「お姉さま!」
勢いよくレミリアの胸に飛び込んで、フランドールは嬉しそうに彼女の名前を口にする。
自らの胸に顔をうずめる妹を愛おしそうに抱きしめて、彼女は優しく頭を撫でた。
「どうしたのフラン?」
「あのね、私新しい魔法を覚えたわ」
「それは素晴らしいことね」
彼女は本当に聡明で、また努力を怠らないために、吸血鬼には珍しく魔法という能力さえも身につけていた。
そんなフランドールの事を嬉しそうに褒めるレミリア。
まるで自分のことのように喜んでくれる姉の顔を見るのが彼女は大好きだった。
その笑顔を見るために彼女もまた喜ばれようと、様々な事に研鑽を積んだ。
大好きな姉。
そして尊敬する姉でもあった。
吸血鬼という種族の中で、姉妹として生まれた自分たち。
姉は妹を可愛がるだけではなく、時には厳しく接することもあった。
「マナーの勉強は進んでる?」
「が、頑張ってるよ」
スカーレットの名を持つものとして、実力以上にその振る舞いには注意を払わなければいけない。
レミリアはその実力に劣らない、優雅な振る舞いを持って、スカーレットの領土を収めていたのだ。
「その様子だと、まだ苦手みたいね」
「魔法と違って、上手くいかないの」
「今度、一緒に勉強しましょう」
「ほんと!? 私、頑張るわ」
レミリアから体を離して、フランドールは嬉しそうに両手を上げた。
その無邪気な様子を困った表情を浮かべながらも、彼女は幸せそうに微笑んで見つめた。
「レミリアさま、お話中失礼します」
そこに現れたのは彼女に使える執事であった。
老人の彼は、その嗄れた声でレミリアに会議の準備が整った事を伝えた。
「フラン。 用事を済ませたら、あなたの部屋に寄らせてもらうわね」
「頑張ってね」
「えぇ、眷属ではないと言っても。 彼らは大切な家族ですもの。 彼らの為に頑張らなくちゃね。 もちろん、あなたも頑張るのよ?」
「うん」
「返事は、はい、よ」
「はい、お姉さま」
「よく出来ました」
満足そうに頷いて、レミリアはその場を執事とともに後にした。
フランドールもまた、姉の姿が消えるまで、彼女の背中を見送った。
そんな彼女の後ろから不意に声が聞こえた。
「これはフランドール様」
声をかけられ踵を返したフランドールの視線の先に、若い男が笑みを浮かべて立っていた。
「あなたは誰?」
「これは失礼しました。 私は新しい部下でございます」
「そうなんだ」
恭しくお辞儀をする男。
特に興味を惹かれなかったフランドールはそれ以上聞くことも無かった為、部屋に戻ろうと歩みを進める。
男の横を通り過ぎようとした時、男が再び口を開いた。
「レミリア様の事はお好きですか?」
「もちろんよ」
不意の質問に多少の疑念を感じたが、それでも尊敬する姉の事を聞かれたので、振り向くことなく素直に言葉を返した。
「そうですか。 私も彼女の事を慕っております。 ぜひ、その力に慣れればと」
レミリアの素晴らしさ、そして自身の事を延々と彼女の背中に語る男の話を聞き流して、フランドールが通り過ぎた男の方に振り返り口を開いた。
「そう、頑張ってね」
「ありがとうございます」
再び恭しくお辞儀を返す男の姿が瞳に映った。
フランドールはそれを見届けると、今度こそ自分の部屋に向かうため歩みを再開した。
彼女の姿が廊下の角を曲がるまで、その体制を崩さなかった男は、口の端を釣り上げて上体を起こすと、誰もいない廊下の中央で一言呟いた。
「えぇ、もちろん頑張りますとも」
それが誰のために言った言葉なのか。
男は踵を返すと、自身の主が待つ部屋に向かったのだった。
「納得いきません」
暗い部屋に揃ったレミリアの部下たち。
部屋の中央にある円卓を囲むように彼らは座り、今はその上座に座る彼女に向けて、そのうちの一人が不満を露にしていた。
「何故我々が逃げるような真似をする必要があるのですか!?」
テーブルに手の平を叩きつけると、男は立ち上がってレミリアに視線を向けた。
「逃げるのではない。 今は大人しく、身を潜めろと言っているだけだ」
「同じことです。 餌を怖がるものが何処におられる。 協会は何人もエクソシストを送り込んできたが、我々は見事全てを返り討ちにした」
男の言葉にレミリア以外の皆が同意するように頷いた。
「お前たちは分かっていない。 おかげで恐れをなした人間が、どれほどこの地を離れていった?」
人間を恐れているのではない。
食料が枯渇することを恐怖しているのだ。
レミリアは集まった己の家族を見回す。
そこに誰ひとりとして自分の眷属はいなかったが、皆、人間の血や肉を求める妖怪ばかりであった。
随分と家族も大所帯になったものだと彼女は思う。
スカーレットの名の元に集まった彼ら、決して彼らが無能であるとは思わない。
そんなものを自身の部下に置くほど、彼女は愚かではなかったからだ。
彼らはよくやっている。
それこそ、家族と認めた同士なのだ。
愛情が沸かないわけがない。
しかし、それが彼らの部下となると話は別となる。
日に日に増える彼らの部下は、この領地で行き過ぎて人を殺めすぎている。
大きくなりすぎた組織の末端には、目の届かない所に腐りきった性根の持ち主はいるものなのだ。
レミリアの目の届かないところで行われる無用な虐殺が、彼女の耳に届いた頃には、すでにそれは大きな問題となって、組織全体を悩ませるまでになっていた。
だからこそ、彼女は今回、それを是正するために彼らに命じたのだ。
暫くは大人しくしていろと。
しかしそれは聞き届けられない。
彼らは言うのだ。
領土を拡大すれば良いだけの事と。
しかしレミリアはそれを拒み続ける。
そんなことをしても根本的な解決にはならない。
火を見るよりも、いずれ限界が来るのは明らかであった。
しかし彼らにその考えはない。
なぜなら、彼らもまた大きくなりすぎた自分自身の家族を養うためには、問題の先送りになるとしても、緊急に迫られた食糧難を解決する必要があったからだ。
「領土を拡大してからでも良いではありませんか。 我々の家族は飢えているのです」
それでもレミリアは首を縦にはふらない。
聡明な彼女はそれがどんなに愚かな事かを知っていたからだ。
しかし、それは飢えるということを知らなかったが為の傲慢でもあった。
本当に飢えに苦しむものが、先の不安など考えている余裕などないのだ。
「お前たちの気持ちは理解しているつもりだ」
言葉だけだと受け取って彼らは口をつぐむが、今この場で反論がこないということは、やはり彼らのレミリアに対する忠誠心が優っていたからだろう。
「私も出来る限りの事はするつもりだが、今はいい案が浮かばない。 愚かな主で申し訳ないが、しかしどうか今は耐えて欲しい。 意見があればいつでも聞き届ける。 明日にまた会議を行なおう」
あまりいい案が浮かぶことなく会議はそのまま終了することになる。
皆、様々な案を持ち出した中で、しかしその心持ちは複雑であった。
代案などあるわけがない。
領土拡大以外にどうしろというのだ。
領土を拡大したあとでも同じ問題に行き着くことを彼らは意識して考えず、部屋を後にしていく。
一人部屋に留まったレミリアが、瞳を閉じて長い溜息を吐いたのだった。
沈んだ心を癒す事の出来る存在。
レミリアにとって、それは目の前のフランドールであった。
羽を広げ、部屋の中央に立つ彼女に向けて、ベッドに座るレミリアは口を開いた。
「あなたの羽はとても綺麗ね」
宝石のように煌くフランドールの羽の輝き。
それは先程まで、薄暗い部屋で彼らの暗い顔を相手していた彼女の瞳にとても眩しく映った。
「私の羽が?」
「えぇ、まるで宝石みたいよ」
「うふふ。ありがとう、お姉さま。 他の人はそんな事言わないわ」
レミリアは知っている。
影でフランドールがなんと言われているか。
異形の吸血鬼。
およそ吸血鬼らしからぬ者。
レミリアのお荷物。
吸血鬼らしからぬ羽と、魔法という力を操る妹を皆は好ましく思っていなかった。
ゆえにレミリアは、そんな状況を好転させようとして、彼女に教養を学ばせ、その未だ幼い精神の育成に心血を注いでいた。
自分自身もまた同様に組織の主として、フランドールの事を守っていたのだ。
それが為、彼女と過ごす時間が短い事もレミリアは心苦しく思っていた。
「ねぇ、フラン」
「なぁに?」
「もうちょっと落ち着いたら、一緒に何処かに出かけましょうか?」
「…私は大丈夫よ」
レミリアの隣に腰を下ろし、聡いフランドールが彼女の事を気遣う。
「お姉さまが会議で大変なのは知っているもの。 寂しいけれど我慢するわ。 だって私お姉様のことが大切だもの。 悲しませたくないの」
「フラン…」
自分の妹は思っていた以上に成長していた。
私の事を気遣って、彼女は暖かい言葉を投げかけてくれる。
心が温かくなる。
涙が流れそうになる。
こんなにも素晴らしい妹を持つことが出来たなんて。
「ありがとうフラン。 でもそうだ、代わりに何か欲しいものはある?」
「うんとね…」
人差し指で口元を押さえながら、天井を見つめ考え込むフランドール。
何か思いついたのだろうか、彼女は微笑んでレミリアに向き直る。
「私ね。 やっぱり寂しいんだ。 でもね、何かお姉さまを感じられるものが近くにあれば、きっと我慢できると思うんだ」
健気な妹の言葉に、レミリアは堪らず彼女を抱き寄せる。
「それなら、私と同じ瞳のネックレスをプレゼントするわ」
肌身離さず身につけて欲しい。
そんな思いから彼女が考えたのは、ネックレスをプレゼントする事だった。
「直接私があなたの首に掛けてあげる。 でも恥ずかしいから、写真付きは勘弁してね」
苦笑を浮かべるレミリアにフランドールはくすぐったそうに、けれど嬉しそうに言葉を返す。
「楽しみにしてるね」
その笑顔を愛おしげに受け止めて、レミリアは妹のために明日の会議を頑張ろうと思った。
きっといい案が浮かぶはず。
抱きしめた腕を名残惜しげに離して、彼女はそれからフランドールと何気ない会話を楽しんだ。
それから話疲れて規則正しい寝息を立てる妹を眺めて、彼女は自分の部屋に戻ったのだった。
その後しばらくして、フランドールが目を覚ますことを知らずに。
「今がその時ではありませんか?」
明日の会議のためにレミリアの館に逗留していた部下たちが、その部屋に一同に集まっていた。
最初に声を発したのは廊下でフランドールに声をかけた男であった。
彼は自分の主にむかって進言する。
「レミリア様は決して領土を拡大しないでしょう」
「良い案があるというのか?」
「えぇ」
男は笑みを浮かべると、一同をぐるりと見回して、その中心で声をあげる。
「フランドール様に当主になって頂きます」
「なんだと?」
別の男が驚きの声を上げた。
そちらを振り向いた男が言葉を続ける。
「フランドール様は政治には疎い。 我々がそれを操れば、上手くいきましょう」
「レミリア様が許すとは思えんな。 むしろどうやって、彼女を当主の座から引きずり下ろす?」
「何、彼女には永遠に眠っていただくだけです」
「貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!?」
再び別の方向から届いた声に、男は笑みを崩さないままで話を続けた。
「エクソシスト達から奪い取った武器が十分に揃いました。 そして我々が一丸となれば決して難しいことではありません。 彼女亡き後、 フランドール様を当主におけば我々の目的は果たせましょう」
「無理だな。 フランドール様は姉君を心底慕っておられる。 レミリア様を殺した我々の事を受け入れるとは思えん」
「そこです」
計画を話す男は嬉しそうだ。
「人間が殺したことにすればいい。 人間を姉に殺されたのであれば、必ず彼らを憎む。 それを利用すればいいのです」
「しかしどうやって」
「―――――――――私は人間です」
男の告白に彼の主以外の面々が一同に驚きの表情を浮かべる。
「彼女を殺した後、 駆けつけたフランドール様に私は言うのです。 人間の私が殺したと」
「お前は殺されることになるだろう?」
もっともな質問に、しかし部屋の中央の男はぽかんとした表情で答える。
「それが?」
その一言だけで、男の異常さに皆が気づき始めた。
「フランドール様に殺される。 素晴らしいではありませんか! あの吸血鬼らしからぬ、美しい宝石のような羽。 魔法を使う吸血鬼など聞いたこともありません。 それでいて、彼女は実に無垢な存在だ。 彼女のような相反する化物に殺されるのなら、 私はきっと天国に召されましょう!」
この男はすでに化物だった。
闇を見すぎて、己が人間であることをやめてしまったもの。
その最後には、深淵の中で見つけた極上の無垢に自分を殺して欲しいと願い、そして自分を救って欲しいと懇願する。
最悪に捻れて狂った自殺願望者がそこにいた。
「どうでしょう皆様?」
その狂気に気圧されていた一同であったが、男の主の言葉で皆が決意を決める。
「我々には養わなければいけない家族がいる。 今がその時だ」
人間の言葉を借りて、男の主人の言葉は厳かに部屋に響いた。
だんだんと、皆が賛同の言葉を口にしはじめる。
「今しかない」
「我々にも家族が居る」
「ならば殺すしかない」
「レミリア様を殺すしか」
殺す。
殺す、殺す。
殺す、殺す、殺す―――――――――――――――。
殺意は狂気とともに伝播していく。
その渦の中心に化物となった男はいた。
やっと解放されると喜びながら。
この狂気。
この運命。
やっと自分の終わりがくる。
その男の願いは存外すぐに叶うことになる。
突如開かれた部屋のドア。
そこに立っていたのは彼が待ち望んだ死神だったのだから。
ベッドの上で目を覚ました私。
何故か胸騒ぎを覚えて、急に不安になった私はベッドを飛び出し、お姉さまの部屋に向かっていた。
きっと怒られるだろう。
でもその後で、困った顔をしながらも私を優しく抱きしめてくれると知っていた。
優しいお姉さま。
こんな出来損ないの私を構ってくれるお姉さまが、言葉に表せないほど大好きで仕方なかった。
会えなくて寂しい事もあるけど、その代わりにネックレスをプレゼントしてくれると言ってくれた。
とても楽しみ。
私の首に直接お姉様が着けてくれる事を想像する。
ずっとずっと身に着けていよう。
暗い廊下を歩き、私はお姉様の部屋を目指す。
ふと、廊下の奥で仄かな灯りが目に入ってきた。
「なんだろう?」
近づいていくと、誰かの声と大勢の気配を感じる。
お姉さまの家族が泊まっていることを知っている。
きっと彼らが集まって、話し合っているんだろう。
私はそのまま気にせずに部屋を後にしようとした。
でも私の歩みは、私の耳に届いた言葉で止まってしまった。
「フランドール様に当主になって頂きます」
何を言っているんだろう。
私が当主なんてなんの冗談かしら。
私は半開きになっている部屋のドアから中の様子を伺った。
部屋の中央で話す男には見覚えがあった。
今日、廊下で私に話しかけてきた男だ。
その男の口から出てくる言葉は想像もしていない言葉ばかりだった。
私を騙し、利用する。
そして、その為にお姉さまを殺す。
「なに、を・・・」
言っているのだろう。
頭の中が整理できなくて、ぐちゃぐちゃの思考が私の胸を苦しめる。
男の狂気。
それはドス黒い渦となって部屋に集まる彼らに伝播していった。
そしてそれにあてられた彼らは、口々にお姉さまを殺すと呟く。
ふざけるな。
お姉さまがどんなにお前たちを愛しているのか知らないのか。
血は繋がらなくとも、彼女はお前たちを家族と言っていたんだ。
そんな家族を愛していると、何度となく私にお前たちの事を語り聞かせて、あんなに大変そうに頑張っているのに、そんなお姉様をお前たちは殺すというのか。
自分たちだけのために切り捨てるのか。
許さない。
許せない。
私だけは傷つけない。
傷つけさせるものか、お前たちなんかにお姉さまを殺させるものか。
言葉に言い表せないほどの怒りを胸に、そして私は部屋の扉を開いた。
集まっていた彼らの顔が一斉に私の方を向く。
なんて顔をしているんだお前たちは。
なんて醜い。
あるものは驚くように目を見開いて。
あるものはすぐさま私を睨みつけて。
恐れ、疑念、困惑、殺意。
すぐにその息の根を止めてやる。
そして私は一息に、部屋の中に躍り出た。
紅に染まる部屋。
血の匂いが立ち込める。
まるで地獄と化した部屋の中央で、動いているのはフランドールと人間の男だけになっていた。
対峙する二人。
血の海の真ん中で、男は両手を広げ、今のこの状況を歓迎する。
「あはははは、あはははははははははは!」
目の前のフランドールにその濁った瞳を向けて、彼は死を受け入れる。
「さぁ、待っていたんです。 殺してください! やっと。 あはははは。 フランドール様! この私に救いを! ください。 救って。 苦しみから開放される。 ひゃはははは」
訳のわからない叫び声をあげながら、男は願いを口にする。
フランドールは動かない。
ただ目の前の男を見つめるだけだった。
「どうして? 何があったんですか? ほら、はやく殺しなさい!」
光の消えた瞳。
フランドールの瞳を覗き込む深淵という化物は今か今かと最後の時を待つ。
「あぁ、奇跡です。 あなたが私を殺し、レミリア様は生きている。 思いもよらない僥倖。 神様が与えてくれた理想。 あまりにも理想的過ぎて死んでしまいそうだ。 だからその前に殺してください。 どうぞ何もかも気づく前に」
この時、フランドールに不思議なものが見えた。
それは目。
目の前の男の体に無数の目のようなものが見えたのだ。
化物の瞳を覗き込んでいた彼女は、この時、その能力を開花させたのだった。
「きゅっとして…」
無意識にその目を右手で握りこむ。
男は相変わらず、恍惚とした表情で喚き散らすだけだった。
「ドカーン」
それが男の最後。
目の前で砕け散った男の血を浴びて、しかしフランドールは平然としていた。
「あはは…」
笑う彼女。
無意識のうちに訪れた惨状を目の前にして、冷静になった彼女は取り返しのつかないことをしてしまった事に初めて気づいてしまった。
それが男の最後の願いだとも知らずに。
そしてその地獄に現れたのは彼女の姉、レミリアであった。
「嘘……」
部屋の惨状を目にしたレミリアは、信じられないと口にしながらも、部屋の中央に立っていたフランドールへと駆け寄って彼女の無事を確かめる。
「フラン!」
フランドールの肩を抱いて、レミリアは呆然としている彼女に声をかける。
何度彼女の名前を読んでも呼びかけに応じない。
「あはは……」
突如、力ない笑い声を漏らしたフランドールを抱きしめて、レミリアは彼女に語りかける。
「一体何があったの?」
「私が……」
殺したの。
こいつらがお姉さまを殺そうとしたから。
お姉様を守るために。
そう言ってしまえればどんなに楽だろう。
でも言えなかった。
気づいてしまったから。
彼らはお姉様の大切な家族だった。
その愛する家族を私は殺してしまった。
理由を言えばお姉さまは悲しまない?
そんなことはない。
きっともっと悲しむに決まってる。
この部屋に横たわる死体の数だけ。
お姉様の家族への愛の深さは、私が誰よりも知っているんだから。
お姉様を傷つけさせないために行ったこと。
だけど私のやったことはお姉さまを傷つける。
そのうえ真実を話せば、どうなってしまうんだろう。
怖かった。
私が嫌われることよりも、お姉さまがこの家族の死体分苦しむ姿を見たくなかった。
だから私は決意する。
大切なお姉さまを少しでも悲しませたくなかったから。
悲しむくらいならむしろ怒ればいい。
そして、私なんか嫌われてしまえばいいんだ。
「私が……殺したの」
「どうして!?」
今にも泣きそうな顔で私の瞳を覗き込むお姉さま。
ごめんなさい。
いままで私は、嘘を吐いたことがなかったけれど。
フランドールは今、嘘をつきます。
ごめんなさい。
どうか私を嫌ってください。
「あはははは。 だって、見えたんだもん!」
「フラン?」
目を見開いて、私は狂気を演じる。
あの男に倣って。
「死んでしまえばいいんだ。 ねぇ、お姉さま、不思議なの。 私がね、目を握ると、ほら!」
かざした手で、壁に浮かび上がった目を握りこむ。
「きゅっとしてドカーン」
言葉と共に部屋の壁が爆砕される。
「不思議でしょ? みんな、みんな、こうやって殺したんだ! 楽しかったよ! とっても楽しかったぁ! あはははははははははは」
「フラン!」
お姉さまの声がどこか遠くから聞こえるような気がする。
「どうしたの?」
「あなたは、どうしてしまったの……」
私の肩を抱きながら、彼女は涙を流していた。
あぁ、どうか泣かないで。
お願いお姉さま。
「私、狂ってしまったみたい。 世界がねグルグル花が咲いて回るの。 ねぇ、お姉様は私のことを殺してくれる?」
「―――――っ!」
バチンと頬に痛みが走った。
私は初めて、お姉様に頬を叩かれたのだ。
「あ、あはは、あはははははははは」
こらえろ私。
ここで泣いちゃ駄目だ。
我慢しないと。
お姉さまを守るために。
覚悟を決めたじゃないか。
私はその場に膝を下ろして、顔が見えないように俯くと、無理やり笑い声を上げた。
「どう、して……」
すすり泣くお姉さまの声が聞こえる。
こたえるなぁ。
なんでこんな事になっちゃったんだろう。
「フランドール。 部屋に戻りなさい」
「……」
「戻れ」
うずくまっている私にお姉様が冷たく声をかける。
何もかもが終わってしまったような気がした。
それでも最後までこの狂気を演じなくてはならない。
「あはは、次の生贄を楽しみにしてるわ。 レミリア」
立ち上がって部屋を出る。
廊下を歩く背中からお姉様の声が聞こえた。
それは慟哭。
今まで感じた事もないような悲しみを乗せて、それはまにまに消えていく。
結局悲しませてしまった。
でもきっと私が隠し通せば上手くいく。
あぁ、どうか。
お姉さまのその悲しみが早く癒えますように。
大好きなお姉さま。
もう二度とあなたの優しい微笑みを見れないのね。
私は溢れ出した涙を拭って、ただ一人、とぼとぼと部屋へと戻ったのだった。
私は部屋に閉じこもった。
外になど興味は沸かなかったから。
心を閉ざし、なにもかもを諦めて、ただ毎日を石のように過ごす。
暇なときは本を開くこともあったが、自分から何かをしようとは思わなかった。
しばらく経って。
最初は食事を運びにお姉さまが部屋を訪れていたけれど、それも狂気を演じていく内に、訪れる事はなくなってしまった。
代わりに食事を運んでくるのが赤い髪の女に変わる。
それからまた、どれくらいの月日が流れたんだろう。
もうお姉さまとはずっと会っていなかった。
それでも、目蓋を閉じれば鮮明にお姉様の笑顔を思い出せる。
これだけで良い。
この優しい微笑みだけで私は生きていける。
気が付けば孤独でベッドを濡らすこともなくなった。
そんなある日。
不意に訪れた来訪者に私は淑女らしからぬ声を上げることになる。
「ぎゃっ!?」
ベッドで寝ていた私の身体に衝撃が加わって、私は驚きの声を上げた。
「な、なにっ!?」
慌てて確認すれば、一人の少女が私の体に馬乗りになっている。
私と同じくらいの見た目の少女。
それは私に視線を向けて、自身も驚いたように声をあげていた。
「おぉ!?」
「誰よあなた?」
馬乗りになったままの少女に私は混乱しながらも言葉をかける。
「何処ですかここ?」
「はぁ?」
きょとんとしたままで少女は私に馬乗りになったまま。
「ちょっと、どいてよ」
「はい」
素直に私の言葉に従った少女はベッドの横へと体を下ろした。
私はベッドの上から立っている少女に声をかける。
「ここは私の部屋よ」
「貴方の部屋でしたか」
小首をかしげる少女は、実はよく今の状況を分かっていないらしい事が伺えた。
それでも私をよくよく観察した後で、彼女は口を開いた。
「失礼しました」
頭を下げると、そのまま少女はパタパタと部屋を出て行った。
私は呆気に取られて目を見開いたまま、少女の背中を見送る。
「なんなの」
一人になった部屋で呟く。
誰だあれは。
なんで急に私の部屋に。
少女への様々な疑問が浮かんでいったけれど、私が最後に漏らしたのは自分の事だった。
「久しぶりに驚いたな」
驚いて上げた自分の声。
本当に久しぶりとなる感情の変化だった。
「ぎゃぅ!」
また暫くして、私は再びベッドの上で驚きの声を上げることになった。
「なんなの?」
前回と同様に確認すれば、やはり同じように私に馬乗りになってこちらを見つめる少女の姿が視界に飛び込んできた。
「おぉ!?」
前回と全く同じ反応の少女に私は頭が痛くなった。
「またあなた?」
今度は言われずとも私の上から離れる少女。
「失礼しました」
言うが早いか頭を下げると、彼女は部屋を後にする。
「本当になんなのよ」
二回目となった少女の突然の来訪に、私は眉間に皺をよせた。
「ひゃあ!」
三回目の来訪。
今度はベッドの上で本を読んでいた時の事だった。
珍しく読書に集中していた私のおなかに降り立った少女は、今度は驚いた表情もなく、辺りを見回して溜息を吐いた。
「またですか」
「それは私のセリフでしょ!」
本を放り投げて、馬乗りの少女に抗議する。
「怒ってます?」
「当たり前でしょ!」
「頑張りますから」
「何をよ!?」
しかし少女はまたしても、お辞儀をすると、そのまま部屋を後にしていった。
このあたりから、私は困惑よりも、怒りを覚え始めた。
そんな事が度々続いた。
ある時は笑顔を浮かべながら。
ある時は悲しそうに。
怒ったり、無表情だったり。
表情豊かに私のベッドに現れては、彼女は名前も告げず部屋を去っていく。
そしてこの日。
「またっ!?」
今度こそは叫び声を上げず、馬乗りになった少女を軽く払い除けて、私は彼女に怒りをぶつける。
「毎回毎回。 一体あなたは誰なのよ!?」
「十六夜咲夜といいます」
ベッドの上の少女は初めて自分の名前を名乗った。
「この紅魔館でメイド見習いをさせていただいています」
ベッドの横に立って、咲夜と名乗った少女はお辞儀をした。
「そのメイド見習いが、なんで私の部屋に突然現れるわけ?」
「小悪魔の罠に嵌められました」
「小悪魔? 罠?」
「次こそは、こうはいきません」
私には説明せずに、決意を帯びた様子を見せる少女。
「もういいわ。 だけど部屋には二度と来ないでくれる?」
「えぇ!?」
「なんでそこで驚くのよ!?」
驚く少女の姿を見て、こちらが逆に驚いてしまう。
「罠に嵌まらないって決意したんじゃないの?」
「それはそれ、これはこれです」
「意味がわかんない」
「もう私と会ってくれないんですか?」
「あんたは好きでここに飛ばされているっていうの?」
「許可を頂ければ、ちゃんとドアから入ってきます」
「く、この……」
頭にきた私は、近くにあるテーブルの上の花瓶を視線に捉えて、その目を握りつぶした。
すると花瓶は粉々に崩れてしまった。
それを見届けて、私は彼女に視線を戻すと睨みつけて言い放つ。
「見たでしょ? 貴方もこうなりたくなかったら……」
しかし私が警告を言い終わる前に彼女は口を開いた。
「それくらい私にも出来ます」
そう彼女が言った瞬間。
花瓶の隣に置いていた本がバラバラになった。
「どうです!」
少女は得意げに胸を張って私を見つめる。
「…私の本」
数少ない暇つぶしの道具を失って、涙目になる。
私のその姿をみた少女は、自分がしてしまった事に気づいて、慌てて私に口を開いた。
「ご、ごめんなさい。 代わりの本を用意しますから」
何度もお辞儀をして謝る姿に、なんだか怒りを通り越して呆れてしまう。
私は溜息を吐くと、頭を下げる彼女に語りかける。
「もういいわ。 でも、突然現れて迷惑なのよ」
「ごめんなさい」
「だから、もう来ないで欲しいの」
「それは……嫌です」
「どうして?」
私の質問に下げていた頭を上げて、彼女は私を真っ直ぐに見つめる。
「寂しいから」
「さみ、しい?」
「やっと私と同じ女の子に会えたんです」
その言葉に私は苛立ちを覚えた。
なんなんだ彼女は。
何が同じ女の子だ。
私とお前が同じですって?
寂しいなら他にいるでしょうに。
なんで私なんだ。
不快な思いが胸に満ちる。
だから私は言ってやった。
「どうやら私のことを知らないようだけど」
そして私は少女に掴みかかって、いつもとは逆に彼女に馬乗りになる。
「私はね、狂ってるの。 お前のような子供を殺すなんてなんとも思わない」
そして私は彼女の首に手を当てて、睨みつけてやる。
「あははははは、お前、馬鹿だろう? 何が同じだ! 何が寂しいだ!」
私は少女の首を締め上げる。
彼女は苦しそうにうめき声をあげた。
それを見下ろして、私は狂気を演じ続ける。
「二度とこの部屋に来るな!」
「い、や……」
しかし少女は忠告を聞かない。
ますます苛立って、私は顔を彼女の鼻先まで近づけた。
「怖いだろ? 死にたくないだろ? なら…」
「そんな…怖くなんか…ないです」
「嘘を吐くな!」
「嘘つきは…あなたです」
少女は私の腕を掴んで震える声で、しかし力強く声を上げた。
私は驚いて、締め上げた腕の力を緩める。
すると少女は何度かむせた後、涙目のまま私を見つめて口を開いた。
「だって知ってるんです」
「何をっ!?」
「ずっと一人で生きてきましたから。 迫害されて、傷つけられて。 でも、私は諦めなかった。 寂しくても、希望を持って生き抜いた」
だからここに辿りつけたと彼女は言った。
なにが同じだ。
何を言いたい?
諦めず、希望を持って、生き抜いてきたんだろう。
私とは全く逆じゃないか。
「初めてあなたに会った時、私はあなたの存在を知っていました」
この紅魔館には狂気を宿した恐ろしい吸血鬼がいる。
それは当主の妹で、フランドール・スカーレットという。
屋敷の住人は妹様と呼んで部屋には近づこうとしない。
「それなのに、はじめて会った妹様は普通の女の子でした」
「はっ! たまたま狂っていなかっただけでしょう?」
「いいえ、違います」
「違うですって?」
「だって、妹様は決して狂ってなどいませんでしたから」
少女の言葉に頭を殴られたような衝撃が走る。
私が呆然としていると、少女は言葉を続けた。
「私は知っています。 本当に狂った者がどんな目をしているのか。 私はその中を一人で生きてきた。 生き抜くためには彼らに倣って狂気を演じた事もありました」
目を閉じて後悔するように彼女は呟いた。
「苦しくて、辛くて、どうにかなりそうだったけど。 それでも、だからこそここに辿りつけた」
再び目を見開いて私を見つめる。
「妹様はそんな私と同じ目をしていました。 苦しくて、辛くて、後悔して、それでも生きていこうとしている」
「そんな事ないわ」
「いいえ、そんな事あります。 私と同じ子が目の前にいるのに……」
彼女は私の頬に右手を添える。
私はそれを受け入れて、彼女の次の言葉を待った。
「……寂しいじゃないですか。 せっかく同じ思いの子と友達になれそうなのに、このチャンスを見逃すなんて」
「とも、だち?」
「ずっと一人でいると感じるんです。 孤独を…」
「あなたには他にもいるじゃない」
「違いますよ。 私は心が弱いから、初めての友達は同じ気持ちを知る人がいいって決めてたんです」
「なにそれ、結局あなたの都合じゃない」
「はい、でも、だからあなたに会えました」
溢れ出る私の涙を拭って、彼女は笑顔を浮かべる。
「私、不器用で。 一人が長かったから接し方が分からなくて。 それでも会いたくて……」
笑顔の彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝う。
「……寂しくて。 迷惑だろうけど妹様と会いたかった」
何度となく私の部屋に現れては、彼女はいろんな表情を私に見せてくれた。
それは彼女の不器用なりの努力だったのだろう。
私と友達になるための。
「咲夜」
「名前、呼んでくれるんですね?」
ずっと部屋に閉じこもっていた。
心を閉ざして。
諦めて。
狂気を演じて。
気が付けば、自分の感情なんて忘れてしまっていた。
寂しいなんて思いはとうの昔に置いてきたはずなのに。
だけど咲夜に言われて気がついた。
あぁそうか、私は自分でも気がつかなかったけれど、寂しかったのか。
同じ思いを持つ彼女にはそう見えていたんだ。
隠し通すと決意したあの日から。
お姉さまの笑顔の思い出だけで生きていけると思ったあの日から。
それでも私の心だけは忘れていなかったのか。
思い出してしまった私の心はこんなにも脆くて弱い。
彼女は、だから同じと言ったのか。
なんて自分勝手。
私なんかと友達になりたいために、とんだ迷惑。
だけどもう駄目だ。
知ってしまったから。
目の前の咲夜という存在を。
だから私は口を開く。
「ねぇ咲夜。 聞いて欲しい事があるの」
「友達ですから」
「うん。 あのね……」
それから咲夜と友達になった。
二人だけの秘密を共有して。
それから彼女が突然ベッドの上に現れることはなくなった。
部屋のドアを開いて、様々なお土産を持ってきてくれる。
いつしか彼女は私の前でだけフランドールと名前で呼んでくれるようになった。
とても素直ないい子で、お節介なところはあったが、私はとても嬉しかった。
まるであの頃に戻ったようにも感じた。
からかったりする事はあったけど、成長した彼女は多少生意気にはなったが、いつしか友達から愛すべき家族へと変わっていた。
成長した彼女が事情を知る故、お姉さまと私の関係をどうにかしようとお節介を焼いたりするのはいただけなかったが。
幸せだった。
もう何もいらなかった。
手に入れられないと諦めていた幸せを再び噛み締めて。
それだけで生きていけるともう一度思えたのだから。
だから許せなかった。
目の前のネックレスが。
また私に過去を思い起こさせる。
約束を。
決意を。
寂しさを。
思い出してしまったじゃないか。
「気にかけてるなんて嘘ばっかり…」
495年前の約束。
悲しい希望。
それが今、目の前でもう一度崩れ去ろうとしている。
だから私は手をかざす。
今度こそ忘れるために。
―――――――――そしてその時、紅魔館を揺るがすほどの爆音が響いたのだった。