草原を歩く、一人の少年と少女。
片や、肩で荒く息をしながら今にも倒れそうな半死半生の僕。
片や、鼻歌交じりに草むらを進む、軽やかな足取りのユイ。
慣れない草むらの上を肩で息をしながら歩く僕とは対照的に、ユイは涼しい顔のまま、先へ先へと進んでいく……。
「見えてきましたよ!ほら、あそこです!」
「ぜぇ……ぜぇ……」
明るいユイの声に釣られるように、僕は息を切らしながら顔を上げる。
その指差した草原を抜けた先……そこには小さな村が見えた。
や、やっと着いた……。
「すぐそこですよ」とにこやかに言われて歩き始めてから、かれこれ一時間程だろうか。
まさか、“田舎の人の言うちょっとそこまで”くらい信用ならない“すぐそこ”だったとは思わなかった……。
インドア派の僕にとって、整地もされていない草木生い茂る道なき道を歩くのは、なかなかにハードだ。
しかも、このゲーム。疲労感まで妙にリアルに再現されているときた。
泥濘んだ地面が、足に絡まる草が、一歩踏み出す度に容赦なく僕の体力を奪っていく。
モヤシっ子の僕が耐えられるはずもなく、途中でへたり込んでいてもおかしくない。
――の、筈なんだけど……。
……僕の身体や体力をリアルに再現してる割には、なかなか頑張れてるんじゃないか?
自慢じゃないけど、現実の軟弱な僕なら絶対に村に辿り着く前に力尽きてる自信がある。
こういう所は、やっぱりゲームってことなのかな?
マナ酔い……だっけ?あの熱っぽさも、いつの間にか治まっている。
それどころか、あれから妙に身体が軽いというか、力が有り余っているような感覚すらあった。
……まあ、それでもこの有り様なんだけど。
自分の軟弱さに苦笑していると、ユイの明るい声に思考が引き戻した。
「ソラ君!着きましたよ!」
「……!」
村の入り口へ足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる光景に「うわぁ……!」と感嘆の声が漏らす。
石造りの家々が立ち並び、陽の光に照らされて温かみのある色合いの赤や茶色の瓦屋根たち。
村を流れる小川では水車がゆっくりと回り、丘の上では白い帆の風車が風を受けて静かに羽を回している。
その風車の傍に広がる牧場では、牛や羊たちがのんびりと草を食べ、時折のどかな鳴き声が風に乗って聞こえてきた。
洗濯物を干している女性。
荷車を引く男性。
楽しそうに駆け回る子供たちの笑い声。
煙突から立ち上る白い煙と、どこからか漂ってくる焼きたてのパンの香り。
村全体を包み込む温かで穏やかな空気。
まるで、中世ヨーロッパの街並みをそのまま切り取ってきたみたいだった。
「ようこそ!放浪の地《ノメノス》へ!」
ユイがくるりとこちらを振り返り、両手を広げながら誇らしげに笑う。
ふわりと髪を揺らし、ムフン!と胸を張って自慢げにしているその姿は、とても可愛らしかった。
「小さい村ですけど、とっても優しい人たちばかりなんですよ!きっとソラ君も、すぐに馴染めると思います!」
「ノメノス……」
その言葉に、僕はもう一度村を見渡した。
石造りの家々。
風車と水車。
行き交う人々の笑顔。
どこを見ても、絵本の中みたいに美しく、穏やかな光景だった。
ありきたりな言葉だけど、まるで絵本の中に迷い込んだみたいだ……って、迷い込んだのはゲームの中なんだけど。
「はぁ~……すごいなぁ。本当に、本物みたいだ…」
思わず漏れた呟き。
けれど……。
吹き抜ける風の感触も。
地面を踏みしめる感覚も。
耳に届く人々の笑い声も。
そして……。
僕はそっと頬へ指を触れた。
ゴブリンに斬りつけられた傷の痛みも……。
何もかもが、妙にリアルすぎた。
本当に……ここ、ゲームの中なのか?
胸の奥に、小さな違和感が残る。
すると、ユイが不思議そうに僕の顔を覗き込んできた。
「ソラ君?どうかしましたか?」
「あ……ううん、何でもない」
慌てて首を振り、取り繕うように笑う。
――って、なに馬鹿な事考えてるんだか。ゲームに決まってるじゃないか。
「ただ……すごく、いい村だなって思って」
そう言うと、ユイは嬉しそうに目を細めた。
「でしょ?自慢の村なんです!」
そう言って、彼女はまた楽しそうに歩き出す。
その背中を追いかけながら――僕はまだ、この世界の何とも言えぬ拭い切れない違和感に答えを出せずにいた。
Connect:05「放浪の→地《ノメノス》」
村に到着し、村の中を歩き始めてすぐ、僕はユイが村人たちに親しまれているのだと実感することになる。
「あらユイちゃん! さっきは慌てた様子だったけど、どうしたんだい?」
「おう、このお転婆娘!元気に走り回って、大きくなっても変わんねぇな!」
「おうユイちゃん! 隣の坊主はユイちゃんの彼氏か何かかい?」
「あはは……何でもないから気にしないでください」
「お、お転婆じゃないですもん!あれには理由があるんですから!」
「もう!この人はそんなのじゃないですよ!」
すれ違うたび、村の人たちは気さくにユイへ声をかけてくる。
ユイもまた、その一人一人に笑顔で手を振り返していた。
そんなやり取りを少し後ろから眺めながら、僕はユイの陰に隠れるように「ど、どうも……」と軽く頭を下げる。
挙動不審な上に突然現れた見知らぬ僕にも、村人たちは気にした様子もなく、どこか親しげな笑みを向けてくれていた。
「に、人気者なんだね……」
「はい! みんな良い人たちですから!」
村の人たちの勢いに気圧されながらそう言うと、ユイは嬉しそうに頷く。
「それにしたって、僕みたいなよそ者に無警戒すぎる気もするけど……」
辺境の村って、もっと閉鎖的で、よそ者には冷たいイメージがあったけど、この村はむしろ逆だった。
突然現れた僕のことさえ、温かく受け入れてくれているように感じる。
決して裕福そうな村ではない。家々には年季が入り、どこか古びた雰囲気もある。それでも、村人たちの笑顔と穏やかな空気が、そんなことを気にならなくさせていた。
……まあ、そういう“設定”だと言われれば、それまでなんだけど。
「ああ、それはですね――」
「おお、ユイ!やっと戻ってきたか!」
ユイが何かを言いかけた瞬間、野太い声が割って入った。
僕とユイは声のした方へ視線を向けると――。
ノッシノッシと音が聞こえてきそうな足取りで、小柄ながらもがっしりとした体格のお爺さんがこちらへ歩いてきた。
「ヴァンお爺ちゃん!さっきはごめんなさい!」
「あのなぁ。年寄りにあんな重たいもん急に持たせんじゃねぇよ。腰が持ってかれるかと……あん?」
勢いよく頭を下げて謝るユイに、ヴァンお爺ちゃんと呼ばれた老人は呆れたようにため息をつく。
――が、その視線が僕を捉えた途端。ぎろり、と鋭い目がこちらを睨みつけてきた。
「……何だぁ?おめぇさんは?」
ここへ来て初めて向けられた怪しむような視線に、僕の肩がびくりと跳ねる。
「あ……えっとぉ……」
言葉に詰まる僕を庇うように、ユイが慌てて割って入った。
「この人はソラ君です!村の外でゴブリンに襲われてて……その、危なかったところを私が助けたんです!」
ユイはそう説明すると、今度は僕へ向き直った。
そして、ババーン!という効果音でも鳴りそうな勢いで、ヴァン爺さんへ向かって両手を広げる。
「ソラ君、この人は鍛冶屋のヴァンお爺ちゃん。村一番の鍛冶師なんですよ!」
「なぁにが村一番だ。鍛冶師はワシひとりしかおらんだろうに」
そう言いながらも、ヴァン爺さんはどこか照れくさそうに、火に焼かれて縮れた髭を撫でる。
鍛冶場の熱で赤く焼けた大きな鼻。
顔の半分を覆うほどぼうぼうに生えた髭。
そして、僕よりも低い身長。
間違いない。このお爺さんは……。
「……ドワーフ?」
「だぁれがドワーフだ!あんな偏屈なチビ共と一緒にするなっ!ワシは正真正銘ヒューマンだ!!」
「ご、ごめんなさ~い!?」
“ドワーフ”という単語を聞いた瞬間、ヴァン爺さんはみるみる顔を真っ赤にし、耳がキーンとなるほどの大声で怒鳴った。
僕は思わず慌てて謝る。
横ではユイが「あはは……」と困ったように苦笑している。
「ったく……失礼な小僧だな」
「ははは!そんなこと言って、偏屈で頑固者なのはヴァン爺さんも変わらないじゃないか!」
「やっかましいわい!」
通りがかった村人に笑われ、ヴァン爺さんは顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
そんなヴァン爺さんの様子に、ユイもくすくすと口元を押さえ、笑いを堪えるように肩を震わせている。
「ふんっ!まあ良いわい。……それよりユイ、頼まれとった荷物なら鍛冶場に置いとるぞ。さっさと取りに来んかい」
ヴァン爺さんは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、重たい足音を響かせながら鍛冶場へ戻っていった。
先ほどまで笑っていたユイも、慌ててその背中を追いかける。
「あっ、は~い!今行きま~す!ほら、ソラ君も!」
「う、うん!」
僕も慌ててその後に続いた。
鍛冶場に入った瞬間、肌を焼くような熱気が押し寄せてきた。
薄暗い鍛冶場の中を、炉で燃え盛る炎がゆらゆらと赤く照らしている。
炉の中では、マグマのように真っ赤に熱された鉄が赤々と輝いていた。
「おぉ……鍛冶屋さんって感じだ」
「そりゃあ鍛冶屋なんだから当たり前だろうが」
物珍しさに目を輝かせながら、僕はそわそわと落ち着かない様子で鍛冶場を見回す。
そんな僕に、ヴァン爺さんは何を言ってるんだと呆れたようにため息をついた。
そんな僕たちを他所に、ユイも鍛冶場の中をきょろきょろと見回していた。
何かを探しているのだろうか。
「あっ、あった」
目的の物を見つけたのか、ユイはトテトテと小走りで部屋の隅へ向かう。
どうやら探していたのは、部屋の隅に置いてあった、大量の荷物が詰め込まれたバスケットらしい。
ユイはその中をごそごそと漁り、小瓶を二つ取り出してヴァン爺さんへ差し出した。
「はい、頼まれてた湿布薬とやけど薬です」
「おう、ありがとさん。礼に薪を六束ほど持って行きな」
そう言って、ヴァン爺さんは部屋の隅にどっさりと積まれていた薪を親指でぐいっと示す。
「あ、あはは……ええっと、今は荷物がいっぱいでして。また今度取りに来ますね」
「何言ってんだ。手ならここにあるだろうが」
そう言って、ヴァン爺さんは僕の方を顎でしゃくる。
「え゛っ?」
あれを?僕が持つの?明らかに僕の体重の半分以上はありそうなんだけど……。
「どうせ教会でこの坊主預かるんだろ?この村にゃ宿なんてないし、それに……」
チラリと僕を見て小さく溜め息を吐いた。
「金も持って無さそうだしな」
「う゛……」
図星すぎて、何も言い返せない。
ヴァン爺さんは改めて僕をじろじろと眺め回す。
「……ふん。けったいな格好しやがって。おめぇさん、どこから来やがったんだ?」
「え、えっと、それは……うわぁ!?
突然ぐいっと腕を掴まれ、僕は思わず情けない声を上げる。
そんな僕を無視してヴァン爺さんはそのまま、値踏みするように僕の制服をじろじろと眺め回した。
「汚れちゃいるが、上等な生地してやがる。かと言って、貴族サマの服でもねぇ」
ごわごわした指が、制服の袖を摘まむ。
「じゃあ野盗かって言やぁ、それも考えづれぇ。何も装備無しで村の外を歩くような間抜けが、野盗な訳ねぇわな」
「ぼ、僕は――うひぃ!?」
今度は強引に手を掴まれ、思わず悲鳴が漏れる。
ヴァン爺さんは僕の手をまじまじと見つめ、ふんっと鼻を鳴らした。
「そもそもこの手……仕事を知らねぇ手だ。こんな綺麗な手ぇ、赤ん坊くれぇしかしてねぇぞ」
「あ、赤ん坊……」
そう言われ、僕は思わず自分の手へ視線を落とす。
ヴァン爺さんのごつごつした大きな手に握られると、それに比べて自分の手は余計に小さく、頼りなく見えてしまった。
「こんなひょろっひょろの野盗がいたら、村のガキんちょ共でもぶっ倒せらぁな」
そう吐き捨てると、ヴァン爺さんはぽいっと僕の手を放した。
「ふんっ……まあいい」
ヴァン爺さんはズンズンと重たい足音を響かせながら部屋の隅へ向かうと、積まれていた薪をひょいと持ち上げ、そのままこちらへ戻ってきた。
「ほらよ」
次の瞬間、薪の束が強引に僕へ押し付けられる。
――ズンッ!
「んんっ!?」
急に掛かった重みに腕を持っていかれそうになり、僕は前のめりになりながらも必死に踏ん張った。
「お、重っ!?」
ぷるぷると足が震える。
「おいおい、なっさけねぇなぁ」
ヴァン爺さんは呆れたように、やれやれと頭を振った。
「はぁ~……薪持つだけでこのザマじゃあ、悪さなんて出来ねぇか……」
そう呟くと、ヴァン爺さんはふっと鼻を鳴らす。
「その坊主もどうせ訳ありなんだろ?この村で素性なんて、いちいち気にしてたらキリがねぇや」
ヴァン爺さんはボリボリと頭を掻きながら、それ以上追及することなく鍛冶場の奥へと引っ込んでいった……。
その背中を見送りながら、ユイがくすりと笑う。
「ふふふ、優しいでしょ?ヴァンお爺ちゃん。あんなこと言ってますけど、ソラ君のこと気にかけてくれてるんですよ?」
「そんなんじゃねえ!!」
すぐさま鍛冶場の奥から怒声が飛んできた。
「きゃ~~~♪」
ユイは楽しそうに笑いながら鍛冶場の外へ駆け出す。
「お、お邪魔しました~!!」
僕も慌てて頭を下げ、その後を追うように鍛冶場を後にした。
ヴァン爺さんの鍛冶場を後にしたあとも、ユイには最後にもう一件お使いが残っているらしく、僕たちは村の道を歩いていた。
ユイは、見るからに重そうな野菜や荷物がぎっしり詰め込まれたバスケットを涼しい顔で抱えている。
対する僕は、両腕に薪の束をぶら下げ、その重さにふらつきながら必死に後を追いかけていた。
そんな道中、僕は先程から気になっていたことを口にする。
「ぜぇ……ぜぇ……あ、あのさ……」
「はい?」
先を歩いていたユイが振り返り、小さく首を傾げた。
「さっき、ヴァンお爺さんが言ってたよね。“この村で素性なんて、いちいち気にしてたらキリがない”って。あれ、どういう意味なの?」
「ああ、そう言えば。さっき説明しそびれてましたね」
ユイもまたヴァン爺さんに遮られて、ちゃんと説明できていなかったのを思い出したらしい。
「それは、この村が“ノメノス”だからです」
いや、だからそれを説明して欲しいんだけど……。
僕がそう心の中でツッコむと、まるで僕の心の内を見透かしたかのように、ユイは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと村を見渡した。
「口減らしのために故郷を追われた人。戦火で故郷を焼かれた人。訳あってもう故郷では生きていけなくなった人……」
ユイは少し寂しそうに目を伏せる。
「様々な事情を抱えた人たちが流れ着き、身を寄せ合って暮らしている土地――それが放浪の地《ノメノス》”なんです」
だから、見るからに怪しい僕なんかでも、みんな温かく迎え入れてくれていたのか……。
よく出来た設定だ。頭の中ではそう思いながらも、僕はそれを口に出す気にはなれなかった。
これはゲームだ。そう理解しているはずなのに。それでも、村の人たちの……ユイの笑顔や温もりを、どうしても作りものだと、やはり頭のどこかで思いたくなかったから……。
現実逃避だって言うのは分かってる。
現実では向けられることは無かった、人の優しさが、温かさが――。
あまりにも、心地よすぎたから……。
「……ソラ君?」
不意に名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。
気づけば、僕の顔を覗き込むユイの顔がすぐ目の前にあった。
心臓が飛び出しそうなほど驚き、僕は思わず後ずさる。
「うわあっ!?……ど、どどどどうしたの!?」
「どうしたのって……」
驚く僕に、ユイはきょとんとした顔をする。
「……もう着きましたよ?」
そう言って、目的地の酒場を指差した。
「グスタさん!こんにちは~!」
元気な声を弾ませながら、ユイはバァーン!と勢いよくスイングドアを押し開け、酒場の中へと入っていく。
すると、カウンターの奥でグラスを拭いていた、大人な雰囲気を纏った褐色肌の大男が、入ってきたユイたちへとゆっくりと顔を上げ、歓迎する。
「やあ、ユイちゃん。新入り君と一緒にお使いかい?」
彼は穏やかな笑みを浮かべ、低く響く声で言った。
静かだが、よく通る声。大人の余裕のような、安心感のある響きだった。
……なんか、カッコいいなぁ。
ダンディーって言葉が、よく似合う人だ。
「わあ!どうして知ってるんですか!?」
「ふふ、ここは酒場だからね。この村の情報はここに集まるのさ」
感心したように目を丸くするユイに、グスタと呼ばれた男はイタズラっぽく笑いウインクを返す。
う~ん、何をしても様になる。いかにも“大人の男”って感じだ。
「ソラ君、この人はこの酒場の店主、グスタさんです」
「ソ、ソラです。よろしくお願いします」
「グスタだ。ようこそ、ソラ君。我らが村の唯一の憩いの場へ」
僕はぺこりと頭を下げると、グスタさんはにっと笑い、大きな手でがっしりと僕の手を握った。
……本当に大きな手だ。
僕の手なんて、ごつごつとしたその手にすっぽりと収まってしまうくらいだ。
「ここでは食事はもちろんですけど、都で言うところの冒険者ギルドみたいなこともやってるんですよ」
冒険者ギルド!?
その響きに、思わずピクリと反応してしまう。
「そんな立派なもんじゃないがね。あとはそうだな……ああ、月に一回、この村に来る商人に部屋を貸してるくらいかな」
「宿屋ではないんですか?」
「こんな辺境の村に人なんてそうそう来ないからね。いつ来るかも分からない客のために部屋を維持するのは手間なのさ」
この村には宿が無いって言ってたけど、そんなにも外から人が来ないのか……。
……いや、そんなことよりも気になることがある。
「でも、冒険者ギルドもやってるんですよね?」
そう、冒険者ギルド!
なんて心惹かれる響きだろう!ファンタジーの定番じゃないか!
それなら、もちろん“あれ”もあるはずだ。ギルドといえば定番の……!
「真似事みたいなものさ。ほら、あそこにクエストボードがあるだろう?」
そう言って、グスタさんはクイッと親指で壁際に掛けられた大きめのボードを示した。
依頼書を掲示するためのボードだ!
「み、見てもいいですか!?」
「うん?別に構わないが、別に面白いものなんてないぞ?それに――」
グスタさんが言い終わる前に、僕はもう駆け出していた。
酒場の奥にある大きな掲示板の前まで来て、ぐっと見上げる。
胸を高鳴らせながら視線を向けると、そこには依頼書がびっしりと貼られたボードが広がっていた。
「うわぁ~~!……あれ?」
目を輝かせてクエストボードを眺めていると、貼られている内容を見た瞬間、期待に満ちていた表情がピタリと止まる。
『定期村内大掃除のお知らせ』
『家畜の世話、ちょっと手を貸してくれると助かります』
『井戸の清掃 日程変更のお知らせ』
『迷子のニワトリを探しています』
『柵の修理 手伝ってくれる人求む』
『川辺のゴミ拾い協力のお願い』
それ以外にも、とても依頼とは言えない内容がずらりと並んでいた。
クエストボードというより、これじゃあ町内会の掲示板だ。
「最初はちゃんと依頼書を貼ってたんだけどね。こんなところにまで冒険者なんて来ないし、そもそもこの村は厄介事とは無縁だからさ。気づけば掲示板代わりになってたんだよ」
モンスターとの死闘。
未踏のダンジョンへの挑戦。
苦労の末に手に入れる、眩い宝――。
そんなファンタジーのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく……。
「あははは、たまに来る冒険者もそれを見て、君みたいな顔をするよ」
がくりと肩を落とす僕に、酒場の奥のカウンター席から、愉快そうな笑い声が飛んできた。
僕はその声の方へ振り向く。
そこには、一人で酒をあおっている男の姿があった。
「ダンさん。来てたんですね」
「ああ、今日はどうも動物たちがざわついててね。無駄に警戒してて、狩りなんて出来やしないからお休みさ」
やれやれ、困ったもんだ。とダンと呼ばれた男は苦笑しながらコップに注がれた酒を飲み干す。
「ソラ君。この人は狩人のダンさん。狩りはもちろん、森の見回りなんかもしてくれてるんですよ」
「ソラです。よろしくお願いします」
「やあ、よろしく」
片手を上げて軽く挨拶をするダンさん。
なんというか……くたびれた中年サラリーマンみたいな雰囲気の人だな、と思った。
「こちらはソラ君。記憶をなくして村の外を彷徨っていたところをゴブリンに襲われて、そこを私が助けたんです」
ユイは今度は、僕が記憶喪失であることを隠さずに明かした。さっきヴァン爺さんに素性を疑われたから、あえてそうしたんだと思う。
「……記憶」
「喪失……?」
その言葉に、ダンさんと、カウンターでグラスを拭いていたグスタさんの手が止まる。
二人は同時にこちらを見た。
「ふぅ~ん、記憶喪失……ね」
「あ、あのぉ……?」
ダンさんは、頭の先からつま先まで値踏みするように、まじまじと僕を見つめる。
その視線に居心地の悪さを覚えていると、気づいたのか、ダンさんは苦笑しながら肩をすくめた。
「いや、悪いね。一応ボクも村の自警団の一人だからさ。職業病ってやつだよ」
「よく言う。こんな真昼間から飲んでる奴の台詞か」
グスタさんに呆れられ、ダンさんは「たはは……」と苦笑して誤魔化した。
「ダンさんはこんなのでも、元冒険者なんですよ」
「こんなのって……ユイちゃん、ひどいなぁ」
ダンさんは肩をすくめながら苦笑し、そのやり取りに思わず僕は身を乗り出した。
「冒険者って……本当ですか!?」
「え?あ、うん。本当だけど……冒険者に興味あるのかい?」
「はい!」
僕がキラキラとした尊敬の眼差しを向けると、ダンさんは頬を掻きながら困ったように笑った。
(まるで、村の外を知らないまま冒険に憧れる子どもみたいだなぁ……どうしたもんかねぇ)
ダンさんは視線を泳がせ、何やら考え込んでいるようだった。
(辺境の村の子供が冒険者に憧れるのは、良くあることなんだけどね……)
「やっぱり冒険者って、ダンジョンに潜ったりするんですか!?」
「あははは……まぁ、そうだねぁ……」
言葉を濁すダンさん。
だけど、僕はそんなことは気にも留めず、冒険者の話に夢中になってぐいぐいとダンさんに詰め寄ろうとする。
――そのときだった。
「あ、そうだ!ダンさん、さっきの話なんですけど――」
ユイが割って入ってきた。
「(た、助かった……)えっ?ああ、さっきの話だね……さっきって?」
「もう!ソラさんがゴブリンに襲われてたって話です!」
ユイは頬をふくらませてぷんぷんと怒るが、すぐに表情を引き締めた。
「ソラさんが襲われてたのは……森の外だったんです。それも、森からかなり離れた場所でした」
それを聞いた途端、先程までの気だるそうな表情が消え、ダンさんの目つきが鋭くなる。
「……ゴブリンが森の外に?それは本当かい?」
「はい。間違いありません」
「ソラ君が不用意に森に入ってゴブリン達を刺激したから、とかじゃなくて?」
ユイがちらりとこちらを見て、「そうなんですか?」と目で問いかけてくる。
僕はぶんぶんと首を激しく振って否定した。
「縄張り意識が強いゴブリンが森の外に……か」
そう低く呟くと、顎に手を当てたまま、何かを思案するように黙り込んでしまう。
さっきまで真昼間から酒を飲んでダラダラしていたおっさんとは思えないほど、今のダンさんは張り詰めた弓のように、ピリピリとした緊張感を漂わせていた。
漂う空気が一変したのを感じて、僕は思わずごくりと喉を鳴らす。
「野生動物もモンスターも、縄張りを移動するのはリスクが伴う。ゴブリンはモンスターではなく亜人に分類されちゃいるが、その性質はモンスターに近い。非力で知能の高いゴブリンは、こちらから刺激でもしない限り、自ら襲ってくることはまずないはずだ」
「えっと……つまり、ゴブリンが縄張りから出なきゃいけない何かが、森で起こってるってことですか?」
恐る恐るそう口にすると、ダンさんはにやりと笑って頷いてみせた。
「おっ、正解だ。ただ目先の問題はゴブリンだ。ゴブリンは執念深い。仲間が殺されたと分かったら、報復として群れでこぞって襲ってくるだろうね」
「あ……」
それを聞いた瞬間、僕はさっと血の気が引いた。
ゴブリンを殺してしまったのは、僕が襲われていたからだ。
僕があんな場所にいなければ、興奮してゴブリンを刺激しなければ、そもそも襲われることもなかったのかもしれない……。
「まぁ起こってしまったことは仕方がないさ。今はこれからのことを考えないとな」
気落ちした僕を気にかけてくれたのか、グスタさんがそう声をかけてくれた。
ほんの少しだけど、気が楽になった気がした。
「とりあえず、俺はこれから村長にこのことを伝えてくる。村のみんなで対策を立てないといけないしな」
「じゃあ、ボクのほうは自警団の夜の見回りを増やさないといけないね。やれやれ、しばらく酒は飲めそうにないや」
「ならまず、その手に持ってるコップを置け」
「……あれ?」
とぼけるダンさんに、グスタさんは深いため息を吐きながら眉間を押さえる。
「……ぷっ」
「ふふふっ」
そのやり取りに、僕は思わず吹き出してしまった。
それにつられるようにユイも笑みをこぼし、次にダンさん、そしてグスタさんと笑みが広がっていく。張り詰めていた酒場の空気が、ふっと和らいでいった。
話がひと段落ついたところで、ユイが何かを思い出したようにパンと手を叩く。
「……っと、そろそろ帰らないと。グスタさん、これ。補充の常備薬です」
「ああ、いつもありがとな。お礼にこれだ」
グスタさんはカウンターの裏から酒瓶を二本取り出し、ユイの前にドンと置いた。
「白ワインだ。今日、シチューなんだろう?」
「あはは、正解です……それもご自慢の情報網からですか?」
「これは洞察力ってやつだな。バスケットの中身を見れば大体のメニューは察しはつく」
ふふんと笑いながら自慢げに語るグスタさんに、僕は「おぉ……」と素直に感嘆の声を漏らす。
「ソラ君は教会で世話になるのかい?」
「いえ、それは――」
「はい。うちの教会でお世話する予定です!」
僕が何か言うより早く、ユイがぴしゃりと答えてしまう。
「ははは、行く当てがないなら、うちで面倒を見てやろうかと思ったんだが……余計な世話だったようだな」
「い、いえ!? 僕なんかのために気を遣っていただいて、ありがとうございます!」
僕は慌てて手を振ったが、グスタさんは穏やかに微笑んだまま首を横に振った。
「“なんか”じゃないよ。もう君は、この村の一員なんだから」
「あ……」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
これはゲームだ。そう頭では分かっているはずなのに――。
現実ではいじめられ、ずっと一人ぼっちだった。
そんな僕に、出会ったばかりの人たちが「一員だ」と言ってくれる。
その言葉が、思っていた以上に胸に響いた。
「……ありがとうございます!」
声が少し震えてしまう。
ああ、駄目だ。目頭が熱くなるのを抑えきれない。
僕はそれを誤魔化すように、顔を見せないまま深く頭を下げた。
「……ふふっ、じゃあグスタさん。私たちはそろそろお暇しますね」
「ああ、オルド神父にもありがとうと伝えておいてくれ」
「はい!ほら、ソラ君も行きましょう」
「っ!う、うん!」
ユイに促され、床に置いていた薪を持ち直す。
う゛っ……やっぱり重いなぁ……。
若干ふらつきながらも薪を抱え、出口へ向かうユイの後を追う。
――そのとき。
「あ~……ユイちゃん」
「はい?」
酒場を出ようとしたところで、ユイがダンさんに呼び止められて振り返る。
「似た境遇だからって、あまり肩入れしすぎるのは感心しないよ?」
……え?
何やら意味深な言葉に、僕は思わずユイの顔を見る。
すると、ユイの表情がわずかに強張ったのが分かった。
「……そんなんじゃないです。ただ、困ってる人を見過ごせないだけです。私がこの村の人たちにしてもらったみたいに」
ユイはダンさんの目を真っ直ぐ見つめながら、はっきりと言い切った。
「「………」」
じっと二人の視線が交差する。
しばらくの沈黙のあと……ダンさんがにへらと笑みを浮かべた。
「そっか。余計なお世話だったね」
ダンさんはひらひらと手を振る。
僕たちはそれに見送られながら、酒場を後にした。
ソラたちが酒場を去ったあと、店内にはダンとグスタの二人だけが残り、しばらく重たい沈黙が流れていた。
カラン――。
グラスの中で溶けかけた氷が音を立てる。
それを合図にしたかのように、グラスを拭いていた手を止めグスタが口を開いた。
「……おい、さっきのはやり過ぎだぞ」
じろりと責めるような視線を向けられ、ダンはへらへらと笑いながら肩をすくめる。
「いやぁ、ごめんごめん。職業柄つい疑っちゃうんだよ」
元冒険者の性なのか、ダンはソラという未知の存在を警戒しているようだった。
「俺には、彼が悪い奴には見えなかったがな」
「それについては僕も疑っちゃいないさ。あんな必死にバレバレの嘘をついてるんだから、あれで詐欺師だっていうなら逆に大したもんだよ」
誰が見ても明らかに怪しい挙動をしておきながら、それでも誤魔化せると思っている。
だからこそ逆に、悪意のある人間には見えなかった。
ダンが警戒しているのは、ソラ自身ではない。
――彼の背後にある“未知”だ。
「奇妙な服装に記憶喪失の子供、かぁ」
ダンはグラスの中で揺れる酒を眺めながら、どこか懐かしむように呟いた。
「………」
「なぁに、中年のおじさんの戯言だよ」
何も言わず見つめてくるグスタに、ダンは誤魔化すように笑う。
そうして、グラスに残った酒を一気に飲み干した。
茜色に染まる坂道を、二人で歩く。
酒場を出てからというもの、重たい空気が二人の間に流れていた。
その沈黙に耐えきれなくなって、僕は思い切って口を開く。
「……さっきの、どういうこと?」
ユイは僕の問いに、ぴたりと足を止めた。
そして少しの間を置くと、小さく呟く。
「私も……同じですから」
「え?」
ユイは少しだけ視線を落とし、静かに続けた。
「私も、ないんです。記憶が」
「……っ!」
「目が覚めたら村の外にいて、何も分からないまま彷徨っていたところを、この村の人たちに拾われたんです。ユイって名前も、本当に自分の名前なのか確証はなくて」
そこまで話すと、ユイはどこか照れくさそうに小さく笑った。
「だから、私も同じなんですよ」
「……そっか」
その笑顔を見て、胸の奥がズキリと痛む。
僕はその場しのぎのために嘘をついた。自分は記憶喪失だと。
だけどユイは違う。彼女は、本当に記憶喪失で苦しんでいた。
なのに、僕は――。
そこまで考えて、僕は唇を噛む。
「ごめ――」
――たかがゲームでしょ?
「っ!?」
口にしかけた謝罪の言葉が、喉の奥でぴたりと止まる。
……それは、間違いなく僕自身の本音でもあった。そして、その言葉を否定できない自分がいる。
だってここは、所詮ゲームの世界なのだから……。
優しくされれば「ゲームじゃなければいいのに」と願って。都合が悪くなれば「これはゲームだ」と言い訳をする。僕は、どれだけずるい人間なんだ……。
「? 何か言いましたか?」
「……ううん、何でもないよ」
「そうですか。もう陽も暮れますし、早く教会に行きましょうか」
ユイはそう言って歩き出す。
僕はそれ以上何も言えず、ただ黙って彼女の後ろを歩くのだった……。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。金髪のグゥレイトゥ!です。
1話5000文字とか言っておきながら早速それを破っております。
本来ならまだ続く予定でしたがそれをやると更に長くなり区切りも中途半端なのでここで区切ります