TSエルフさんは、ただ『推し』の等身大ドールを作りたいだけ 作:匿名希望
――私の思考は止まりかけていた。鼻腔を侵す鉄臭い香りが、それを助長させる。
神聖術が効かない病に対して、安全性が保証できない薬を、謝礼などの対価を一切要求しない謎の人物。
聞くだけでは、どうぞ疑って下さいと言わんばかりの怪しさ。唯一接触したミナちゃんに、詳しい容姿を尋ねなかったのは私の落ち度だが、まさかその正体がミナちゃんと同じぐらいの年齢の少女達とは欠片も思いもしなかった。
私にとって希望の光に等しいとさえ思えた薬。しかし、こんな私よりも幼い――寂しそうに互いの温もりを求めるかのような格好の少女達の姿を見て、薬に対する執着が引いていく。
だって、気づいてしまったのだ。今まで多くの人々を助けて、救えなかったシスターとしての観察眼が残酷な真実を私に教えた。突きつけてきた。
赤い液体で描かれた奇妙な紋様の中心で、蹲るように眠っている少女達の片割れ。その内の一人――少しだけ背が高い方は、確実に生命活動を終えているという事実を。遠目でも分かる程に。
胸が全く上下していない。呼吸が完全に止まっていた。
しかも、ぱっと見た感じ、外傷の有無までは分からないが、その少女の体に変色や腐敗をしているような様子は見られない。ということは、彼女が亡くなってからさほど時間は経過していないはず。
もう一人の少女は、身近の者――遺体を抱きしめて離さない程の間柄――の死を経験して直後と言っても過言ではない時間で、自分とは関係ない赤の他人を貴重な薬を使ってまで助けた。
あるいは、こうなる未来を回避することができたはずの薬を他者の為に手放した。
どちらにせよ、『彼』を含めた騎士団員を救えなかった一度の挫折で、人を助けるという行為から逃げ出した私とは。所詮は勝手にあのシスターさんの意志を継いだと思い上がっていた私とは、大違いだ。
耳元で悪魔の囁きは聞こえなくなっていた。それとは別に、私は慌てて少女達の方に駆け寄った。
たとえ一人が亡くなっていたとしても、もう一人はまだ生きているはずなのだから。
シスターとしての務めを果たすべく、私の体は無意識の内に動いていた。
近寄り、改めて少女達を見る。よく似た顔立ちをしている。安直に考えれば、姉妹だろうか。
二人とも、王都の職人が手がけた精巧な人形のように整った容姿、太陽の輝きを思わせる金髪――そして、その中でも一番気を惹いたのは、髪に隠れていた異様に長く尖った普通の人間とは異なる両耳。
本来であったら、すぐに気づいていたであろうソレに、今までの状況や精神状態も相まって、気づくのに遅れる。
(……この子達、エルフだったんだ)
シスターになる為に、勉学に励んでいた時に得た知識を掘り起こす。
――エルフ。非常に私達人間と似通った外見をしつつも、その成り立ちは根本的に異なるとされている種族。特徴的な違いは、身体的な差異である長耳。数百年もあるとされる寿命。
種族全体として、魔法使いの適正が高い。
ただしその絶対数は少なく、極度の人間嫌いの気があり、最後の目撃例は軽く数十年前と関連書物には記されていた。
当たり前だが、王都にいた私でも見るのはこれが初めてになる。
少女達がエルフだというのであれば、人間には知られていない秘術や薬学に通じていても不思議ではない。しかし、それとは別の問題を浮上させる。
何故出会うこと自体が奇跡に近いエルフの姉妹が、このような――人間の生息領域にいたのか。
エルフという種族の希少性。魔法使いとしての適正の高さ。その整った容貌。
思いつくだけでも、ざっとこんなにも悪意を向けられる理由に事欠かない。詳しい経過はどうあれ、きっとこの姉妹は辛い日々を過ごしてきたのだろう。
現にその証拠として、一人は命を落としているのだから。
不幸中の幸い……とは口が裂けても言えないが、もう一人のエルフの少女はまだ生きている。私でも助けることができるのだ。
私は注意深く、エルフの少女の容態を診ていく。安らかな寝顔に、緩やかに上下する胸。安定した呼吸音。染み一つもない綺麗な肌。
一目見て分かるような異常はなさそうだ。ただ疲れて眠っているだけなのだろう。
どちらにも外傷らしい大きな傷跡はない。強いてあげるなら、片方の少女の手に噛み切ったような跡があるぐらい。だとしたら、この血で描かれた思われる図形――恐らくは大儀式に用いられる魔法陣だろう――は、彼女が作成したのか。
魔法に精通しているエルフという点を考慮すれば、違和感はない。あくまでも中級までの神聖術しか修めていない私には、どういう用途のものか分からないが。
……ただ聞きかじりの知識や偏見が、血の魔法陣ともう一人のエルフの少女の死を関連づけようとしてくる。何の根拠もなしに。
そうでも考えないと、彼女の死因については不自然な点が多すぎる。
(いいえ、今はそんなことよりも……)
良くない思考をそこで打ち切り、とりあえずはエルフの少女を床で寝かしたままにするのは気の毒に思い、小屋の中を軽く見渡す。
随分と年季が入ったベッドがあったので、エルフの少女を起こさないように、気をつけてゆっくりと抱きかかえる。
軽い。最初は私の細腕で持ち上げられるか少しだけ不安だったが、どうやら杞憂で終わった。いや、むしろ彼女達の食料事情を思うと、また胸が痛んだ。
エルフの少女をベッドまで運ぼうとした――もう一人の遺体から完全に離れた瞬間。彼女は誰かを求めるかのように、両手を宙に彷徨わせる。けれど、その手が何かを掴むことはなく空振るだけ。
その閉じられた瞳からは、一筋の涙が伝う。
「……お姉ちゃん」
寂しそうに、小さな音が。失われた家族を呼ぶ声が、口から溢れ落ちた。思わず体が固まってしまう。目を覚ました時のエルフの少女の心情を思うと、やるせない思いに囚われる。
何故ならば、彼女の呼びかけに応える存在はもうこの世のどこにもいないのだから。
「……」
私は無言のまま壊れ物を扱うような手つきで、エルフの少女を横たえる。先ほどまでなんだかんだで安らいでいた表情が、不安に歪んでいた。
それを見ていられず、私はバッと彼女の右手を両手で握りしめていた。衝動的な行動だった。
私以上に華奢な細腕の儚さ、悲しみ、今にも消えてしまいそうな体温。それらが両手を通じて、私に伝わってきた。
だから、それ以上の温もりを。貴女の傍に私がいるという事実を伝えてあげる為に、私は彼女の右手を優しく握り続けた。
その思いが通じてくれたのか、やがて彼女の表情は少しずつではあるが和らいでいった。それに釣られて、私も小さく笑みを浮かべた。
どのくらいの時間が経ったのか。エルフの少女が再び心地よい眠りに就いた頃を見計らって、私はそっと彼女から手を離す。今度は寂しそうに、誰かを呼ぶことはなかった。ただ安らかに眠っていた。
私は静かに移動をして、なるべく音を殺しながら窓を開ける。ようやく遮る物がなくなったお陰で、鼻につく血の臭いが新鮮な緑の空気と入れ替わっていく。
いつまでも換気しないと、エルフの少女の体の健康にも差し支えるだろう。私もしばらく振りの美味しい空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出した。
「では、次は……」
覚悟を決めて、私は小屋にいるもう一人の人物――姉と呼ばれたエルフの少女、その遺体の方に向き直ろうとした。
これでも一介のシスターとして、たとえ異種族であろうとも、何か特別な事情がない限りは丁寧に弔ってあげたかった。
その準備に取りかかろうとした。もちろんエルフの姉妹――その妹の方が目覚めて、話を聞いてあげたりして気持ちの整理がついてからになるが。
起きた時に、姉の姿がなかったら取り乱してしまうだろうから。
それでも、ずっと放置している訳にもいかない。せめて体勢を整えたり、体に付いた血や床の魔法陣を拭って綺麗な状態にしてあげよう。
そう考えていたのだが、一つの『違和感』を遺体に対して抱く。まるで喉に細かい食べ物がつっかえたような、言い表しにくい類の。
その『違和感』の正体を探るべく、私はより人形の如き遺体に注視する。足元から上の方に、順に視線を走らせる――その胸は相変わらず動いていない。さらに上へと上っていく。そして、私は
「――――――っ!?」
最後の理性で、悲鳴を上げることはなかった。
しかし、その『違和感』に。あり得ない事実を認識、咀嚼するまでに私はしばらくの時間を要した。
絶対に、確実に死んでいたはずのエルフの少女。私の目が狂っていたのか。だとしたら、問題はない。仲の良い姉妹の死別という残酷な結末。そんな悲劇は私の飛躍した妄想であった。それだけの話で終わるのだから。
だが、一向に姉と呼ばれた彼女は動こうとしない。何かを口にしようともしない。瞬きの一つすらもしない。
生きている者が無意識の内に必ずするべき反応。それらを行っている兆候が一切見られなかった。
私は震える手足を必死に押し留めて、遺体であったはずの
先ほどは見ただけで亡くなっていると判断したが、今度は触れてみることにした。そうしないと生死の診断を下せそうにない。
「……少し、失礼します」
念の為に一応声をかけてみるが、やはりと言うべきかソレからは答えはない。
ごくりと音を立てて唾を飲み込む、恐る恐るその綺麗な――遺体とは思えない白い肌に触れる。当然温かみなど有りはせず、冷たさを感じるだけ。
けれど、その質感は人肌――妹のエルフの少女のものとは決定的に違っていた。体温云々の問題ではなく、とても人間の――生物のそれとは異なる。
それによく見てみれば、肌だけではなく、宝玉に例えられそうな瞳もどこか作り物のように感じられる。もしかしたら眠るように閉じていたというのも、私の勘違いで初めから開いていたのかもしれない。
第一印象に人形みたいな美しさと形容したが、これでは本当に――。
――血で描かれた魔法陣、小屋周辺に漏れ出ていた魔力の痕跡。頭の片隅に追いやったそれらが、姉と呼称されるモノと結びつこうとしていた。
だが、確証は全くない。その為の、教会で『禁忌』とされる知識なんて、私には微塵もないのだから。
それでも、私は最悪の可能性に思い至ってしまいそうになる直前――背後から声が聞こえきた。あのエルフの少女を寝かせたベッドがある方から。
「――君は、誰?」
その誰何を尋ねる声は異様に冷たく感じられ、私は硬直してしまい、振り返ることができなかった。