岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
「いじめとか仲間はずれがないって奇跡的だと思うんだよね。人間は3人集まると争っちゃう悲しい生き物だっていうし。つまり何が言いたいのかっていうと、
たしかにそうかもしれない。
内心では『しっかし可愛い顔だなー』と感心している。現在は貸切練習*1の最中で、軽く水分補給中*2。
「陰湿な性格な人とかいなくてよかった。暴力的な人間もいないしね。なんだろ、天国?」
たしかにそうかもしれない。
りんなは「ゴクゴクゴクゴク」と喉を鳴らしてポカリを飲んだ。
内心では『やっぱり可愛いなー、お肌のていれとかどうしてるのかなー』と感心している。「天国……」としみじみしている彼は男の子である。小学校高学年のお兄さんだ。
「人の靴隠したりブスとかチビとか言って笑い物にする奴もいないし、ほんと最高の環境……」
たしかにそうかもしれない。
りんなは500mlのペットボトルをゴミ箱に捨てて、2本目の蓋を力強くひねった。
内心では「ポカリおいしい」と思っている。
本日は優しいお兄さんのジャンプを見ながらジャンプを中心に練習中。シングルアクセルがどうしてもできなくて悩んでる。
今週末は久しぶりの大会だ。メダルは無理でも大失敗はしたくない。りんな的には10位以内に入れたら嬉しい。去年はシンスプなんとかのせいであんまりスケートできなかったから、セーブせずに練習できるだけでも超幸せ。多くは望まない。
「ゴクゴク……アクセルができたら、10位はよゆうなのになぁ……」
りんなは話の流れをガン無視して願望を述べた。
お兄さんは急にしみじみ語り出したが、よく考えてみれば自分達はスケートの話をしていたのだ。今週末の大会でどう戦うかみたいなことを相談していていた。それがなんで幸せな世界の話にすりかわったりしたのか、りんなは不思議でたまらない。
「……ん? 10位って言った? 待って待って、10位狙いなの?」
りんなの呟きの内容が予想外だったのか、
「? 10位いないねらいだよ? いないってことは、7位とか8位でもいいんだよ……うぅ、9位でいいから……かみさまおねがいします」
おいのり上等。
世の中には神頼みなど必要ないとか言う凄い方々もいるらしいが、りんなは違う。頼んで助けて貰えるならいくらだって頼みたいし、床にキスして土下座しろと言われたら余裕でやる。それで本番がうまくいくのなら安いもんだ。ゴキブリを素手で握り潰せば勝てるのだったら禅の心で圧殺する。それくらい自信ないし失敗するのがめっちゃ怖い。
「んー、そっかそっか。
お兄さんは優しく尋ねてきた。
リンクの中では夕凪がクルクル回ってる。椅子に座るような姿勢でクルクルクルクル。シットスピンと呼ばれる技だ。膝よりも尻が低い位置にこないといけないから結構シンドい。
「まーそんなもんだろって言ってた」
「そうなの? うーん……」
鯨哉は腑に落ちない声とともに少しだけ言葉を切るも、すぐに「そっか」と頷いた。
りんなも首を縦に振った。
そうだよ、と。
「夕凪ちゃんみたいな2回転はムリだし……アクセルはあんまり自信ないし……だとーな目標だとおもう」
りんな達が出場するのは初級枠だが、必ずしも初級レベルの選手だけがでてくるわけではない。
りんなは知ってる。出場者は皆、バッジテストで初級までしか合格していないというだけ。台乗り*3を狙うために、上の級に合格できる力があっても下にとどまるケースは珍しくない。現に夕凪とかはそうだし、頑張ったところでレベルが違う。
「
全体練習も後半にさしかかり、残り時間あと20分程度というところ。腕時計の指し示す時刻は7:37。危ない色気を放っている男性コーチ、雉多
ポカリでも飲もうかと蓋を開けたら、たった一人のノービス男子でお兄ちゃん枠の岡崎
「いや、妥当だろーよ。例年どおりでいくと、台乗りは10点くらい。りんなはどんだけ上手くいっても8点台後半だから5位以下だ。アクセルが組み込めないのは痛いな」
今話したことは事実である。
1回転の中で最も得点が期待できるアクセルが不安定すぎて使えない。それでは他と比べて技術点*4が足りなくなる。演技構成点でカバーすればいいとか言ったら殴る。んな簡単にカバーできるだけの高得点など取れない。
そんなことは鯨哉なら言われなくたって理解しているはずである。
「想定してる基礎点って3.5くらいですか?」
ビンゴ。
まあ使えるジャンプを足していったら自ずとそうなる。スピンは数自体がそんなにないし、普段から見てる鯨哉なら大体わかるのが当たり前だ。
「そう。GOEでマイナス食らう可能性が高いから、もうちょい下がる」
基礎点+
ちゃんと完走できれば5点くらいは貰えるはず。それで8.5点。演技構成点とは技術点では評価できないすけーとのうまさや芸術性を評価する指標で、ぶっちゃけ完全に予想するのは無理だ。
「演技構成点は5点くらい……」
「だな。最低それくらいは欲しいけど、わかんねーなこればっかりは」
演技構成点の採点要素は主に3つ。
スケーティングスキル 、プレゼンテーション、コンポジション。
スケーティングはブレードのコントロールやエッジの深さ、スピードだったり滑らかさも評価対象となる。
プレゼンテーションは表現力。感情、音楽の解釈に一体感があるか。
コンポジションは振り付けを含む構成全体。多次元的な動きが重要らしいが、ちゃんと理解している奴は少ないだろう。
「
「ああ……意味不明すぎて、俺は何回かキレ散らかしてる。滑り終わったあと、観客席からジャッジに叫んだことあるわ」
「暴れてますねー……」
暴れんボーイの称号は伊達ではない。
冗談はさておき、
明文化はされていないが、実績のある選手は点数が高めに出るのは周知の事実だ。『結局は印象点なんじゃねえか死ね!』というのは現役時代の輝也の叫びである。
「先生怖い」
「ま、昔の話だから気にすんな。そんで、りんなの話はそういうことだ。面倒見がいいのは俺としてもありがたいけど、目標を引き上げるのはナシだ。これ以上難易度上げたら神頼みになっちまう」
昔はさておき今の輝也はコーチだ。どうすれば生徒がベストを尽くせるのか真剣に考え、向き合っているつもりだ。
その上で、予定している構成は変えない。選手にとっても大切な大会。神がかり的な成功を祈ったプログラムでやらせるなど、そんな博打ができるわけがないのだ。
「あと0.6点上澄みできたら変わります?」
「は? そりゃ変わるだろ……だったら目標は5位以内だ。それができないから苦労してんだって」
初級のプログラムはジャンプ4本にスピン1発。
りんなが予定しているジャンプの基礎点は、合計で2.4。そこにシットスピンで1.1。コンマで争うことになるフィギュアスケートにおいて、0.6点上積みできたらそれはデカいが、何度も言うように突き詰めて構成を組んでいる。
輝也はアホを見る顔になった。
滑りながら暗算で基礎点計算出来る奴が、何を夢みたいなこと言ってるのかと。
「ちょっと聞きたいんですけど……」
「なんだよ……」
鯨哉は肩を竦めた。
何やら気まずそうな顔がチラチラと、リンクの方向と輝也を行ったり来たりする。
「おい、なんかあるなら言え」
「まさかあの子まだ話してないんですか……? りんな、キャメルもビールマンもできちゃってるんですけど……それも
「俺が聞いてないことがあるわけないだ……ろ? ………………ん?」
輝也は勢い良くリンクの中にいるりんなを見た。シットスピンをクルクルクルクル回っている。本番もあれでいくつもりだが、鯨哉は今、なんだって?
「キャメル? ビールマン? 誰と勘違いしてんだお前。いっちゃん上手い夕凪だって無理だぞそんなん」
「でもほら、りんなは学年いっこ上ですし」
「スケート歴は年単位で夕凪達の方が長いだろ」
「ですよねぇ……」
「あぁ、そうだよ……」
さて、なんだって?
りんながキャメル? ビールマン? ガンガン連続でできちゃってる? なんだそりゃ。そんな申川りんなのことは知らん。
キャメルというのはキャメルスピンのこと。
片足で立ち、もう片方の足を後ろに水平に高く上げてTの字を作る。背中を反らせた形がラクダのコブのように見えるからキャメル。体が大きく振られるため、シットスピン以上にバランス感覚が必要とされる。
また、ビールマンというのは後ろから足を高く持ち上げ、頭の上でブレードを握る。立った姿勢のまま回るアップライトスピン*5の1種という扱いで、高い柔軟性能と回りながら足を支えられるだけの筋力が必要。つまり、小学低学年でできたらヤベェって話なのだが、
「え、なに。できんの? いや、確かにあいつ体柔らかいけど……え?」
「はい。なんかいけるかなって思って、5月くらいからとりあえずやったみようの精神でコッソリ練習してたら……できちゃって。それもガンガン」
「ガンガン」
輝也は「ガンガン」ともう一度繰り返したあと、ガシッと少年の肩を掴んだ。
ヒェッと情けない声が聞こえたが、別にガミガミ怒ろうとかは考えてない。
「とりあえず、詳しく」
落ち着いて、優しい眼差しを心がけて『詳しく教えろコラ』と念を送った。
少年は愛想笑いしているが、笑ってる場合ではない。事と次第によっちゃ目標変更。コーチとしては一大事であった。
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コッソリ大須のスケートリンクに遊びに行った時のことを思い出していた。
あれはまだ5月のはじめ。あそびいこーよとメッセージが届いたから、鯨哉は『どうせなら』と普段とは違うリンクを選んだ。スケートをするのは確定だと思っていたのだが、りんな的には違ったようで微妙な顔をされた。
それはさておき、その時にキャメルとかできるんじゃんって話をしたら、できた。
『すっごいふられる! でもたのしい! なにこれたのしいよあははっ!』
りんなは片足を高く上げたままスーッと滑り、珍しくハイテンションで笑っていた。鯨哉はおーすごいすごいと感心しながら、じゃあビールマンとかもできるんじゃね。手足長くて綺麗だから、できたら絶対
氷映えとはいかに、という話はさておき、その気になったりんなは足を頭の上まで上げて、靴のブレードもガッシリ握った。この時点ではスピードを出して回転するまでには至らなかったが、毎日コツコツと陸トレ*6を積み重ね、2ヶ月後には力強くクルクルできるようになった。
『えっ……マジで?』
『きょうや君すごいよ! 言われたとおりにやったらできちゃった! こおりばえ!』
普段自信なさげなのは何なのか。
才能は間違いなくあるとは思っていたものの、申川りんなちゃんは思ってたよりも全然ヤベー女だった。できちゃった才能もそうだが、教えてあげたトレーニングをガンガンやれちゃう根性も凄い。
ガチめで退屈な柔軟であったり、水泳トレーニングであったり、食事の取り方とか縄跳びはいつやれば効果的かとか。教えたことを全部完璧に毎日やっていたらしく、気付いたらメキメキ力つけてた。
『聞いて聞いて! どんどん足が高く上がるようになってるんだよ!』
『す、すごいねー……?』
本人はそこまで深く考えていないようだが、すごいかすごくないかで言えば間違いなく凄い。そして、出来栄え的には十分に使えると判断した鯨哉は、りんなに『ちゃんと先生に言いなね』と伝えた。
だがしかし、内緒にしてたらしい。
理由は転んだら恥ずかしいし、足をあんなに上げてスカートめくれるのも恥ずかしかったから。
「ど、どうですか……えへっ」
「……できてんじゃねえか! お前なに考えてんだ!」
ことが明るみになった翌日の個人レッスンにて、輝也は頭痛を堪えるような顔で
やれと言ったら普通にやりやがった。大会で使えるレベルのキャメルとビールマンをほいほいと。しかもやたら安定してて組み合わせ可能*7。
試すのはこれからだが、プラス0.6点いけそうな気がした。
「だ、だって……まだ覚えたばっかりで……それに、はしたないカッコウ……」
「あー……あー……!」
これぞ無自覚ヤベー奴。
輝也は壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られたがグッとこらえ、とりあえずもっとやらせてみた。
キャメルからのシット。できた。
だったらこれはどうだと足を組み替えさせてみたら、それもできた。さらには、やたらと力強い瞳で足を頭の上まで上げて、ビールマンもやりやがった。
「おい」
「っ、ふふっ、こおりばえ! わたし、ばえるの!」
「なんだそれ。おい正気に戻れなんか怖い」
「でも自信ない……がんばらないと! ……こわくなってきた……先生どうしようっ」
「お前なんなん?」
色々とおかしかった。いつの間にか好戦的な笑顔で回転しているし、精神構造が謎すぎた。
兎にも角にも、決定。
スピンを難しいものに変更して、当初の予定に0.6点プラスする。元選手としてもコーチとしても、こんなもん使わなきゃアホだという判断であった。