Imperial Cavalry   作:クマぴょん

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【第六話 未完の包囲】

——ダンケルク郊外。

 海が見えた。灰色の空の下、どこまでも広がる水面。その向こうに、逃げ場がある。そう思わせるには、十分だった。

だが——地上は、すでに閉じられていた。道路は遮断され、橋は押さえられ、連合軍はダンケルクへと追い込まれていく。後退ではない。圧縮だった。前へ出る余地はない。横へ逃げる道もない。残されたのは、ただ一つ。

——海。

 装甲部隊は、それを見据えていた。あと一歩で、包囲は完成する。あと一歩で、戦いは終わる。誰もが、そう考えていた。だが、戦場は、常に同じ形で終わるとは限らない。

止まるもの。

逃げるもの。

そして——止められないもの。

すべてが交差する場所。それがダンケルク。それは、終わりのはずの戦場だった。

だが——まだ、終わらない。

 

「前進停止。」

それだけの命令は短かった。

理由はない。

説明もない。

ただ——止まれ。

「どういうことだ?」

シュミットが低く呟く。誰も答えられない。前方では、ダンケルクの煙が上がっている。あと一歩。それで届く距離。それなのに——動けない。

「命令は確認した。」

ステファニーは無線を握ったまま言う。

「だが、このままでは・・・。」

言葉が続かない。続ける意味がない。誰もが同じことを考えている。

——なぜ、止まる?

「閣下は?」

エリアスが問う。ステファニーは視線を遠くに上げる。そこにはブリュージュ隊がいた。

だが、そこでは——別の戦いがあった。

「そっちに車両を回せ。」

「それはそこに・・・動けるものを前に出せ。」

ブリュージュは、地図を見ていた。包囲ではない。配置だ。

補給。

再編。

損耗した車両の穴を埋める。

「前線は?」

副官が問う。

「維持する。」

即答だった。

「崩す余力はない。」

それが現実だった。

「だが、敵は撤退を始めています。」

「分かっている。」

短く返す。分かっている。すべて、見えている。

海岸線に集結する兵。

動き始めた船影。

——逃げのびる敵兵たち。

「行かせるのか?」

誰かが言う。ブリュージュは答えない。答えられない。戦車の数や弾薬。乗員の疲労。すべてが、足りていない。

「——フッ・・・。」

一瞬だけ、目を閉じる。

「持ち場を維持しろ。」

それだけだった。——背きたい。この命令に。の状況に。だが——背けない。

「閣下・・・。」

別の無線が入る。ステファニーだった。

「前進の許可を。」

短くステファニーは答える。

「このままでは敵を取り逃がします。」

ブリュージュは沈黙した。わずかに長い。

「——許可できん。」

ブリュージュは言った。

「だが——命令だ。」

それ以上は不要だった。無線が静まる。ステファニーは、何も言わなかった。ただ、受け入れる。それしかない。時間が過ぎる。ゆっくりと、だが確実に。海の向こうへ、兵が消えていく。

一隊。

また一隊。

船が出る。

また出る。

止まらない。

それは、戦いではなかった。撤退だった。だが——成功している。

「・・・くそ。」

誰かが呟く。止められない。見ているだけだ。ブリュージュは、海を見ていた。何も言わない。ただ——見ている。その背中は、動かない。動けないのではない。動かない。それが、命令だからだ。そして——それを、破る力がないからだ。

 やがて——海は、静かになる。残されたのは、空の海岸と、煙だけだった。

「終わったな。」

誰かが言う。だが——ブリュージュは答えなかった。終わっていない。何も。ただ一つ。取り逃がしただけだ。

 

「・・・納得いかない。」

そう口を開いたのは、シュミットだった。かなり抑えた声だが押し殺しきれていない。

「あと少しだったんだぞ!」

誰も止めない。止める理由がないからだ。

「包囲できた。捕虜も、装備も、全部手に入ったはずだ。」

シュミットはこぶしを握りながら言い放つ。

「それを——見てるだけで逃がした?」

エリアスが視線を逸らす。

リサは何も言わない。

サンドラは無線機に触れたまま、動かない。

ステファニーも、口を開かなかった。

否定はできない。事実だからだ。

「命令だって言うのか?」

シュミットが吐き捨てる。

そのとき後ろでシュミット問いに答える人物がいた。

「そうだ。」

全員が振り向くとそこにはゲオルク・フォン・ブリュージュが居た。ただひたすらそこに立っていた。疲労は隠していない。むしろ、隠す気もない。それでも——目だけは、はっきりしていた。

「命令だ。上層部の命令に逆らえない。」

シュミットが一歩踏み出す。

「それで納得しろって言うんですか!」

「納得しろとは言わん。」

一瞬、空気が止まる。ブリュージュは続ける。

「俺も納得していない。」

その言葉に、わずかな揺らぎを感じる。

「だが——従う。」

それがすべてだった。誰もすぐには言葉を返せない。

「戦争は、現場だけで動いているわけではない。上の判断で止まることもある」

視線が、順に向けられる。一人一人へ。

「それが正しいかどうかは、関係ない。命令だからだ。」

重い言葉だった。理屈ではない。現実だった。シュミットが歯を食いしばる。

「・・・それで、いいんですか?」

「良くはない。」

迷いなくブリュージュは言う。

「だが、それでもやる。」

それ以上はなかった。沈黙が落ちる。長くはない。やがて——ステファニーが口を開く。

「我々は——」

視線を上げるステファニー。

「次の命令に従うべきです。」

静かに。

だが、はっきりと。

感情ではない判断だった。ブリュージュは、わずかに頷く。

「一度、本国に戻る。」

その言葉に、全員が反応する。

「帰還ですか?」

「整備と補充だ。そしてお前らも休め。」

誰も、すぐには喜ばなかった。戦いの途中であることは分かっている。だが——必要だった。もう限界だった。

「・・・了解。」

ステファニーが答える。シュミットは、何も言わなかった。ただ、視線を落とす。納得はしていない。だが、理解はしている。それが、戦争だ。戦車が動き出すのは前ではなく、後ろへ。ダンケルクを背にして撤退する。もう海は、もう見えない。だが——あの戦いは、確かに残っていた。取り逃がした勝利として。

 

 海は、彼らを拒まなかった。押し込められ、行き場を失った兵士たちは、最後に残されたその場所へと集まった。

ダンケルク。

敗北の果てに辿り着いた、唯一の出口。装備は捨てられた。戦車も、砲も、補給も。すべてを置き去りにして。

それでも——彼らは、生きて帰った。船は絶えず往復し、兵を乗せ、海の向こうへと運び続ける。それは撤退だった。

だが同時に——再生でもあった。生き残った兵は、再び武器を手にする。失われた装備は、いずれ補われる。そして、戦いは続く。海峡の向こう。島国は、まだ崩れていない。ドイツ軍は、その対岸を見据えていた。海を越えるか。それとも、空から叩くか。やがて、その選択は現実となる。

上陸作戦——Operation Sea Lion(アシカ作戦)

そして、

空を巡る戦い——Battle of Britain(バトル・オブ・ブリテン)

ダンケルクで逃れた兵たちは、次の戦場で再び対峙する。戦いは終わらない。ただ、形を変えるだけだ。

 

 

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