勇者が散らかした魔法、片付けます。 〜魔導環境保全局・事後処理係の日常〜 作:刀は銃より強し
世界は、剣と魔法に満ちている。
古の時代より、人々は大地を耕し、魔法と共に歩んできた。火を灯し、水を汲み上げ、空を飛ぶ。その全てに魔力が使われ、文明は築かれた。
しかし、光には影が差す。
魔法には「副産物」がつきものだった。
強力な炎の魔法は
聖なる水の魔法は、一過性の「聖水」となって川を浄化しすぎ、魚の生態系を破壊する。
特に昨今、魔王討伐を掲げる勇者たちが規格外の術を乱発するせいで、それらは「魔導公害」という名の深刻な社会問題と化していた。
その公害を専門に処理する公務員集団。
それが、王都の一角にひっそりと、しかし確実に存在する**『魔導環境保全局』**である。
彼らは、今日も今日とて、勇者達がおこぼれで残した迷惑な「魔法のゴミ」に頭を悩ませていた。
◇◇◇
ここは王都グラン・バザール。
石畳の道、赤レンガの屋根、そして高くそびえる時計塔。本来であれば、朝の市場の活気と、馬車の車輪が立てる乾いた音が響くはずのその街は、今、異様な沈黙とあまりにも強烈な焼き立てパンの匂いに包まれていた。
「⋯⋯あー、もう。最悪。鼻が馬鹿になりそう」
石畳に深く刻まれた轍の隙間から、にゅるりと溢れ出しているクロワッサンを避けながら、エリカ・ルピナスは深く溜息をついた。
彼女が着ているのは、王立の証である青いローブだが、その裾はあちこちが煤け、魔法薬のシミがついている。
魔導師の輝きなど微塵もない、完全なる「現場仕事」の出で立ちだ。
「エ、エリカ先輩! 待ってください! 記録用の水晶玉がパンの脂身で滑って⋯⋯わわっ!」
後ろから情けない声が響く。新人のシオン・アザミだ。
彼は腕に抱えた大量の報告書と、魔法記録用の水晶玉を必死に支えながら、膝まで埋まったパンの海をかきわけて進んでいた。
「シオン、言ったでしょ。今日は長靴を履いてきなさいって」
「そんなの聞いてませんよ!」
「装備不足は自己責任。これ、現場の常識」
「魔法の片付けだって聞いて入局したのに⋯⋯実態がパンの除雪作業だなんて!」
「除雪じゃない中和。それに、前回の『スライム豪雨』よりはマシでしょ」
シオンが悲鳴を上げるのも無理はない。
路地裏には行き場を失った食パンが壁のように積み上がり、噴水からは水ではなく、小さなロールパンが間断なく噴き出している。
轍の隙間からは、にゅるりと溢れ出したクロワッサンが、油分を含んだ光沢を放っていた。
「⋯⋯これ、踏むと滑りますね」
「魔法残滓を含んだパンは、通常より油分が3割増しなのよ。シオン、足元注意」
「わ、わっ! ほら言ったそばから!」
シオンがズルリと足を取られ、抱えていた水晶玉がパンの山に吸い込まれていく。
「ぼ、僕の水晶玉がああぁ!」
「いいから拾いなさい。公費なんだから」
「先輩、手伝ってくださいよ!」
「嫌よ。手がバター臭くなるもの」
事の始まりは、昨夜行われた「魔王討伐・凱旋祝賀会」だった。
数年の旅を経て魔王を討ち果たした伝説の勇者。彼は、熱狂する民衆を前に、サービス精神から「究極の生活支援魔法」を披露した。
その名も『
「勇者様はドヤ顔で仰ったそうよ。『これでこの街に飢えはなくなる!』ってね」
「⋯⋯言葉だけ聞けば聖者ですね」
「結果がこれよ。魔法の構成式を組み間違えたのか、あるいは魔王戦の興奮で魔力が暴走していたのか」
エリカは路肩に積み上がったデニッシュの山を、無造作に足で退けた。
退けられたデニッシュの下から、さらに新しいデニッシュが「ぽこり」と湧き出してくる。
「見て。生成の停止条件を入れ忘れてる。空気中の魔素を吸収して、パンが自己増殖を始めてるわ」
「⋯⋯あの、先輩。一つ聞いていいですか?」
「何?」
「なんで、この魔法をかけた本人の勇者様は、片付けに来ないんですか?」
エリカは立ち止まり、ゴミを見るような目でシオンを振り返った。
「シオン。あんた、公務員試験の一般教養で何を学んできたの?」
「えっ、ええと⋯⋯魔法倫理と行政法⋯⋯」
「勇者には『事後処理の免責特権』があるのよ」
「免責?」
「そう。彼らの仕事はあくまで『魔物、そして魔王を倒し、人々を救うこと』。
その過程で発生した副産物、つまり街の破壊や魔法残滓の処理は、全て自治体の責任になるっていう契約なの。
例えば、客がホテルの部屋をどれだけ散らかしても、最終的に掃除するのはホテルの従業員でしょ? それと同じ」
「⋯⋯じゃあ、勇者様は今どこに?」
「今頃、隣の領地でまた別の祝賀会に参加して、酒でも飲んでるんじゃない? 」
シオンは言葉を失った。憧れていた英雄のイメージが、サクサクのバゲットと共に崩れ去っていく。
「おまけに、このパン、中身が全部『高密度魔力』だから、食べ過ぎると魔力酔いで気絶するわよ」
「えっ、今食べた市民、何人か倒れてましたよ!?」
「放置。私たちの管轄は『環境』であって『医療』じゃないから」
エリカは手元の魔導端末を操作し、現場の汚染濃度を計測する。
「現場名:王都中央広場。発生事象:高密度魔力残滓による有機物の無限生成。⋯⋯シオン、記録」
「は、はい! ⋯⋯えーと、パンの種類、クロワッサン、食パン、バゲット⋯⋯」
「種類はどうでもいいわよ。魔力波形を書きなさい」
二人が広場の中央にたどり着くと、そこには臨時の「苦情受付窓口」が設置されていた。
局長のアイリス・ガザニアが、山のような書類を前に、怒り狂う市民たちを適当にあしらっている。
「局長! うちの煙突からクロワッサンが逆流して、暖炉が使えないんです!」
「あー、はいはい。順番にねー」
「局長! 庭の池が全部メロンパンで埋まりました!」
「よかったじゃない。メロンパンの池、子供の夢よ」
「鯉が死んでるんですよ!」
「あ、それは生活基盤課の管轄だから、そっちに行って〜」
アイリスは酒臭い息を吐きながら、エリカたちを見つけると、救世主でも見るかのように手を振った。
「あ、エリカ! 遅いじゃない! 早くこの小麦粉の悪夢を終わらせてよ!」
「局長。お言葉ですが、勤務開始からまだ15分しか経っていません」
「細かいこと言わないの! 現場がパンクしてるのよ。文字通りパンでね!」
「⋯⋯今の、笑うところですか?」
「いいから! ほら、あそこの時計塔を見て!」
アイリスが指差した先。王都の象徴である時計塔の頂上に、燦然と輝く黄金の剣が突き刺さっていた。
「あれがコアよ。勇者が魔法の起点にした聖剣のレプリカ」
「⋯⋯あんな高いところに。シオン、出番よ」
「えっ、僕がですか!?」
「新人教育の一環。あそこまで飛ぶ魔力は貸してあげる。上空で『圧縮分解魔法』を展開しなさい」
「む、無理ですよ! 俺、高所恐怖症なんです!」
「大丈夫。落ちても大量のパンがあなたを受け止めてくれるわ」
「じゃあ安心⋯ってなるわけないじゃないですか!?」
シオンの言葉を無視し、エリカが短杖を軽く振るうと、シオンの体がふわりと浮き上がった。
重力制御魔法。彼女は欠伸をしながら、それを指一本でこなす。
「わ、わわわっ! 高い! 先輩、これ本当に安全なんですか!?」
「私の魔力が切れるまでは安全よ。あ、あと3分くらいかな」
「短すぎます!!」
上空へと放り投げられたシオンは、必死に魔導書を広げた。
時計塔の頂上付近は、濃密な小麦粉の粉末──「魔法粉塵」が舞い、視界が最悪だ。
「ん〜ええい、ままよ! 『
シオンが魔法を唱えると、黄金の剣から溢れ出ていた虹色の光が、ギチギチと音を立てて凝縮されていく。
生成されかかった巨大なカンパーニュが、消しゴムサイズまで縮まり、パサリと地面へ落ちた。
「やってるわね。じゃあ、仕上げ」
エリカは懐から、特製の「魔力中和ポーション」を取り出した。
「これ一本で、一般家庭の一ヶ月分の食費が飛ぶんだけど⋯⋯。勇者の馬鹿さ加減を呪いなさい」
彼女がポーションを空へ投げ、指先から放った小さな雷撃でそれを砕く。
霧状になった液体が時計塔を包み込むと、虹色の光が霧散し、パンの供給がピタリと止まった。
「⋯⋯あ、止まった?」
「ええ、止まったわ」
シオンがゆっくりと地上へ降りてくる。
もうパンは増えない。ただ、街中を埋め尽くした既存のパンが、山となって残っているだけだ。
「やりましたね、先輩! これで街に平和が⋯⋯」
「⋯⋯シオン」
「はい?」
「あんた、これ、誰が片付けると思ってるの?」
エリカが示したのは、手元の魔導端末。そこには終わりのないタスクリストが並んでいた。
────────────
残存パンの腐敗防止コーティング(異臭防止)
飼料加工業者への配送手配(2500件)
勇者ギルドへの清掃費用請求書(第1案)作成
街路樹に挟まったデニッシュの除去作業(人力)
────────────
「⋯⋯これ、全部僕たちが?」
「当たり前でしょ。ゴミをまとめるまでが清掃よ」
シオンの顔から血の気が引いていく。
そこへ、局長のアイリスが、どこからか持ってきた大きなクロワッサンを手に近づいてきた。
「お疲れ様ー! はい、これ二人への差し入れ。まだ温かいわよ」
「あ、ありがとうございます!お腹空いたし、一口⋯⋯」
「待ちなさいシオン! それ食べちゃダメ!」
エリカが鋭い声を上げ、シオンの手からクロワッサンを叩き落とした。
「⋯えっ、先輩? なんで⋯⋯?」
「これを見て」
エリカが指を振ると、地面に落ちたクロワッサンから微かな紫色の煙が上がった。
「さっきも言ったでしょ。これは魔力を吸収して増殖した『異常有機物』。中和したとはいえ、内部にはまだ不安定な魔力残滓が残留してる。
食べれば魔力酔いで三日は寝込むし、運が悪ければお腹の中でパンが再増殖を始めるわよ」
「⋯⋯え」
「胃袋の中でクロワッサンが無限増殖。⋯⋯どう、素敵でしょ?」
「⋯⋯絶ッ対に食べたくないです」
「でしょ? 局長、あなたもそんな不純物の塊を部下に勧めないでください。ご自分だけなら勝手にどうぞ」
「えー、ケチねえ。私はもう耐性がついてるから大丈夫なのに」
アイリスは平然とクロワッサンをかじりながら、書類の束をシオンに押し付けた。
「はい、これ。清掃業者への手配書と、勇者ギルドへの損害賠償請求書。今日中に書き上げてね」
「き、今日中⋯⋯? もう日が暮れかけてますよ!」
「大丈夫。魔導師には『覚醒魔法』があるじゃない。寝ずに働けるわよ」
「そんなの、魔導士の使い方として間違ってます!!」
叫ぶシオンの横で、エリカは静かに自分の魔導端末を閉じ、深い、深い溜息をついた。
「⋯⋯ねえ、シオン。もし来世があるなら、魔法のない世界に生まれたいわね」
「先輩、異世界転生モノの読みすぎですよ⋯⋯」
「そっ、じゃあ私はこれで⋯⋯」
「ええっ!?なんで先輩だけ先に帰るんですか!?一緒に片付けましょうよぉ!!」
夕闇が迫る王都グラン・バザール。
勇者が救ったはずの世界の片隅で、二人の若き役人と、一人の適当な局長による、果てしない「ゴミ拾い」の夜が始まった。