戦いの後。
アルベルトたちの前に現れた十六夜咲夜は気を失った美鈴を抱え、彼らに一礼した。
「紅魔館でメイド長を承っております、十六夜咲夜と申します」
次の瞬間、彼女の腕から美鈴の姿が消える。
その現象に口を開いたのは正邪であった。
「時間を操る程度の能力…」
「失礼しました。 お客様方、どうぞこちらへ」
踵を返し、門の中へと歩みを進める咲夜。
その彼女の背中にアルベルトが声をかける。
「待て、聞きたいことがある。 お前たちの主人は客を迎えるときはいつもこうなのか?」
アルベルトの疑問。
それは先ほどから感じていたものだった。
お尋ね者を引き連れていることは承知している。
その上で弾幕勝負を挑まれ、結果として肉弾戦にはなったものの、正邪から聞いていた幻想郷のルールから、相手を推し量るという意味では理解もしようが、しかし彼女があそこまで必死になって戦う理由には違和感を覚えた。
自分たちが客ということを伺っていると美鈴は言っていた。
その上で、自身の力を推し量るような振る舞いに始まり、最後には確固たる強い意志を持ち、気を失うほどまでに戦い抜いた姿は、およそ客を迎えるという行為にふさわしくない。
だからこそ、これがこの館の流儀なのかを彼は聞きたかったのだ。
その質問に咲夜は振り返って、淡々と答える。
「この門をくぐる者の選定は全て門番である美鈴に一任しております。 その過程に対して我々紅魔館が指示を出すことはありません」
つまり今回は特別であったと言外に言っている。
客が来ることを知っていた。
それが自分たちの存在を特定しての事だったかは分からない。
しかし美鈴は文字通り力尽きるまで戦った。
そこまでするほどの何かがあるのだろう。
臭うな。
同様の答えに行き着いたのか、アルベルトの横に立っていた正邪が口を開く。
「どうも嫌な予感がする」
数多くの危機を掻い潜り、逃走を続けてきた正邪。
その彼女の勘もまた、きな臭いと告げていたのだった。
「まぁ、それでも…」
結局は同じなのだと正邪は思う。
どこにいたとしても、この幻想郷に自分の安寧の場などないのだから。
危うい場所には決して近づかない。
危険を感じれば直ぐに逃げ出す。
それでも、自身の目的を達成するために必要ならば、立ち向かい決して諦めない。
それが彼女の信念なのだから。
「避けては通れないよ」
「行きたくないと言っていたのにか?」
「さっきは必要性を感じなかっただけ。 まぁでも、本当は入りたくないからね。 あんたが外で待っていていいって言うならそうするけど?」
アルベルトがそれを許さないだろうことを見越して正邪は言葉を返す。
さんざん問答した上で、ここまで引きずられてきたのだ。
いまさら彼が私を外に置いておくことはしない。
案の定、彼から返ってきたのは予想通りの答えだった。
「行くぞ」
結局、ここで待っていろとは彼は言わない。
どうせさっきのように、二人とも気づかれているのだから同じだとでも言うのだろう。
外だろうが相手がその気なら、捕まえに来る。
再び捕まってしまう危険があるならば、同じ危険でも自分の傍にいたほうが面倒は少なくていいのだろう。
今は自分の無力が恨めしいと彼女は思った。
「不満か?」
「不満がないとでも?」
「心配するな」
「何? 何を心配することがあるの? 結局外で待っていようが危険なのは一緒でしょ? なら、ついて行ってやるわよ。 私のことなんだから」
随分乱暴な言い方になったが、これは自身に対しての怒りが言葉に現れた為だった。
言葉の後ではっとした正邪は、利用するアルベルトの機嫌を損ねては意味がないと即座に改める。
仕方ない、今は大人しく付いていこうと心に決めて、俯き加減に押し黙る。
しかしその正邪に対してアルベルトが告げたのは不満や嫌悪の言葉などではなかった。
「危険などない」
「?」
「わしが守るのだからな」
嫌味などなく、当然のことのように言ったアルベルト。
この言葉を聞いた正邪が顔を上げ、一瞬呆気にとられると、その後みるみる顔を赤くしながら体を震わせ始めた。
「言うタイミングが違うだろ!」
そう言ってアルベルトの足に蹴りを入れようとするが、それはなんなく躱される。
それをいうならここに向かっていたあの時に言うべきだろう。
何故今それをいうのだ、と正邪の心の中は不満の気持ちで溢れていた。
しかし、そんな彼女の思いを解さない彼は眉間に皺を寄せるだけだった。
「どうぞこちらへ」
それまで彼女たちのやり取りを黙って眺めていた咲夜であったが、一段落した所を見計らって、アルベルトたちに背を向けて紅魔館の中へと歩みを進めたのだった。
一礼した私は彼らに自己紹介を済ませる。
時間を止め、抱えた美鈴を部屋まで連れて行き手当を済ませる。
傷ついた美鈴の事は心配だった。
お客様の対応を済ませたら、もう一度彼女の様子を見に来よう。
そう考えて再び彼らの前に戻り能力を解除する。
この能力の事を口にする正邪に対して、目の前の男はただじっと私を見つめるだけだった。
私は彼らを案内するため、謝罪を告げ、踵を返した。
その背中に質問を投げかけられたが、私は事実だけを告げた。
全ての来訪者はまず初めに美鈴を介することになる。
相手を見極め、門をくぐるにふさわしいと彼女が見定めれば、それはその瞬間から紅魔館の客人となる。
魔理沙や霊夢といったものでさえ、初めては彼女と弾幕勝負を行った。
その後の度重なる来訪を許しているのは、美鈴が彼女たちを認めている証だろう。
代わりに危険だと判断したものを通したことは、私の知る限り一度もない。
私が危険だと感じた相手でも、後になってみれば結果としてそれは杞憂に終わる。
だからこそ紅魔館は門番である紅美鈴に絶大な信頼を寄せていた。
今回も同様。
珍しく弾幕勝負を行わず、その拳で勝負に応え、その結果に彼らが門をくぐるというのであれば、疑う余地もない。
ただ、死力を尽くし気絶するまで戦った美鈴の姿には驚いた。
たとえ公式でなく十全の力を発揮していなかったとしても、彼女をここまでの姿にした目の前の男は非常に危険だと思う。
それでも、私は紅魔館のメイドである。
決してこの結果に私情を挟むことはない。
私が今日聞かされていたのは、客が来るということだけ。
お尋ね者である正邪と、目の前の男。
この二人の事については何も聞かされていなかった。
目の前の二人がなにやら疑念を持ち、話し合っているが私はそれを黙って見ているだけ。
彼らは客だとお嬢様は言った。
そして、退屈しないおもちゃが欲しいというフランドール様の言葉も口にした。
主の思いを汲み取る。
彼らをフランドール様へあてがえという事なのだろう。
しかし、私の脳裏に言い知れぬ不安がよぎる。
彼らとフランドール様を引き合わせる事が何かとても良くない事のように思えたからだ。
あのお優しいフランドール様のことだ。
客として会ったとしても興味を示さず、連れて行けというのではないだろうか。
しかし彼女は悪い意味で、自分の役目を演じている。
もし、彼らが牙を向く敵と認識したとき、彼女は何の躊躇いもなくその力を振るうだろう。
そうなれば、どうなる?
曲がりなりにも彼は美鈴を退けた。
お尋ね者の正邪の同行も不安の種の一つだ。
万が一にも彼女を傷つけることがあるかもしれない。
そんな事は決してあってはならない。
やはり彼らをフランドール様と引き合わせてはいけない。
たとえ主の命令に背くようなことになったとしても、フランドール様に危険が及ぶ可能性がほんの少しでもあるのであれば、私はそれを受け入れない。
それが私の信念であり、紅魔館のメイドとしての矜持なのだから。
どうやら話は済んだようだ。
私は彼らに言葉をかけて紅魔館へと先導する。
言い知れぬ不安を悟らせぬように、決してフランドール様に会わせぬようにと心に決めて。
私は紅魔館のドアを開いて、彼らを招き入れた。
咲夜に先導され紅魔館の長い廊下を案内されるアルベルトたち。
「こちらでお待ちください」
通されたのは客間であった。
指示に従い備え付けられた長く大きなテーブルの椅子に横並びで座るアルベルトと正邪。
席に着いたと同時に咲夜の手にはトレイが現れ、紅茶の用意がなされる。
用意された紅茶のカップに口をつけた正邪が、同様に用意されたクッキーに手を伸ばす。
無遠慮に全てを平らげた正邪が再びカップに口を付け一息つくと、おかわりを要求した。
それに頷いた咲夜は、再び一瞬のうちに新たなクッキーをテーブルに用意すると、飲み干された正邪のカップに紅茶を注いだ。
「一息ついた」
用意されたクッキーを再び全て平らげて、正邪は満足そうに呟いた。
それを横目にアルベルトは紅茶を一口、口に含んだだけで、用意されたクッキーには手を付けることはしなかった。
「お客様」
頃合を見て、彼らの横に控えていた咲夜が口を開く。
「主人は只今、体調不良でございます。 大変申し訳ありませんが、私が代わりに要件をお伺いさせていただきます」
謝意を込め一礼する咲夜に、さして気にしない表情の正邪が手にカップを持ったまま話しかける。
「私たちはここの魔法使いに用があるんだよ」
「パチュリー様にですか?」
「あぁ、だから別にレミリアに用はないのさ」
カップの紅茶の残りを飲み干して、正邪は言葉を続けた。
「会わせてもらえる?」
「ご要件をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「本人に会ってから話すよ」
「それではお会いになる事は難しいでしょう」
「なんでよ?」
不機嫌そうな顔の正邪に、咲夜は表情を崩さずに答えを返した。
「パチュリー様はお忙しい方ですので」
「本ばっかり読んでるだけじゃないの?」
「それは誇張というものです。 彼女は魔法使い。 研究や執筆というものがあります。もちろん私から会って頂けるようにお伺いを立てることはしましょう。 しかし、理由も話されない急な来訪者にパチュリー様がお応えするとは思えません」
その言葉を受けて正邪は苦虫を噛み殺したように渋い顔をする。
ここで理由を語るのであれば、それは余計な不安を残す事になる。
力を失っているという事実を知るものは、なるべく少ない方がいいのだ。
「理由を話せば会ってくれるのか?」
「それはパチュリー様次第です」
予想通りの答えに唇を噛む正邪。
それまで事の成り行きを見守っていたアルベルトが初めて口を開いた。
「その女は魔法使いと言ったか?」
「あぁ、そうだけど」
話しかけられた正邪がそれまで咲夜に向けていた視線をアルベルトに向けた。
アルベルトはちらりと正邪を見たあとで、咲夜に視線を移した。
「なら本人に伝えろ。 要件はその知識にある。 そして等価交換の原則も弁えているとな。 わしの事を話せば無下にはせんだろう」
「…畏まりました」
咲夜はしばし伺うようにアルベルトに視線を向けたあと、要件を承って姿を消した。
忠告とは知りつつも自身の問答とは明らかに対照的に、すんなりとこちらの要求を受け入れた咲夜の態度を疑問に思ったのだろう。
正邪は疑問符を浮かべ、彼に話しかけた。
「どういうことだよ?」
「なに、面倒事が増えるだけだ」
はっきりとした説明がアルベルトから返ってくるはずもなく、いつものように言葉足らずの彼の言葉に頭を抱える正邪であった。
紅魔館の広大な図書館には、それに見合う膨大な蔵書に囲まれて魔法使いと小悪魔が日々を過ごしている。
「失礼します」
迷路のように入り組んだ本棚の壁を抜け、図書館の中央に鎮座し、読書に勤しんでいたパチュリーに向けて声をかけたのは咲夜であった。
その呼びかけに読んでいた本から目を逸らすことなく、言葉だけで彼女は返事をする。
「誰か来ているようね」
その言葉に頷いて、咲夜は要件を伝える。
「パチュリー様にお客様がお見えになっております」
「誰?」
「鬼人正邪と人間の男性が一人です」
「お尋ね者が私に何のようかしら?」
「要件は本人に会って直接話したいと」
「話にならないわね。 断ってちょうだい」
「それがもう一人の男性からの言伝で、要件はその知識にある。 そして等価交換の原則も弁えていると伝えてくれと仰せつかっております」
「…へぇ」
咲夜の言葉を聞いたパチュリーがここにきて初めて、それまで本に落としていた視線を咲夜に向けた。
「何者?」
「人間の男性です」
「只の?」
「美鈴を肉弾戦で退けました」
「弾幕勝負じゃなかったって事?」
「はい」
「手加減したんじゃないの?」
「いいえ。 条件は揃っておりませんでしたが、少なくとも彼女は油断せず、その上で力尽きるまで戦いました。 傷ついた彼女は今、部屋で休ませています。 対して彼はほぼ無傷でした」
「面白いわね」
咲夜の話に興味を持ったようで、パチュリーは本を閉じると一度息を吐いて、語り始めた。
「美鈴を退けたのもそうだけど。 私を魔法使いと知った上で等価交換の原則を交渉の材料に持ち出すということは、只の人間ではないわね。 何かを得るにはそれと同等の対価が必要だということを知っている。 そしてそれに応えるための実力も有していると見える。 興味が湧いたわ」
「お連れしても宜しいでしょうか?」
「えぇ。 少なくとも本では得られないものが手に入りそうだもの」
「畏まりました」
一礼してそのまま姿を消す咲夜。
それを見届けて、パチュリーは思い出したかのように呟いた。
「失敗したわ。 人間の男なら小悪魔には気をつけてと伝えれば良かった」
しかしこの小さな失敗が、物語の歯車を大きく動かすことになるとは、この時のパチュリーには思いもよらなかった。
咲夜はアルベルトと正邪を大図書館へと引き連れ、その入口の扉の前までたどり着くと、彼らを振り返って告げた。
「こちらでパチュリー様がお待ちです」
そうしてそのまま扉のドアノブに手を掛けようとした咲夜であったが、その手が触れる前に中からドアを開けた者によって阻まれてしまう。
半分ほど開けられた扉の向こうから、小悪魔が姿を出した。
「あれ? 咲夜さん、それと…」
アルベルトと正邪に視線を向け、小悪魔は小首をかしげる。
「パチュリー様へのお客様です」
「あっ、そうなんですか! 初めまして小悪魔といいます」
小悪魔は行儀よくお辞儀をし、人懐っこそうな笑みを浮かべる。
「咲夜さんが案内を?」
「えぇ」
「でしたら。 私が引き継ぎましょうか?」
「いいの?」
「もちろんですよ」
そして小悪魔は心配そうな表情を浮かべ、咲夜に語りかける。
「お客様は私が責任を持っておもてなし致します。 どうぞ咲夜さんは美鈴さんの所へ行ってあげてください」
「そう、ありがとう。 それではお願いね」
「えぇ、任せてください」
「ではお客様。 これからは彼女がご案内させていただきますので、申し訳ありませんが私はここで失礼致します。 何かありましたら彼女に申し付けください」
アルベルトと正邪に一礼をすると、咲夜の姿は瞬く間にその場から消えた。
小悪魔の言葉を受け入れた咲夜がこの時、もしも彼女の事をよく知っていれば、彼女の言動にもっと注意を払っていれば、決して彼らを任せたりはしなかっただろう。
しかしそれは無理からぬこと。
傷ついた美鈴の事を心配していた彼女であったし、なにより、彼女の本性を知るのはパチュリーのみであったのだから。
「それではどうぞ中へ」
小悪魔は客である彼らを開いたドアの向こうへと誘う。
それに従って正邪は図書館の中へと歩みを進めるが、アルベルトが後に続かなかった事に疑問を浮かべると、彼を振り向いて言葉をかける。
「どうした?」
その問いかけにため息で答えるとアルベルトは小悪魔を見つめて口を開く。
「気にするな」
見つめられた小悪魔が正邪と同様に小首をかしげる。
「では私の後ろへ」
こんどこそ小悪魔の言葉に歩みを進めたアルベルト。
隣の正邪はいつものことだと気にした様子はない。
開け放たれた図書館の扉の中へと足を踏み入れた彼らの反応はそれぞれであった。
「広いな」
そびえ立つ蔵書の詰まった本棚を見上げ、その大きさと広さに驚嘆する正邪。
少し進んだところで目を凝らしてみれば、役に立ちそうな本が並んでいる。
これは、二、三冊失敬するのもいいかもしれないな、と邪なことを考えていた。
対してアルベルトは、ただ前を歩く小悪魔の背中を見つめるだけで、特に周りに気を配る様子は見せなかった。
しかし、彼が本当に周りに気を配っていないというわけではなく、その視線は誰に気づかれないように淡々と辺りの状況を頭に叩き込んでいた。
「お客様は人間さんなんですね」
案内する小悪魔が突然、アルベルトの方へ顔を半分だけ見せて語りかけた。
「それがどうかしたのか?」
「いえ、私は普段、この図書館から出る事はありませんから。 人間の男性と会うのは本当に久しぶりだったもので」
口に人差し指をあてがい、クスリと微笑む。
「図書館は広いですから、普段は飛んで案内するのですが…」
人間のアルベルトが空を飛べないだろうと思った小悪魔は、申し訳なさそうに、たどり着くのは長くなると彼らに告げた。
「私は歩いて行くからな」
先手を打ったのは正邪だった。
人前で抱えられては堪らないと、アルベルトに告げたのだ。
「好きにしろ」
特に不満を返すことなく、アルベルトは正邪の提案を飲んで、歩みを進めた。
図書館に足を踏み入れて暫くが経った。
巨人のようにそびえる本棚の合間を歩き続ける彼ら。
それまで黙って小悪魔の後を歩いていた正邪が口を開いた。
「まだなのか?」
「申し訳ありません。 もう少しです」
「もう少しって……。 しばらく立つぞ。 あとどれくらいなんだ?」
「もう、あと少しですので」
申し訳なさそうに振り向いて、小悪魔が正邪に言葉を返す。
再び前を向いた彼女のその唇は三日月を描いていた。
「わしらの事を知っていたな?」
「え?」
アルベルトに声をかけられ、小悪魔が声をあげる。
「なんの事ですか?」
歩きながらも困惑して振り向いた小悪魔に、アルベルトは言葉を続ける。
「お尋ね者のこいつを見て、驚いた表情がなかった」
顎で正邪を差して、アルベルトが小悪魔の返答を待った。
「お尋ね者さんなんですか? すみません。 さきほども言いましたが、私、この図書館から出ることがほとんどないので。 世情に疎くて」
申し訳なさそうに頭を垂れる小悪魔は歩みを完全に止めた。
「なら門番の事はどうだ? 図書館から出ないお前が、何故つい先ほど傷ついたばかりの女の事を知っていた?」
「…それはパチュリー様に伺っていましたので」
「わしらの事を知らなかったはずのお前がか?」
図書館のドアを開き、現れた小悪魔。
彼女はアルベルト達の来訪を知らず、咲夜から聞かされ、その役目を引き継いだはずだ。
客が来ることを知らなかったはずの彼女が、パチュリーから美鈴が傷つき部屋で休んでいることを聞かされたのならば、その原因を作った自分たちの存在を知らないという事は辻褄が合わない。
しかしそれでも、小悪魔は否定の言葉を続ける。
「原因は聞かされておりませんでした」
それが小悪魔の失言だった。
「何故、そこで原因を持ち出した?」
小悪魔が言った原因。
それはつまり、門番である美鈴を傷つけた原因が自分たちであることを知っていたと言外に語っていた。
「わしは一度も、その原因が自分たちにあるとはお前の前では言っておらん」
「……」
もし本当にアルベルトたちの事を小悪魔が知らなかったのであれば、それを否定するために、アルベルトたちが作り上げた原因を話のテーブルに置くべきではなかった。
彼女は原因を否定することで、彼らの存在を認めたのだ。
俯いたまま黙り込む彼女に、アルベルトが口を開く。
「それとこの道。 さきほども通ったな」
代わり映えのない本棚に埋め尽くされた道。
しかしその蔵書は一つとして同じものはなく、それを記憶していたアルベルトは同じ場所を巡っていることを確信した上で、小悪魔に話しかけたのだった。
「どういうつもりだ!?」
黙り込んで表情の伺えない小悪魔に対して、事の成り行きを見守っていた正邪が声を上げた。
「ふふ、うふふ…」
不気味に笑い声を漏らす小悪魔。
ゆっくりと、ゆっくりと顔をあげていく。
「あなたは邪魔です」
「っ!?」
小悪魔がその右手を掲げた瞬間。
正邪の立っていた地面に赤い魔法陣が浮かび上がり、彼女が声を上げる暇もなく一瞬にしてその姿をかき消した。
「安心してください。 殺してはいません。 強制的に退場していただいただけです」
あの時見せた人懐っこい笑みを浮かべて、小悪魔はアルベルトに語りかける。
彼と言えば、消えた正邪がいた空間を見つめて、今日何度目となるか本人も分からないため息を吐いただけだった。
「それで?」
「?」
「何が目的だ?」
アルベルトの言葉を耳にした小悪魔の表情が変わる。
それまで浮かべていた人懐っこい笑みを消して、熱っぽい視線を彼に送ると、その唇は妖艶な弧を描く。
先程までの彼女の面影は消え、今のその姿はまさに人を魅了する悪魔そのもの。
彼女はその左手を胸にあてがい、蕩けるような声で心を詠う。
「やっと見つけました私のStern(星)。 このたちこめる霧の中、貴方は私の星になる」
芝居がかった語り口、押さえていた左手で胸を握り締め、彼女はその感動を口にする。
「あぁ、胸が張り裂けそうです。 うふふ、ねぇ、貴方に私は見えていますか?」
艶を帯びていく声と共に小悪魔の熱い視線がアルベルトに注がれる。
苦しそうな彼女から放たれるオーラ。
それは色を持ち、彼女を中心に広がっていく。
そのオーラが最大限まで膨れ上がり、そして急速に彼女へと収束を始めた。
すべてのオーラを体内に吸収し終えて小悪魔は、たった一言を彼へと贈った。
―――――――――――――――Ich sehe nur dich.(もう、貴方しか見えない)