岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
──グダグダじゃん大丈夫かよコレ。
そう思った者が少なくない中ではあったが、締まりがなかったのは最初の最初だけだった。他のコーチやトレーナーなどスタッフの紹介は
「はじめましての人もそうでない方もいらっしゃいますが、岡山の
思慮深そうな印象の男性コーチ、
最初の2人を含めて発言したのは12人。うちトレーナー陣が4人。8人のコーチ陣は
「
名城クラウンから招集された年配コーチ、竜宮アキラは、大したことは言わず速攻で話を終わらせ
「気を取り直して、チーフコーチの
オリンピックにも出場したことがある、日本人3人目の4回転ジャンパー。爽やか系でお茶の間から人気の男、
鋭利な眼差しの黒縁眼鏡、
「チーフトレーナーの
熊みたく大柄な中年男性トレーナー。そして彼と同じ苗字の見た目は20代の女性と、
「私も
実際に20代の女性が2人。
彼女たちも含めて皆、インナーの上にジャパンジャージを着用している。
「
「
トレーナーの仕事は機械的に体を見るだけではないので。そう続けた女性は高身長だった。180cmほどだろうか。もっとあるかもしれないと鯨哉は思った。
「たしかに、ここでの評価は後に控えている強化選手の選定、ひいては海外派遣にも影響します。ですが、ノービス世代はまだまだやり直しができる年齢なのです。何事もないのが一番ですが、あった場合に無理をされることがありませんよう、この場でお願いさせて頂きますね」
金弓トレーナーはそう言って挨拶を終えた。
ぺこりとお辞儀をして後退すると、入れ替わる形で金髪美女が前に出てくる。美しい金の瞳は現役時代と変わっていないが、顔立ちは少女ではない。彼女が金メダリストになったのは16歳の時で、来年のオリンピックで4年が経つ。
流石に子供達がザワザワする中で、彼女、ライリー・フォックスは静かに口角を上げた。その淑やかな
「才能たっぷりなみんな、こんにちはー! 急きょ合宿に参加させてもらえることになった、ライリー・フォックスでーす!」
場が静まり返ったのは一瞬だった。
澄ました微笑から一転、花が咲くような明るい表情に変わったライリーが、とてもよく通る声で叫んだからだ。大声を張り上げたというほとではないが、そのソプラノの声は講堂中にハッキリと届いた。
こんにちはー! と誰かが叫び返した。
「急きょって言っても3ヶ月くらい前には決まってたんだけど、まあそれはいいや! 今回はみんなのすごい所を沢山みれるのを、とっても楽しみにしています! 聞かれたことはなんでも答えるからなんでも質問してねー! ヨロシクー!」
その呼びかけに対して真っ先に、「フッ」と意味深に微笑んだ男子がいた。
(なんで男子はこんなにアクが強いんだ……。特に僕の知り合い!)
ため息を連発したい衝動に駆られたが、そこは鉄の心で我慢した。隣にいるのがいるかなら別に良いが、ダリアに変な奴だと思われたら困るからだ。
別に他意はない。どう見られようがおねぇちゃんなら関係ない──とか軽んじているわけではなく、普段は一緒にいることがない相手に気を遣っているだけだ。他意はない。
「──では、このまま説明を始めていきます。ほとんどが事前通達してあった内容の再確認ではありますが、そうでないものもある」
深みのある冷たい声音が響く。声を発したのは枳殻だった。彼は教壇に立つとスタッフ達に目配せをして、すぐにホワイトボードが運ばれてくる。ライリーによって熱を帯びていた空気が、たちまち引き締まった。
「まさか、メモを持参していない者はいませんね? 私は同じことを何度も聞かれるのが嫌いです。記憶力に完璧な自信がないのなら書き留めなさい。別に強制ではありません。わからなければ誰かに聞けばいい──そういう甘い考えもあることも理解はしています」
枳殻は細い指でマーカーを掴むと、その先端でホワイトボードを二度ほど
「ロッジに宿泊するにあたっての説明。ほか設備を利用する際の説明はこの後で行います。私の方からは日程を通してのスケジュールと
鯨哉は軽くうなずく仕草を取った。
この時点では意外なことはなにもなく、早く体を動かしたいとか考えていた。推薦枠という単語が出ただけでピリピリする選手が多い中、なんとも呑気なものだが
(いきなり何枠も増えるなんて考えにくいし、取れればラッキーに思っとこ)
同い年に本物の天才がいること。そして欲があるようで薄い性格をしていることもあって、石にかじりついてでもという気持ちは湧いてこなかった。
だから自分はダメなんだという自覚はあったが、それでも簡単には変わることができない。
(だから僕はいるかちゃんには勝てないんだよな。わかってるんだけどね、かなり前から)
ダメだダメだと言われ続けて育ってきて、それでも同じ環境で育った姉は闘争心の塊なのに。一歩も二歩も引いてしまう自分の性格はハッキリ言って嫌いだが、それでも変われないのが悩ましかった。
────────────────────
全員にA3プリントが配布された。
そこに記載されているのは、男女別にわかれた参加者全ての名前と所属、クラス、主に全日本ノービスの最高成績と学年。スケート年齢。
来シーズンのクラス。
そして、A、B、C、D、Eの5つのアルファベットと1から4の数字。これが
『同じ組み分けの選手は合宿中、一緒に行動してもらいます。部屋割りも同じとなります。また、数字が1の者は
とは枳殻の言葉である。
当然、質問や
何かあった場合に連帯責任で評価を下げられる場合はあるのか、とか。負担が増えるだけでメリットが何もないんじゃないのか、とか。ぶっちゃけ貧乏くじじゃないんですか、とか。
枳殻は
まず、連帯責任に関しては余程のことがなければ発生しない。普通にやればいい。
だから心配する必要は無い。
次に、メリットはぶっちゃけない。
だが、連盟に言われたことには従わなければならない。たとえ
『そして、貧乏くじかと言われれば答えはノーです。なぜなら、
普通にやればいい。各々が非常識なことをしなければいいだけ。だから簡単だし貧乏くじではない。
以上。枳殻は説明を終えると、合宿中はグループで動く旨を改めて念押しした。その後は説明役が変わってロッジの生活ルールや各設備の場所、利用方法などの話があって、あっという間に16時。
そこから1時間ほど座学。
選手としての心構えであったり、協会に選ばれるという意味についてとか、この合宿にどれだけ金がかかっていて、どれだけの支援を受けているかとか。真面目な話が延々と続いて、終了するなり
ただし全員ではない。リンクに向かって氷上テストを始めるメンバーもいる。体育館組は男女ともにCグループとDグループ。
「それじゃ始めるかね。まずは身体測定。次に体力テストだ。それが終わっても今日は氷の上には乗せないから、ヘトヘトになるまで床の上で動いてもらうよ!」
待ち構えていた小林ヘッドは、集まってきた選手達に意地の悪い笑みを向けた。
例年であれば、体力テストが終わった後は氷上テストに移ることが多い。だが、今回の初日は氷の上での活動はなし。
「ほら、シャキシャキ動きな! おい! そこで下向いてるお前! 岡山の
変更があったことは枳殻から聞かされていた選手達ではあったが、いきなりヘトヘトになるのが決定してゲンナリとした。
経験者のダリアは生きる気力を失ってしまったかのように、死んだ魚の目でうつむいていた。
ほんと死にそうな顔だった。でもそうなってしまうのも仕方がない。ダリアは体力に自信がないし、高地トレーニングはしんどいのだ。
────────────────────
まずはじめに身長、体重、体脂肪率率など定められた項目を全て測定。
それが終わったグループからアップ開始。
速やかに体力測定に移り、50m走や垂直跳び、反復横跳びや立ち幅跳び、長座体前屈。手足を交互に上げる体幹テストなど、選手達は指示されるがままにこなしていき、ほとんどのメニューを難なくこなした。
全てに順位がつけられるのは悔しかったり、悲しかったり、嬉しかったり、それぞれ様々な感情を抱いてはいたが、それでも
(やばい、もう足が上がんなくなってきた)
やけに体が重いといるかは喘いだ。
短いダッシュからの垂直跳び、すぐさま同じ距離をダッシュして垂直跳びを繰り返し、さらにそこから50m全力ダッシュ。壁を手のひらでぶん殴って振り返り、体育館の中央に引かれている青いラインまで全力疾走。ゼーゼー言いながら立ち幅跳び。
「──ふッ! うおあっ!?」
最初に跳んだ時より明らかに勢いがない。高さも出ない距離は伸びない。挙げ句の果てには着地失敗して危うくすっ転びそうになる。空気を吸おうとしても上手く肺に入ってこない。演技終盤かそれ以上に体全体がめちゃくちゃキツい。
「名城の岡崎! お前は柔軟も追加だ! お前のレベルならもっと滑らかに動けるはずだよ! 硬いわけじゃないが
とにかく辛いシンドい体が重い。ゴチャゴチャうるさいババアに言い返す気にもなれないほど。まあ、元気があったとしても面と向かって反抗したりはしないけれども。
(し、ぬ……っ)
ババアはなぜか竹刀を持っている。
頭にはハチマキ。いつの時代の鬼軍曹だとツッコミたくなるような格好である。ダリアの話だと去年は普通だったららしいのに、何がどうなっていきなりあんな鬼ババアが爆誕するのか。
「おいおい
「うるさいっ、クソババア!」
いるかと同じCグループの女子がキレた。
ピンク色のブレスレットを小林ヘッドに向かってブン投げたが、ひらりと華麗に
「わかってるのよ、そんなことはっ」
「だったらせめて下は向くんじゃないよ! 筋力は強くなってんだよ!?
そしてババアが走り出した。
選手達はギョッと目をひん剥いた。普通に並走し始めたからだ。それも凄く綺麗な
「これだよ! これ! 刀根山、これだぁ!」
「は!? っ、はひっ、んめなって! 死ぬっ、よ!」
「っっ、死ぬッッ! ゴホッ、ゲホゲホがハァッ」
少しだけ走ってババアは止まった。めちゃくちゃ咳き込んで止まった。一瞬だったが凄い光景だった。
そしてババアは叫び出す。今度は男子の方に目を向け、様子のおかしい少年に声を飛ばした。
「──ゲホアッ!! カァーッッ! フゥッッ! どうした蓮華茶のボウズ! カモメの名前は伊達なのかい! ほらもっと飛べ! お前は今年に入ってから身長が伸びて体が重くなってるのにっ、ジャンプは去年より高くなっているじゃあないかっ!」
「ハァイ!」
鯨哉と同じCグループの男子、京都の蓮華茶FSCの爽やか系イケメン、
普段は澄み切っている瞳は開講式の時よりもギンギンで、あらんばかりに見開かれている。
「なんだそのけったいな返事は!」
「ハァイ! ハァイッ! アァァーイッ!」
瞬間、絹を引き裂くような奇声が響き渡る。幸子もあらんばかりに目を見開いた。
「ッ!? よだれを拭けッ! そんで
指示を受ける前にトレーナーの女性、
「俺っ、水飲まなくてもいけます! 限界にチャレンジしてもいいですか!」
「ダメです。飲みなさい」
力強く拳を握り締めた
「あのペットボトルを拾ってください」
「チャレンジしてもいいですか! いいですよッ!」
「速やかに拾いなさい。そして飲め」
「ハァイ!」
「うるさい!」
少年は叱られた後に水を飲まされ、どこかに連れていかれた。カオスである。そしてその光景を見ていた男子Cグループのリーダーは、震えた。
名古屋から来ているメガネの中学1年生、
「ッ、連帯責任、嫌だァ!」
魂の叫びと共に壁をパーでぶん殴り、鬼の形相で青いラインに向かって疾走する。しかし隣を抜き去っていくのは、同じ名古屋の岡崎
「う、おぃッ」
「はっ、はッ」
完全に姿勢が乱れている少年を、
「──」
苦しい、しんどい、辛い、もう倒れ込みたい。そんな感情が詰まった痛々しい表情が、更にぐしゃりと歪んでいく。2学年も下の選手についていけない。スケートでも体力でも勝てない。少年は生真面目な平和主義者ではあるが、それでも感情を顕にするくらいに悔しいのだろう。
高峰蓮太郎は天才ではない。
関東に住んでいる親戚は天才だったが、彼は違った。あんな風になりたいと何度願ったかわからないほどだが、どれだけ真面目に練習してもなれなかった。
努力する天才に届く術はないのか。そんなことを考えては絶望したことがある選手は、彼だけでなく多くいる。ここに来ている選手の中にも沢山いた。
(エリアは分けてるとはいえ、男女いっぺんにやらせるとか……くっそ、
そして、上には上がいる。
蓮太郎が
(あとちょっとが、めちゃくちゃ遠い)
せめて残り時間がわかれば。
後どれくらい続くのか教えてくれればペースを上げることもできるが、小林コーチは自分がいいと言うまでやらせるそうだ。それじゃ勝負なんかかけれない。
タイミングを間違えたらバテて潰れる。足がもつれて転がっている姉のように。死にかけのアルパカみたいになっているが大丈夫だろうか。他人の心配をしている場合ではないが、視界に入ってきたから嫌でも気になってしまう。
「──おぉい! 名港の岡崎ッ! なーに上手くやろうとしてんだお前はッ! 体力温存してるんじゃないよッッ!」
鬼ババアの怒声がとどろいた。
鯨哉は激しく腕を払って汗を飛ばす。誰が温存なんかするか。これでもギリギリ。ムキになって飛ばしたら潰れるのがわかってるから、こうして続行できるペースを探りながらやっている。
──努力する天才には勝てない。
でも遠く離れていくのを跪いて見ているのは嫌だから、こうやってしがみついているのだ。菊次郎少年はちょっと前からヘロヘロだ。今、足がもつれて死にかけのアルパカみたいに転んだ。
(初日で潰すつもりか……? 何考えてんだあのおばあちゃん!)
自分達はいつの時代のトレーニングを
一人、また一人と音を上げて座り込んでいく中、鯨哉は
────────────────────
普段から良くないことの多い顔色が、不健康な真っ白になっている。今日は寝不足ではないからクマはできていないが、どこからどう見ても疲労困憊。
湿った濡れ羽色の髪はボサボサ。直す余裕もないようで、口は半開き。黒真珠のような瞳は完全に生気を失い、ぼーっとお箸を見つめていた。
悲報。
入浴を挟んでの食事時間に突入したが、一向に食べ始める気配がない。
「お、おい……しっかりしろ。大丈夫? ダリア……ちゃん、やばそう? トレーナー呼んでくる?」
「……うふふふふ」
いるかは恐る恐る、といった様子でダリアに声をかけている。しかし壊れた人形のようだ。いるかの瞳が動揺にゆれる。グイグイ来られて困ってはいるが毛嫌いはしていないらしい。そして深いところで情のある少女は、仲良くしようとしてくれている相手が死にかけているのを放置することはできなかった。
「うふふ、ふふ……あぁ、終わったぁ」
「何が!? 何が終わったの!? イノチ!? マジで怖いって……ちょっと、ほんとしっかりしてよ。私の話ちゃんと耳に聞こえてる……?」
弟はどっか行ってしまった。
もちろん他にも人間はいるが、あの京都と福岡の女子共、『いるかにまかせる〜』『まかせたぞ岡崎!』とか適当なノリで美味そうにサラダを食ってやがる。
ちなみに席は同じテーブルである。
それなのに助けてくれない。これをいい機会に仲良くなりなよとか言ってくるから、いるかは奴らに殺意を覚えている。
「おーい、ダリアちゃーん?」
「……はい?」
「いや、はいじゃなくて……」
ダメだやっぱり心がどこかに消えている。
そしているかは誰かに優しくするのが苦手である。
どういう行動が優しいのかは知っているが、それは物心ついてから覚えたものだ。自然に知ったものじゃないから、どうしてもぎこちなくなる。
こういうことは弟の方が得意だからお任せ……なんか引っかかるけどここはお任せしたいのだが、あいつほんとどこ行った。
(頼むよー、なんであいつはこんなタイミングで消えちゃうんだよー……)
今度アイス買ってやるから早く帰ってこいと願っていると、ややあって弟は戻ってきた。
いつも通りの何食わぬ顔で。
「食事の時間延長してもいいってさ。食欲なくなる人が出るのは想定内だから、申し出てくれれば許可するつもりだったんだって。そっちから言えよって感じだけど、とりあえずゆっくりで大丈夫だから」
ただし声は少し低かった。あれなんか怒ってね、と感じたいるかだったが、ここはスルー。
「あ、そうなん……コーチんとこ行ってたのね。あー、なんていうか、ありがと。あのババアに聞いたの? てかあのババアどこにいんの」
「雨を見てると心が洗われるって、雨を見ながら素振りしてたよ。この建物の玄関で」
「ごめん意味わかんない」
話の内容はともかくちょっと違和感。
女が死んでたらもっとガンガン奉仕プレイ(いるかが勝手にそう呼んでいる)しそうなものだが──男が相手でも
これが名港のりんなとか夕凪とかだったら、隣に座って食べさせてあげるまでありそうなものだ。まあ、小学2年生とか3年生と全く同じ扱いはないだろうけど。
「おー、
「うちのヨッシーに負けず劣らずのアレだなー! 一家に一台あると、痒いとこに手が届く的な!」
そして福岡の
だって、まともな友達がいたことないから。
学校の同級生とは話が合わない。クラブメイトには親がヤバいってバレてるし、その親のことを考慮すると近場の奴とは仲良くする気になれない。結果として友達という存在とは無縁できているから、マジで本気でどう接していいかわからない。スケートの合宿に来てなんでこんなことで悩んでるんだと、いるかは頭が痛くなった。
「あー、お腹すいた。あれ、姉さんもっと食べないの?」
「お前よく食べれんね……つかこっち座んのな」
「そうだけど、なんで変な顔してんの?」
鯨哉は流れるようにいるかの隣に座った。
てっきりダリアの方に行くのかと思ったのだが、迷うような素振りも見せなかった。そこのところ、ちょっと引っかかったいるかであった。
なぜならコイツは、人前では恥ずかしがって、家にいる時に比べて距離を取ることが多いから。だから今のは意外な行動だったのだが、避けられるといい気分はしないから別にいい。とりあえずご飯食べようといるかは思った。