岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
天才という言葉が好きになれない。
人を気分良くさせる魔法の言葉。ガキが喜ぶ便利な言葉。私は
他人が言われているのを見ると冷めるし、なんだか可哀想だなって思う。だって、多くの場合は現実は違う。遅かれ早かれそのうちわかる。
だから、私は
天才っていうのは安直なおだて言葉だ。
ガキはすぐその気になるから、やる気を出させるためには効果てきめん。そんで、あるていど年齢が上がってきたら気付くんだ。
本当の天才っていうのはどういうものなのか。
それを知って、自分はそうじゃないってことを自覚する。褒められることが減っていって、絶望して腐っていく。そういう奴らを私は何人も知ってるし、同じようにはなりたくないと思ってる。
惰性で続けてるような連中。リンクまで来て
私はあんな風にはならない。絶対に。
昔、あの人が褒めてくれたように、私は天才じゃなかったけど。それでも、幸いなことにセンスがないわけじゃない。努力すれば上で戦える能力はある。
だったらやるしかないじゃん。スマートにできなくてもいい。叩き上げでもなんでもいい。スケート以外の時間を全部犠牲にしてもいいから、私は上にいきたい。結果を出したい。
勉強はダメ。人付き合いは嫌い。性格はひんまがってる。私にはスケート以外の取り柄はない。そんな私が人生成功するには、何がなんでもこの道で成り上がっていくしかないんだ。
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弟のことが半分くらい嫌いだ。
親の前でいい子ぶるとこ。媚びを売るとこ。誰にでもいい顔するとこ。心の中では達観してるくせに、青春サイコーって感じの人付き合いしてるとこ。頼んでもないのに誕生日にお金くれること。パッと思いつく嫌いな部分は大体そんな感じ。
「いるか、もっと食べたら? 折角のお寿司なのにもったいないわよ」
「うん……」
夜。よる。ヨル。
名港杯の次の日の晩御飯はお祝いだった。
私と
場所はお座敷があるお寿司屋さん。お母さんがお寿司の気分だったんだってさ。
お値段は凄く高い。チェーン店とは一線を画する高級寿司だ。ざんまいざんまい贅沢ざんまい。私の前には中トロ、とろサーモン、いくら、うに。結構食べたのに、まだ高いお寿司が運ばれてくる。どれもこれも脂っこいかウニだ。段々と気持ち悪くなってきた。
「てか、なんで寿司なの? 父さんは焼肉が食べたかったなぁ」
とか言いつつ、お父さんは満足そうな顔で、7皿目のウニを平らげた。ビールを美味しそうにゴクゴクした後、「この寿司屋って古いけどまあまあだね」だってさ。ほんと自由な人だ。
「私はお寿司が良かったの。てかあなた、そんなこと言いながらガツガツ食べてるじゃないの。いるか、
「うるさいなぁ……別にいいだろ。今日はこっちがお金出すんだから」
お母さんは珍しく怒らなかった。この食費は全部お父さんが出すからかな?
そもそもの機嫌が良いのもありそう。
さっきから我が弟が媚び売ってるから、その成果だと思う。
「人のお金でドカ食いするような人に言われたくないね。お前たち、こんな大人になっちゃダメだぞ〜」
「まあまあ父さん、お母さんってクラブのお母さん達から凄く評判いいんだよ。礼儀正しいしとっても綺麗な人だって、よく褒められるんだ」
いや、お母さんほとんど名港に顔出さないし、保護者の人達からの認知度低いだろ? 顔すら知らないママさんの方が多いって、お前、私にそう言ってたよね。
「あらあら、お父さんは褒めて貰えないのね〜。まあそれはそうか〜」
「ううん、素敵な奥さんと結婚できたってことは多分いい人なんだろうって、夕凪パパが言ってたよ」
「だってよお父さん。良かったわね〜、良い奥さんと結婚できて」
「……なんか微妙な気分だなぁ」
ニコニコしながら嘘八百。
おかげで良い感じに空気が浄化されてるっていうか、ギスギスするのは回避できる感じがする。
でも、私はモヤッとする。一生懸命にいい子ぶってる姿を見ると、なんかいい気持ちにはなれないんだよね。
「あ、かっぱ巻き来た」
「ちょっと
店員さんが「オマタシェマシター」とかっぱ巻きを運んできた。お母さんの綺麗な顔が少し険しくなったけど、そこでまたしても嘘八百。
「エイヴァ先生が言ってたよ。かっぱ巻き食べると良い筋肉が沢山つくって。現役時代に日本に来た時はドカ食いしてたらしいよ」
「い、いやいや……嘘でしょ。エイヴァ先生ってアメリカ人だから、珍しくてドカ食いしただけじゃないの?」
お母さんはちょっと吹き出しそうになっていた。よくわからないけど、今のはお母さんにとっては面白かったようだ。
そして今のも嘘だよね。エイヴァ先生にかっぱ巻きを薦めたのはお前だろうよ。キュウリでお寿司とか意味わかんないって言われたから、試しに食べてみるようにオススメしたって言ってたじゃん。
「じゃあ父さんは、もうちょっとウニ頼もうかな」
「これ食べていいよ。来たばっかりだからまだ新鮮だし、良かったらトロも食べる? 父さんも母さんも明日も仕事なんだから、沢山食べないとだし」
我が弟は私のウニとトロを奪い取ると、追加注文しようとしていたお父さんの前に並べた。新鮮なのは間違いないな。それは嘘じゃないけど、思いやりに満ちた言葉は上っ面の
「おー、ありがとう。食べちゃっていいの?」
「うん。このお店ってすごく美味しいけど、頼んでから
うんナイス。どうせ食べるならアッサリしたやつの方がいい。食べられないから代わりに食べてとか言うと、お母さんもお父さんもいい顔しないし。有り難いんだけどモヤッとする。
私の胃袋のコンディションはお見通しってか?
そこまで把握されたくないわ。こういう奴のことをシスコンっていうんだな。嫌になるね全く。
「はぁ……よく食べるわね。まったく」
お母さんはウンザリした顔で席を立った。
多分トイレだろ。お花摘みだ。無駄に高いワンピは今日も真っ白だね。そういやクリーニング出してたんだっけ。
「お母さん、なにか頼む? まだ食べるなら注文しとくよ」
「もう流石にお腹いっぱい。私が戻ってきたら帰るから、準備しといてね」
「うん、わかった」
私は会話を聞きながらホッとした。
ようやく帰れる。お父さんは不満そうな態度してるけど、もうたらふく食べたでしょ。20皿くらい食べてると思うんだけど、お父さんが太ることはないんだろうな。食べても食べても太らないのが自慢で、今まで実際にそうだったから。
「姉さん食べれる? ダラダラしてるとお母さんに悪いから、時間かかりそうなら食べちゃうよ」
「うん。大丈夫。食べれる食べれる」
いらん心配だ。かっぱ巻きならいける。いけた。
あー良かった。吐きそうにならなくて。
間違って吐いたりしたら、二度と外食とかさせてもらえなくなる。間違いなく家に置いてかれることになるだろうから、ゲロしなくて良かった。ほんとに。
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家に帰ってきて、ふと思った。
僕といるかちゃんはいつ時点で部屋が別々になるのだろう、と。同じ空間で過ごすこと自体は別に苦じゃない。メリットもいくつかある。たとえば、喧嘩しても嫌でも顔を合わせることになるから、早めに仲直りできたりとか。ようすがおかしいとすぐに察知できたりとか、僕としては助かることが多い。だから嫌とかじゃないんだけど、たまに欲しくなるんだよね。
プライベート空間ってやつが。
電話とかしづらいんだよ。家にいる時のいるかちゃんって、ご飯とかお風呂の時しか部屋
「あー、うん。そっかそっか。りんなはちらし寿司たべたの。良かったじゃん。美味しかった?」
『うん、タマゴとマグロ美味しかったー! それでね、美味しかったから、おにぎりにして持っていってあげようか? タマゴとマグロ』
「大丈夫だから全部食べちゃいなさい。残ったら明日にでも食べなさい。おにぎりにしちゃダメだよ。マグロとかタマゴとか、腐るから」
『それもそうだよね……はーい』
それでも出れる電話は普通に出る。
今のりんなとかね。おぞましいことを計画中だったみたいで、無視しなくて本当に良かった。マグロでおにぎりを作ろうとするな。おにぎりに生ものとか絶対ダメ。それも一晩寝かせるとか狂気の沙汰だ。
「りんな、早く寝なね。元気いっぱいなのはいいことだけど、体は確実に疲れてるんだから」
『うん、そーする。それじゃ切るねー。おやすみー』
「はい。おやすみ」
ちなみに、りんなの家はちゃんと食べたいものを聞いてくれたとのこと。まあ普通そうだよね。こうやってちゃんと考えるとモヤるから、家でどうこうの話はあんまりしたくないんだよなぁ。
通話が完全に切れたのを待ってから、僕はゴロンとベッドに寝っ転がった。そのタイミングで、上からいるかちゃんの声が降ってくる。
「なんかさー」
「なになに」
いるかちゃんは何か言いたげな感じだ。そして変な音が聞こえてくる。とても表現しづらい……なんだろう、ハマってるゲームで魔王が放ってくる闇の波動みたいな音だ。たとえるなら、そうだな……地の底から鈍く響くような重低音ってとこか。
わかったぞ、ラクダだ。
いるかちゃんはラクダの動画を見ているようだ。大丈夫だろうか。精神状態が心配になる行動だ。
「いつもそんな感じでよくね? 電話」
「いつもこんな感じじゃない? 電話」
「でんわの時あるじゃん。電話だけに」
「ごめんクソつまんない」
「むふっ、ラクダっていいよなー……あ? なんだって? 窒息死させるよ」
いるかちゃんの声のトーンがやばい。だらしのない
テンションのジェットコースターが過ぎる。
僕の心配ゲージが上昇していく。大丈夫かこの姉。
まさかトロ食べすぎたせいでお腹痛いの? ウニかもしれないな。いるかちゃんの嫌いなものシリーズが増えていないことを切に祈る。
「えーっと、何が言いたいの?」
「いつでも遠慮しないで出ればいいじゃん。私がいるとちょいちょいシカトして、後でかけ直してる時あるよね。なんでコソコソるのか意味不明」
「ものには時と場合ってものがあるの」
「意味わかんねー」
ちなみに、いるかちゃんのぶっきらぼうな喋り方は元々じゃない。昔は威圧感
懐かしいな
「そういや、ちゃんと自分で準備しなよ」
「なんのだよ」
「合宿に決まってるでしょ。今週末から長野だからね。わかってるよね?」
長野合宿。野辺山合宿ともいう。
限られた選手だけが参加できる連盟主催の合宿で、人数は毎年100人程度。
日程は2パターンあって、どちらも4日間。
最初が7月24日から27日。次が28日から31日。これ、去年まではノービスAとノービスBでグループ分けされていたんだけど、今年は混合。案内には『総合的判断による』って書いてあった。総合的判断って言葉が好きだよねスケート協会。テレビに出てくる政治家とかも、同じような言い回しが好きな気がする。
(希望日程は選べなくて完全指定される形だったけど、なんか意図とかあるのかな。グループ分け)
たとえば期待値順とか。
詳しい説明はされてないからわかんないけど、どんな理由でも別にいい。ノービスAの人達の練習を間近で見れる。僕にとってはプラスでしかない。
とりあえず僕といるかちゃんは24日から。このお姉ちゃん人付き合い苦手だから、血迷って変なことしないか気を付けないと。
「はいはい、わかってますよ。あー、行きたいけど行きたくねー」
「どういうことですかお姉ちゃん」
「そんなの決まってるじゃん。はじめて会う奴らばっかで疲れそうだから。絡んだことないヤツとかなに喋っていいかわかんないし。間がもたないって」
僕は『ふむ』と納得する一方で、なに言ってんだろうこのいるかちゃんと思った。まるで知り合いとはちゃんとお喋りできているような言い草だ。真っ平らな胸に手をあてて、自分という存在について
「いや……それ、知り合いでも変わんないでしょ。いるかちゃん、まともに友達いない」
「なんだって?」
ベッドが嫌な軋み音を発した。
携帯を枕元に置いて横を見ると、細かい傷がついている脚が2本。そしてヨレヨレの短パンとおヘソが……ひえっ……いるかちゃん降りてきた。
「よく聞こえなかった。もっぺん言ってみ?」
髪はボサボサ。最近頑張って伸ばしてるんだから、
もっとケアとかしたらいいのに。他にも色々とだらしがない。パジャマ用のTシャツはずり下がっているし。
明らかにサイズが合ってないのは仕方ない。この人はダボダボが好きなのだ。
「怒らないから言ってみ? 性格ブスだから、なんだって?」
僕はあんぐりと口が空いてしまった。なんだってはこっちのセリフだ。この人は遂に耳までおかしくなってしまったのだろうか。
ホント大丈夫かと困惑していると、いるかちゃんは真顔でベッドに足をかけた。いやちょっと待ってこっち来んな!
「ちょっとちょっとちょっと、訳わかんないこと言いながら乗り込んでこな」
そして、僕は天国が見えた。
何があったのかは聞かないで欲しい。誰に向かって言っているのか自分でもわかんないけど、何されたのかは聞かないで欲しい。
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「父さんスケートはよくわからないんだけど、どっちが才能あるの? お前といるかって周りからは凄いって言われてるみたいだけど、どっちが才能あるんだろ?」
朝食の時に父さんに聞かれた。
お母さんは仕事が忙しいって6時前に家出て、いるかちゃんは朝練。結果、僕と父さんの二人でご飯を食べるっていう何も嬉しくないイベントが発生して、ろくでもない質問が飛んできた。
「スケートってよくわからないんだよ。もっとわかりやすいルールにしてくれればいいのにね」
まあたしかにスケートのルールは複雑だ。
興味持って覚えようって思いながら見ないと、結構な頻度で納得いかないことがあると思う。たとえば、なんで転んだ方が優勝で、ノーミスの選手が表彰台落ちなのか──とかね。
まあ、今は細かいことは別にいい。
父さんの疑問に答えないといけない。この人、適当そうに見えて話の内容とかしっかり覚えてるから、下手なことは言えない。粘着質な嫌なせいか……記憶力がいいからね!
「細かい話しちゃうと退屈だろうし、時間もかかるから……えっとね、才能の話については姉さんの方が圧倒的かな」
「そうなの?」
父さんは「まあ優勝したしそうなのかー」、とウインナーをケチャップに押し当てる。朝食は目玉焼きとウインナー、あとインスタント味噌汁。最近はお母さんがあんまり料理をしないんだけど、それにしてはまともな朝ごはんだ。
「でも、去年の全国大会じゃお前の方が上だったよね」
「そういう時もあるよ。僕の場合は同じ世代に天才が少ないってのもあるし。でも、上にいったら同世代とだけ戦うわけじゃないから……これからはかなり苦労するかもしれない」
「ふーん。そうなんだ」
白米を食べ終えた父さんは「なるほどね」と続けて席を立った。食器を持ってキッチンに向かい、音を立ててシンクに置く。水に浸すこともせずにその場を離れて、洗面所へと歩いて行った。
あーやだやだ。毎度のことだけど、アレじゃ一緒に洗うしかないじゃん。せっかく説明してあげたのに反応薄いし、朝から嫌な気分になった。
(どっちが才能あるのか……ね。間違ってないよね、さっきの答えで)
僕も食器を持って、早歩きでキッチンへ。洗い物を済ませるために蛇口をひねると、透明な水が勢い良く流れ始めた。少しぬるい。
(水に浸すくらいしなよ……だからお母さんにネチネチ言われるんだって)
しかし、本当に嫌なことを聞く父親だ。
姉と弟、どっちが才能があるか。そんな質問に対して『僕だよ』なんて言うわけがない。でも、あの人は今でも姉弟仲が
こっちからしたらいつの話だって感じだ。いかに見てないかってことがわかる。
(まあ、さっきの答えに関しては嘘はついてない。才能に優劣をつけるなら、いるかちゃんの方が勝ってるのは間違いないんだ)
スケートの技術がノービス上位なのとは別にして、あの人には逆境でも戦える強さがある。折れそうになることはあっても、ヤケになって何もかも放り投げたりはしない。スケートの才能があるプラスアルファで、人間としての執念が凄い。
(僕はあんな風にはなれないからね。怒りを力に変えるのはすごく疲れるし、何を捨ててもスケートだけに命かけれる度胸もない)
究極、スケートがなくても生きていける。
人生には他に選択肢もあると思うから。って、そういうことが考えられる時点で、僕はあの人に比べてスケーターとしての強さが足りない。
なりふり構わずに人生かけれるだけの意志って、凄い才能だと思うんだよ。僕にはそれはない。
(父さんは会社行ったのか。行ってきますくらい言えよ……あと食器洗いのお礼は?)
蛇口からぬるい水が溢れてくる。
外からも水の音が聞こえる。
空の上は暗雲だらけ。窓の内側にも外側にも大量の水滴がついていて、今日は不快指数が高そうだ。
今週末から長野合宿。いるかちゃんは結構