「ふぁ」
欠伸を噛み殺し、眠い目を擦る。
霞む視界に映りこんできたのは天井の染み。
久しぶりに布団で寝たな。
最近は柔らかい草むらを選んで外で眠ることが多かった。
浅い眠りが続いた日々。
昨日の夜、布団に包まった私はすぐに深い眠りに就いた。
予想以上に疲れていたのだろうか。
感触を惜しむように、温もりが残る柔らかい布団から上体を起こした。
窓から差し込む陽の光の高さから、随分長いこと寝ていたことが分かる。
「気が抜けているな」
昨日のことを思い返しながら、緊張感のない自分に呆れる。
これからどうするか。
自分の身に起きた変化を振り返る。
力を失い、まるで人間のように地を這うしか出来なくなった。
一体何が原因なのか。
まぁ、大体の想像はつくが。
元凶だろう八雲紫の顔が脳裏に浮かんで消えていった。
当面の目標はまず力を取り戻すこと。
そして、そののち八雲紫に復讐を行なう。
完遂がなった後、再び己の目標に邁進しよう。
段々と覚醒していく意識とともに、私は考えをまとめていく。
部屋を見回し、アルベルトの姿がないことを確認する。
あいつは使える。
力を失った自分が再びその力を取り戻すためには、あいつの存在は必要だろう。
昨晩のことを思い出す。
あの巫女に一泡吹かせたときは、実に気分が良かった。
しかし今になって、ある疑問が脳裏をよぎる。
何故私を助けたのか。
契約だ、とあいつは言った。
しかし、危険を冒してまで助けるほど私とあいつの関係は深くも長くもない。
傷だらけの体で、私を助けた愚か者。
その合理性に欠ける事実がどうしても理解できないでいたが、ふと、とある小人のことが脳裏に浮かんだ。
「あいつはお人好しだった」
自分の野望のためにそそのかした小人。
実によく私のために働いてくれた。
もちろん、大の男三人を血祭りにあげたあの男が全く同じだとは思わない。
油断ならない雰囲気を醸し出していることも感じられる。
それでもそう言う風に言葉が出たのは不思議な既視感を覚えたからだ。
アルベルトが何を考えているかはまだ見えてこない。
それでも利用できるなら利用しよう。
少なくとも、あいつと利害が一致しているうちは使えるはずだ。
もし裏切られそうになっても、その前に裏切ってしまえばいいだけのことだ。
いや、違うな。
裏切るってのは仲間に対して使う言葉だ。
あいつは私の野望のための道具だ。
なら文字通り利用して、使えなくなれば捨てればいい。
あの時と同じことをするだけだ。
躊躇などあるはずがない。
何故なら私は皆に嫌われる鬼人正邪なんだから。
「せめて、力が戻るまでは役に立てよ」
布団から出て、着替えに袖を通す。
完全に覚醒した私は姿の見えないアルベルトを探すため、部屋を後にした。
「行くぞ」
「はぁ?」
店内に姿を現した正邪にカウンターの横に立っていたアルベルトが声をかけ、その事に要領を得なかった彼女は説明を求めた。
しかしその問いに答えたのは彼の横にいる香霖だった。
「彼には紅魔館に届け物を頼んだんだよ」
「届け物?」
話の見えない正邪が顔をしかめて、カウンターに詰め寄る。
「丁度良いと思ってね」
「意味分かんないんだけど。どうして紅魔館に届け物なんか」
「君、力を失っているんだって?」
「……」
「無言は肯定に取られる。次からは注意するといい」
「ちっ―――――それで、どうしてそんな話になってるんだ?」
正邪は軽く舌打ちをし、自身の弱みを話したであろうアルベルトに批難の視線を送った。
「彼にね、君の力を戻す手がかりはないかと聞かれたんだ」
「あぁ?それなら……あ、いや、それで?」
ここで小槌の事を話したくない正邪は続きを促した。
「紅魔館にはそういう事に詳しい魔女がいるだろう?」
「そういえばいたな。紫もやし」
「その呼び方には同意しかねるが…」
口の悪い正邪に呆れて肩をすくめる香霖。
そこに、それまで黙っていたアルベルトが口を開いた。
「納得したか?」
「いや、全然納得してない」
何が悲しくて紅魔館なんて所に行かないといけないんだ。
もちろん手がかりはあるかもしれない。
それでも打ち出の小槌を手に入れれば、その必要はなくなるはずだ。
わざわざ猛獣の檻の中に入っていくような真似を誰が好き好んでするのか。
全く不合理な事だと正邪は思った。
「行く必要性を感じない」
「なら他の案を出せ」
「そんなの! 分かってるんでしょ?」
香霖に聞こえないように、正邪がアルベルトに近寄り、小声で話しかける。
まるで他人には聞かれたくないという風に。
その行動を見てとった香霖は気を利かせて、店の奥へと消えていった。
「打ち出の小槌を見つければいいのよ」
「心当たりがあると言っていたな」
「そうよ。だから紅魔館に行く必要なんてないわ」
「だが、今はどこにあるか分からないとも言っていた」
「…何が言いたいの?」
「心当たりを話してみろ」
「それは……」
言葉に詰まる正邪だったが、やがて観念したように返答する。
「……八雲紫」
「だろうな」
予想していた答えだったのだろう。
アルベルトは驚かずに正邪の言葉に軽く頷いた。
「なら、どうして?」
「八雲紫とはこの幻想郷を支配している大物妖怪だと言っていたな」
「あぁ」
「昨晩、わしが戦ったルーミアとはどれ程の妖怪だ?」
その質問をされて、正邪が苦虫を潰したような顔を浮かべた。
彼女にとってルーミアはそれほど強い妖怪という認識ではなかった。
その妖怪から逃げ果せる代償に傷だらけになった男が、とても八雲紫に近づくことも出来るとは思えない。
もちろん、アルベルトが戦ったのがルーミアの真の姿で、またそれがいかほどの強さを秘めた妖怪だということを知らなかった彼女にとっては、彼の言いたいことが実に良く伝わってきた。
またアルベルト自身も、戦ったルーミアの強さが幻想郷に住む妖怪の普段の実力だと勘違いしていた事もあって、お互いに誤解が生じることになってしまった。
その誤解が、彼に今回の結論に至らせたのだ。
「力を取り戻してから、と?」
アルベルト自身、正邪の本来の力がどれ程のものかを知らない。
しかし、少なくともお尋ね者であったというならば、いままで追手から逃げおおせてきたからにはそれなりの実力はあったと見て間違いないだろう。
だからこそ、力を取り戻せば、打ち出の小槌の奪還の可能性も容易となりうる。
「もちろん、あんたを外の世界に返すのを忘れたわけじゃないよ。 だけどそれはおかしいんじゃないか? 私の目的は力を取り戻すために打ち出の小槌を手に入れることだ。 力を取り戻してから打出の小槌を手に入れる事じゃない。それじゃ、利害が一致しない」
生憎私は小槌を手に入れたらこいつを捨てるつもりでいるんだがな。
ルーミアに苦戦するような奴だ、力さえ取り戻せば何とでもなるだろう。
確かに他に力を取り戻す方法はあるかもしれない。
しかしその為に危険な賭けを行なうつもりは毛頭ない。
私の本当の目的は打ち出の小槌を使った八雲紫への復讐と、幻想郷の転覆なのだから。
「別に力を取り戻すのに小槌に拘る事はないのではないか?」
その言葉に正邪は驚愕する。
アルベルトの言っていることは交わした契約を根本から否定する言葉であり、自身の願いを置き去りにしたものだったからだ。
「それじゃ、あんたは外に帰れなくてもいいの?」
「お前と同じだ。他にも方法はあるかもしれん」
正邪とアルベルトの契約を否定する言葉。
大妖怪に歯向かうことになるのなら、その前に無理のない方法を探すのはよくよく考えれば当然の答えである。
しかしそれでは計画が破綻してしまう。
確かに小槌以外ではこの幻想郷からは出られないと告げた。
しかしそれは、あくまでも私からの意見であり、彼にしてみたら他の方法が本当にないのかを探さないという理由にはならない。
自身の思い描いた計画が実は独りよがりで、その場だけの拙い嘘だったと思い知る正邪。
動揺して押し黙ってしまった彼女を見て、アルベルトがさらに言葉を続ける。
「だがな、お前が小槌に拘るのであれば、その嘘は捨てろ」
「…」
「まずは力を取り戻せ」
「何故、嘘だと思うんだ?」
「お前の願いが何なのかは知らん。だが、わしにも分かることはある」
正邪をしっかりと見つめアルベルトが口を開く。
「なんでも叶えるという打ち出の小槌に、力を戻してくれと願うほどお前は愚か者なのか?」
「…願いが叶うのは一つだけとは限らないだろ?」
「それはそうだ、わしの願いが叶わんからな」
「なら!」
「それこそが答えだと何故分からん。 お前のその言葉自体が叶えたい事が他にあると言っているだろう?」
力を取り戻す事以外に打ち出の小槌で叶えたい事があるという。
「いつ気づいた?」
「最初から小槌に拘り過ぎだ、戯けが。 力を取り戻すのに他の方法を模索しない時点で自然と気づく」
「紫については?」
「お前のあの話し方は随分と感情が篭っていたな」
アルベルトに幻想郷の話をした時。
知らず、正邪は八雲紫のことを話すその表情に、抑えきれない気持ちが表れていたらしい。
しかしそれで八雲紫に見当をつけているだろうと見抜くには、あまりにも彼の洞察力は優れていた。
アルベルトの言葉に溜め息を吐く正邪。
どうやら彼女の中での答えは決まったのだろう。
しばし、彼を見つめ返して諦めたように言葉を告げる。
「…分かった。だがな、私はお尋ね者だ。素直に紅魔館の魔女が頷くとは思わない。力ずくって言っても、あそこは悪魔の巣窟みたいなもんだ。 簡単にはいかない」
「まるで戦うことが前提の話し方だな」
「けっ、あんたは何も分かってないからさ」
「それこそお互い様だ」
「はぁ、だけどあんたはそれでいいのか?」
アルベルトにしてみたら遠回りになる事。
正邪にしてみれば助かる事だが、利用するうえでデメリットが多い彼の行動に対して不信があるうちは、一度確認する必要があった。
「返事が必要か?」
「あんたの言葉で聞きたいね」
「らしくないことだ」
「らしくないと言えるほど、あんたとは長く付き合った覚えはないけどな」
正邪の軽口にアルベルトが苦笑する。
まさにその通りだと。
「わしにもその打ち出の小槌が必要だということだ」
その言葉に正邪は大いに納得して、同時に同じ理由で自分ばかりが責められたことを思い出し、憤慨する。
「あんただって結局、私と同じだったんじゃないか!?」
正邪の言葉を受けてアルベルトは嘆息し、取り出した葉巻に火をつけた。
「お前は感情的になると考えずに喋りすぎる」
自分と同じという抗議の発言が、またしても己の浅はかさを晒してしまっていた。
しかしアルベルトの発言が何を意味する事なのか正邪には分からなかったが、酷く馬鹿にされていることだけは彼女にも理解できた為、彼女の彼に対する抗議は続いた。
「もう、大丈夫かな?」
そこに丁度良く姿を現した香霖が二人に話しかけた。
「問題ない」
「大ありだ!」
紫煙を燻らせるアルベルトに食ってかかる正邪を見て、香霖が苦笑を浮かべる。
「君たち、仲が……いや、なんでもないよ。それで、もう出て行くのかい?」
「そのつもりだ」
「…」
黙ったままの正邪を気にすることなく、アルベルトが香霖から届け物の包を受け取る。
それと同時に受け取る数本の葉巻。
「前払い分の報酬だね。と言っても、それで全部なんだけど」
受け取った包と葉巻をポケットにしまって、アルベルトは店の外へと出て行ってしまう。
「お前、前払いってなんだよ!?」
報酬と聞かされた正邪がアルベルトの背に声をかけるが、反応は返ってこなかった。
「鬼人正邪」
「なんだ?」
香霖が正邪の背中に声をかけ、それに反応してアルベルトの後を追っていた彼女が、足を止めて振り向く。
香霖は振り向いた彼女に片手に収まるほどの袋を投げつけた。
彼女が受け取ったそれは昨晩支払った金子の入った袋だった。
「届け物の報酬だよ」
その言葉を受けた正邪は一度舌打ちをすると、何も言わずにアルベルトの後を追って再び走り出し、外へと姿を消していった。
その姿を見送り、香霖はカウンターの椅子に腰を落ち着けると長く息を吐いた。
静けさの戻った店内を見回す。
外は今日も良い天気だ。
こんな日は心を落ち着けて読書に限る。
騒がしかった一夜が過ぎ去って、ようやく訪れた穏やかさの中、彼はカウンターの上の本に目を落とした。
これから彼が数ページを読み終わった後、店のドアを開いて現れる魔法使いによって店内が再び騒がしくなることを知らない彼は、穏やかな気持ちで本を手に取り、開いたページに視線を落としたのだった。