岡崎いるかの生存戦略 作:戎韜
でもいるかちゃんの幼少期書きたい。原作に合わせていのりさん小学5からだと、この設定的にしっくり来ないから仕方ない。
氷の上で走ってはいけない。
スケートは滑って進むスポーツだ。
滑走しなきゃいけない。誰でも知っている当たり前のこと。しかし、言うは易し行うは難し。スムーズに滑走するためには、靴の
スケート靴の刃というのは、
そのエッジの使い方ははっきり言って難しい。
加速する際に乗せすぎる──エッジを傾けすぎるとバランスを崩すし、安定させようとエッジを立てると加速できない。
最短時間で最高速度までいけるような、ベストな重心を探す。それが、上手なフィギュアスケート選手になるために必要なことだ。
「飛ばしていますね……彼。あんなに小さいのに」
二度目のオリンピックを目指している青年、
名古屋にある邦和スケートリンク。練習ではなくコーチとの面談のために足を運んだのだが、思わぬ出会いがあった。リンクを覗きに来てみたら、小さな子供が見ていて怖いくらい飛ばしていた。小学校高学年の女子が先導しているらしく、ポニーテールの女子は心配するどころか煽っている。「もっといけるもっといけるガンガンいこうぜあははは!」と。
「あれな、
慎一郎は驚いてコーチを見た。
となりに立っている白髪の老人は、皺だらけの顔で得意げに笑う。
「いちねっ……本当ですか先生。てっきり身長が小さいだけで、3年生くらいかと」
「それ、本人には言わんといてあげてな。チビって言われるとショックらしいから」
多くの才能を見てきた彼によれば、あれはダイヤの原石だそうだ。
一緒に滑っている
普通はもっとばたばたした感じになるし、減速なして人を避けて滑り続けるのも難しい。スケートリンクは貸し切りでない限りは一般客がいる。ぶつからないように気をつけなければいけない。
「じゃあトリプルサルコウやるぞー!
「はーい!」
慎一郎は「ほう」と目を細めた。ダブルジャンプもできるのか。それに、
どこかを庇っている様子はないし、表情も含めて冴えている。振り上げた右足が一瞬、体に巻き付くようにしなる。体を締めてしっかり3回転。着氷からのステップもスムーズだ。
「トリプルサルコウ……以前より安定している」
「うむ。身体的な不安がなくなった途端にの。まあ、お前さんも知っての通り、あの子はフィジカル自体はあったからな。少し元気がなかった時もあったが、いい遊び相手ができたこともあって今は張り切りまくっておるよ」
今年はいけるんじゃないか、とコーチは続ける。
慎一郎は「なるほど」と頷いた。小学1年生を氷の上で煽るのはどうかと思うが、前向きにやれているならそれは何より。
二人ともこのまま元気に頑張って欲しいと思う。
あの子達が上の世界に来る頃には、自分は引退しているだろうから、その時は立場を変えて見守ろう。
「よっしゃ私の勝ちだ! おそいぞ! もっとスピード上げな! 私をぶっ倒してみろ! 次も負けたら外で100メートル100本だ!」
「りいなちゃんひどいよ! イジメだ! ──イジメだ!」
その通りだな。
慎一郎は少年に向かって頷いた。
楽しそうなのは何よりだが、あまり悪ノリしてはいけない。ガムシャラに加速しすぎて怪我してもいけないから、ここらで止めさせることにする。
「……先生。なぜ止めさせないのですか?」
「お前さんに任せた。たまには子供と触れ合って、その仏頂面をなんとかせえ」
「……む」
慎一郎のこれは仏頂面ではない。
元々そういう顔なのだ。喜怒哀楽があまり顔に出ないだけ。真顔でいることが多いだけだ。無理して笑うと怖いと言われるので、直すつもりはない。
「ほれ、行ってこんか。後輩にアドバイスのひとつでもしてやれ」
「わかりました」
「それから、あの子はスケートを始めたのは今年の3月だ。見込みあるだろう?」
「なるほど……」
それはたしかに原石だ。
レッスンの頻度やセンスによってばらつきはあるものの、半年以内に2回転ジャンプができたのなら間違いなく才能はある。加えて彼の場合、バランス感覚が良いのかエッジを深く倒しても転ばない。それができるからスピードが出せるのだが、あの歳ではなかなかできない技術だ。
というか、競技開始から4ヶ月程度。
それでガンガン飛ばせる小学1年生はそうそういないし、スピードに乗った状態で
(適当にステップを踏んでいるのか。大したものだな……)
慎一郎はリンクに入った直後、そのままフェンスに手を置いて立ち止まった。
追いかけっこが終わってしまったので、止めに行く必要がなくなったのである。どうしたものかと思い真顔で立っていると、
「やった! 慎一郎さんだ! 競走しよう!」
「ふ……いいでしょう」
挑まれた勝負から逃げてはいけない。
慎一郎は静かな笑みを浮かべた。全力で勝利したら大人気ないとバカにされた。コーチに。
7月1日、土曜日の昼前。
大須スケートリンクには普段とは違う空気が流れていた。練習に励む子供達はどこか集中し切れていない様子で、どこか浮き足立っているようにも見える。
氷に乗っている一般客はやや少なく、リンクサイドの一角には
私服の女性アナウンサーが選手にマイクを向けて、あれやこれやと質問している。テレビ局が取材に来ているのだ。
「今年の目標は、
「ちょ、ちゃっと実叶ちゃんっ」
結束
実叶はじつのところ、自分に才能があるとはあまり思っていない。しっかり成功できるのは2回転ジャンプで限界だと感じていて、それじゃずっと続けるのは無理なことも知っている。
隣でモジモジしている小学4年生、
だからきっと、そう遠くない将来、名古屋だけじゃなくて日本中から注目される選手になる。実叶にはそうなるという確信があった。実際にどうなるかは神様しかわからないけど、そうなって欲しいと願っていた。
「見てください! とっても可愛いんです! ほら、こんなに! お肌プルプルでおめめぱっちり! 次のフィギュアスケート界のアイドルです!」
「スケート関係ないっ……お、お願いですからやめてくださぁい……みかちゃん」
「なるほど! たしかにとても可愛いですし、お二人の仲の良さが伝わってきますね!」
「はい! ですから一面に使うんでしたら、どうか
「ご、ごめんね実叶ちゃん……これ、新聞の記事にはならないんだ」
アナウンサーの女性は後ずさりながら、思わずといった様子で口調を崩す。実叶がハイテンションな笑顔で詰め寄ってきたからだ。お姫様みたいで定評のある
実叶の強い意志──何がなんでもスポットライトを当ててやろう! という想いと行動のせいで、恥ずかしくて死にそうになっている。
「そうですよね……あっ、アナウンサーのお仕事って楽しいですか? 働くって大変なことだって、よくお母さんが言ってます! どうしておねえさんはアナウンサーに?」
「えぇーっと……あれ、なにこれ逆質問?」
「み、実叶ちゃ〜ん……」
実叶は自分では緊張していないと思っていたが、傍から見たら大暴走であった。
可愛い友人であり後輩の
「あ、ああ……なにしてるのあの子……普通に答えなさいっ……普通にっ」
母、のぞみは両手で顔を覆っている。
顔は火が出そうなほど真っ赤である。
「えーっと……時間が限られているから、私のことは撮影が終わってからね? それでは、ここまでは順調に調整できているとのお話でしたが、今月の名港杯で新たなチャレンジなどはあるのでしょうか?」
「新しいことはないんですけど、3連続のコンビネーションの精度を高めていきたいと思っています!」
「なるほど。
実叶はやる気満々な顔で、アナウンサーの話を遮ってトークを続ける。
「
「実叶ちゃんっ! おねがい……おねがいですからもうやめて……もうやめてっ」
野次馬たちはざわつき、名港クラウンのコーチ達は頭を抱え、羞恥プレイに耐えきれなくなった茉莉花が泣き出す。
アナウンサーは
「素晴らしい友情ですね」と。
結局、映像は殆どがカットされることになり、実叶はお母さんに叱られた。
「もっと練習する! がんばる! うまくならないと、みかちゃんとけっこんできない! ……ぐすっ」
そして、岡崎いるか(7)は、大好きな人が取られるんじゃないかとビビりまくって、泣いた。もっと頑張らないと実叶がとられる。このままじゃ遊んで貰えなくなるかも。どうすればいいのかはわからないけど、とにかくめちゃくちゃ練習しよう。
「いるかちゃん!? なんで泣いてるの!? いるかちゃんダメだよ! 泣きながらジャンプしたら転んじゃうよっ!」
「みかちゃんのばか!」
「なんで怒ってるの!?」
いるかに可愛さはない。茉莉花ちゃんみたいになれる可能性はゼロなので、スケートで認めてもらうしかない。だからガンバる……ガンバる……。どんなに転んでも頑張ろうと思った。
みかちゃんに捨てられたら死んでしまう。
お母さんから『ぶす』とか『いるかって海のブタっていみだから』とか言われても、笑えているのは実叶との時間が楽しいからだ。それがなくなるくらいなら、世界が滅んだ方がマシ。いるかは、それくらい実叶にどっぷりと懐いていた。依存とも言う。