誰が為の明日 後編
「私の名前はメルシュタリン=アデラレルバイト。このミルカサリック領に住まう子爵であり、『魔女』だ」
「魔女……」
魔女、魔女……
魔女かー
……
…………
いや、魔女って、何ですか?
さも皆知って当然のように言われましたけど、わたしそんなもの存じ上げません。
「……あの、魔女って──」
「来てくれて早々申し訳ないが、今日は手が離せない」
「え」
「君のこれからの生活については、明日話すとしよう」
「ちょっと」
どうにか待ってもらおうと声をかけようとした瞬間、
私は部屋の外にいました。
どういうことなの?
一歩として動いたつもりはないのですが、現実としてわたしは退室しています。
疑問は深まるばかりですが、明日話すと言われた以上ここで再度入室してグイグイ行くのも何か違うように思えます。
仕方がないので日を改める事にします。
寝る場所は指定されていなかったので、ここにくる途中に見つけた客室で寝る事にしました。
埃は被っていますが、虫は湧いていないし雨漏れもない。
特に、寝床が床ではないのがマーベラス。
ベッドに寝転がり、わたしは今日のことを振り返ります。
知らぬ間に家を追い出されて、今はこんな辺境で眠ろうとしている。
なかなかどうしてか、当事者意識というものが湧きません。
見えない流れのようなものに動かされているようなもので、なんだか自分がちっぽけな小石か何かのように思えてしまう。
見えない誰かが流れを作り、わたしはその潮流に投げ込まれた小石。
流れに逆らう事も、ましてや順応して泳ぐ事も出来ないちっぽけ極まりない小物。
それが今のわたし……。
「……頭痛がする」
暗い気持ちになると、いつも頭痛がします。
生まれつきか、ハイライン家で痛めつけられ続けて脳のどこかしらがおかしくなってしまったのかはわかりません。
わたしはこの痛みを一種の危険信号だと考えています。
人間、一度ネガティヴになったらどんどん深みに落ちていきます。
『これ以上落ち込んだら戻れなくなる』と自分の本能が告げている、というのがわたしの考察です。
「……やめやめ、身の丈に合わない事は考えない」
自分がちっぽけな存在なのはずっと前からわかっている事ですから、今更それを悲しまない。
今日は眠りましょう。
明日に希望が無くとも今よりはマシな筈だから。
◇
朝、目を覚ましたら、わたしは食堂にいました。
なんで?
「おはようルルナ君。朝食のリクエストはあるかな?」
寝ているわたしの上からひょこっと綺麗な顔が覗いてきました。
アデラレルバイトさまです。
「腐ってないもの……」
酸素が回り切っていない寝ぼけた脳を起動させて、そう答えました。
「了解した、5分ほど待っているといいよ」
そう言うとアデラレルバイトさまはキッチンの方へと消えていきました。
妙に背中が柔らかいことに気づき、上半身を起こしてみると、とある事実を発見しました。
「ベッドごと連れてこられてる……」
一体どうやって運んだのか、食堂の空いたスペースに昨日わたしが使用したベッドが配置されている。
なんなら、わたしはその上で寝ている。
昨日食堂を見た時はベッドがなかったのをみるに自分ごと運ばれてきたとしか思えませんでした。
本を動かしたりベッドを動かしたりと、魔女が何なのかはわかりませんが凄い人の称号なんだなと、少しですがわかってきました。
「出来たよ」
キッチンからアデラレルバイト様が戻ってきました。
その手には皿がのせられています。
貴族が使用人も使わず自分で物を運んでいる。
これって滅茶苦茶不敬なことなのでは。
「ああそんな、子爵様自ら……」
「そういう堅苦しいのはいい。土地の自治権もなければ使用人もいない名ばかりの爵位だから、へりくだる必要はない」
「あ、そうなんですね」
なんとなくそんな予感はしていたけど、やっぱり使用人いないんだ。
アデラレルバイトさんは手に持つ皿を胸元まで下ろし、皿に乗っていた物を見せた。
「そしてこれが、焼きたてのパンだ」
焼き上がったばかりのまん丸とした普通のパン。
焼けた小麦粉の匂いが、食欲をそそった。
おずおずと、わたしは皿からパンを手に取りました。
焼きたてなのもあり、手が少し熱いです。
「い、いただきます」
口をあけて、パンに食いつく。
柔らかくて、それでいてなんだか素朴な味。
特に中身に何も入っていない、普通のパン。
硬くもなければ臭くもない、普通に美味しいパン。
何の変哲もないものなのに、なんだか沁みるものが、ありました。
◇
「君は、運命を信じるか?」
パンを食べ終えると、アデラレルバイトさんは急にそう言って話を切り出してきました。
「もしも、この世界に起きる全ての物事が何者かの作為により操作されたものだとして、自分の意思決定や出会いも何もかも予定されており、全ての行動は無意味であるとするなら、君はどうする?」
「あの、言ってる意味がわかりません。何の話でしょうか?」
「運命の話だよ、ひいては君の進路の話になる」
いやほんとに何の話ですか?
「まあ、一種の面接と思ってくれればいい」
「ええ……」
意味不明度合いがより深刻になってきました。
そうして思わず嫌さ加減が顔に出てしまっていると。
アデラレルバイトさんはどこからか一冊の本を取り出してきました。
この屋敷の本にしては妙に薄い本です。
彼女は本を読み、こう言葉を続けました。
「ルルナ=ハイライン。14歳。サダルとマリーニアの間に長女として生を受ける。生後三年ほどは貴族の娘として寵愛を受けるが、四歳の時に魔力の素質がないと看做され、存在を抹消。以降ハイライン家の侍女として召し抱えられる」
つらつらと述べるそれは、誰も話さないであろう秘密。わたしの半生でした。
なんで知ってるんだろう。
「父には忌み物として扱われ、母からは一片の愛も貰えず、妹からは出来損ないと蔑まれる。遂には家族から何の援助もなく見知らぬ土地へと放流される」
淡々と、熱を感じない口調でアデラレルバイトさんは私のこれまでを読み上げる。
「以上が『ルルナ=ハイライン』という少女のこれまでの人生だ。客観的に見て、君の人生は同年代の子供達と比べて非常に不幸であると言えるね」
ぱたんと本を閉じて、その本の表紙が明らかになる。
表紙には『ルルナ』と、わたしの名前だけが刻まれていました。
彼女は本を机において、わたしの方に視線を向けました。
「復讐、したくはないか?」
「はい?」
アデラレルバイトさんは唐突に提案しました。
「ハイライン公とその家族が君に行った行為は明確な虐待行為だ。社会倫理に照らし合わせれば、自分には報復する権利がある、そうは思えないだろうか?」
薮から棒に、この人は一体何なのでしょうか。
わけのわからない事を言い出したかと思えば、やれ面接だ復讐だと。
話が飛んでいるような気がします。
これも面接の一環だとするのでしたら、この質問も、何かを試しているという事なのでしょうか。
しかし復讐したいかどうか聞く意味とはなにか。
やっぱり、権力争いというやつなのでしょうか。
ハイライン家は公爵家ですし、あの父親の事だし多分敵も多い事でしょう。
実はアデラレルバイトさんもあの人が邪魔で、わたしが
もしも、そうだとするなら答えは一つです。
「……いいえ、そうは思えません」
言ってることの意味は分かります。
復讐についても、考えなかったわけじゃありません。
だけど、今のわたしにそんなことをする意味も、
「確かにあの人達がわたしにしたことは許したくはないです。けれど、わたしには魔力がなかったのだから、仕方ないのかもしれません」
わたしが出来損ないなのは、否定出来ない事実なのだから。
「それに、貴女もご存知でしょう。わたしはもう、長くは無いってことも」
左手を前に伸ばす。
手には白い長手袋を着けている。
使用人として手袋の着用は義務みたいなものですけど、わたしに限ってはもうひとつ、理由があって着けていました。
手袋を外して、それをアデラレルバイトさんに見せる。
「エンタングルメント症候群」
露わになった左手は、像がぼやけて、もつれていた。
「この病気は身体の小さなところから始まり、全身に広まっていき、最後には全身がもつれた状態になって体がバラバラの霧みたいに消えるんです」
三か月前、指の感覚が変になったことで、この病に気づきました。
最初の内は小指の端程度のものが、段々と広がっていき、左手全体にまで広がっています。
「国指定の難病なんですよね。一度発症すると治らないって、お医者様が言っていました」
三か月で体の五分の一まで広がった。
ここから全部同じ進行速度でも、一年。
たぶん、もっと早い。
「わたしには、時間が無いんです。だから、復讐とかよりも別の事に時間を割きたいです」
これが、わたしの本心。
やりたいことは何もないけれど、このまま最悪のまま死にたくはありません。
「だから、申し訳ないですけど、子爵の権力争いには手を貸せません」
わたしは頭を下げて、そう告げました。
言い終えて、今更だけど、大分失礼な事を言ってしまったと気づきました。
これでキレられて切り捨てられたり、家を追い出されたりしないでしょうか。
不安になったわたしは、下げた顔を上げて、アデラレルバイトさんの表情を見ました。
彼女は、
「ふむ、ふむふむ、それが君の答えなのだね」
薄く、本当に薄く微笑んでいました。
「その考え方は悪くないが、君は一つ勘違いをしている。別に私は権力に対して興味はないよ」
……何ですって?
「え、じゃあ、なんで……」
「強いて言うなら、君自身に興味があるから、だね」
訳が分からない。
わたしはただの出来損ないで、なんの魅力も能力もない。
そんなわたしの一体どこに興味を抱く要素があるんだろうか。
不可解な彼女は、わたしをじっと見つめて一言、
「君は嘘を吐いている」
そう言った。
「嘘? わたしがですか?」
嘘を吐いた覚えなんてない。
わたしは自分の意思をもって答えました。
そこに誰かを騙そうという考えはありません。
「そう、君は私だけでなく自分に対しても嘘をついたのさ」
「……言ってることがわかりません」
「君はその答えを自分で選んだと思っているのかもしれないが、それは違う。選ばされただけだよ」
「選ばされた? 何にですか?」
「運命に、だよ。今の君は運命に恭順し、為されるがままの人形にすぎない」
ぴくっと、耳が動いた。
「されるがままの人形、ですか」
他に何を言われても、いくら馬鹿にされようと気にしないつもりだったのに。
その言葉は、どうしようもなく癇に障った。
「思い返してみ給え、親に虐げられたのも、その手がぼやけたのも、ここに来たのだって、君の意思によるものか?」
「それは……」
自分の意思では、ない。
魔力がないのも、病気にり患したのだって、なりたくてなったわけじゃない。
ここへ来たのも、他に選択肢が存在しなかったからだ。
「選択肢がひとつだけなら、どうしてそれを『選択』と呼べようか」
「……」
彼女が突きつける問いかけに、わたしは返答することが出来ない。
その通りだと、心が認めてしまっているから。
わたしは、何も選んでなどいない。
ただ、大きな流れに、流されるだけ……。
頭が、痛い。
「哀れな娘、何も選ばなかった人。君に選択肢を与えよう」
アデラレルバイトさんが手をこちらへと近づける。
その手はわたしの顔を覆い隠した。
きめ細やかで柔らかな感触は一瞬ではありますが人の温もりを感じられた。
そんな温もりは、次の瞬間には吹き飛ぶことになる。
言い切るより先に、わたしの頭に強い閃光が弾けた。
視界が明滅し、目の前の光景が食堂から切り替わり続ける。
暖かであった屋敷の一室、綺麗なだけの庭、廊下の奥、冷たい物置小屋。
パチパチと花火が上がるように次々と切り替わる光景とともに、言葉が再生される。
──『ルルナ。私の娘、どうか健やかに育ち優れた魔導師に……』
──『お前は出来損ないだ。魔力を持たぬ凡愚がハイラインの血を引く娘であるはずがない』
──『ルルナ=ハイラインという人間は存在しない』
わたしを切り捨てた父の冷徹な顔。
──『ざっこ』
──『魔力も練れないし、家事も出来ない。顔もアタシとは似つかずブッサイク。次期当主のアタシのサンドバッグにさえなれないとか、生きている意味ある?』
──『こんなのと同じ産道潜って来たとか、恥ずかしくて涙がでちゃうわ。ねえ、このかわいそうなアタシに謝んなさいよ』
顔を見れば執拗に痛めつけ、わたしを虐め続けた妹。
──『あなたなんか、産まなきゃよかった』
そう一言告げて、わたしを見なくなった母親。
痛み、絶望、悲嘆。
あの時抱いた、蓋をしたはずの感情が沸き上がって来る。
「ああ、あああ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
耐えられなくなって、椅子から転げ落ちる。
その拍子に触れていた手は外れるけれど、一度火の点いた感情は収まらなかった。
「あ゙あ゙あ゙あ゙! あ゙あ゙! うわあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
痛い辛い苦しい悲しい酷いどうしてなんでやめてたすけて。
頭が痛い。
ぱっくりと裂けてしまいそう。
目の前が真っ赤になってチカチカと点滅している。
頭の痛み、思い返した絶望の記憶。
二つが交互にわたしを痛めつける。
痛くて痛くて、ただ蹲る。
床を強く引っ掻くあまり、指から血が出ている。
でも、指の痛みなんかより、今は頭と心が苦しかった。
「そこまでの感情に蓋をしていたとは、やはり君には見込みがある」
声のする方を見てみれば、アデラレルバイトさんがテーブルの上に立っていた。
「何を……」
「別に君を苦しめるような魔法は使っていない。単に思い出して貰っただけだとも、君の思い出たちを」
「なんで……」
「それは何故こんなことをしたのかを聞きたいのか? それとも、何故こんな事をするのかについて?」
「どっちでもいい……」
「では前者から答えよう。君の記憶を掘り起こしたのは。君が取り繕っていたものを剥ぎ取る為だよ。このままだと君は一生模範解答しか言わないと判断した」
だからって、人のトラウマを強引に引き出して、追体験させるなんて、人の心が無さすぎる。
「そして後者。何故私は君にそこまで執着するのかだが、こちらは簡単だ」
アデラレルバイトさんは両手を広げて声高々に言った。
「君が、主役候補だからだ」
何を言っているのか、一文字も理解できなかった。
あまりにも意味不明が過ぎて、頭の痛みすら一瞬引いた。
「悲しい過去に、大きな伸び代、そして動機。君ほど舞台の中心が似合いそうな役者もそういない」
つらつらとアデラレルバイトさんは前にも増して訳のわからないことを言い続ける。
舞台? 役者? なんの事なの?
「私は物語が好きでね、特に感情に訴えるような作品が好みだ。感動できる」
アデラレルバイトさんはテーブルから降りて、蹲るわたしをじっと見下ろす。
彼女の声は前と変わらぬ無機質なもの。
だというのに、その声は数分前と比べて恐ろしく感じた。
「それとこれになんの因果があるか疑問という顔だね? よく言うだろう、人生こそ最も刺激的な物語であると」
「……」
「私は感動する
膝を折って、蹲るわたしの顔を覗き込む。
今にもぶつかりそうな距離まで近づき、その真っ黒な瞳が、わたしを射抜く。
恐ろしい。
父や妹よりも、遥かに目の前の魔女が怖い。
理解不能な理由で、わたしを狙うその目から、一秒でも早く逃れたかった。
その為にも、震え上がる身体を落ち着かせて、わたしは返しの言葉を叩きつける。
「……貴女がわたしに何をさせたいのかは分かりませんが、無理です。わたしには、才能も時間も……」
「どちらも、ある、と言ったら君はどうする?」
「……へ?」
今度こそ、本当に言ってる意味がわからなかった。
この人は何を言っているのだろうか、わたしが能無しである事を貴女はとっくに知っているはずでしょ。
なのにどうして、そんな事が言えるの?
「一般的に人の持つ魔力には色があり、オーラとしてその者の周囲に漂っていると、魔導師はこれを見ることで魔力の多寡を測る。色が無ければ見る事は出来ず、裏を返せば魔力はないと結論付けることが出来る」
「そんなことは、知っています。父に言われましたよ、『お前からは魔力が見えない』って」
「実に単純な疑問だが、君はどうして、色が無ければ魔力がないと思うのだね?」
「……いや、いやいやいや、ありえません。だって、聞いたことありませんよ、色のない魔力だなんて」
「いかなる物事も、最初の一件目はあり得ないと論じられるものだ」
「だとしても、なんでわたしに限ってそうだと言えるんですか!?」
「きみを知っているからだよ、ルルナ君」
メルシュタリンがわたしの手を持ち上げる。
もつれてブレた、私の左手を。
「エンタグルメント症候群にり患した患者は少ないが、その全員に、幾つか共通点が存在している」
彼女が手首を強く握る。
じわじわと、焼けるような熱さが左手に広がった。
「熱っ……!」
「第一に、十代前半以内の少年少女であること。次に、貴族であること。これは、平民からの報告が無いからではなく、本当に貴族だけだったそうだ」
「ひっ、あぐぁ……」
熱が手から全身に広まっていく。
体の内側で、意思を持ったマグマが暴れまわるような感覚。
熱はだんだんと強まっていき、今にも破裂してしまいそうだった。
「そして最後に、全員、将来を期待された優秀な魔導師候補であったことだ」
今にも爆発しそうになった、その直前。
熱がスッと消えた。
「あ、え?」
まるで最初からそんなものは無かったと言わんばかりに、体を暴れまわっていた筈の熱は消え去ってしまった。
それだけじゃない。
「手が……治ってる?」
ずっと、ぼやけていた左手の像がはっきりと見える。
もつれた糸が結び直されるように、ブレた腕の像が一つに収束していく。
視覚的なものだけじゃなくて、物理的な違和感もない。
前までずっと触れているのかいないのかわからない手の感触が、元に戻っている。
「ただの対症療法だ。完治はしていない」
「ど、どうやって、お医者様は打つ手なしだって」
「私をそこらの凡夫と一緒にしてくれるなよ。魔女にかかればこの程度、容易い」
「う、うああ」
涙が出てくる。
痛みや悲しみでなく、喜びの涙だ。
日に日に広がっていく腕のぼやけを見て長くないと思っていた。
それが今、確かに収まっている。
霧が晴れたような気分だ。
「ありがとぅ、ございます」
人ってなんだか慌ただしい。
さっきまで恐怖を感じていた人に、
泣きながら感謝を伝えている。
苦しんだり泣いたり、もうめちゃくちゃです。
でもなんだか、こんなに感情を吐き出したのは久しぶりで、
すっきりしている、自分がいます。
◇
「私なら、君の病を治す事ができる」
わたしが泣き止んだのを見ると、アデラレルバイトさんがそう言った。
「だが、無償でするつもりはない」
彼女は懐からあるものを取り出して、膝をついているわたしの前に投げ出した。
かちゃかちゃと、金属質な音を立てて転がる音がする。
わたしの前で止まったそれは、何かのグリップだった。
剣か斧か、はたまた杖かそれ以外か。
何かはわからないけれど、金属製のグリップであるということだけは確かでした。
「これは?」
「魔導具。君専用に拵えたものだ」
「魔導師になれと?」
「察しが速くて助かる。君がそれを手に取り、私の望みを叶えるのならば、君の病を治そう」
「望みって、なんでしょうか?」
「特に決めてはいない。強いて言うならば、私を満足させる物語を用意することだな」
「大雑把すぎでは?」
「今の所20年分の
「そんなに長いことこき使うつもりなんですか?」
「心配はないよ、その間は病で死ぬ事はないようにしてあげるから」
気にしているのはそこじゃないのですが。
「ようは、言いなりになれってことですか?」
「それは違う。私は台本通りに動く役者は二流だと思っている。一流は台本以上の演技を見せるものだ。君には一流になってもらわなくては」
相も変わらずこの人の持論は理解が難しい。
けど何となく掴めてきた気がします。
彼女は、わたしに予想を超えて欲しいみたいです。
「君に残された選択肢は二つ。自らの運命を受け入れて、短い余生を暮らすか。運命に立てつき、苦難に溢れようとも意味のある未来を望むか」
「……それ、選択肢あります? 一択じゃないですか」
「大切なのは、自分で選択する事だ。仕方なく、などという言い訳は聞きたくない」
「ならもっと魅力的な二択にしていただけませんかね……」
「無論、穏やかな最期を望むというのならそれを尊重し、死ぬまでの短い間だけ家に滞在するのも許可しよう。好きに選びたまえよ」
話が通じないなこの人。
……正直、どちらを選んだとしても、大きな流れというものに身を任せているような気がする。
弱者は流れを変える事が出来ない。
第三の選択肢は作れない。
強くなければ、何も出来はしない。
それなら、わたしは強くなれる未来を選ぶ。
「わたしは、死にたくありません」
床に置かれたグリップを掴む。
もとより悩む余地など、何もないのだから。
「わたしをゴミと決めつけた父も、散々痛めつけられた妹も、この最悪な病気も、それ全部受け入れようとした自分も、大っ嫌いです」
恨みがない訳がない。
怒りがない訳がない。
もう我慢して受け入れるのはやめだ。
「だから、全部書き換える。その為の力が欲しい」
どろどろと頭の奥からどす黒い感情が湧き出てくると同時に、ひどい頭痛がし始める。
痛みが、強引にわたしを冷静にさせようとする。
けれど、今のわたしは止められない。
この怒りを燃料に、わたしは進むと決めたのだから。
「強くなって、優しくない運命も、いけすかない貴女も、全部打ち破ってわたしは自由になる」
最初の一歩は選ばされたものかもしれない。
だけど、いずれ歩き続ければわたしの道になる。
これは、わたしの人生を手に入れる為の一歩なんだ。
「契約しましょう。メルシュタリン=アデラレルバイト。わたしと、貴女の願いの為に」
その申し出を聴いて、初めて彼女は笑った。
薄く、だがはっきりとわかるように口を歪ませて。
「いい返事だ。やはり君は筋がいい」
彼女はわたしに向けて手を差し出した。
「私の事はリンと呼ぶがいい。これから長い付き合いとなるし。一々長く呼ばれるのは面倒だ」
「よろしく、リンさん」
これが、わたしの始まり。
忌々しい過去を薪に、自分の身体に火をつける。
強く強く燃え上がらせて、全てを焼く為に。
未来を勝ち取る為に。
わたしは、リンの手を取った。
【魔女】
世界に数人しかいない特異存在。
██に対して██する事が出来る。
メルシュタリンはその中でも最古参になる。
【エンタングルメント症候群】
別名『量子もつれ症候群』。
この症候群に罹患すると、肉体の位相がもつれることで存在が希薄化していき、最終的に世界に飛散してしまう。
【魔力・魔法】この世界に存在する超常現象の根源。魔力を完全に支配する事が出来る者は世界のあらゆる法則を支配することが出来るとされている。