る時、車内に乗車することを許されない。

車内に乗車できるのはカースト上位層または観光客のみなのだ。

 

 なるほどと相槌を打っていると、外にしがみついているインドの人達もうんうんとうなずいているのが見える。

 外の風景がうなずくインド人のドアップのまま話を聞いていると、やがて目的地に到着した。

料金を払おうとすると、しかし運転手はかぶりを振って外を見るよう促す。

 

 見ると、さっきまで一緒に乗っていた彼らが財布を握りしめて列をなしている。

どうやら彼らから必要な料金を徴収するようだ。

 

 私はタクシーから降りると、手を振って彼らと別れを告げた。

これは後から知ったことだが、インドのタクシーは世界的に見ても十倍近く値段が高いらしい。

しかし一度にこれだけ乗せられるなら、一人一人にとっては安いものなのだろう。

 

 

 何はともあれ、目的地であるガンジス川に辿り着いた。ガンジス川と一口に言っても、あまりにも巨大であるため多くの側面を持っている。

その中でも有名なのは、インドの人々の生活用水であることや、僧侶の修行スポットであるということだろう。

私にとって用があるのは後者、修行スポットの方だ。 

 このガンジス川は複合型修行施設となっている。

マニ車化された水車……マニ水車が流水から自動的に徳と動力を汲み上げ続け、それを元に様々な修行ギミックを稼働させる。

 

 元々は知る人ぞ知る修行スポットとしてヘビーユーザー修行僧に尊ばれてきた場所だが、イギリス統治時代に東インド会社の資本が入ったことで大衆向けの側面が強まり、今ではライト~ミドル層の修行僧に人気のスポットとなったという。

 

 私は早速料金を支払って入場する。

更衣室で簡素な貫頭衣に着替えると、ロッカールームに荷物を預けに行く。

 

 今回はお試しであるという事でライト僧の修行をするつもりだ。

しかしライト僧だからと言っても油断してはいけない。

パッと見ただけでもなかなか過酷そうなアスレチックコースがある。

 

 まずは視覚的に分かりやすいSAS〇KEモドキの修行スポットで修業を行うことにした。

しかし、結果はあまり振るわない。

何回かやってもそりたつ壁モドキが越えられなかったのだ。

 私は諦めた。

 

 心を折られて三角座りでぼんやりしていると、突如サイレンが鳴り響く。

突然のことに状況をつかめずにいると、いかにも徳の高そうな僧侶に話しかけられた。

おそらくヘビー層の僧侶だろう。

 

「ガンジスデスイルカが侵入してきたので、気を付けて修行してくださいというお知らせですよ」

 

 なるほど、ガンジスデスイルカがせめてきたらしい。

見ると、ガンジス川の中に大きな魚影が見えた。

口はドリル上に鋭く尖っており、時折修行僧を刺し貫いては弄んでいる。

 

 ちなみに、ガンジス川は仏教の伝来に伴って三途の川として日本に伝わっているのだが、このガンジスデスイルカも三途の川の主として語られている。

 

 慣れた僧侶はこれもまた修行と一向に川から上がる気配もないが、さすがに私はたまらない。

なるべく岸辺から離れることにした。

 

 しばらくすると、ガンジスデスイルカは満足したのか悠々と引き上げていく。

その後姿を見送ると、無事だったヘビー僧に修行の教えを乞うことにした。さすがに独学での修行には無理があると思ったのだ。

彼も快く承諾してくれた。

 

 そこからの修行は有意義だった。なんかこう、いい感じに修業したなって気分に満ち溢れるものだった。

 

「結局、やってやった感が一番大事なんです。苦行ってそういうものですよ」

とは、ヘビー僧の談だ。

 

 言葉の一つ一つに含まれる重みとか深みとかがなんかすごい気がする。

世の真理を掴んだ私は修行を終えることにした。

心地よい疲労感に包まれながら帰路につく。

 

 ありがとう、ガンジス川。

 

 

 帰りの夜行マニバスの中。

うつらうつらと、頭を揺らしながら人生観について思いをはせる。

 

 やってやった感。つまり納得だ。

自分のやることなすこと、それに納得を持って受け入れる事が大事なのだ。

 

 自分を肯定できないものに肯定できる人生など訪れようがないということだろう。

そっと自分のフォルダを開けて、『人生観』のtxtファイルを覗いてみる。

……未だ更新はされていない。

いくら真理を掴んだと思っても、インストールには時間がかかるらしい。

 

 いや、これこそが納得だ。

人生観というものはそう簡単に変わらない。

これらを真に納得して受け入れた時、更新メッセージも出ずにひっそりとアップデートされているものだったりするのだろう。

 

 そのまますぅと、私の意識は落ちていく。

夢の中。

私の『人生観』のtxtファイルに、ほんの一つのドットが加えられた気がした。

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