岡崎いるかの生存戦略   作:戎韜

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岡崎いるか7才、6月

 スケートが楽しい。

 はじめて来た時は息苦しかったスケートリンク。怖くて痛くてさみしかったはずの場所に、今は行くのが待ち遠しい。

 がんばればがんばっただけ上手くなる。

 2回転ジャンプはまだトウループしかできないけど、スピンがどんどん上達してる。お尻をぐっと下げてクルクルクルクル。思いっきり回ってるとなんだか気持ちがいい。綺麗な光の線が沢山見えて、世界がグチャグチャになってく感じがすごく好き。

 ゾクゾクする。スッキリする。多分、私はちょっと変だ。だから上手く友達ができないし、弟にはあんまり優しくしてあげられない。お母さんはそんな私によく怒る。でもいいんだ。練習に行けば実叶(みか)ちゃんがいっぱい遊んでくれるし、たくさんほめてくれるから。

 

 

「いるかちゃん、バッジテスト2級はまだ受けないんだ」

「うん。大会に出るときのことかんがえると、1級のままでもいいんじゃないかって、前の先生にいわれて。アキラ先生も同じこといってた」

「そっかそっか。たしかに1級で優勝してからでも遅くはないよね。っていうかよく考えたら私もそうした。けっきょく優勝はできなかったけど」

 

 練習から帰った後、実叶ちゃんは「なつかしいなー」って寝っ転がった。

 新しい家だ。二階建て。うちと一緒。お母さんがいるのもおんなじ。でも、とってもあったかい感じがする。何が違うのかって考えてみたら、すぐにわかった。りふじん? なことを言う人がいないんだ。やつあたりする人もいない。

 これが普通。じゃあうちは普通じゃないんだなって思うと、ちょっと悲しくなる。

 

「みかちゃんでも優勝できなかったの?」

「えへへ、転んじゃった」

「そっかぁ……あ、そうだ。今年も全日本ノービスいくんだよね?」

「それはまだわかんないよ〜。私より上手な人は沢山いるし、みんな必死だから」

 

 わかんない、って実叶ちゃんはくりかえした。

 今シーズンから実叶ちゃんはノービスAにクラスが上がる。周りはどんどんうまくなってくるし、去年はいなかったひとつ年上の人とも競走しなきゃいけない。ノービスAにでられるのは、7月1日の前の日で10才から11才の人たち。スケートねんれいっていうんだって。フィギュアスケートはフクザツだ。

 ルールがゴチャゴチャしててむずかしい。

 

「みかちゃんといっしょの大会にでたいなぁ……」

「あはは。まずははじめての大会に出ないと。焦らなくても大丈夫だよ。私はずっと待ってるから」

「うんっ」

 

 いっしょの大会で滑れるのはいつになるんだろ。

 わからないけど、あんしん。待っててくれるなら、私がうまくなれるように頑張るだけ。それだけ。そうすれば、いつか絶対に一緒に大会に出れる。

 はじめて出来たともだち? せんぱい? おねえちゃんみたいな人。となりにいると優しい気持ちになれて、心がポカポカする。でも、なんで実叶ちゃんは私なんかと仲良くしてくれるんだろう?

 

「みかちゃん、ほかにともだちいないの?」

「いるよー? まりりんとかまりおねちゃんとか」

「まりりん? まりおね?」

「まりかちゃんだよー!」

 

 名前がふたつ出てきたからだれかと思ったら、おなじ人だった。くりおねまりかちゃん。名城クラウンでいちばん漢字が難しい人。実叶ちゃんと同じくらい可愛くて、お姫さまみたいな女の子だ。スケートもとっても上手。きれい。

 

「まりかちゃん可愛いのに恥ずかしがり屋だから、私がプロデュースしてあげるんだー!」

「ずるい……」

「いるかちゃんもしてあげるよー! 思ったんだけど髪伸ばしてみたら? 今の短い感じもいいけど、ロングヘアーも絶対似合うよ! おかーさんもそう思うよねー?」

「うん。そうね。それより実叶。お母さんのプリンが消えちゃったんだけど、知らない?」

 

 実叶ちゃんのお母さんが優しそうに笑っている。でもなんかこわい。くろいオーラが見えたような……きのせいかなぁ?

 

「知らない!」

「そっかぁ。知らないかぁ。いるかちゃん、ご飯食べてくよね? 良かったらおばさんとお話しよう。おばさんが買い物に行ってる間、実叶がプリンを食べてたかどうか知りたいなぁ」

「……」

 

 私、知ってる。 

 たべてた。私にはジャガリコせんべいとソーダアイスをくれて、実叶ちゃんはカラメルプリン食べてた。ゴミは自分の部屋に捨てたみたいだけど、ダメだよこれバレてるよ。

 

「……」

「あはは、ごめんごめん。いるかちゃんに聞くのは可哀想よね。だから実叶。白状しなさい」

「ちょ、ちょっとだけのつもりだったんだよ〜! でもすっごく美味しくて、気づいたら中身がなくなってたの!」

「ビックサイズをひとりで食べたの!‍? せめているかちゃんと分けなさいよ……あんたって子は」

 

 あれ、おばさん怒らない。

 私がやったらカレーがルーだけになるのに。

 ふつー? の家だとそういうことしないのかな。悪いことした罰として晩御飯のカレーの具はなしとか、冷たいご飯とふりかけだけとか。

 そういうときは(きょう)がコッソリおかずくれるんだけど、ふたりとも怒られてる時はあきらめるしかないんだよね。あんまりないパターン。

 

「ビックサイズって、ドカ食いしたくならない……?」

「なるけども。気持ちはわかるけど、いるかちゃんに何もあげないのはダメでしょ」

「あげたよ! ソーダアイスとジャガリコせんべい!」

「いるかちゃんがそれで良かったならいいけど、お母さんはおせんべいとアイスは一緒に食べたくないなぁ……」

 

 今度こそ怒られるとおもったけど、おばさんの声は優しい。いつも思うけど、うちのお母さんとはぜんぜんちがうなぁ。

 

「そうだいるかちゃん。良かったら鯨哉(きょうや)くんも連れてきていいからね」

 

 おばさん、天使だ……。かみさま。

 でも、(きょう)はだいじょうぶ。なかよしな友達ができたって言ってたから、今日も練習おわったら遊んでるんじゃないかな。

 

「ありがとうございます、おばさん」

「かしこまらなくてもいいのよ。敬語なんてそのうち覚えるんだから、ここにいる時は頑張らなくていいからね」

「? わかりました? うん?」

「おかーさん、私には先生に敬語使えって怒るくせに!」

「あんたはフレンドリーすぎるのよ! 見ててヒヤヒヤするから、はじめて会う大人にはちゃんと敬語を使いなさい!」

「へへっ」

 

 みかちゃん、舌だして笑ってる。かわいい。

 ぱっちりおめめ。ちっちゃい顔。サラサラロングヘアー。私もみかちゃんみたいになりたいなぁ。5年生くらいになったらなれるかなぁ。

 

「いるかちゃん、ごはんたべよ! デザートのいちごあげる〜!」

「みかちゃん……かみさま!」

「おいのりして! どげざ! どげざ!」

「実叶! やめなさい! あんたイチゴなしにするからね!」

「ひどい! お母さんのオニババ!」

「いのりが起きるから、壁をドンドンするのはやめなさい!」

 

 みかちゃん、壁をボカンボカン殴ってる。

 ぱわふる。やっぱりすごいなぁ、みかちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

「おにぎりだけだとエネルギー足りないって! 私のからあげクンあげるから食べな!」

 

 いるかが実叶ちゃんとご飯を食べている頃、弟の鯨哉(きょうや)はリンク近くのコンビニにいた。

 お母さんの迎えが遅くなる時は、買って食べろと言われているからだ。今日は遅い日。リンクから家までは歩いて帰れる距離なこともあって、最近はほとんど送迎してもらっていない。

 

「いいよ大丈夫! それ、りいなちゃんのご飯でしょ?」

「ごはんー? 違うなぁ。これはオヤツだ」

「ごはんのまえにオヤツ?」

「そうだよ。練習した後はすぐエネルギー補給しないとだから!」

 

 連絡さえしておけば、帰る時間もそんなにうるさくは言われない。

 岡崎家の母は4月から仕事復帰しており、あんまり家にいなくなった。本当はあともう少しは休むつもりだったようだが、夫に嫌味を言われたのがきっかけで職場復帰を決めていた。

 そんなわけで現在の岡崎家の教育方針は、必要なお金は出すから自分のことはできるだけ自分で。いるかはまだ小学2年生。鯨哉(きょうや)は1年生である。

 

「たーべーろー! あーんしてやるから、たーべーろー!」

「むぐぐぐぐっ」

 

 いきなり唐揚げを口に突っ込まれて、危うく指を噛みそうになった。からあげは美味しい。

 モグモグ食べているのを見て、「ひっひっひっ」と独特な笑い方をしているのは女子である。

 ギザ歯ポニーテールの超活動的な小学5年生、鯱城(こじょう)理依奈(りいな)

 現時点で身長149cm。直近1年間で10cm伸びて、まだ止まる気配はない。彼女は名港(めいこう)ウィンドのクラブメイトだ。4つ違いだから絡みがないかと思いきや、コンビニで何度も会っているうちに玩具にされるようになった。

 肩車されたり氷の上で手を握られてぶん回されたり、ジュース買ってこいって命令されたり、精神的にも物理的にも振り回されている。

 

「……たべた。ごちそうさまでした」

「よーし、えらいぞ! うちのお母さんがおにぎり持ってきてくれるから、それも一緒にたべよう!」

「まだ食べるの!‍?」

「エネルギー補給しないと!」

「夕ご飯でよくない‍?」

 

 食いしん坊で声が大きくて強引。

 理依奈の特徴はそんな感じで、おかげさまでスケートが好きになった。いちいちオーバーリアクションで褒めてくれるし、これで細かいところも意外と見てて褒めてくれる。言葉に出して褒めてくれる。いきなり怒鳴ったりしないし、褒めてくれる。(きょう)は承認欲求に飢えていた。

 

「どうせお母さん迎えに来ないんだろ? だったらもう少しお姉さんとお話しようぜ! どうやったらオリンピックに行けるか相談しよう!」

「オリンピックって、行けるわけないじゃん……りいなちゃんは行けるかもしれないけど、僕は無理。てんもんがくてき? なかくりつだって、お父さんが言ってた」

「私が行けるかもしれないとか言うの、お前か先生くらいだぞ。真面目に。みんな思ってるよ。全日本ノービスにすら進めてない時点でダメだって」

 

 理依奈は笑いながら視線を落とした。大きな瞳いっぱいに、暗い色のコンクリートが広がる。コンビニの灯りにつられて、小さな羽虫がガラスに向かって飛んで行った。

 

「でも、上手だよね。今日、3回転できたじゃん」

「ほんと久しぶりにね。でも、本番でできなきゃないのと一緒だよ。記録に残らなきゃ意味ないんだ。そして、私はまだ1回も試合で3回転はできていない。去年の今頃は行けそうな感じだったんだけどね、一気に身長が伸びて、あっちこっち痛くなって……気付いたらシーズン終わってたなぁ」

 

 理依奈はバツの悪そうな顔で金色の髪を撫でた。

 これでいかつい格好をしていたら強そうな不良に見えるが、彼女は学校生活にしろスケートの練習しろ真面目に取り組んでいる。

 何かと上手く噛み合わなくて今は結果が出てないが、ポジティブに努力を続けられる真っ直ぐな心の持ち主だ。だからだろうか、言っていることが信用できるし、すとんと心に入ってくる。両親と話している時とは全く違う感覚だ。

 

「食事って大切だよ。まだ1年生だからとか関係ないから。だからこそちゃんとしとけって私は思うな。スケートの才能だけじゃなくて、人の話をちゃんと理解できる頭も持っているわけだしね。きっとすごいことだよ。5年生の私とこうやって喋れるって」

 

 彼女は笑いながら言った。他の同い年の連中はもっとガキだぞ〜、練習したくないって泣き叫んでる1年生もいるんだぞ〜、と。

 きっとそうなんだろうと思った。

 (きょう)は周りの子供よりも考えていることが多いし、だから理解できることも多くなった。自慢したいわけじゃない。できるだけ痛い思いをせずに生きていこう頑張ってたら、仕方なくこうなってしまったってだけで、良いことだとは思っていない。

 

「あんまりうれしくない。りいなちゃんと喋るのはうれしいけど、みんなと一緒が良かったっても思う」

「じゃあ私は君がもっと嬉しくなるようにしよう。おいしいものを一緒に食べて、どんどんスケートを上手になろう。うちのクラブはもうちょっとでヘッドコーチが変わるって噂があるし、新しい名港を一緒に盛り上げられるようになろう。主役は私達だ。そうやって考えると楽しくなってこない?」

「なってくる……かも」

 

 親の言葉の裏を読もうと頑張ってたら、いつの間にか子供らしくないと言われるようになってしまった。

 小学校の先生に言われてショックだったが、こうやって素敵な先輩と話ができるのは嬉しい。憧れの選手がいるクラブだから名港に入りたいと思ったのだが、こうして良い先輩と会えたのは、憧れを近くで見るよりも嬉しかった。

 

「じゃあどんどん食べてガンガン練習しよう。フィギュアスケートは複雑だけど単純だよ。決まった大会で勝てばいい。オリンピックに行ける。まあ、そこまで行けなくても失敗ってわけじゃないと思う。頑張っていけば自ずと、君の欲しいものは手に入ると思うな」

 

 それは無責任にも聞こえる言葉で、楽観的すぎると失笑されるような内容。

 でも、夢を語るのは自由だ。

 本気で希望を持った話をするだけで、心はとても明るくなる。家にいるとドンヨリしていることが多いが、こうやって理依奈と喋ると明るくなれる。だからだろうか。最近の(きょう)は少しだけ、変わっている自分を嫌う気持ちが小さくなった。もっとスケートが上手くなって、大会で勝てる選手になりたい。

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