「ああーーもれるぅぅーーーー! もれちゃうもれちゃうもれちゃうううううううーーー!」
モレルの朝は、二階にある自室から一階の廊下の突き当りにあるトイレまで、ダッシュすることから始まる。
彼はとてもトイレが近く、朝起きるとほぼ必ず尿意が限界を迎えているためだ。
「もう、モレル! 階段はダッシュしちゃダメっていつも言ってるでしょう!」
そんなモレルの様子をリビングから覗き見た彼の母が言う。
「だって、ママ、俺が二十歳にもなっておしっこもらしてもいいっていうのかよ!」
「それはもちろん嫌よ」
「だろ!」
そう言って、股間を両手で押さえながら、彼はトイレに駆け込んだ。
「ふぅー、限界までためたあとのおしっこは最高だな!」
じょぼぼぼぼぼぼぼっとトイレから放尿の音を響かせながら言うモレルを見て、母は嘆いた。
「うう、どうしてモレルはあんな子に……」
「俺たちは普通なのになぁ」
と言いながらダイニングでパンをかじっているモレルの父。
数分後、モレルがスッキリした顔でトイレから出てきた。
「今日の朝も大量に出たぜ」
「もういちいちそういうことは言わなくていいの! ご飯できてるわよ!」
母にそう言われたモレルはダイニングに行き、席に座る。
テーブルには、パンとコーヒーと豆が入ったスープとサラダが置かれていた。
「やれやれ、相変わらずトイレが近くなりそうな朝食だな」
「なに、文句あるなら食べなくていいけど?」
「食べます」
母に睨まれて、慌てて食べ始めるモレル。
ガツガツとした、気持ちのいい食いっぷりだ。
しかし彼の母は不満げに腕を組む。
「もう、もっと落ち着いて食べなさいよ、モレル」
「そうだぞ、急いでも飯は逃げないんだから」
向かい側の席で新聞を読みながら言うモレル父。
「こら、モレル、聞いているの!?」
「ああ、聞いているよ」
母の怒鳴り声をうざったそうに聞きながら、彼はスープにパンを浸している。
「だいたいあなたはね……て、どこへ行くの?」
唐突にモレルが席を立ったので、驚くモレル母。
「トイレ」
「さっき行ったばかりじゃない!?」
そう叫ぶ母を無視して、モレルはまたダッシュでトイレへ向かう。
「あんな息子、もういやああああああああ!」
母の絶叫は外にまで響き渡ったという。
さて、このように、いろいろ残念なモレルという男だが、なんと彼はこう見えて勇者なのである。
今日は旅立ちの挨拶をしに王に謁見する日。
モレルは数時間後、王の前でひざまずいていた。
「勇者よ、面を上げよ」
そう言われ、顔をバッと上げたモレルの表情は険しかった。
その顔を見て、ゴクリ……と王はのどを鳴らす。
「どうやら、覚悟はできているようじゃな、安心したよ、もし浮わついた気持ちで冒険に向かうようだったら、注意していたところだ」
実は王はこの時、全然見当違いのことを言っていた。
この時、モレルが思っていたことは以下のことだけである。
(やべっ、トイレ超行きてぇ!)
「そうだ、勇者よ、旅立つ前に、武器を授けよう……粗末なもので悪いが……」
そう言って王はひのきの棒を勇者に差し出した。
王の横でそれを見ていた宰相がぎょっと目を見開く。
「お、王よ、いくらこの国の財政が厳しいからって、その武器はさすがに……!」
「いや、それでかまわない」
「なに!?」
勇者の発言に目をこれでもかと大きくして驚く宰相。
しかしすぐに納得した顔になる。
「なるほど、勇者のあの鋭い目……ひのきの棒でも魔王を倒せる自信があるってことか、すごいな……」
宰相は何か盛大に勘違いしているが、このときモレルが思っていたことは以下のことだけである。
(やべぇ、もれそうだ、早くトイレに行かせろ、武器とかなんでもいいよ、もう!)
「勇者よ、もうお前には何も言う必要はないとわかった、さぁ、行くがよい、よき旅を!」
王がそう言うと、すぐさま勇者は走り去っていった。
宰相が感心したように溜息をつく。
「ダッシュで魔王討伐へ向かうとは、やる気に満ち溢れてますね」
「ああ、それが彼が勇者であるゆえんなのだろう」
そう言って王は何度もうなずいた。
さて、無事にもらす前にトイレに行けたモレルは、魔王討伐の冒険を始めることになった。
冒険者ギルドで戦士、魔法使い、僧侶、吟遊詩人を仲間にしたモレルは、万全の態勢で冒険をすることができるようになった。
――かに思えた。
問題は最初の雑魚敵との戦闘で起きた。
場所は草原。
相手はスライム三体。
「はっ、余裕だな」
「ええ、楽勝よね」
「適当にやっても勝てるんじゃないですか?」
「退屈ですね」
戦士、魔法使い、僧侶、吟遊詩人は敵をなめまくっていた。
だが、勇者モレルだけは様子が違った。
「うおおおおおおおっっ!」
ひとりだけ鬼気迫る表情でスライムに向かっていき、ばっさばっさと剣で斬っていく。
「勇者様なら、あんな雑魚、余裕で倒せるはずなのに、どうしてあんなに必死な様子で……」
目を大きく開いている魔法使い。
戦士は「そうか、そういうことか」と呟き、反省した様子で頭を抱えた。
魔法使いがそんな彼を見て、怪訝な表情になる。
「なに、どういうことなのよ」
「あれはつまり、どんな相手でも油断するなってことなんだと思う。これは危険な旅なんだぞ、おまえたち、わかっているのかって。勇者はそれを自分の態度で示してるんだよ」
そう言う戦士に、納得の表情になる魔法使いと吟遊詩人。
僧侶に至っては、「勇者様、素敵……」と彼が戦う後ろ姿を見て、頬を染めていたくらいだ。
しかし、現実は無情にも違う。
この時、モレルが思っていたのは、以下のことだけである。
(ああ、くそ、ザコが、邪魔くせぇ、こっちは早くトイレに行きたいんだよ! 早く倒れろ! ああ、もれる、もれちゃううううう!)