それはアルベルト達が香霖堂を離れ、魔理沙が入れ替わるように訪れて間もなくの出来事。
店を訪れた彼女は店内の商品に視線を向けながら、カウンターの奥で新聞を広げていた香霖へと声をかけた。
「なんだ、あのネックレス売れたのか」
「あぁ、昨晩ね」
「もの好きもいたもんだな」
「まぁ、ガラス玉とは言え、装飾は美しかったからね。 それなりの需要はあるさ」
その言葉を聞いて魔理沙は可笑しそうに笑った。
「香霖はあれがどんな商品なのか、客には伝えたのか?」
「……聞かれなかったからね」
「はぁ、客が気の毒だな」
「そんな事はないさ。 使い方によるよ。 上手くいけばガラスは宝石になる。 まぁ買った客がそれを承知していればだけどね」
「少なくとも、私なら干からびるだろうけどな。 まぁ、身につけてる分にはいいんじゃないか? 確かに装飾は綺麗だったし」
「欲しかったのかい?」
「興味はあったけどな。 それでも利用しようなんて冗談でも思わなかったよ」
肩を竦める魔理沙に香霖もまた肩を竦めて視線を再び新聞へと落とした。
「失礼する」
その時、香霖堂の入口のドアが開かれ、そこから姿を現したのは犬走椛であった。
「いらっしゃいませ」
珍しい客に立ち上がって笑顔で応対すると、香霖は新聞を畳んでカウンターの上に置いた。
「いや、すまないけれど。 客ではないんだ」
その言葉を聞いた香霖は浮かべていた接客用の笑顔をすぐさま消した。
「何の用かな?」
「探している人物がいる」
「誰だい?」
「鬼人正邪と、それに付き従う男なんだが」
その答えに香霖は表情を変えずに続きを促す。
「千里眼でここの近くを歩いていたのは見届けたのだが、その後、目を放す事があってな。不覚にも見失ってしまった。 何か知らないか?」
椛の話を聞く限り、ここに泊まった事は知らず、どうやら出て行った後で目を付けられたらしい事が伺えた。
しかし、それをあえて匂わせているだけかもしれない。
そう考えた香霖は慎重に返答を避け、話題を上手く切り替える。
「山に居ることが多い君が、ここまで出張ってくるのは珍しいね。 なにかあったのかい?」
「うむ。 まぁ、色々とな…」
どうやら詳しくは話せない事だったらしく、椛はそれきり黙り込む。
「そういえば、お前も鬼人正邪とは面識があったんだったな」
口を開いたのは魔理沙であった。
あの逃走劇の途中、彼女が正邪と戦っていたことを知っていた。
それを肯定するように椛は一度頷いた。
「知らないな」
「そうか」
魔理沙の言葉を受けて椛は困ったと顎に手を当てた。
その時、二人目の来訪者が香霖堂の入口から姿を現した。
「居場所が分かりましたよ」
現れたのは早苗であった。
息を切らして、肩を上下させている早苗に椛が近寄る。
「どうやら紅魔館に向かったようです」
「本当ですか?」
「えぇ、間違いありません。 そう言っておられます」
「そうですか。 主人、騒がせて申し訳なかった」
振り返った椛が香霖に向けて謝辞を示す。
「次は客として来て欲しいな」
「善処する」
そう言って椛は早苗を連れて、急ぎ足で香霖堂から姿を消した。
「やれやれ」
再び椅子に腰を落とした香霖が畳んだ新聞を開こうと手を伸ばしたとき、それは横から伸ばされた魔理沙の手によって阻止された。
「新聞が読めないじゃないか」
「それで、正邪たちの事を知っていたんだろ?」
「なんでそう思うんだい?」
「長い付き合いだ。 香霖の事はよく知ってる。 さっきは露骨に話題を逸らしたな?」
「…君には助けられたね」
魔理沙がアルベルト達の事を知らないと言ったおかげで、椛が香霖への追求をしなかった事を言っているのだろう。
事実、魔理沙は二人の事を知らなかったのだから嘘は言っていない事になる。
「別に。 ただ詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
なぜ正邪達の事を知っているのか。
その質問に香霖は事も無げに答える。
「一晩宿を貸しただけさ」
「はぁ!? じゃぁ昨日の晩、正邪がここに泊まったのか?」
詰め寄る魔理沙に今度こそ新聞を掴んで広げると、視線を文字に落として彼女の質問に答えた。
「代金はもらったからね」
「そういうことじゃないだろ!」
「僕は客には平等なのさ」
「うがぁああ! だからそういうことを言ってるんじゃないんだって!」
頭を掻きむしったことで、被っていた魔理沙の帽子が盛大に揺れた。
「じゃぁ、どういうことなんだい?」
その質問に魔理沙は一瞬ぐっと詰まって頬を赤く染めるが、すぐに両手をカウンターに叩きつけて口を開いた。
「危険だろ、あいつはお尋ね者なんだから。 何かあったらどうするんだ!」
「何もなかったんだからいいじゃないか。 それに僕だってそれくらい分かっていたよ。 それでも見極めたうえで良しとしたんだ。 あぁ、でも魔理沙の心配は素直に嬉しいよ。 ありがとう」
「――――――――っ!!」
振り向いた香霖がにこやかに笑顔を返し、それを見た魔理沙が顔を真っ赤にして今度こそ押し黙った。
「さて…」
目の前の魔理沙から視線を外して、再び新聞を読み始めた香霖は心の中で呟く。
何かが動き始めている。
一体これからなにが起こるのか。
少なくとも、この店にだけは迷惑をかけないで欲しい。
それと、彼女たちにも。
ちらりと盗み見た魔理沙は顔を赤くしたまま、その場でうずくまっていた。
これはそろそろ爆発するな。
再び店内が煩くなる事を予感して、香霖は溜め息を吐いたのだった。
小悪魔によってフランドールの部屋に強制的に飛ばされた正邪は、ベッドの上から目の前の少女を凝視していた。
初め飛ばされたときは自分がどこにいるのか訳がわからず、動揺と共にジタバタとしていたのだが、それがベッドの上だと理解すると自分がどこにいるのかを確認するため彼女は辺りを見回した。
するとすぐに目の前の少女が視界に飛び込んできた事で、まだ若干動揺していた正邪ではあったが、急速に現状を理解し始める。
罠にはめられた。
それが短い間で彼女が出した結論だった。
客と言いながらもてなしておいて、しかしお尋ね者の自分を葬るため、アルベルトと分断させ確実に仕留めようとしたのだろう。
つまり今の状況は絶体絶命。
なぜなら目の前にいるのは、ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持つ、悪魔の妹フランドール・スカーレット。
初めて合うが伝聞に聞かされていた通りの姿と、この場所が紅魔館であろう事を考えれば、まず間違いないだろう。
気がふれているということも聞く、彼女はこの幻想郷で最も危険な妖怪の一人だ。
それが今、目の前にいる。
彼女に私を始末させるつもりかと正邪は考えて、じっと逃げる隙を伺った。
「誰?」
しかし、フランドールの口から投げかけられた言葉を聞いて、その考えを正邪は即座に改めた。
もしかして、何も知らないのか。
そう考えた彼女は確認のために語りかけた。
「もしかして、私が来る事を聞かされてないのか?」
「あなたの事なんて知らないわ」
じっとこちらを見つめて言葉を返すフランドールを見て、正邪は頭の中で急速に思考を巡らせる。
彼女が嘘を吐いて私を油断させようとしている可能性も十分に考えられる。
しかし伝聞する彼女の能力を聞く限りではあまりそれは意味がないだろう。
ここに送り込まれてくることさえ知らず、あまつさえ私自身のことさえ知らないようだ。
もし始末を頼まれたのなら問答など聞く耳持たずに襲いかかってくるだろうが、それをしないという事はどうやら本当に何も知らないらしい。
これは最初の考え自体が間違っていたのかもしれない。
油断はせずに、されど機会はあるかもしれないと、正邪はもう一度自分を取り巻く現状を確認した。
自分の目の前にはフランドールがすぐそばに立っている。
その胸にクマのヌイグルミを両手で抱き、こちらをじっと見つめている。
見回す限り、私が飛ばされたのは彼女の部屋で間違いないようだ。
部屋の入り口までは五メートルほど。
今の私では逃げようとしたところで、彼女がその気なら捕まえられるだろう。
ならば会話をして説得するのが生存への第一歩。
もちろん、それは会話が成り立てばの話なのだが。
どう話を切り出したものかと考えていた正邪にフランドールが語りかける。
「もしかしてあなた侵入者なの?」
紅い瞳に力を宿らせるフランドール。
普通の人間がその瞳を覗き込めば、たちまち黙りこんで硬直するだろう。
しかし正邪は持ち前の胆力で彼女を見つめ返すと、大げさに顔を振ってその言葉を否定する。
「私は侵入者なんかじゃないよ。 少なくともあんたとやり合おうなんて思っていないさ」
「そう」
以外にも素直に頷いて、フランドールは話を続けた。
「それじゃぁ、あなたは何者なの?」
「私は客なんだが、どうやら迷ったらしくてね」
慎重に相手を伺いながら、正邪はベッドから降り立つ。
「迷って私の部屋に突然現れるなんて、可笑しいのね」
微笑むフランドールであったが、その目は笑っていなかった。
嘘を疑われていると感じた正邪はすぐさま訳を話す。
「図書館にいたんだけどな。 そこの小悪魔ってやつに魔法陣で飛ばされて、気が付けばここにいたのさ。 まぁ、迷ったという言い方は間違いだったかもしれないな」
「あなた図書館で悪さでもしていたの?」
「言ったろ、客だって。 大人しくしていたさ。 それなのにこの仕打ちだろ? 勘弁して欲しいもんだね」
肩を竦める正邪を見て、小悪魔が悪戯好きで、以前にも幼い咲夜が同様にこの部屋に飛ばされた事を思い出したフランドールは、一応納得したのか頷いて見せる。
その様子に安心したのか正邪は一度息を吐いて張り詰めた雰囲気を緩和しようと試みたが、それは耳に届いたフランドールの言葉によって、失敗に終わる事になる。
「でも、不思議ね」
「何がだ?」
「だって、図書館に用があったんでしょ。 それなのにあなた、私を見たときなんて言ったかしら?」
この言葉を受けて、正邪の額に冷や汗が浮かんだ。
「あなたはこう言ったの。 私が来る事を聞かされてないのかって。 とてもおかしいわ。 何故かしら?」
自分の瞳を覗き込むフランドールに無言を通す正邪。
少なくとも、彼女が先ほど言った言葉からは、まるで自分がこの部屋を訪れる事をフランドールが了解していない事に驚いていた様子が伺えた。
それを理解した上で、矛盾の生じる彼女のその後の説明を聞き逃さなかったフランドールは、正邪の返答を待つがやはり黙りこんだままだった。
「ねぇ、あなたは嘘を吐いているの?」
両手に持っていたクマのヌイグルミをその場に置いて、フランドールは空いた右手に魔力を収束させる。
それは瞳と同じ紅色で、その禍々しい力は徐々に部屋を満たしていく。
「もしそうなら…」
出現したのは炎の魔杖。
先端にスペードを象る、フランドールの武器であった。
彼女の目の前の正邪は未だ無言で見つめ返すだけ。
どうやら彼女は侵入者で間違いないようだ。
答えに至ったフランドールが右手を振りかざして口を開いた。
「さようなら」
「待った!」
今まさに振り下ろそうとしたフランドールに向けて、正邪が右手の平を彼女に掲げて叫んだ。
それを見た彼女は動きを止め、眉間に皺を寄せて言葉を返す。
「何? 命乞いなら無駄よ。 紅魔館に害をなす存在を私は許さない」
正確にはそこに住む住人、自分が愛する人達を、と心の中で付け加えて、フランドールは正邪の返答を待った。
「いや、そうか。 仕方ない。 話すよ」
冷や汗を流しながらも、まいったと両手を上げた後、ポケットから取り出した包みをフランドールへと差し出した。
「何これ?」
「届け物さ」
その言葉にフランドールは振りかざした手から魔杖を消すと、訝しげに正邪に顔を向けて呟いた。
「届け物?」
「あぁ、そうさ。 聞かされていないとは知らなくてね。 届け物が秘密だったんなら、私が言うのはまずいだろうと思って誤魔化したのさ」
もちろん全て今思いついた正邪の出任せである。
しかしこの時彼女は、この包みの中身がなんであるかを知っていた。
それが美しいネックレスであることを。
アルベルトに渡されたとき、手癖の悪い彼女はその中身がなんであるかを確認していたのだ。
必死に考えを巡らせた彼女がそれを引き合いに出して、先ほどの自身の不用意な発言を逆に利用したのだ。
半信半疑のまま差し出された包みを受け取って、中を確認するフランドール。
「ネックレス?」
取り出したネックレスを顔に近づけ、その中心の赤い輝きを覗き込む。
「綺麗」
よほどそれが気に入ったのか、一言呟いたフランドールの身体から先ほどまで放っていた殺意が霧散していく。
その様子にほっと胸を撫で下ろす正邪。
「誰からなの?」
その疑問は当然の事だろう。
正邪はその質問にすぐさま体の良い嘘を返した。
「あんたの姉のレミリアからさ」
「なんですって?」
彼女の返答を聞いたフランドールの顔がみるみる曇っていく。
レミリアとネックレスで繋がった過去の思い出。
彼女の脳裏に急激な記憶のフラッシュバックが襲いかかった。
それを見た正邪が何かまずい事を言ったのかと思い、つい口を開いてしまった。
「どうしたんだよ?」
「お姉様から届けろと言われたの?」
震える声で確認するようにフランドールは聞き返す。
その目はどうかそれを否定して欲しいと言いたげであった。
「香霖堂の店主からの言伝でね。 届けるように頼まれた」
一応の予防線を張っておく。
万が一にも嘘がばれた時、直接レミリアから聞いていなかったといえば、それは自分に届け物を頼んだ香霖の責任とでっち上げる事が出来るからだ。
「…そうなんだ」
私はネックレスを強く握り締めた。
思い出してしまったのだ。
あの時の約束を。
咲夜が来てから、彼女を通してプレゼントを送られることはよくあった。
でもそれは、ぬいぐるみや服、ちょっとした小物ばかり。
彼女の前では悪態をついていたが、それでも本心ではとても嬉しかった。
昨日の夜、咲夜はお姉さまが出かけると言っていた。
きっとその出先で、このネックレスを見つけたんだ。
そしてそれを他人に届けさせた。
あぁそうか、お姉さまはもうあの約束を覚えていなかったんだ。
思い出してくれる事も出来なかったんだね。
今まで決して送られなかった宝飾品の類、それもネックレスが送られた。
その事実を認識してしまった私の胸がこんなにも苦しくなる。
私たち姉妹だけの約束が破られてしまったんだ。
なんで思い出してしまったの。
お姉様のように忘れてしまえれば良かった。
そうしたら、こんなに苦しい思いをする事なんてなかったのに。
「お、おい!?」
正邪は驚いて声をあげる。
なぜならフランドールの床が、俯いて見えない彼女の顔からぽたりぽたりと溢れ出た雫によって、濡らされていくのを見たからだ。
涙を流している。
正邪は驚きのままに、自分が何かとんでもない間違いをしたのではないかと考える。
止めどなく流れる涙で霞むフランドールの視界。
けれど不思議と嗚咽は漏れてこなかった。
「気にかけてるなんて嘘ばっかり…」
それは495年前。
忘却の彼方に置いてきたはずの約束。
彼女がまだレミリアをお姉さまと慕い、幸せに日々を送っていたあの頃から、それが瓦解するまでの出来事。
そしてそれからの。
俯いた先、霞む視界が涙で濡れる床をとらえて、フランドールの脳裏にはあの時からの記憶が鮮明に蘇っていった。