地下で行われる競売。
薄暗い劇場型のホールには人知れず、闇に巣食う住民が集まっていた。
壇上で次々に競り落とされていく商品。
会場は段々と熱を帯び、その最高潮を迎えた時、メインデッシュとなる商品が壇上に供された。
あれがそうか。
珍しい。
成りそこないらしいが。
なんでも相当凶暴だという話だぞ。
飼いならすのは難しいんじゃないか。
いやいや、それでこそ。
競売のゲスト達が深い関心から商品の品評を口にしていく。
女だ。
素晴らしい。
赤い髪じゃないか。
大陸出身らしいぞ。
食えば長生きできるのか。
凶暴というなら四肢をもいでペットにしよう。
口々に欲望を垂れ流すゲスト達。
その誰もがその目に一つの欲求を映し出していた。
欲しい。
欲しい。欲しい。
欲しい。欲しい。欲しい。
欲しい。欲しい。欲しい。欲しい―――――と。
それは渦となり、熱気となって劇場を支配していく。
まるでアヘン中毒者のような彼らの欲望が最高潮に達した頃、競売が始まりを告げた。
「50!」
「100!」
「150!」
「200!」
「250!」
競り上がっていく落札額。
口に出す金額が一般人には途方もない数字だというのに、誰も彼もが鼻息を荒くし、まるで獣のように声を張り上げる。
身奇麗にした服装、いい香りの香水、高級な化粧品、顔を仮面で覆う彼ら彼女ら。
しかしそれらは彼らの本性を隠すには、あまりにも役不足であった。
「350!」
「…」
「…」
「350! 350! 他にいらっしゃいませんか?」
「…355!」
「360!」
「365!」
「400!」
「ぐっ」
二人の落札者の内、片方が悔しそうにもう一方に視線を向けた。
見つめられた方は勝ち誇った表情で相手を見つめる。
その人物はネクロフィリアで有名な男だった。
もし彼が落札すれば、壇上にある商品の運命は悲惨な末路を迎えるだろう。
その事を理解しているのかは分からないが、壇上に立つ商品の瞳は光を映していなかった。
鎖に繋がれ、一言も言葉を発することなく、唯々、何もない虚空にその虚無を重ねているだけだった。
壊れている。
何も知らないものが見れば、きっとそう表現しただろう。
「400! 400! 他にいらっしゃいませんね?」
会場は静まり返る。
どうやら400万ポンドで決まりのようだ。
皆が皆、ネクロフィリアの男の落札を確信した時。
しかしそれは壇上に突如として現れた少女の一言で全てが覆された。
「1000!」
この瞬間、壇上の商品はレミリア・スカーレットの所有物となった。
ジャラリと、手に繋がれた太い鎖が鈍い音を立てる。
こんなもの意味ないのに。
両手を拘束した重く太い鎖に目を落とす。
片足には逃げられないようにと鉄球が括り付けられている。
もう、逃げるのは疲れた。
戦って、隠れて、逃げて、傷ついて。
最初は私だって努力したんだ。
足りない力を補うように人間の真似事までして。
それでも駄目だった。
所詮私は成りそこない。
冷たい地面に寝そべって、暗く寒い夜を過ごした。
明けない夜に涙する日がいつまでも続いた。
頑張ったけど、頑張ったけどもういいんだ。
諦めた。
何もかも。
いつしか涙は枯れて、私の瞳には暗闇しか映さなくなった。
なのにどうしても死ねなかったんだ。
なんでか分からない。
こんなにも辛いのに、なんにも希望なんてないのに、いざ死のうとすれば無意識に何かが自殺を思いとどまらせる。
私の手や足は凍りついて死ぬことを拒んだんだ。
だから私は捕まった。
誰かが私を殺してくれる事を願って。
死ねない私を殺してくれる誰かに会うために。
それだけが私の最後の願い。
もう終わらせて欲しい。
もう嫌なんだ。
追われ、傷つけられ、嘲笑われる事が。
なんの意味もない。
私の意味のない生を誰か早く終わらせてくれ。
「400! 400! 他にいらっしゃいませんね?」
競売人の声がどこか遠くで聞こえる。
私の視界は真っ暗なまま。
この競売が終われば、きっと私は終われるんだ。
もう何も見えない。
何も聞こえない。
このまま終わろう。
このまま終われる。
さようなら私。
最後の最後、瞳を閉じるけれどやっぱり涙は流れない。
……ごめんね私。
「1000!」
だけど聞こえたのは少女の声。
とても近くで聞こえた。
まるですぐ目の前に立っているかのよう。
なんだろう。
胸がざわつく。
どうしてだろう。
この閉じた瞳を開きたいと思うのは。
「やっと見つけた」
声を聞いて瞳を開いたとき、私の瞳が映したのは壇上に立つ少女の姿だった。
「まずは体を洗って綺麗にすることね。 服は用意させているわ」
「…あ、あの」
「なんだ、喋れるじゃないか。 道中無言だったから、てっきり此方の言葉は知らないのかと思った」
夜の街道を会話のないまま馬車で走り、到着した屋敷。
屋敷の中に通され、私は自分を競り落とした彼女に話しかけた。
見たこともないくらい立派な屋敷。
彼女はここの主なのだろうか。
使用人たちが彼女の帰宅を頭をたれて恭しく迎えていた。
「出来れば、苦しまずにお願いします」
「…は?」
「あ、でも、そういう趣味があるって言うんなら……我慢します」
「待ちなさい。 あなた何を言ってるの?」
「え? だって、私を殺してくれるんですよね?」
私のその言葉を聞いた彼女は一瞬目を見開いて私を見つめると、神妙な面持ちを浮かべて聞いてきた。
「あなたは死にたいの?」
「……はい」
「なら諦めなさい。 殺さないから」
「ペットですか?」
「1000万ポンドも出してペットを欲しがる物好きが何処にいるのよ」
「?」
「はぁ、まぁいいわ。 まずは浴室に向かいなさい」
彼女は一言私に告げ、廊下の向こうに消えていく。
それまで控えていた使用人に連れられ、私は浴室へと向かった。
白い花びらとハーブが浮かぶ浴槽の中で、私は膝を抱えるように湯に浸かっていた。
丁度良い加減の暖かなお湯の温度。
とても良い香りが鼻腔をくすぐる。
こんなにゆっくりする事なんてなかったな。
ぶくぶくと顔の半分を湯に付け、私は抱えた膝に視線を落とした。
一体これからどうなるんだろう。
殺さないと言った。
ペットでもないと言った。
でも、それなら何のために私を競り落としたのか。
使用人として働かせるためかな。
でも、こんな私に何が出来るんだろう。
私が知ってるのは、戦うことだけ。
それも心が折れた私ではまともに出来る自信なんてない。
「わかんないよ」
やっと終われると思ったのに。
殺してくれると思ったのに。
どうして上手くいかないんだろ。
どうして――――――。
嘆く私の瞳から、その悲しみが形になることはなかった。
「ようこそ私の屋敷へ。 歓迎するわ」
広間に通された私を、壇上の椅子に座る彼女が手を広げて迎えた。
「私の名前はレミリア・スカーレットだ」
「あ、私の名前は…」
「美鈴と言うのね」
「…はい」
「資料には色々と書いてあるけど。 名前は自分で決めたの?」
「……そうです」
思い出すあの時の記憶。
あれは雨の降る寒い夜だった。
震える体で入り込んだ、古い一軒家の軒先。
家人に気づかれないように潜んで、雨風をしのいでいた。
まだ生まれてから間もなかった私は、体の震えを両手で押さえつけて、唯々、暗闇に降り注ぐ雨粒を眺め、時が過ぎるのを待っていた。
そんな時、ふいに雨の音に混じって、美しい鈴の音が耳に届いた。
「誰かいるのかい?」
話しかけられて、振り返れば、開いた窓から老婆がこちらを見ていた。
「ご、ごめんなさい。 軒先を借りています」
「中に入りなさい」
慌てる私に、老婆はそう言って家のドアを開いてくれた。
素直に従って、私は暖気の篭る家の中へと足を踏み入れた。
「吉報を知らせてくれるんだよ」
なぜ私を迎え入れてくれたのか、老婆に聞くと、彼女は軒先に吊るした鈴に視線を向けて答えてくれた。
「占いの一種さ。 さぁ、寒かっただろ。 お飲みなさい」
老婆から差し出された暖かい飲み物を受け取って、口を付ける。
震えていた体に流れ込んだそれは、とても暖かかった。
特に老婆が私を特別に構うようなことはしなかったものの、それでも次の日の朝まで家の中で過ごす事を許してくれた。
次の日、すっかり晴れ渡った空の下に出た私に、彼女は言葉をくれた。
「気をつけてな」
ありふれた気使いの言葉。
それでも私にはその一言が嬉しかった。
別れを老婆に告げた後、私は空を見上げて、この一日の奇跡に感謝を捧げた。
それ以来か、名前のなかった私が、験担ぎに鈴の名前を名乗り始めたのは。
なにかある毎に、あの時の美しい鈴の音が届けてくれた幸福を思い出す。
でも、そんな自分の名前の由来なんて、とうの昔に忘れてしまっていた。
自分の名前を呼ぶことも、呼ばれることも無くなってしまったから。
少し憂鬱になってしまった私は彼女の問いに短く答えて、俯いてしまう。
改めて名前を呼ばれたことで、少なからずあの時の気持ちを思い出してしまったから。
だけどそんな私の目の前に彼女は席を立って無言で降り立つと、その小さな体にも関わらず、私の体を抱き上げた。
「え、あの、ちょっと」
「窓を開けろ」
急なことに驚いたままの私を無視して、彼女の言葉に従った使用人が部屋の窓を開けた。
横抱きに私を抱き上げて、彼女はそのまま飛翔する。
夜空を駆け上昇し、眼下の屋敷が手のひらほどに小さく見えるようになった頃。
それまで無言だった彼女は私を見つめ、口を開いた。
「見なさい」
視線を逸らし、彼女は首を横に向ける。
私は彼女に従って、その視線の先に自分の顔を向けた。
それは地平線の向こうにどこまでも続く大地。
月光に照らされ、美しく澄んだ緑が視界に入る。
「美しいでしょう?」
彼女は視線を遠い大地に向けたまま言葉を続ける。
「世界はこんなにも広く美しいというのに、あなたの瞳は何も知らない。 でもそれは今、この瞬間に変わる。 きっと変えてあげる。 美鈴、とても綺麗な響き。そんなあなたはもっと高いところで息をするべきよ。 大地を見て、空を眺め、人を見て、本を読んで、音楽を聞いて、全てに学びなさい。 そうすればきっと、死にたいなんて言ってられないわ」
力強く私を抱きしめて、彼女は私に視線を向ける。
とても優しい彼女の紅い瞳が、私の視線と重なる。
「でも、私は…」
それでも、私の口から出てきたのは、曖昧な否定。
だって彼女の言葉を素直に受け入れるには、私の心は弱りきっていたから。
「妖怪にとっての強さとはなんだと思う?」
不意に聞かれた質問に、私は首を振って返事をする。
「心の強さがそのまま己の強さとなる。 今はいい、どんなに弱くても。 それでも、ゆっくりとやっていこうじゃない。 私は吸血鬼であなたも同じ妖怪よ。 私を信じて付いてきなさい。 二人一緒に考える時間ならいくらでもあるわ。 だからね美鈴、死にたいなんて言わないで」
私を見つめる瞳に力強さが増した。
ちっぽけな自分。
何をする事も諦めていた私の目の前に現れた吸血鬼の少女。
どうしてあなたはそんな事を言うんだろう。
どうしてこんな私にそんな言葉をくれるんだろう。
死なないで。
何よりも欲しかった言葉。
自分に生きることを許してくれる言葉。
駄目だよ。
忘れたのに。
もう、諦めたはずなのに。
「どうして、私なんかに…」
与えてくれるの。
「私、何も出来ません」
なのにあなたは。
「苦しかった。 辛かった。 本当に死にたかったんです」
そんな私にもう一度生きろと言う。
「うぅ、だって…えっぐ…頑張ったけど…ひっぐ…仕方なかった…」
あの時忘れたはずの感情が蘇っていく。
「いいわ。 胸を貸してあげる」
私の顔をあなたは優しく胸にかき抱いて、視線を夜空へと向ける。
それが限界だった。
枯れていたはずの涙が、思い出した感情とともに堰を切って流れ始める。
ぁぁぁあああああああああああ―――――――
夜空に消えていく私の鳴き声。
それを彼女は無言で、ずっと抱きしめ続けてくれた。
いつまでも、いつまでも。
この声と涙が尽きるまで。
私はこの時、心の底から彼女を信じてみようと思った。
泣きつかれたのか美鈴は私の胸で小さな寝息を立てている。
視線を落として伺った彼女の表情はとても幸せそうだった。
地平線の向こうでは太陽が姿を現そうとしている。
あぁ、良かった。
私は思う。
彼女の夜明けは今、ようやく始まったのだと。
ならばこれは希望だ。
明けない夜を進む私への。
美鈴、生きましょう。
いつか来る、その時を信じて。
「お帰りなさいレミリアお嬢様」
笑顔で屋敷の主人を出迎える美鈴。
「ただいま美鈴」
門の前に降り立ったレミリアは笑顔でそれに答える。
「今日、お客様が来るわ」
「初めての方ですか?」
「えぇ、大事な人間のお客様」
「へぇ、それは珍しいですね」
人間の、それもレミリア自身が大事なお客様というのは実に珍しい事だった。
「初めての方ですよね?」
何故か嫌な予感を感じた美鈴がもう一度、レミリアに聞き返す。
「ねぇ、美鈴…」
「は、はい!」
流し目で、嬉しそうに口元を隠して笑うレミリアに、冷や汗を流して直立する美鈴。
「弾幕勝負はいらないわ」
「へ?」
「実力を確かめたいの」
「お客様ですよね?」
「ふふ、運命の人よ」
「っ!?――――――分かりました」
レミリアの言葉に一瞬驚いたものの、美鈴はすぐに表情を整えて、彼女を見つめた。
「期待しているわ」
その意図を汲み取り、レミリアの言葉に頷きを持って答えた美鈴。
そしてそれを満足そうに見つめて、彼女は屋敷の中へと消えていったのだった。
「私も期待しています」
屋敷の中へと去っていく彼女の背中を最後まで見送りながら、私は小さな声で呟いた。
紅の文字を送ってくれたあなた。
あなたにきっと報いよう。
思いを知ったあの時から、私はこの時を待ち続けた。
運命は動き出す。
きっときっと良い方向へ。
導いてみせる。
それはあの時、あなたが私を導いてくれたように。
この誓い、絶対に。
見上げた空はまだ暗くて。
だけどきっと夜明けが来る。
レミリアお嬢様。
やっとこの時が来たんですね。
瞳を閉じて、私は訪れる時を思い、深く深く瞑想に浸った。