スズキサトルの日常   作:ふじら

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第9話 相思相愛似たもの同士

「ここが王都か……凄いな」

 

 モモンはヘルムの隙間から、初めて見る王都の風景に目を奪われていた。

 

 これまで荒涼とした戦場で兵士たちの姿ばかりを目にしてきただけに、この場所の印象はまるで違っていた。街の空気そのものが、まるで命を得たかのように生き生きと脈動している。乾いた風が運んでくるのは、埃や汗の不快な臭いではなく、香ばしい焼きたてパンの匂いと、陽光に干された布地の清潔な香りだ。遠くで時を告げる鐘が鳴り響き、それに重なるようにして人々の賑やかな声援や雑踏が広がっていく。

 

 これほど騒がしい空間が、なぜこうも心地よく感じられるのか。周囲を見渡せば、その理由はすぐに理解できた。威勢のいい商人の客引き、街角で世間話に花を咲かせる大人たち、無邪気に駆け回る子供たち、そして彼らを静かに見守る騎士たち。誰もが防護マスクを着用し、息を潜めるように生きていたかつての現実世界(リアル)では、決して拝むことのできなかった温かく賑やかな光景。

 

 兜の奥で、モモンの瞳が静かに輝いた。胸の奥が、ほんの少しだけ熱を帯びる。

 

「えい! やー!」

 

「このー!」

 

 おお、子供たちまで遊んでいる。チャンバラごっこか。ああいうの、本当に楽しいんだよな。やると絶対に先生に怒られるんだけど。

 

 まあ、俺は小学生の頃から無口で、友達もいなかったから一度もやったことはないけど。でもナザリックでは、よくペロロンチーノさんとそれっぽくロールプレイして遊んでいたな。それを見かけたたっちさんとウルベルトさんがノリ気になって、結局PK判定をオンにしたまま本気で殺し合う大惨事になった。その時はやまいこさんに怒られて、ペロロンチーノさんは茶釜さんにみっちり説教を食らっていたっけ。

 

 

 

 

「もー! 怪我する遊びは遊びじゃないんだよ。みんな分かってるでしょ。それに変に触れてタブラさんのデータクリスタルにエラーまで起こして……タブラさんにちゃんと謝りなさい」

「「「ごめんなさい」」」

 

「オラ!! 謝れ! 愚弟ごら! てめえは土下座しろ!」

「ごめんなさい! ごめんな……」

「申し訳ございませんでした、だろうが!」

「ひんっ」

 

「構いませんよ〜。また一から作るのも楽しいですし〜」

 

 懐かしいな……。胸の奥が、甘く疼く。

 

 ナザリックは、この世界にもあるのだろうか。俺だけが転移してきたとは考えにくい。サービス終了の瞬間にログインしていたプレイヤー全員が、同じようにこの地へ流れ着いている可能性だってある。

 

 ……本当に、注意しなきゃならない。

 

 俺がモモンガだとバレれば、俺ならまだしも、団長さんやケラルトさん、これから会う聖王女様にまで迷惑をかけてしまう。

 

 でも、もしナザリックがこの世界に来ているのであれば。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、こんなに人がいるなんて凄いです。賑わってていいですね!」

 

「当然だ!! 我がローブル聖王国の首都だからな! それにカルカ様がおわす場所だ! 凄くなくてどうする!」

 

 レメディオスは胸を張り、誇らしげに言い放った。声の調子に、隠しきれない誇りが滲んでいる。

 

 その時、チャンバラごっこをしていた少年少女たちが、こちらに気づいて動きを止め、一斉に駆け寄ってきた。裸足の足音が石畳に軽く響く。

 

 レメディオスは腰を低くし、子供たちの目線に合わせる。彼女の表情が、わずかに柔らかくなった。

 

「わたしもおねえちゃんみたいなきしになるから、なんかちょーだい!!」

 

「おれもおれも!! けんほしい!! でっかいやつ!!」

 

「おお、強い騎士になるには無欲に生きるべきだぞ。それに私たちが持つ武器はカルカ様から頂いた大切なものだ。手に取りたいなら、入団しないとな」

 

「ちぇ〜、もらえないのー?」

 

「むよくってなにー?」

 

「無欲というのはな……いや、騎士というのはな……」

 

「なに真面目に説法始めてるんですか、団長さん……」

 

 普通そこは適当に流すか、小さなアクセサリーでも渡すところじゃないんですか?

 

「お姉様はいつもああなのよ。まあ、そこが良いところでもあるのだけれど……」

 

「確かにそうですね。何事にも真面目な方は好きです」

 

 たっちさん……。

 

 

 ケラルトは目を細め、静かにモモンへ問いかけた。

 

「ねえモモン。この王都を見て、どう思うかしら?」

 

その視線には、ただの好奇心以上のものが宿っている。

 

 

「活気があって、商売も盛んで……あ」

 

 ——気づいてしまった。

 

確かに表面上の活気はある。

商売も盛んに見える。

しかし細部に視線を走らせると、明確な「歪み」が浮かび上がってきた。

思わず声が漏れ、喉の奥が引き結ばれる。

 

「……」

 

「いえ、すみません。このような失礼な態度を……」

 

「私が誘導したのだから、謝らなくて大丈夫よ。それで……見えた?」

 

「はい。ケラルトさんの仰りたいことが分かりました」

 

 まず目に付くのは、行き交う商人たちの肉体だ。腕を失っている者、片目を失って眼帯を巻いている者。

次いで食糧。店頭に並ぶ野菜や果物はどれも傷みかけており、色合いが悪い。

主婦たちはその劣悪な品質と跳ね上がった価格を見比べ、眉間にシワを寄せて苦悩している。

さらに——決定的に男が少ない。

ケラルトやグスターボから「国民皆兵状態」とは聞いていたが、それが数字ではなく現実として突きつけられていた。

賑わう街並みの底に、重苦しい影が落ちている。

 

「国民が……疲弊しています」

 

「……そうよ。けれどね、戦争というのは本来、地方都市の市民が疲弊し、首都は変わらぬ日常を送るものなの。それが国家の普通なのよ。本来ここは、戦火の不吉を感じることなく平穏に暮らせるはずの場所だったの」

 

 難しい言葉が並ぶが、何となく理解できた。リアルでもそうだった。

アーコロジー戦争が起きても、死ぬのは地方の貧民層ばかり。戦争を起こした張本人である京都の富裕層たちは、しらばっくれで普通の生活を送っていたと、ウルベルトさんから聞いた。それがこの国では、富裕層までが苦しんだり亡くなったりする、ということだ。

 

 仕組みや環境が違っても、その重みはわかる気がする。胸の奥が、わずかに重くなる。

 

 それに俺たちは、DMMO-RPGや電脳世界という娯楽があったからこそ生きていけた。でもこの国の人たちにはそれがない。逃避したくても、現実から逃げられない。

 

 そういえば、この国の娯楽は何かあるのだろうか。

 

「それ程までに亜人の存在は大きいのですね。なにか娯楽になるものはないのですか?」

 

「我が国は宗教を重んじる国家であることから、お酒などの嗜好品はあまり良いものとされていないの。私も基本は飲まないわ。でもワインは別よ。ワインは神の血として神聖なものとされ、昔から国民の生活の傍にある。特に聖王国産のワインは利益が国に帰属するから、買うだけで国庫が潤うの」

 

 なるほど。宗教国家は結束力が強い分、そういうところで制約があるのか。娯楽を自国に依存させる、というのも中々だな。でも、それだけで足りるのか? もっと遊びらしい遊びがあってもいいと思うが。

 

「なるほど……確かに国内で経済を上手く循環できるのなら良いですが、だとしてもワインだけでは不満が溜まる一方なのでは?」

 

「その通りよ。国民の幸福度は下がる一方。しかしそれらを解決するとしても、その根本には亜人との戦争がどうしても存在するのよ。徴兵というのは、それほどまでに市民からすれば大きなものなの」

 

「ずっと気になってましたけど、ケラルトさん、本当に詳しいですよね。そういった話」

 

「これでも、この国の政治を主導しているのは実質私だもの」

 

 ええ!? この人、何もの!? 神官のお偉いさんってだけじゃないの!? 胸の奥が、驚きで跳ねる。

 

「そうなんですか!? す、凄いですね。動かしてるのは軍隊だけだと思ってましたよ!! 政治もしてるだなんて……凄いなぁ」

 

「あまり誇れたことではないわ。私がその立場にあるということは、この国がよっぽどの事態にあることを示唆しているから」

 

「でも凄いですよ! 一国を取り仕切るなんて、俺なら重圧で倒れちゃいます! まあ、そういった能力がないので元からなれませんけど!」

 

「そう? 貴方なら意外とやれそうよ。あなたの性格なら……そうね。忠誠心が少し高めな逸材を集めれば、あとは人徳で適当にどうにかなるわよ」

 

「そうですかね。でもその逸材を集めるの大変じゃないですか。それに忠誠心って……俺にどんな奴が忠義を尽くすんですか」

 

「……それもそうね」

 

「酷い!! そこはフォローするとこでしょう!!」

 

「ふふ」

 

 フォローは通じるんだ……この世界の基準、分からないな。その差は結構気になるけど、ケラルトさんが笑顔を見せてくれるなら、まあいいか。彼女の微笑みが、柔らかく空気を緩める。

 

「さっきの話に戻りますけど、ケラルトさんは何か嗜好品とか好きなものあるんですか? 疲れた時の癒しとか」

 

「……癒しね。考えたこともなかったけれど、昔から本は好きよ。今も暇さえあれば読むわ」

 

「本ですか。どんな系統の本ですか?」

 

「歴史書ね」

 

「面白そうですね」

 

「あら? 興味あるの?」

 

「昔、そういったのが好きな友人がいまして。よく聞かされていたんです。それに、知らない土地の歴史なんてワクワクするじゃないですか」

 

「そう。やっぱり、記憶あるじゃない」

 

「はは、ここまで来たら良いじゃないですか」

 

「何も知らないお姉様が不憫でならないわ」

 

「打ち明けた方が良いですかね?」

 

「やめておいたほうが良いの。もう分かるでしょ?」

 

「確かにそうですね」

 

「ふふ」

 

「はは」

 

 

 

 二人は苦笑しながら、子供たちと笑顔で戯れるレメディオスと、その少し後ろで呆れたように佇むイサンドロ、ペシュリアンの姿に視線を送った。

 

 「おねえちゃんのかちゅーしゃ、ちょーだい!」

 

「駄目だ!! これは妹から貰った大切な品なのだからな!!」

 

「な〜んだ、ケチ〜。あ、あっちのおじさん!」

 

「わー! 紋章のついたハンカチだ!」

 

「騎士団のやつだ! カッコいいー!」

 

『ありがとー! おじさん!』

 

  気を利かせて軍用のハンカチを子供たちに差し出したイサンドロだったが、「おじさん」という無邪気な一言に深々とショックを受けていた。肩がガクリと落ちる。

 

 「……おじさん、ですか。私、もうそんな歳に見えますかね」

 

  イサンドロが虚無の目で隣のペシュリアンに尋ねると、彼は淡々と事実を告げた。

 

 「お前はまだ十分に若いと思うが」

 

「ですよね……」

 

 そんな落胆するイサンドロの姿を見たレメディオスは高らかに笑い、彼の背中をバシバシと力任せに叩いた。

 

 「ハッハッハ! イサンドロ、疲れで顔が老け込んでいるんじゃないか? しっかり休め!」

 

  (……半分以上は貴女の気苦労のせいだと思いますけど?)

 

  イサンドロは、戦の疲労も吹き飛ぶほどの殺意を覚えたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王城に入ると、一人の騎士がモモンを別室へ案内した。入団の儀式を行う広間とは少し離れた部屋だ。

団長さんとケラルトさんは先に行っているらしい。

 

 それと儀式では原則、顔は見せねばならない為、俺はヘルムを外し素顔のまま挑むことになる。

 

 ここでグスターボさんが、儀式の段取りをみっちり教えてくれた。立ち位置、礼をするタイミング、何歩進むか。よかった。これを無しに儀式を行うなど、精神が持たない。指先が、わずかに震える。

 

 ついでにここで『遠隔視の鏡《ミラー・オブ・リモート・ビューイング》』を返してもらった。グスターボさんの顔が明らかに嫌そうだったが、見なかったことにした。確かに軍のお偉いさんからすれば欲しくてたまらない代物だろうが、流石にこれは渡せない。ユグドラシル的には全然問題ないが、この世界の基準では危険すぎる。

 

「それではモモン殿、広間に行きましょう」

 

 

 

 広間にはレメディオス、ケラルト、イサンドロ、その他の騎士や神官が整然と並んでいた。空気が、緊張で張り詰めている。

 

 緊張する……しっかりできるだろうか。

 

 モモンは中央で膝を着き、頭を下げたが目線だけは前を向いている。

 

「聖王女殿下の御入場です」

 

 その言葉が響き渡ると、奥から一人の女性が現れた。

 

 腰まで届く美しく長い金髪が窓から差し込む陽光を受けて眩しく煌めいている。

 年齢は二十代半ばほどだろうか。

 おっとりとした穏やかな碧色の瞳。

 長く整った睫毛。

 吸い込まれるように透き通る白い肌。

 そんな女性が優美な衣擦れの音をさせながら、一歩一歩としとやかに歩みを進めてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 ……綺麗だ。

 

 

 

 

 

 

 あまりにも、綺麗すぎる。

 

 

 

 

 鈴木悟の脳内は、ただその一言によって瞬時に占拠された。

 思考回路が急速に真っ白へと染まっていく。

 

 彼は現実世界において、まともに女性と接した経験がほとんど存在しない。

 会社の同期に女性社員はいたものの、名簿で名前を知っている程度で顔を合わせたことすら稀だった。

 それゆえにオフ会で初めてぶくぶく茶釜を見た際には心臓が跳ね上がり、普段の冷静さを完全に失ってドギマギしてしまった過去がある。

 

 そんな筋金入りのウブ男が、ローブルの至宝とまで謳われる絶世の美女を至近距離で目撃したらどうなるか。

 

 答えは単純——思考停止である。

 

 

 

 綺麗すぎる。あまりにも綺麗すぎる。

 

 

 

 艶やかな金髪……

 

 

 

 しなやかな肢体……

 

 

 

 

 華奢な手先。

 

 

 

 

 顔立ちの美しさは、NPCのモデリング技術をもってしても到底再現不可能な領域に達している。

 

 

 

 

 

 ドキドキ

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 ドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 金髪って良いですね……ヘロヘロさん。

 

 モモンは荒れ狂う心を落ち着かせるため、イマジナリーギルメンに逃げ込んだ。

 

「そうですよ〜、ですから以前はモモンガさんの嫁にうちのソリュシャンをと勧めたのに……」

 

「それはうちのシャルティアで決まったでしょ」

「決まってねえよ! うちのアウラが候補一位なの!」

 

 モモン(鈴木悟)の脳内が混乱している一方、儀式は淡々と進められる。

 

 

 

 聖王女が膝を着くモモンの前に立ち、静かに声をかけた。

 彼女の影が、モモンにわずかに重なる。

 

「御顔をあげて下さい」

 

 うっー! 恥ずかしい!! 恥ずかしい!! ひぃっ! いいのか俺! 顔を上げて! む、胸が苦しい……自分の鼓動が聞こえる! 

 

 

 心臓の音が耳の奥で、ドクン、ドクンと響く。

 

 モモンは頬をわずかに赤らめながら、意を決して顔をあげた。視線が、彼女の碧色の瞳と重なる。

 

「はっ……ひゃい」

 

 やったーーー!! やってしまった! 肝心なところで噛んだ!! ひぃ! だって仕方ないじゃん、こんな美人さんと目を合わせて緊張しないほうが無理だよ!! 恥ずかしい! あーー! 死にたい!! しんでアンデッドになりたい! 顔が熱い!!

 

 返事で噛んでしまい、一層混乱するモモン。しかし次の段取りが飛んでくる。

 

「入団の言葉」

 

 ここは決められた文言を、聖王女の目を見て言わなければならない。

 

 鼓動が一層早くなる。彼女の目を見なければならないのに、勝手に逸らしてしまいそうになる。

 必死に心を落ち着かせ、グスターボさんに教わったセリフを紡いだ。

 喉が、わずかに震える。

 

「我、モモンは、四大神と聖王女カルカ・べサーレス殿下の御前において、聖騎士の位を賜り、国家、国民、財産、生命を守ることを誓います」

 

 言い切った! 言い切ったぞ!!!

 よかった! 大丈夫だよな? 俺セリフ飛ばしてないよな!?

 息が、少し乱れる。

 

 問題なく進み、安堵したモモンは聖王女の次の言葉を待った。肩の力が、わずかに抜ける。

 

「……」

 

「……」

 

 待つ。

 

「……」

 

「……」

 

 待つ。

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙が訪れた。空気が、静かに張り詰める。

 

 本来であれば、この次は聖王女が祝言を述べるはずだ。だが当の本人は、モモンを優しい瞳でじっと見つめたまま硬直している。

 

「……カルカ様?」

 

 列に並んでいたケラルトが怪訝そうに目を細める。レメディオスや他の騎士、神官たちも「どうしたのだ?」と言いたげに視線を交わし始めた。

 

 異変を察したケラルトが司会役に素早く目配せをする。司会の神官は本来なら口にしない台詞——「……祝言を」と小声で促した。

 

「祝言」

 

 神官の声でハッと我に返った聖王女は、頬をかすかに赤らめながら慌てて口を開いた。

 

 

「……私の前でこの国に寄り添い続けることを誓ってくれました、新たな聖騎士モモン。あなたが聖騎士団に加わることを、心より嬉しく思います。この国の民は、あなたたちの剣と盾に守られて生きています。弱き者を傷つけず、誰もが安心して暮らせる国を、共に築いていきましょう。あなたの忠義と勇気を、神々も私も見守っています」

 

 他の人が入団する時と同じであろう、定型の文言だ。グスターボさんから聞いていた通りなら、あとは剣を頂いて終わり。モモンは安堵した。胸の奥が、静かに落ち着く。

 

「そして、このような場にはなりますが」

 

 お、終わらない? あれ? ここで終わりじゃないの?

 モモンの心臓が、また跳ねる。

 

「御礼を、私から申し上げさせていただきたいと思います。本日早朝に起きました亜人による大侵攻、これをあなたはお見事撃退してくれました。かの戦場は非常に苛烈であり、絶望が支配していたと副団長から聞いています」

 

 聖王女は碧色の瞳で、まっすぐにモモンを見つめる。その視線が、優しく、しかし確かに届く。

 

 ……そんな御礼なんて。大層な。俺はしたいことだけしたというか、なんというか……。喉が、わずかに詰まる。

 

「そのような中、あなたは単身で敵陣地に馳せ参じ、前線騎士団の士気を高め、我が国に対する脅威を取り除いて下さいました。これは何ものにも代え難い、確かな救国の行為です。

 

 聖騎士モモン、あなたのお陰で多くの民が救われたのです。心より感謝致します」

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 感謝……。

 

 

 

 

 

 ……か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式が終わり、モモンはレメディオスと廊下を歩いていた。

 

 あーー!! めちゃくちゃ緊張した!! それに、王女様? 聖王女様? の方がいいのか? がめっちゃ褒めてくれるしさ! もう頭が追いつかない……。思考が、ぐるぐると回る。

 

 モモンは当初こそ聖王女の容姿や振る舞いに圧倒され、ドギマギしていたが、最後の「感謝」という言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じた。熱が、ゆっくりと広がる。

 

 ユグドラシル(ゲーム)ではよく言われていた「ありがとう」「感謝」という言葉。思い返せば、現実(リアル)では全く聞かなかった。全員が自分第一で、他人への感謝や気配りを殆ど忘れ去っていた。自身の記憶を辿っても、そんな言葉をかけられたことはない。

一方で、自分が言ったこともない気がする。

黙々と目の前のことをするそれが当たり前の社会だったからだ。

 

 

 

 

 モモンはこれまでの人生で、一番の幸福感を得た。

 

 

 

 人に認められた。

 

 

 しかも、あんなに美しい女性にだ。

 

 

 現実(リアル)では半ば奴隷のように扱われ、昔の言葉でいうならば弱者男性と呼ばれるであろう自分。

 プライドなんて邪魔でしかなく自己承認欲求なんてかなぐり捨てた。

 もはや社会の歯車として回るだけの道具として自覚していた方が、やる気が出るだろう。

 

 それが今、覆された。

 

 聖王という大きな身分を持ち、この国で一番美しいとされる女性に、感謝されたのだ。

 

 言葉にはできなくとも、モモンの中では多幸感がひしめき合っていた。胸の奥が、熱く震える。

 

「モモン、どうだ。緊張したか?」

 

「ええ、とても」

 

「……それと、気になったのが、返事する時噛んでいなかったか?」

 

「……」

 

「どうした。失敗は誰にでもある。それにカルカ様を前にしたのだ。あれぐらいあって当たり前——」

 

「なら言わないでください!」

 

「え……?」

 

「恥ずかしい……あー、忘れかけてたのに、恥ずかしい!」 顔が、再び熱くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡り儀式が始まる一時間ほど前。

 

 

 コンコンコン。

 

 静かな執務室に、規則正しいノック音が響いた。

 

 「ケラルト様です」

 

「お入りなさい」

 

 カルカは書類を繰っていた手を止め、優雅に立ち上がった。

 

 「カルカ様、ただいま到着いたしました」

 

「お疲れ様、ケラルト。さあ座って。馬車とはいえ、長旅で疲れたでしょう?」

 

 カルカはケラルトを応接用のティーテーブルへといざなった。侍従が静かに二杯の紅茶を給仕し、芳醇な湯気が立ち上る。

 

 ケラルトは侍従に軽く一礼し、紅茶にひとくち口を付けた後、静かにカップを置いた。

 

 「式典の段取りは予定通りです。変更はありません。モモンは別室でグスターボと作法の確認を行わせています」

 

「そう。……それで、どうだったの? 亜人軍の件は。一応、伝令からの報告は受けているけれど……貴女の口から直接聞きたいわ」

 

 カルカが最も憂慮しているのは、もちろん亜人の動向だ。今回攻め寄せてきた亜人軍の規模は、ここ数十年で最大級。これまでケラルトや軍事顧問らが提示してきた「亜人同士の不和により、当面の本格侵攻はない」という予測を根底から覆す事態だった。

 

 ケラルトは一息置くと、きっぱりと言い放った。

 

 「一言で申し上げますなら——『大勝』です」

 

 普段の慎重なケラルトからは絶対に開かれない、圧倒的な自信に満ちた言葉。カルカは思わずぽかんと口を開けた。常に「辛勝」や「善戦」といった控えめな表現を選ぶ彼女が、まさか「大勝」と断言するとは。目の前にいるのが、おとぎ話に出てくるドッペルゲンガーなのではないかと疑いたくなるほどの衝撃だった。

 

 「え、た、大勝……? 大勝ってあれよね、大きく勝つって書く……」

 

 カルカは動転のあまり、指先でテーブルの上にこの世界の文字で「大勝」となぞった。

 

 「はい。その『大勝』です」

 

「ええ!? 撃滅とは聞いたわよ!? 確かに! でもそれって……あのケラルトの口からそんな言葉が出るなんて、明日は槍でも降るんじゃないかしら!?」

 

「……カルカ様、既にお察しでしょうが、最大の要因は本日入団いたしますモモンです」

 

 ケラルトは今朝の戦闘の詳細を、順を追って淡々と語り聞かせた。

 

 「も、もはや殲滅じゃないの……。そのモモンという御方は、それほどまでに強いの……?」

 

「私も直接目撃したわけではありませんので明言は避けますが……ペシュリアンやイサンドロ、前線から戻った兵たちの証言、そしてお姉様の話……その全てが合致しています。『モモンの強さは圧倒的であった』と」

 

「モモンとは、一体何者なの……? まるで英雄譚から飛び出してきたかのような御方ね。それほどの武功を立てるなんて……」

 

「分かりかねます。事情聴取は行いましたが、なにぶん彼は過酷な漂流の末に『記憶喪失』になっておりますので」

 

「報告書にも書いてあったわね……記憶は戻っていないのね」

 

「個人の事情に踏み込むわけにもまいりませんので完全な把握は不可能です。判明しているのは、遥か遠方の異国から流れ着いたということのみです」

 

「そうね……あまり不躾に過去を詮索するのも良くないわね。ところでケラルト、貴女はモモンの訓練風景をご覧になったの? 参考までに知りたいのだけれど」

 

「見ました」

 

「どうかしら、彼の才能は」

 

「ありまくりです」

 

「ありまくり!?」

 

「ありまくりって、あの『有り余る』の『ありまくり』よね!?」

 

「はい。その『ありまくり』です」

 

 カルカは頭を抱えてがっくりと肩を落とした。美しい金髪がハラリと肩からこぼれ落ちる。

 

 「あのお堅いケラルトからそんな砕けた言葉が出るなんて……明日の天気は……あら? このくだり二回目かしら?」

 

 こうして二人は、突如現れた規格外の存在に頭を悩ませ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は戻り式典が無事に終了し、自室へと戻ったカルカ・ベサーレス。

 

 扉が閉まった瞬間、彼女は両腕をだらりと下げ、普段の威厳など微塵もない脱力した姿へと変貌を遂げた。

侍従が「信じられない」と言わんばかりに目を丸くして扉を閉める。

 

 執務机など目に入らない。

カルカは一直線に豪華な天蓋付きベッドへと向かい、重力に身を任せてダイブした。

 

 ボフンっ!

 

 枕に顔を埋め、足をバタつかせる。……そして枕からチラリと顔を覗かせたかと思えば、再び顔を埋める。

 

 

 

 

 

「……」ボフッ

 

 

 

 

 

 

「……」ボフッボフッ

 

 

 

 

 そんな珍妙な動作を十分ほど繰り返した後、カルカはようやく顔を上げた。

その頬は、熟した林檎のように真っ赤に染まっている。

 

 

 

 

 「……モモン様…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんて……なんて素敵な人なのかしら……!!」

 

 

 

 

 

 

 (キャーーーーー!!!!!)

 

 

 

 

(なになになに!? カッコいい! カッコいい!!)

 

 

 

 

(黒髪黒目に、どこか儚げで優しげな顔立ち!)

 

 

 

 

(陰のある雰囲気が、猛烈に母性本能をくすぐる瞳!)

 

 

 

(子供っぽい純粋さを感じさせる、照れたような頬の火照り!)

 

 

 

 

(愛嬌があって、優しく耳に心地いい声……!)

 

 

 

 

 

(強くて……優しくて……可愛くて……かっこよくて……純粋そうな殿方……!)

 

 

 

 

(ああ〜〜〜っ!! どうしましょう、どうしましょう私……!!)

 

 

 

 

 

 

 

 (一目惚れしてしまいました!)

 

 

 

 

 

 

 

 カルカはベッドの上で身を悶えさせ、バタバタと暴れ回った。

 

 聖王に即位する以前からも含め、一度たりとも見せたことのない破天荒な奇行。

こんななりふり構わぬ挙動をしたのは、幼少期に素敵な王子様が登場するおとぎ話を読んだ時以来だ。

シーツは乱れ飛称し、自慢の金髪もぐしゃぐしゃに絡まる。

 

 (あーもう! どうしましょう! 私、緊張のあまり一番大事なところで放心状態になっちゃってたし! 変な女だと思われてないかしら!? もしそうだったらどうしましょう……! うぅ……恥ずかしい……!)

 

 「もう……今日は人前に出る予定もないし、もう少しベッドの中で余韻に浸っても……」

 

 (いいえダメよカルカ! モモン様といつどこで再会できるか分からないのよ!? 気になる殿方の存在を、いかなる時も意識してこそ淑女でしょう!?)

 

 ガバッと勢いよく起き上がると、自分の両頬をペチっ! と優しく叩いて気合を入れる。

 

 ……しかし直後、激しい切なさが胸を襲った。

 

 (でも……胸が苦しいわ……。今はやっぱり……横になりたい……)

 

 これこそが——これこそが世にいう『恋の病』というやつなのね……!

 

 ああ『やつ』だなんて、私はなんて品のない言葉を……! 落ち着くのよ私、私は聖王女なのよ!

 

 その時、扉の外から声が掛かった。

 

 「ケラルト様がお見えです」

 

 声の主は侍従であり、ケラルトが入室許可を求めているという報せだった。しかし、完全に『恋の病』に冒された聖王女の耳には何も届かない。

 

 「うーー!」

 

「カルカ様、ケラルト様です」

 

(やっぱ無理ぃいい!! 胸が苦しいの! 苦しいのよー!)

 

 ベッドの上でゴロゴロと転がり、可愛らしい唸り声を上げるカルカ。

 

 「うーーーーー、うーーーーーーーーっ」

 

「カルカ様、ケラ「カルカ様、ケラルトです」」

 

 まるで小動物の求愛のような甲高い声を上げるカルカに対し、痺れを切らしたケラルトが自ら扉を開けて入ってきた。そして、ベッドの上でみっともなく悶絶している彼女の姿を目撃し、絶句する。

 

 「……何をしていらっしゃるのですか、カルカ様」

 

「うーー、耐えてるのよ……耐えてるの……」

 

「耐える……? 一体何を耐えていらっしゃるのですか?」

 

「……チクチクよ」

 

「は……? チクチク、ですか? それは一体……」

 

 カルカはベッドから勢いよく跳ね起きると、半泣きになりながら親友に訴えかけた。

 

 「チクチクはチクチクよ!! 胸がそう感じるの!! チクチク以外になんて言い表せばいいのよ!」

 

「……申し訳ありませんが、ちょっと何を仰っているのか理解できません」

 

 珍妙な言動に本気で困惑したケラルトは、侍従へ助けを求める視線を送った。しかし侍従はそっと首を横に振る。

 

 「……ケラルト様。先の式典が終わってから、カルカ様はずっとあの状態なのです」

 

「……式が終わってもう一時間経つのだけれど」

 

「はい。片時も変わらず、あの調子で……」

 

 (……まさかモモンが何か魔法道具(マジックアイテム)を起動させたままにしていたのかしら? お姉様に睡眠魔法をかけたとも聞いているし、その余波が式典で触れ合った際に伝染した……? 有り得るわね。私も馬車でモモンに触れられた際、眠気に襲われたのだし……)

 

 カルカは十五歳で即位して以来、体型や姿勢、服のシワを崩したくないという理由から就寝時以外は常に完璧な立ち振る舞いを崩さない女性だった。

そんな彼女が乱れた服装でうつ伏せになり、命の次に大切にしている金髪を振り乱しているなど、尋常ではない。

 

 「うーーー、胸がチクチクするわ……どうすればいいのケラルト……」

 

苦しむカルカを見かねたケラルトは非道な提案をした。

 

 

 

 

 

「……治癒魔法をお掛けしましょうか?」

 

「どうしてそんな酷いことが言えるのよケラルト!!」

 

案の定お怒りになるカルカ。

それに対して訳が分からないといった様子のケラルト。

 

「はい……?」

 

「あーー苦しい! 苦しいわ……胸が苦しいのよ!」

 

「ですから、治癒魔法を——」

 

「嫌よ!! 初めての感覚なのよ!? 現在進行形で私の大切な思い出になりつつあるのよ、この苦しみは! このチクチクは!」

 

「苦しみが思い出とは……随分と奇特な感性をお持ちですね」

 

 呆れ果てた様子のケラルトに対し、カルカも不満気に唇を尖らせる。

 

 「わからず屋……。(小声で)絶対にケラルトより先に結婚してやるんだから……」

 

「その程度の愚痴でしたらお姉様で聞き慣れておりますので構いません」

 

「(小声で)その前に、少しは男人に慣れた方がいいんじゃないかしら……」

 

 聖王女カルカ・ベサーレスは生まれて初めて芽生えた甘く苦しい恋心に、ただただ熱を浮かされ続けているのだった。

 

 




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