夜空に浮かぶ月が優しく廊下を照らしている。
窓際に立つ少女は空に浮かぶ月を見つめていた。
まるで何かを語りかけてくるような月に、しかし少女は無表情でその紅い瞳を向けていた。
月光浴をしながらも、彼女が楽しんでいるようには見えない。
廊下で一人、月を眺める少女は、とてもとても寂しそうに見えた。
「ここに居られましたか妹様」
静寂な廊下に突然響いた声。
窓際で佇む少女、吸血鬼のフランドール・スカーレットはその声に振り返ることなく、月に視線を向けたままであった。
「お食事の準備が整っております」
名残惜しそうに月を眺めるのを止めたフランドールが振り返る。
その視線の先に佇むのは紅魔館のメイド、十六夜咲夜であった。
「お嬢様が食堂でお待ちです」
「余計なことを」
初めてフランドールが言葉を返す。
酷く煩わしそうに、咲夜に視線を向ける。
「食事はいつものように部屋でとるわ」
「よろしいのですか?」
「いまさら確認することでもないでしょ」
「…失礼しました」
歩き去るフランドールの背にお辞儀をもって見送る咲夜。
静寂な廊下に、彼女の足跡だけが響き渡ったのだった。
食堂で一人、フランドールを待つ少女は目を閉じて彼女の訪れをじっと待っていた。
しかし四回のノックの後、ゆっくりと開かれたドアへと目を開けてその姿を確認すれば、瞳に捉えたのは己の従者である、十六夜咲夜ただ一人だけだった。
「お嬢様、申し訳ございません」
「別にいいわ」
さしてその結果に興味を示さず、お嬢様と呼ばれた少女、フランドールの姉、レミリア・スカーレットは言葉を続けた。
「食事の用意を」
「かしこまりました」
言葉の後にレミリアの隣に立った咲夜の手には、いつの間にかグラスが置かれたトレーが姿があった。
「食前酒です」
食前酒の説明を終え、咲夜はゆっくりと彼女の後ろに控える。
静かで広々とした食堂の、長く大きなテーブルに一人で向かい合う主の背中。
咲夜はそれをじっと眺めた後、誰にも気づかれないようにほんの少しばかり長く瞳を閉じたのだった。
「失礼します」
「…どうぞ」
三回のノックの後で、咲夜は地下のフランドールの部屋へと入室した。
「相変わらず、一つ少ないのね」
入室した咲夜に、ベッドに腰を落ち着かせていたフランドールが声をかける。
「せめてもの抵抗です」
「あの時の子供が、こんなにも生意気に育っちゃうなんて」
嘆かわしいと天井を仰ぐフランドール。
それに咲夜は笑顔を浮かべて答える。
「ご心配なさらずともフランドール様にだけですよ」
「へぇ、相変わらずいい度胸してるじゃないか」
目を細めるフランドールの周囲に禍々しい殺意の波動が漂う。
しかしそれを意に介さず、咲夜は彼女の隣に腰をおろすと、手に持っていたクマのぬいぐるみを彼女の前へと差し出した。
ぬいぐるみを突然差し出された彼女は戯れに放っていた殺意を解き、深く溜め息を吐いた。
「レミリアお嬢様からです」
「アイツから?」
「フランドール様が新しいものが欲しいと仰っていたのを耳にされ、ご用意して下さいました」
「用意したのは咲夜でしょ?」
「じつはこのぬいぐるみのブランドはシュタイフと言いまして…」
「答えなさいよ」
「ですが、お嬢様からの贈り物であることは間違いありません」
花が咲いたように咲夜が笑顔を向けると、気圧されたように体を反らせて、フランドールが小さく呻いた。
「後でお出かけになると仰っておりました」
「……いいわよ」
「今晩は月明かりの良い夜です」
「行かないからね」
「お暇じゃないですか?」
「別に……咲夜がいるし」
赤ら顔を見られたくないとそっぽを向くフランドール。
そんな彼女に優しく笑みを送ると、咲夜は彼女の手を取った。
「お嬢様もいます。パチュリー様や美鈴だって。その気になれば…」
「その気になんてならないわ」
咲夜の言葉を遮って、フランドールは苦しそうな瞳を彼女へと向けた。
「私は今のままがいいのよ。 今のままでいい」
「それは、無理ですよ……」
弱々しく語るフランドールに、咲夜は悲しそうに呟いた。
いつか訪れる別れを想う。
子供の頃、フランドールと触れ合って、私はあなたの真実を知った。
誰にも語らぬある信念を胸に宿した少女。
それはとても強く、気高いものだった。
孤独を胸にこの館で気の遠くなる長きを過ごしたあなたの思いを知った時。
私は流れる涙を止めることが出来なかった。
それまで気丈に一人で貫いてきた少女に、十六夜咲夜という理解者が寄り添ったその日。
それは今考えれば罪深き行いだったのだろう。
何も知られず孤独を貫いていれば、あなたがこんなに苦しそうな瞳を向けてくることはなかったのだから。
だけれど、私はそれでも、私の行いは間違っていなかったと信じている。
フランドールの家族になりたかった。
支えたかったのだ、この誰よりも気高い心を持つ少女を。
今のままでいい、と目の前のあなたは言ってくれる。
私の驕りでなければ、あなたは私を家族と思ってくれているだろう。
それが本当に嬉しかった。
でも、同時にとても悲しかった。
だって今、その想いを知るのは私だけだったから。
いつか死ぬ私が居なくなった後、あなたはまた一人、孤独の中で生きていくのだろうか。
その気高き思いを誰にも理解されないままで、また一人だけで月を眺めるのだろうか。
それは嫌だ。
なんて自分勝手な思いだろう。
あなたをこんな思いにさせた張本人は私だというのに。
「それでも」
いつかきっと変えてみせる。
あなたがその真実を打ち明け、私が去ったあとにも愛する家族があなたを支えてくれるように。
きっとその時が来ると信じている。
だってフランドール、あなたが誰よりも、紅魔館を、レミリアお嬢様を愛してくれているのだから。
「きっとその時は来ますよ」
「別に、咲夜がいればいいって言ったじゃない」
「そんな事はありません。レミリアお嬢様だって気にかけて居られます」
「私の事忘れてなかったっけ?」
「そ、それはきっと言葉の綾というやつですよ。きっと本当はフランドール様とラブラブしたいはずです!」
「なによラブラブって…」
馬鹿じゃないの、と苦笑をするあなたの顔はとても可愛らしい。
その顔をレミリアお嬢様にも見せてくれればいいのに。
いつかあなたとお嬢様が一緒に食事を取る光景を思い浮かべる。
それはきっととても騒がしく楽しい食事となるだろう。
そんな日が来れば、あなたも今のままでなんて言えないはずですよ。
その為にも頑張りましょう。
いつか訪れるHappy ENDを目指して。
「やる気マンゴスチンです!」
「キャラが壊れてるわよ、咲夜」
「一度、お嬢様をお見送りしてきます」
フランドールに一度お辞儀をして、咲夜は部屋の扉に手をかけた。
「次は退屈させないおもちゃでも持ってきて」
その背中にフランドールが声をかけた。
腕の中で抱くクマのぬいぐるみの手を咲夜へと掲げて、また後でと呟く。
「畏まりました。お嬢様にはそう伝えおきます」
「いや、別にアイツには…」
「失礼します」
フランドールの言葉を最後まで聞かず、咲夜はドアの向こうへと姿を消した。
「はぁ、まったく。 お節介なんだから」
自分の秘密を知る唯一の女性、十六夜咲夜。
その彼女が自分と姉のレミリアの仲を取り持とうと画策していることには気づいている。
「どうしろって言うのよ」
長く隠し続けてきた想い。
咲夜に知られて、孤独だった自分に家族が出来た。
それで十分だと思う。
それ以上、必要ないと思う。
もう私は十分に満たされたから、だから私はそれだけで生きていける。
たとえ彼女が居なくなったあとでも、その思い出だけで生きていけるはず。
また孤独なあの場所に戻るだけ。
誰にも必要とされず、必要としないで。
私はずっと月を眺めていればいい。
「だって、しょうがないじゃない」
ベッドに仰向けに倒れ込んで天蓋を見つめる。
「もう、どうすればいいのか分からないのよ」
長く永く一人で夜を過ごした。
だから彼女にはどうすればいいのか分からない。
だから待つ。
彼女自身も気づいていない、ほんのすこしの希望とともに。
二階のテラスには咲夜がレミリアを見送るために立っていた。
「退屈しないおもちゃが欲しいと妹様が仰っておられました」
「退屈しない、ねぇ」
テラスに姿を現したレミリアが咲夜の言葉に軽く頷いて答える。
「美鈴でも放り込んどけば…」
「…お嬢様」
「冗談よ。怖い顔しないでくれる」
「良い案かもしれません」
「冗談よね?」
「冗談です」
「あなたの冗談は分かりにくいわ」
「お嬢様ほどではありません」
「怒ってる?」
「なんのことでしょう。あぁ、妹様は誘わなくてよろしいのですか?」
「やっぱり怒ってるじゃない。いいのよ別に。 アレも私となんて行きたくないでしょ」
「そんな事はありません」
「…言い切るわね。 まぁいいわ。 面白いおもちゃがあったら探しておくから」
話しはここまでと、レミリアは大きく黒い翼を広げた。
「後は頼んだわよ」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
飛び去るレミリアの姿が見えなくなるまで見送って、咲夜は部屋の中へと入ったのだった。
オレンジ色のランプの光が煌々と薄暗い店内を照らしていた。
玉石混合の商品が並ぶ中で少女はある物に目を奪われた。
「綺麗ね」
紅い瞳を持つ少女、レミリア・スカーレットは、赤く曇った大粒を中央に抱く銀色のネックレスに視線を落として、ぽつりと呟いた。
まるで導かれるように瞳に映った宝飾品。
雑多な店内で彼女は、それを手に取ってしばらく、そのネックレスを見つめ続けた。
「気に入ったのかい?」
カウンター越しに座っていた店主が、レミリアの声を聞いて語りかけてくる。
「えぇ、とても」
「それは宝石ではないんだがね」
「でも、綺麗だわ」
レミリアは美しいものを好む。
しかしそれは世間一般に美しいとされるものから、酷く前衛的で無価値にも思えるものまで幅広い。
その価値を決めるのはあくまで彼女の価値観によるところが大きく、いくら価値があるものだといっても、彼女がお気に召さなければそれは無価値に映るし、いくら無価値なものだと言われても、それは彼女が美しいと思えば、何よりも価値のあるものへと変わるのだ。
だからこそ、いま手に持つ者が宝石ではないガラス玉だとしても、彼女の目が美しいと価値を認めたのだから、購入の対象になりえたのだ。
「あぁ、なるほどね」
赤いガラス玉に瞳を落としたままで、レミリアは納得したように呟いた。
「惹かれるわけだわ」
微笑を浮かべたレミリアが店主へと歩み寄る。
「これをいただくわ」
「ありがとう。誰かへのプレゼントかな?」
「えぇ、そうね。でもどうかしら?」
「?」
レミリアの言葉に、商品のネックレスを包装していた店主の手が止まった。
「その商品。私が帰ったあとに来店する方に届けるように言ってくれないかしら?」
「…あぁ、運命が見えたのかい?」
楽しそうに微笑むレミリアに店主が合点が言ったと話しかけた。
「えぇ、大事な客よ。大切にしなさい」
「その大事な客に届けものをさせるのは、ちょっと」
「私は大事なお客様で、お得意様でしょ?」
「ひとつ聞くが、それは何かしら僕が不都合を被ることにはならないだろうね?」
「もちろん」
自信満々に頷くレミリアに、店主は少しだけ考え込んで頷いた。
「今後共、香霖堂をご贔屓に」
恭しく大袈裟に頭を下げる店主にレミリアは可笑しそうに笑った。
「似合わない」
「分かってるよ」
肩を竦めて香霖堂の店主、森近霖之助が苦笑を浮かべる。
「よろしくね」
そう言ってレミリアは店のドアを開けて空へと飛び去った。
それを外まで見送り、霖之助は店の中へと戻ると椅子に深く腰をかけた。
「さて、どのようなお客様が来られることやら」
閉じられた店のドアに視線を向け、霖之助が呟いて間もなく、彼の耳にドアが開く音が聞こえたのだった。