その夜、東京都千代田区永田町。日本国の中枢である内閣総理大臣官邸の奥深く、一般にはその存在すら伏せられている執務室には、重苦しい静寂と最高権力者の深いため息が充満していた。
「…はぁ、胃が痛い」
内閣総理大臣・山村貞夫は、執務机に肘をつき、高級な革張りの椅子に深く沈み込んでいた。手元には常備薬の胃薬があり、彼は震える手で錠剤を二粒取り出すと、ミネラルウォーターで無理やり流し込んだ。
彼は歴代の首相の中でも、特に「苦労人」として知られていた。党内の派閥争い、外交問題、支持率の低迷。そして何より、最近世間を騒がせている猟奇事件「ミンチ殺人」への対応。
「警視庁からの報告も芳しくない、か」
だが、彼の胃痛の最大の原因は、もっと別次元のところにあった。
「それで? 君はいつまでそこに居座るつもりだね」
山村が疲労困憊した目を向けた先。本来ならば各国の要人しか座ることを許されない最高級の応接ソファーに、一人の少女がふんぞり返っていた。
亜麻色の髪に、好奇心に満ちた緑色の瞳。日本の女子高生の制服を身に纏っているが、その足元には泥のついたコンバットブーツ。さらに、傍らには明らかに銃刀法違反などというレベルを超越した、アサルトライフルと漆黒のナイフが無造作に立てかけられている。
名をアレックス。この国にとっての最大級の「劇薬」であり、山村が個人的に契約を結んでいる秘密エージェント。彼女は贈答用の桐箱に入っていた最高級マスクメロンを、ナイフで豪快に切り分け、皮ごと齧り付いているところだった。
「んぐ、むぐ…。いやー、やっぱり課金アイテムはステータス回復量が違うな。総理、これもっとないか? インベントリにストックしておきたい」
「それは来客用だ。君のおやつではない」
山村はこめかみを揉んだ。セキュリティレベル最高のはずの官邸に、彼女はまるで「自宅のドアを開ける」かのような気軽さで侵入し、こうして寛いでいる。警備システムが機能していないのか、あるいは彼女がそれを物理的に無効化したのか、聞くのも恐ろしかった。
「総理大臣をアイテムボックス扱いするのは君くらいだよ…。それで、わざわざ直接乗り込んできたということは、緊急の用件かね? まさかまた、国会議事堂の地下をくり抜いて、『トラップタワー』を作りたいとか言い出したわけじゃないだろうな?」
山村の脳裏に、以前彼女が真顔で提出してきた悪夢のような「首都防衛プロジェクト」がよぎる。全力で却下したが、どうせ彼女のことだ。いつか本当にやりかねない。
アレックスは口元の果汁を制服の袖で拭うと、真剣な表情──といっても、ゲームの攻略法を語る時の顔だが──になった。
「いや、今日は業務報告だ。真面目な話だぞ、管理者殿」
「不思議だ。すっかりその呼び方にも慣れてしまっているよ」
「例の件。警察に、『ブツ』が届いたはずだ」
山村の表情が引き締まった。総理としての顔に戻る。
「…ああ。報告は受けているよ。東福山市の中華料理店で回収された、身元不明の遺体…いや、生物サンプルのことだね」
山村は机の引き出しから、極秘指定されたファイルを一冊取り出した。そこには、警察庁の科学警察研究所から上がってきた、解剖医や鑑識官たちの、困惑と恐怖に満ちた報告書が挟まれていた。
「大騒ぎだよ。現場は大混乱だ」
山村はファイルをめくりながら、沈痛な面持ちで語る。
「人間のDNAを持っているが、細胞構造が根本的に異なると。形状記憶合金のように変質する筋肉組織、未知の神経伝達物質…。解剖を担当した医師は『新種の生物兵器か、あるいは地球外生命体だ』とパニックを引き起こしているよ」
アレックスは鼻を鳴らした。
「だろうな。あれは既存のモブデータじゃない。完全に別ゲーの敵キャラだ」
彼女はメロンの皮を放り投げ、ソファーの上であぐらをかいた。
「あれが『パラサイト』だ。巷で噂のミンチ殺人の犯人であり、今の日本鯖に蔓延しているバグの正体さ」
「パラサイト…」
山村はその単語を口の中で転がした。不気味な響きだ。
「噂には聞いていたが、実在するとはな…君が倒したのか?」
「倒したっていうか、泉ってフレンドとの連携プレイだな。私のダイヤの剣と、泉の右手のコンボだ。トドメは泉が刺した」
「泉君? また新しい協力者かね?」
山村は眉をひそめた。アレックス一人でも制御不能だというのに、さらに不確定要素が増えるのか。アレックスはニカっと笑った。
「ああ、私のパーティメンバーだ。人間とパラサイトのハイブリッドっていう、激レアな隠し種族だけどな」
「ハイブリッド…混血種だと?」
山村は天を仰いだ。胃液が逆流しそうだ。
「君だけでも手一杯なのに、さらにそんな危険な存在まで…私の胃に穴を開ける気か?」
「安心しろって管理者殿。泉は基本『善』属性のNPCだ。私が管理してるから暴走はしない。たぶん」
「たぶん、はやめてくれたまえ…切実に」
山村は深いため息をついた後、居住まいを正した。目の前の少女は常識外れだが、そのもたらす情報は常に正確で、国家の存亡に関わるものだ。
「それで、アレックス君。そのサンプルを提供したということは…君はこの件に、政府として本格的に介入しろと言うんだね?」
「その通り」
アレックスの目が鋭く光った。
「あの店主は氷山の一角だ。私の『探知スキル』によれば、もっとヤバイのがゴロゴロいる。学校の教師とか、政治家とかにも紛れてるかもしれんぞ? あんたの隣に座ってる大臣も、頭の中身は寄生生物かもしれん」
「政治家に? はは、それは流石に…あり得なくはないか。君の学校に転校してきた男子学生と、赴任した女性がパラサイトである訳だし…」
山村の背筋が寒くなった。もし国会の中に、あのような化け物が紛れ込み、中枢からこの国を操ろうとしていたら。それは侵略だ。静かなる侵略。
「…わかった。平間刑事には、特命として極秘捜査の権限を拡大させる。自衛隊の一部部隊にも、非公式だが待機命令を出そう。君の『オブシディアン・ユニット』とも連携が取れるように手配する」
「話が早くて助かるぜ。流石は日本鯖の管理者殿だ。クエスト受注がスムーズだ」
アレックスは満足げに頷いた。
「警察には引き続き、あの肉塊を徹底的に調べさせろ。弱点は熱だとか、心臓を潰せば死ぬとか、そういう攻略法を共有してやれ。そうすれば、一般警官でも少しは戦えるようになる。無駄死には減るだろ」
山村は少女の顔をじっと見つめた。彼女は人間離れしている。感情の機微が読めず、人の命を「ハートの数」でしか捉えていない節がある。だが、その行動は結果的に多くの人間を救っている。
「君は…人間を守ろうとしてくれているのか?」
山村がふと尋ねると、アレックスはきょとんとした顔をした。そして、メロンの最後の一切れを口に放り込みながら、首を振った。
「守る? 違うな」
彼女の声は冷徹でもあり、同時に子供のように無邪気でもあった。
「私はマインクラフターだ。自分のワールドが荒らされるのが気に入らないだけだ。丹精込めて作った建築物が、クリーパーに爆破されて穴だらけになるのは美しくないだろ? 整地するのは大変なんだぞ」
「…なるほど。君らしい理由だ」
山村は苦笑した。「国土防衛」を「整地の手間」と同列に語る者は、彼女くらいだろう。
「それに、もし日本がパラサイトに滅ぼされたら、私の大好きなアニメも漫画も新作が出なくなる。来週発売のジャンプが読めなくなるなんて、死活問題だ。だから、害獣駆除を手伝ってやるよ」
「ははは」
山村は思わず声を出して笑った。アニメと漫画のために、命がけで怪物と戦う。そのあまりに個人的で、欲望に忠実な動機。正義だの大義だのを掲げる政治家たちよりも、よほど信頼できるように思えた。
「わかった。君の『個人的な事情』のために、国家権力を動かそう」
山村は受話器を取り、秘書官への直通回線を押そうとした。
「あ、そうだ管理者殿」
アレックスが立ち上がり、ライフルを肩に担いだ。
「私はこれから『エンチャントテーブル』の調整があるから忙しいんだ。せいぜい、パラサイトどもに美味しい餌だと思われないように、官邸の湧き潰ししとけよ。トーチ置いとくか?」
「いやいや結構だ! 照明は足りているよ。忠告感謝する」
「そうか。次のクエスト報酬、期待してるぞ」
アレックスは窓を開け放った。
「おい、そこは3階だぞ!」
山村が止める間もなく、彼女は窓枠に足をかけ、夜の闇へと身を躍らせた。
「じゃあの!」
ヒュンッという風切り音と共に、彼女の姿は消えた。まるで忍者のように、あるいは重力を無視したゲームキャラクターのように、闇夜へと溶けていったのだ。あとに残されたのは、開け放たれた窓から吹き込む夜風と、食べ散らかされたメロンの皮だけ。
山村は窓辺に歩み寄り、眼下に広がる東京の夜景を見下ろした。無数の光が瞬いている。その一つ一つに市民の生活があり、日常がある。その日常のすぐ隣に、人間を捕食する異形の存在が潜んでいることが証明されてしまった。
「パラサイト、か…」
山村は呟き、夜風に冷やされた額を撫でた。警察はこのサンプルを手に入れたことで、パラサイトという敵の存在を科学的に認識し、対抗策を模索し始めるだろう。捜査本部は、もはや「連続殺人」ではなく「異種族との戦争」へと足を踏み入れることになる。
その戦争のジョーカーとして、マインクラフターのアレックスと謎の少年・泉新一が存在する。
「…私の任期中くらい、平穏無事でいてほしかったものだがな」
山村は自嘲気味に呟き、デスクに戻った。胃薬の瓶をもう一度手に取る。
山村貞夫の胃痛が治まる日は、当分来そうになかった。
総理大臣とアレックスのファーストコンタクト
1.リラックス中の総理。
2.アレックスがネザーゲートで現れる。
アレックス「座標ミスった…ん? ハッ!? 自己紹介しなきゃ…ゴホン! どうも紳士の方! 私はマインクラフターのアレックス! 出身ユニバースは<Earth-616>じゃなく、<Earth-2792>だ。ふっ、親しみを込めて、美少女のアレックスちゃんとでも呼んでくれたまえ」
総理「…さて、ラーメンでも食べに行こうかな」
アレックス「無視すんなゴラ。日本国民をアイアンゴーレムトラップに使ってやろか」
総理「話をしよう! そうしよう!」
3.その後、なんやかんやあって契約を交わした。