Side ルーミア
封印される前。
私は人喰いだった。
文字通り人しか喰わない。
来る日も来る日も私は人間の絶望をこの身に収めていた。
力を持たない脆弱な人間たち。
子供も大人も、男も女も。
骸の数を忘れる位に不乱で喰べ続けた。
陰陽師や妖怪狩りの人間が私を狙い襲ってくる事もあったが、それも難なく返り討ちにして喰らった。
積み上げた骸の上で私は時を数えるのも忘れ喰べ続けた。
だけれどいつまでも私の腹は満たされなかった。
絶望を与え、どす黒い感情が胃の中に収まるその瞬間は、その味に酔いしれることはできた。
でもそれだけだ。
いくら殺しても、いくら食べても私の何かが満たされない。
気まぐれに人間以外のものを食べることもあったが、それは人間に比べ無味と言っても良かった。
だから人間だけを殺して喰った。
自分でも何を求めているのか、何が私を満たしてくれるのか分からなかった。
分からなかったが、人間を食っている時だけは、その渇望を忘れることが出来た。
幾星霜過ぎたことだろう。
求めていたものがなんなのか、それすらも分からずに、唯々毎日を人を食らう事に捧げた。
殺して、殺して、殺し尽くして。
喰って、喰って、食い続けて、私は日々を生きた。
求めるものがなんなのか分からないまま、ある日私は夜の空を眺めていた。
美しい満月の夜だったと思う。
ぼんやりと骸の上で私は月を眺めていた。
そしてふと、私は自分というものを思い出し、その時はじめて絶望を感じた。
私はきっと満たされない。
その時、生まれて初めて泣いたのだと思う。
嗚咽を漏らし、止めどなく流れる涙を拭うことすら忘れ、私は助けてくれと泣いた。
苦しかった。
満たされないということが、こんなにも私という妖怪を苦しめるのか。
その日から、私は人を喰うのさえやめた。
もう求めることに飽いたのだと思う。
諦めたのだと思った。
生きていくことに。
それから、ただぼんやりと夜の空を眺め続ける日々が続いた。
月の満ち欠けさえも肌で感じなくなった頃、私は自分の体に力が感じられない事に気づいた。
あぁ、やっと死ねるのか。
不思議と安堵の息が漏れる。
笑顔を浮かべながら、最後にこんな私を眺め続けた月に別れを告げようと夜空を見上げた。
「さようなら」
帰ってくるはずのない返事に私は目を閉じる。
でもその時、私に語りかけてくる存在が確かにいた。
「後悔はないの?」
ある筈がない。
だから求めることをやめたんだ。
人を喰うのをやめたんだ。
だって満たされないということを、とうの昔に知ってしまったんだから。
「本当に?」
うるさい。
私は諦めたんだ。
「ならどうして、答えを見つけたあの時に死んでしまわなかったの? 動くこともできない様になるまで月を眺め続けたの?」
やめろ、やめてくれ。
なら私はどうすればよかったんだ。
あのまま喰らい続けていれば良かったのか?
永遠に満たされることがないと分かっていながら。
なお喰らい続ければ私は満たされたとでも言うのか?
そんなことはない。
そんなはずがないんだ。
あってはいけない。
だって私は絶望したんだから。
「でもどこかで、まだ希望があるかもしれないと信じていたから、だからあなたは死ねなかったんじゃないの?」
違う。
死ねなかったのは希望に縋ったんじゃない。
私はただ臆病だっただけなんだ。
「思い込もうとしているのね」
もういいだろう?
誰か知らないが、私はきっと終わってしまったんだ。
もう、駄目なんだ。
疲れたんだ。
やっと死ねる。
終われるんだ。
「ならあなたはどうして泣いているの?」
「…え?」
そんなはずはないと目を見開いて、頬に触れる。
そこには確かに私の双眼から溢れた涙が頬を濡らしていた。
「そんな」
唖然とする私にそれは語りかけてくる。
「心は騙せない。あなたは希望を求めている」
「う…嘘だ…」
「嘘じゃないわ。予言してあげましょう。あなたはきっと満たされる」
どうして今になって。
今になってそんな事を言うんだ。
私はもう十分すぎるくらい待ったじゃないか。
それでも満たされなかったから、諦め、絶望したはずなんだ。
それなのにどうして涙が止まってくれないんだ?
どうして、満たされるという言葉に縋ってしまいたくなるんだ?
「それが希望だから」
「希望?」
「そう、いくら絶望を経験し、諦めを思うとしても、あなたの心には一欠片の希望があった。だからあなたは泣いている。その心がここで終わりにはさせまいと」
「私…どうすれば……」
「今はその心を休めなさい。救いの時が来るその時まで」
その言葉のあとで、私の視界が光に包まれる。
私はぼんやりと光の中心で横たわっているだけだった。
希望。
本当にあるのだろうか。
こんなにも絶望していたのに、それでも、また暫く待ってみようと思えた。
少なくとも、私の心が希望を捨て去るその時までは待てるのかな。
「誇り高き宵闇よ、どうか安らかに。きっと、あなたの心は気付くはずだから」
声が遠くなっていく。
「その時が来ればあなた自身が見つけられる。 しばしのさようならを…」
最後の言葉が紡がれて。
そしてその後から。
私は「わたし」になった。
おもての私は受動的だった。
自分からは人を襲わず、ただそこにあれば食らう。
人だけじゃない。
腹が空けば植物や動物も食う。
ただふらふらと一人で目的もなく森を、川を、湖を彷徨った。
幻想郷に流れ着いた頃。
混ざるということを覚えた。
他の妖怪に混ざることがあったし、妖精や、人間に混ざることもあった。
楽しそうだと思えば、人間の里に出向くこともあった。
私はわたしの中で眠り続けた。
いつか来るかもしれないその時を待ちながら。
僅かばかりの自身の変化。
それは心地よく、いつしかもうこのままでもいいかとさえ思うようになっていた。
ある時スペルバトルが導入された。
それがますますわたしから牙を奪い、与えられたぬるま湯に浸かることで、その思いをますます強くさせていった。
このまま私は消えていくのだろう。
それもいいかもしれない。
惰性が私の心からゆっくりとあの時持ってしまった希望を蝕んでいった。
きっとその時など訪れないのだ。
だけど、おもてのわたしはそうは思っていなかったらしい。
その時が来たのだと。
私に向かって目を覚ませと言ってきたのだ。
受動的だった彼女が胸を高鳴らせ、この私に興奮気味に言って聞かせる。
「やっと見つけた」
戦いの中で一度絶望し、諦めを感じたことで、おもてのわたしは気づいた。
あの時の思いを。
そう、おもてのわたしは私の希望そのものだったのだ。
闇の化身、ルーミアの最後に残された希望の形。
それがいままでわたしでいてくれたもの。
その希望のバトンを私は零さない様に力強く握り締めて、目を覚ます。
落としてしまうわけにはいかない。
だって彼女がずっとずっと大切に持ち続けてくれたんだから。
受身だったわたしが初めて抱いたその気持ちを胸に、私は二度と会えない彼女に告げる。
ありがとうわたし。
そして、
「さようなら」
これは復讐だ。
ずっと待ち続けた、わたしに対する私の気持ち。
手向けよう。
あなたが感じた初めての気持ちを胸に。
だから私は目の前の男に告げる。
有り余る那由多に積もった私の気持ちとわたしの気持ちを言の葉に乗せて。
「私はお前を喰らいたい」
そして私は躍動する。
この目の前の男へ。
私の期待とわたしへの悲しみを拳に乗せて。
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「ぉぉぉおおおお!?」
その拳が自身の腹を捉えたことに気づいたとき。
アルベルトは衝撃と共に驚愕の声を上げた。
「がはっ!」
打ち出されたルーミアの拳をその身に受け、空中に留まっていたアルベルトの体が尺取虫のように九の字に曲がり、口から血を撒き散らした。
「逃がさない」
気が付けば目の前にルーミアの姿があった。
長く伸びた金髪が月明かりに煌き、少女の姿が妖艶な女性の姿に変わっていた。
血の色をした美しい瞳がアルベルトを捉えたと同時に、いつの間にか生み出された闇の触手が彼の四肢を固定する。
それはそのまま彼の身動きを封じた。
「…これは私の分」
そう言ってルーミアはアルベルトの体へと幾千もの連打を一息で浴びせる。
空中で固定されている彼への連打はその破壊力を逃がすことなく刻んでいく。
「そしてこれが……」
蠢く暗黒を右の拳に纏い、その凶暴な瞳がアルベルトの顔を捉える。
「わたしの分だぁぁあああああ!!!」
振り抜かれた拳。
貫いた。
それはまるで光のようで。
抉り込まれた右腕が、アルベルトの頬を直撃した。
手になじむ肉の感触。
そのままルーミアは地面へと彼を叩きつける。
叩きつけられた大地にクレーターが出来、砂煙が再び舞い上がる中で、光の軌跡を闇で描いた彼女の腕がゆっくりと大地から離れた。
「あはは」
ルーミアの視線の先に、叩き落としたはずのアルベルトの姿はない。
「嬉しいよ」
「何がだ?」
呟きに砂塵の向こうから返事が返ってきた。
振り向いて、ルーミアは声の聞こえた方へと、その超大な闇を解き放つ。
ただ一本の漆黒が猛烈な速度で砂塵を引き裂き、貫いていく。
それは森の木々を同時に貫いて声の主へと辿り着く。
しかしその槍が相手を貫くことはなかった。
アルベルトの放った衝撃波。
それが彼女の闇を霧散させた。
瞳に男の姿を捉えた彼女は笑みをこぼす。
「なに!?」
驚愕の声を上げたのはアルベルト。
霧散させた闇が、数千の刃となって彼を囲い込み、襲ったのだ。
「味な真似を!」
四方八方から同時に襲いかかる凶刃に、アルベルトの体が切り刻まれる。
腕を裂き、足を貫き、体を切り刻まれながら、数え切れない程の傷を負って、しかし彼はルーミアへと突進した。
月符 「ムーンライトレイ」
一直線に向かってきたアルベルトに、ルーミアはその両手を合わせるように、月光の名を持つレーザーを放った。
それは彼の逃げ場をなくすかのように、収束していく。
「くそっ!」
悪態を吐いたのはルーミアだった。
極大の月光がアルベルトにたどり着いた時、それは彼の回転に弾かれたのだ。
文字通り体をドリルのように回転させながら体当たりを行ったのだ。
「―――――――――――っ!!!」
その生み出された回転エネルギーの直撃を受けて、ルーミアの体が後方へと吹き飛んでいった。
地面を削り、何度も錐揉みしながら森全体を震わせて飛んでいく彼女に、アルベルトは追撃を行なう。
「まだ終わってはおらぬ!」
一閃して放たれた空気の刃。
それは確かにルーミアへと放たれた。
「――――――――調子に、乗るなぁぁあああ!!!」
吹き飛ばされながらも作り出された七枚の闇の壁。
それを寸断しながら、しかし最後の一枚を切り裂くことなく、空気の刃は闇に飲み込まれた。
森に静寂が訪れる。
攻防が終わり、都合十数メートルの間合いで対峙するアルベルトとルーミア。
そのどちらもが満身創痍。
「やっと見つけた」
「……」
「さっきの答えだよ」
訝しんだアルベルトに向かって、ルーミアは嬉しそうに言葉を続ける。
何が嬉しいのかと聞かれた。
だから答えてやろう、と。
「私は待っていたんだ。 ずっとずっと長い間」
「私を満たすもの。それがお前だ」
「きっとお前を喰えば満たされる。 やっと答えが見つかるはずなんだ」
朗々として語るルーミアに、しかしアルベルトは一つ溜息を吐いて、構えを解き、自然体を作って、首をやれやれと左右に振りながら言って聞かせた。
「なぁ小娘よ」
「……ルーミアだ」
少し不機嫌そうにルーミアが自分の名前を呟いた。
「お前など小娘で十分だ」
そう言って、彼は自然な動作で自身の胸ポケットを探る。
しかし、そこに愛用の葉巻がないことを思い出して、軽く舌打ちをし、アルベルトはルーミアをはっきりと見据えながら言った。
「きっとそれは、その答えは間違いだ」
「……ここまできて命乞いか?」
「だからな、だからお前は小娘なんだろうよ」
アルベルトの言葉に困惑して、しかしルーミアはその考えを振り払うかのように目を見開いて叫んだ。
「何が間違いだ! これはあいつが、わたしが私にくれたものだ!」
「……なればこそ」
「お前はなにも分かっちゃいない。 まだまだ至らぬ小娘よ」
「ふざ、けるな……」
先程までの高揚を忘れ、固く握り締めた拳からは血が滴り始めた。
吐き出すように呟き、ルーミアはアルベルトを睨んだ。
「いいだろう小娘。 先達として教えてやる」
決意のこもった眼差しをルーミアに返して、アルベルトは全身に力を込めた。
「私はお前を喰らいたい」
それは自分へと向けた言葉。
あってはならぬ指摘に、されどその恐怖を振り払うため、ルーミアもまた全身にありったけの妖力を込めた。
「お前を喰えば満たされる」
もう彼女の紅い瞳にはアルベルトしか映っていない。
その喉笛を掻き切って、余すことなく平らげよう。
そして取り出したのは彼女の背をゆうに超える闇の大剣。
彼女の一部で作り出されたその剣は相手の魂すらも残らず喰らう。
正真正銘、彼女の最強の切り札である。
「往くぞ」
傷つけられた全身から吹き出す血煙の中で、構えをとり、その一撃に全霊を込める両者。
月明かりが差し込む森の中で、二人は清廉な空気に包まれている。
そしてその時が訪れた。
「嗚呼ぁぁあああああああ!!!」
「ぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
_________________そして二つの光が激突した。
「あぁ……」
散る残月が息を漏らす。
涙を流し、弱々しく、鼓動を刻む。
「なぁ、小娘よ」
「……ルーミア」
視線を空に向けたまま横たわるルーミア。
それを見下ろすアルベルト。
月光が深い影を作ったせいで、ルーミアが彼の表情を伺い知ることは出来なかった。
「いや、まだまだなにも分かっておらん小娘だ」
「……はっ」
なにも言い返さず、ただ力なく笑うルーミア。
「いつかまた、答えを聞かせろ」
そう言ってアルベルトが背を向ける。
深く伸びた彼の影に重なって、ルーミアの瞳に届いていた月の光が遮られる。
「なぁ」
その背中に、ルーミアは語りかけた。
「名前…教えてくれないか?」
「アルベルトと呼べ」
「そうか、アルベルト、それがお前の名前か」
瞳を閉じて、ルーミアは満足そうに息を吐いた。
そして再び瞳を開けて、彼の広い背中に視線を向けて、呟いた。
「あぁ、やっぱり、アルベルト。お前を、食うのは…私…が…いい」
瞳を閉じるルーミア。
そして彼女の体が霧散していく。
ゆっくりとゆっくりと、この世界を名残惜しむかのように。
やがて、彼女の気配を感じなくなって、アルベルトは振り返らずにその場を去った。
彼女がどんな表情を浮かべていたのか。
それは誰も知らない。