岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
春の声のオーケストラが優雅な音色を奏でている。
ワルツ王が手がけた
シングルアクセル。
爽やかなエメラルドグリーンの衣装がふわりと揺れた。着氷やや乱れた。しかし、どうにか
「よーしよしよし。我慢できた。偉いぞ
鯨哉も手を叩いて賞賛した。
完全にいつも通りというわけにはいかないが、それでもしっかり丁寧にできている。美味しいクッキー作りに定評のある四葉は丁寧な女子だ。クッキーはスケートに関係ないかと思いきや、実は全く無関係というわけでもなく。細部にこだわったりコツコツ取り組める性格は、間違いなく競技に活きている。
「フリップ、トウループ。コンビネーションしっかり決まった……オッケーオッケー。ちゃんと自分ができることをやってる。偉い!」
「やっと明るい感じになってきたかな? 四葉ちゃん笑顔かわいい〜。うんうん。かわいいって大切だよね〜」
あまりにもズタボロで、見ている方も辛かった第6滑走から一転。四葉は派手さこそないものの、焦らず逸らずの丁寧な演技を見せて転倒なし。
回転数が足りているか怪しいジャンプはあったが、この妙な雰囲気の中でよくやった。高得点の後に崩れる選手があるのはよくあることだが、ここまで連鎖的にズタボロになるのは珍しいはず。少なくとも鯨哉は見たことがなかった。
──
鯨哉は「よし」とうなずいた。多少の減点はあったにしろ、初めての大会でしっかりやれた。最初はお尻でしか滑れなかった子が大したもんだ。四葉は最初のレッスンの時、こっちの方が早いとか言って小さなお尻で滑っていた。良い思い出である。
鯨哉はすぐに難しい顔に変わった。四葉のところで風向きが変わったかに思えたが、次の選手がまたしてもコケたからだ。豊橋の選手が最後のジャンプを転倒した後、スピンでもまさかのドテン。その次は熱海からわざわざ来ている選手だったが、中盤のジャンプが連続で決まらず号泣。ここまで10人滑った中で納得して演技を終えられたのは、まさかのりんなと四葉だけ。完全におかしな流れになっている中で、それでも
(──もう1本。もう1本決めて、金メダル取るんだ!)
1本目の2回転トウループをしっかり決めて、次のジャンプ。予定ではアクセルだったところ、
「──ッ」
2回転を回り切ることはできておらず、ほぼ間違いなくダウングレード判定。しかもGOEの大減点付き。
挑戦失敗。会場の至る所から落胆の声が上がる中で、夕凪は笑った。
「ゆうなー! それでいいよっ! この後ちゃんとやれば大丈夫! ゆうなはモノが違うんだから1回くらい転んだって大丈夫さ! 胸張ってやればいい!」
今日1番の大声。
観客席で大声出して応援。場内に響き渡るほどのデカイ声で激励。今日が初めてではなく、実は去年の全日本ノービスでもやらかしていた。鯨哉はスケートの腕とは別に、いきなりうるさくなる謎の人としても有名なのである。
「ゆうなー! もうゆうながナンバーワンでいいからがんばれー! ナンバーワン! ナンバーワン!」
「ちょいちょいちょい! きょうや君うるさい! なんでいきなりそんなんなるの!? 後ろの人見えないから座りなよ!」
興奮して立ち上がっていたら光に叱られ、ハッと我に返って席に座る。バツの悪い引き笑いを浮かべた。
しかし、驚くべきことにこれでも控え目。去年の全日本ノービスではもっと騒いでいた。姉のいるかそっちのけで別の選手を応援してしまい、後で首を絞められた苦い思い出がある。
「全力で応援するにしてもやりすぎだよ。これじゃ夕凪ちゃんも恥ずかしいよ」
「……」
鯨哉が小学2年生に叱られている中、夕凪はコンビネーションジャンプと1回転ルッツを転倒なしで乗り切り、最後のシットスピンは綺麗に決めた。
雄大な大地を感じさせる旋律。平和への叫びを込めたテニソンの詩が弾けるように終わり、夕凪は力強く空気を握って振り払った。慎一郎から貰ったかっこいい振り付けを、彼女はかなり気に入っている。
(ひざが笑ってる……勝負するって、こわいなぁ)
最後は少し疲れた笑みを浮かべてリンクサイドに戻って行く。待ち構えていた慎一郎と握手を交わし、夕凪は奥の通路へ向かって行った。
予定を変更して挑戦しての転倒。
全く納得できないだろうが、鯨哉から見るとやっぱりモノが違う。前半のジャンプ2本で一気に消耗したはずだが、大崩れはしなかった。もっとも、そこまで冒険しなくても10点超えは硬かったはずなのだが、まあ負けず嫌いだから仕方ないかと思った。
(ああは言ったけど……2本目のジャンプが大失敗で、全体通して演技の流れが苦しくなった。1つ1つの技術は間違いなくレベルが違うんだけど、上手く繋がらなかった感があるのは否めないな)
光も同じ印象を抱いていたようで、やや残念そうな顔で口を開く。
「もったいなかったね。2回転1本でよかったのに。後はスムーズにさえできれば、十分りんなちゃんは越えられたでしょ」
そうなんだよなぁ、と天を仰ぐ。白い天井を見ながら『複雑だよなぁ』とも思った。懐いてくれている子達──あくまで主観──はみんな頑張って欲しい。それが正直な気持ちだけど、どの大会でも金メダルは1枚だけ。メダルは最大でも3枚。
当たり前だが全員が報われることはない。
そんなことはとうにわかっていて、理解したうえで応援している。全員仲良く表彰台なんて無理だってことは、幼いながら皆も知ってる。まあ、姉からは不誠実なヤツだと言われてしまったが、まあそうだよねって思うから否定はしない。
──八木さんの得点、10.22。現在の順位は第1位です。
そして、1位が入れ替わった。
だが点数が思ったよりも伸びていない。2回転1本でも11点台は狙えると踏んでいたはずが、蓋を開けてみたら2位のりんなとの差は0.03。
残る選手は8名。そのうち2回転持ちが2人いるから、金メダルは厳しいかもしれない。
「ねえねえ。きょーや君っていい人だけど、誰の味方なの?」
「どしたのいきなり……誰の味方とかあんま意識してないよ?」
アナウンスが流れて、次の選手が棄権するようだ。
このような場合、通常は滑走順が早まるのだが、今回棄権したのは第2グループの最終滑走者。ここで繰り上げてしまうと4分間練習なしということになるので、そのまま整氷時間に入る。
短いインターバルということで、観客は御手洗に向かったり飲み物を買いに行ったり。そういえば四葉もりんなも来ないなと気になりつつ、鯨哉も「よっこら」と立ち上がった。
「みんな応援しても、どうせみんなは勝てないよ? 私はそういうの気にしないけど、気にする子もいるんじゃないかなぁ」
「そういうのってどういうの? ごめんトイレ行ってくる」
光はいきなり謎の指摘を始めたが、何が言いたいんだろうか。とりあえず居心地が悪くなったきたから仕切り直し。鯨哉はトイレに向かった。そういえば理凰は無事だろうか。すっかり忘れていた。
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トイレの前でりんなと
1位が入れ替わったことで少しは落ち込んでいるかと思ったが、どうやら
ポニーテールをイジイジしながら、なんだか穏やかな雰囲気。
「ま、まあ〜……夕凪ちゃんに勝てないのはわかってたし。そんなにうまくいくとは思ってないよ」
「そっか。とりあえずお疲れさま」
「でも悔しくないわけじゃないから、もっとがんばらないと」
そういうことなら、求められたことに対しては答えていく。そうすることで自分も成長できるのだと、鯨哉は知っているから。
それはそうと、先程から視界の隅に
「……んん?」
真面目そうな顔立ちで、手足がめちゃくちゃ細い少女。スケート靴を抱えてる。衣装はシンプルな黒のレースだ。アレ刹那ちゃんじゃねと鯨哉は思った。