岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
スケートが楽しい。
はじめて来た時は息苦しかったスケートリンク。怖くて痛くてさみしかったはずの場所に、今は行くのが待ち遠しい。
がんばればがんばっただけ上手くなる。
2回転ジャンプはまだトウループしかできないけど、スピンがどんどん上達してる。お尻をぐっと下げてクルクルクルクル。思いっきり回ってるとなんだか気持ちがいい。綺麗な光の線が沢山見えて、世界がグチャグチャになってく感じがすごく好き。
ゾクゾクする。スッキリする。多分、私はちょっと変だ。だから上手く友達ができないし、弟にはあんまり優しくしてあげられない。お母さんはそんな私によく怒る。でもいいんだ。練習に行けば
「いるかちゃん、バッジテスト2級はまだ受けないんだ」
「うん。大会に出るときのことかんがえると、1級のままでもいいんじゃないかって、前の先生にいわれて。アキラ先生も同じこといってた」
「そっかそっか。たしかに1級で優勝してからでも遅くはないよね。っていうかよく考えたら私もそうした。けっきょく優勝はできなかったけど」
練習から帰った後、実叶ちゃんは「なつかしいなー」って寝っ転がった。
新しい家だ。二階建て。うちと一緒。お母さんがいるのもおんなじ。でも、とってもあったかい感じがする。何が違うのかって考えてみたら、すぐにわかった。りふじん? なことを言う人がいないんだ。やつあたりする人もいない。
これが普通。じゃあうちは普通じゃないんだなって思うと、ちょっと悲しくなる。
「みかちゃんでも優勝できなかったの?」
「えへへ、転んじゃった」
「そっかぁ……あ、そうだ。今年も全日本ノービスいくんだよね?」
「それはまだわかんないよ〜。私より上手な人は沢山いるし、みんな必死だから」
わかんない、って実叶ちゃんはくりかえした。
今シーズンから実叶ちゃんはノービスAにクラスが上がる。周りはどんどんうまくなってくるし、去年はいなかったひとつ年上の人とも競走しなきゃいけない。ノービスAにでられるのは、7月1日の前の日で10才から11才の人たち。スケートねんれいっていうんだって。フィギュアスケートはフクザツだ。
ルールがゴチャゴチャしててむずかしい。
「みかちゃんといっしょの大会にでたいなぁ……」
「あはは。まずははじめての大会に出ないと。焦らなくても大丈夫だよ。私はずっと待ってるから」
「うんっ」
いっしょの大会で滑れるのはいつになるんだろ。
わからないけど、あんしん。待っててくれるなら、私がうまくなれるように頑張るだけ。それだけ。そうすれば、いつか絶対に一緒に大会に出れる。
はじめて出来たともだち? せんぱい? おねえちゃんみたいな人。となりにいると優しい気持ちになれて、心がポカポカする。でも、なんで実叶ちゃんは私なんかと仲良くしてくれるんだろう?
「みかちゃん、ほかにともだちいないの?」
「いるよー? まりりんとかまりおねちゃんとか」
「まりりん? まりおね?」
「まりかちゃんだよー!」
名前がふたつ出てきたからだれかと思ったら、おなじ人だった。くりおねまりかちゃん。名城クラウンでいちばん漢字が難しい人。実叶ちゃんと同じくらい可愛くて、お姫さまみたいな女の子だ。スケートもとっても上手。きれい。
「まりかちゃん可愛いのに恥ずかしがり屋だから、私がプロデュースしてあげるんだー!」
「ずるい……」
「いるかちゃんもしてあげるよー! 思ったんだけど髪伸ばしてみたら? 今の短い感じもいいけど、ロングヘアーも絶対似合うよ! おかーさんもそう思うよねー?」
「うん。そうね。それより実叶。お母さんのプリンが消えちゃったんだけど、知らない?」
実叶ちゃんのお母さんが優しそうに笑っている。でもなんかこわい。くろいオーラが見えたような……きのせいかなぁ?
「知らない!」
「そっかぁ。知らないかぁ。いるかちゃん、ご飯食べてくよね? 良かったらおばさんとお話しよう。おばさんが買い物に行ってる間、実叶がプリンを食べてたかどうか知りたいなぁ」
「……」
私、知ってる。
たべてた。私にはジャガリコせんべいとソーダアイスをくれて、実叶ちゃんはカラメルプリン食べてた。ゴミは自分の部屋に捨てたみたいだけど、ダメだよこれバレてるよ。
「……」
「あはは、ごめんごめん。いるかちゃんに聞くのは可哀想よね。だから実叶。白状しなさい」
「ちょ、ちょっとだけのつもりだったんだよ〜! でもすっごく美味しくて、気づいたら中身がなくなってたの!」
「ビックサイズをひとりで食べたの!? せめているかちゃんと分けなさいよ……あんたって子は」
あれ、おばさん怒らない。
私がやったらカレーがルーだけになるのに。
ふつー? の家だとそういうことしないのかな。悪いことした罰として晩御飯のカレーの具はなしとか、冷たいご飯とふりかけだけとか。
そういうときは
「ビックサイズって、ドカ食いしたくならない……?」
「なるけども。気持ちはわかるけど、いるかちゃんに何もあげないのはダメでしょ」
「あげたよ! ソーダアイスとジャガリコせんべい!」
「いるかちゃんがそれで良かったならいいけど、お母さんはおせんべいとアイスは一緒に食べたくないなぁ……」
今度こそ怒られるとおもったけど、おばさんの声は優しい。いつも思うけど、うちのお母さんとはぜんぜんちがうなぁ。
「そうだいるかちゃん。良かったら
おばさん、天使だ……。かみさま。
でも、
「ありがとうございます、おばさん」
「かしこまらなくてもいいのよ。敬語なんてそのうち覚えるんだから、ここにいる時は頑張らなくていいからね」
「? わかりました? うん?」
「おかーさん、私には先生に敬語使えって怒るくせに!」
「あんたはフレンドリーすぎるのよ! 見ててヒヤヒヤするから、はじめて会う大人にはちゃんと敬語を使いなさい!」
「へへっ」
みかちゃん、舌だして笑ってる。かわいい。
ぱっちりおめめ。ちっちゃい顔。サラサラロングヘアー。私もみかちゃんみたいになりたいなぁ。5年生くらいになったらなれるかなぁ。
「いるかちゃん、ごはんたべよ! デザートのいちごあげる〜!」
「みかちゃん……かみさま!」
「おいのりして! どげざ! どげざ!」
「実叶! やめなさい! あんたイチゴなしにするからね!」
「ひどい! お母さんのオニババ!」
「いのりが起きるから、壁をドンドンするのはやめなさい!」
みかちゃん、壁をボカンボカン殴ってる。
ぱわふる。やっぱりすごいなぁ、みかちゃん。
「おにぎりだけだとエネルギー足りないって! 私のからあげクンあげるから食べな!」
いるかが実叶ちゃんとご飯を食べている頃、弟の
お母さんの迎えが遅くなる時は、買って食べろと言われているからだ。今日は遅い日。リンクから家までは歩いて帰れる距離なこともあって、最近はほとんど送迎してもらっていない。
「いいよ大丈夫! それ、りいなちゃんのご飯でしょ?」
「ごはんー? 違うなぁ。これはオヤツだ」
「ごはんのまえにオヤツ?」
「そうだよ。練習した後はすぐエネルギー補給しないとだから!」
連絡さえしておけば、帰る時間もそんなにうるさくは言われない。
岡崎家の母は4月から仕事復帰しており、あんまり家にいなくなった。本当はあともう少しは休むつもりだったようだが、夫に嫌味を言われたのがきっかけで職場復帰を決めていた。
そんなわけで現在の岡崎家の教育方針は、必要なお金は出すから自分のことはできるだけ自分で。いるかはまだ小学2年生。
「たーべーろー! あーんしてやるから、たーべーろー!」
「むぐぐぐぐっ」
いきなり唐揚げを口に突っ込まれて、危うく指を噛みそうになった。からあげは美味しい。
モグモグ食べているのを見て、「ひっひっひっ」と独特な笑い方をしているのは女子である。
ギザ歯ポニーテールの超活動的な小学5年生、
現時点で身長149cm。直近1年間で10cm伸びて、まだ止まる気配はない。彼女は
肩車されたり氷の上で手を握られてぶん回されたり、ジュース買ってこいって命令されたり、精神的にも物理的にも振り回されている。
「……たべた。ごちそうさまでした」
「よーし、えらいぞ! うちのお母さんがおにぎり持ってきてくれるから、それも一緒にたべよう!」
「まだ食べるの!?」
「エネルギー補給しないと!」
「夕ご飯でよくない?」
食いしん坊で声が大きくて強引。
理依奈の特徴はそんな感じで、おかげさまでスケートが好きになった。いちいちオーバーリアクションで褒めてくれるし、これで細かいところも意外と見てて褒めてくれる。言葉に出して褒めてくれる。いきなり怒鳴ったりしないし、褒めてくれる。
「どうせお母さん迎えに来ないんだろ? だったらもう少しお姉さんとお話しようぜ! どうやったらオリンピックに行けるか相談しよう!」
「オリンピックって、行けるわけないじゃん……りいなちゃんは行けるかもしれないけど、僕は無理。てんもんがくてき? なかくりつだって、お父さんが言ってた」
「私が行けるかもしれないとか言うの、お前か先生くらいだぞ。真面目に。みんな思ってるよ。全日本ノービスにすら進めてない時点でダメだって」
理依奈は笑いながら視線を落とした。大きな瞳いっぱいに、暗い色のコンクリートが広がる。コンビニの灯りにつられて、小さな羽虫がガラスに向かって飛んで行った。
「でも、上手だよね。今日、3回転できたじゃん」
「ほんと久しぶりにね。でも、本番でできなきゃないのと一緒だよ。記録に残らなきゃ意味ないんだ。そして、私はまだ1回も試合で3回転はできていない。去年の今頃は行けそうな感じだったんだけどね、一気に身長が伸びて、あっちこっち痛くなって……気付いたらシーズン終わってたなぁ」
理依奈はバツの悪そうな顔で金色の髪を撫でた。
これでいかつい格好をしていたら強そうな不良に見えるが、彼女は学校生活にしろスケートの練習しろ真面目に取り組んでいる。
何かと上手く噛み合わなくて今は結果が出てないが、ポジティブに努力を続けられる真っ直ぐな心の持ち主だ。だからだろうか、言っていることが信用できるし、すとんと心に入ってくる。両親と話している時とは全く違う感覚だ。
「食事って大切だよ。まだ1年生だからとか関係ないから。だからこそちゃんとしとけって私は思うな。スケートの才能だけじゃなくて、人の話をちゃんと理解できる頭も持っているわけだしね。きっとすごいことだよ。5年生の私とこうやって喋れるって」
彼女は笑いながら言った。他の同い年の連中はもっとガキだぞ〜、練習したくないって泣き叫んでる1年生もいるんだぞ〜、と。
きっとそうなんだろうと思った。
「あんまりうれしくない。りいなちゃんと喋るのはうれしいけど、みんなと一緒が良かったっても思う」
「じゃあ私は君がもっと嬉しくなるようにしよう。おいしいものを一緒に食べて、どんどんスケートを上手になろう。うちのクラブはもうちょっとでヘッドコーチが変わるって噂があるし、新しい名港を一緒に盛り上げられるようになろう。主役は私達だ。そうやって考えると楽しくなってこない?」
「なってくる……かも」
親の言葉の裏を読もうと頑張ってたら、いつの間にか子供らしくないと言われるようになってしまった。
小学校の先生に言われてショックだったが、こうやって素敵な先輩と話ができるのは嬉しい。憧れの選手がいるクラブだから名港に入りたいと思ったのだが、こうして良い先輩と会えたのは、憧れを近くで見るよりも嬉しかった。
「じゃあどんどん食べてガンガン練習しよう。フィギュアスケートは複雑だけど単純だよ。決まった大会で勝てばいい。オリンピックに行ける。まあ、そこまで行けなくても失敗ってわけじゃないと思う。頑張っていけば自ずと、君の欲しいものは手に入ると思うな」
それは無責任にも聞こえる言葉で、楽観的すぎると失笑されるような内容。
でも、夢を語るのは自由だ。
本気で希望を持った話をするだけで、心はとても明るくなる。家にいるとドンヨリしていることが多いが、こうやって理依奈と喋ると明るくなれる。だからだろうか。最近の