僕の常識が息をしていない   作:最高司祭アドミニストレータ

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釣りしてたらクリーパーに爆散されました。友達になろうって提案したのに…っ。


作戦準備/毒と薬の対話 - (閉話)

 警視庁捜査一課の平間「警部」と、その部下の辻刑事。

 

 二人の男は東京都千代田区永田町にある、内閣総理大臣官邸の重厚な石造りの廊下を無言で歩いていた。周囲には常に耳にレシーバーを装着した強面の男たちが配置されており、その空気は平間たちが普段出入りしている警察署とは明らかに異質な緊張感に包まれている。

 

 平間は胸ポケットの煙草に手を伸ばしかけたが、ここが国家の中枢であることを思い出し、代わりにネクタイを少し緩めた。

 

 

「…平間さん、本当に大丈夫なんでしょうか? 私たちはただの殺人事件を追っていたはず。なぜ総理官邸の、それも非公開の地下エリアなんかに連れて行かれるんですか」

 

 

 辻刑事が不安を隠しきれない声で囁いた。彼の顔は数日前の島田秀雄の事件から、未だに青白い。平間は前を見据えたまま短く答えた。

 

 

「俺たちが追っていたのは、ただの殺人事件じゃない。それはもう分かっているはずだ。上層部が本腰を入れたということだろう。…辻、ここからは一歩でも足を踏み外せば、二度と元の世界には戻れんぞ」

 

 

 二人は案内役に促され、エレベーターに乗り込んだ。表示される階数よりも遥かに深く沈み込んでいく感覚に、辻が唾を飲み込む。やがて扉が静かに開き、そこには窓一つない漆黒の空間が広がっていた。

 

 廊下の突き当たりには巨大な鋼鉄製の扉があり、その前には二人の男が立ちはだかっていた。彼らは警察の制服でも自衛隊の迷彩服でもない。全身を黒一色の特殊素材コンバットスーツで覆い、顔面はガスマスクと一体化したバリスティックバイザーで隠されている。

 

 一切の皮膚や表情が見えないその姿は、人間ではなく精密な機械の塊のようだった。二人の手には市販されているはずのない、特殊な形状のサブマシンガンが握られている。

 

 

「警視庁の平間警部、および辻刑事です。本日の召集に基づき参りました」

 

 

 案内役の男が告げると、警備員たちは無機質な動きで左右に分かれた。ガチャンという重々しい電子ロックの解除音が響き、巨大な扉がゆっくりと内側へ開かれた。

 

 扉の向こう側に広がる光景に、平間と辻は圧倒された。そこは薄暗いながらも、壁一面に配置された巨大なスクリーンが青白い光を放つ作戦会議室だった。

 

 スクリーンには東福山市で起きた中華料理店事件の凄惨な現場写真や、島田秀雄の頭部の断面を電子顕微鏡で解析した不気味な映像が次々と流れている。机の上にはパラサイトの細胞サンプルが入った試験管や、彼らの刃物に対応するための試作防具。そして数多の極秘資料が所狭しと並べられていた。

 

 

「よく来られた。平間警部、辻刑事」

 

 

 部屋の中央、長机の端に立つ一人の男が声をかけた。特殊急襲部隊「SAT」の隊長であり。現在は、対パラサイト掃討作戦の現場指揮を任されている山岸だ。彼は隙のない軍人の姿勢で二人を見据えた。

 

 

「山岸です。本件は、国家の存亡に関わる最機密事項。内容を知る前に、まずはこの守秘義務契約書にサインをしていただきたい。もし外部に一言でも漏らせば、君たちの身分どころか、生存権すら保証されないものと思ってほしい」

 

 

 山岸の言葉には、一切の冗談が含まれていなかった。平間と辻は震える手で渡されたペンを握り、書類に署名した。もはや引き返す道はない。サインを終えると、山岸は慇懃な動作で資料を回収し、スクリーンを指し示した。

 

 

「現在、我々はこの『寄生生物』を単なる個別の殺人犯ではなく、組織的な侵略者として再定義した。警察と自衛隊の混成部隊による大規模な掃討作戦。通称『オブシディアン作戦』を計画中だ。…そして、その作戦を成功させるためには、この分野におけるスペシャリストの助力が不可欠となる」

 

 

 山岸はさらに丁寧な敬意すら感じさせる口調で、部屋の最奥に背を向けて座っている人物を紹介した。

 

 

「本部隊の特別顧問、オブシディアン部隊のリーダーです」

 

 

 平間はその机の前に座る、人物の背中を凝視した。全身を黒一色のタクティカル装備で固めている。防弾プレートキャリア。腰に装着された大口径のハンドガン。そして、分子レベルで研がれた漆黒の黒曜石ナイフ。

 

 そのシルエットは、あまりにも苛烈な戦場を潜り抜けてきた戦士のそれだった。

 

 

「…君がリーダーか」

 

 

 平間が声をかけると、その人物は気づいてゆっくりとこちらに振り向いた。フルフェイスのバリスティックバイザーを跳ね上げ、露わになったその横顔を見た瞬間、平間は息を呑んだ。辻に至っては「ああっ!?」と声を上げて絶句している。

 

 

「平間警部。再会が早いな。取調室のパイプ椅子よりは、こっちの椅子の方が座り心地が良くて助かるぜ」

 

 

 そこにいたのは、警察署で「ゲーム用語」を連発し、ベテラン刑事を煙に巻いていたあの少女。アレックスであった。

 

 しかし現在の彼女から、あの時の「おふざけ」や「マイペースな女子高生」の雰囲気は霧散していた。彼女の纏う威圧感は! 横に立つ山岸隊長すら凌駕していた。

 

 

「アレックス君…どうしてここに」

 

 

 平間が困惑しながら問いかけると、山岸が代わって答えた。

 

 

「彼女は総理大臣と直接契約を結んだ秘密エージェントであり、この国で唯一パラサイトを確実に無力化できる技術と戦力を持つ。我々はこのオブシディアン・ユニットの支援を受けることでしか、奴らに対抗できないのだ」

「そう褒めてくれるな。私と結婚したいのか?」

「すみません。酒の飲み過ぎでよく聞き取れません」

「聞こえてるじぇねえか」

 

 

 平間は信じられない思いでアレックスを見つめた。あの女子高生が、国家最高機密の部隊を率いている。

 

 

「泉新一君は、今日は一緒じゃないのか。彼の翻訳がないと、君の言葉は理解しづらいんだが」

 

 

 平間は皮肉を込めて言った。アレックスが連発していた「バグ」や「運営」や「テクスチャ」といった不可解なゲーム用語。それを常識的な言葉に直す泉新一がいない今の状況は、彼にとって不安要素だった。

 

 そのアレックスは薄く笑い、冷徹な声で告げた。

 

 

「泉新一の翻訳家への派遣要請は不要だ。…平間、ここは戦場だ。おふざけの時間は終わりだ。私はこれから、この国に巣食う害獣どもの掃討計画を説明する。一言も漏らさず聞き取れ。君たちの訓練に、余計な言葉を費やすつもりはないからな」

 

 

 彼女の言葉に、もはやゲーム用語は混ざっていなかった。非常に流暢で簡潔で、そしてプロフェッショナルな軍事用語。彼女は表の姿と裏の姿を。完璧に使い分けていたのである。平間は自分がこれほどまでに底の知れない少女と、対峙していたことを今更ながらに痛感した。

 

 アレックスは、平間と辻の顔を交互に見た。そして、かつてないほどに真剣な、それでいてどこか楽しげな不敵な笑みを浮かべて挨拶をした。

 

 

「ようこそ。日本国最前線へ。平間、辻。今日からお前たちは、この私のオブシディアン・ユニットの配下だ。命を預ける準備は出来ているか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大なスクリーンが放つ光だけがその存在を際立たせていた。映し出されているのは、深く静謐な緑を湛えた山々の稜線、どこまでも続く蒼い海、そしてそれらとは対照的に、不気味な熱量を放ち続ける原子力発電所の無機質な外観であった。

 

 田宮良子はその光の渦の中に一人佇み、瞳に映る世界の断片を冷徹に、しかしどこか慈しむように見つめていた。彼女は誰に聞かせるでもなく、独り言を紡ぎ始めた。

 

 

「人間の数が半分に減れば、燃やされる森の数も半分になるだろうか」

 

 

 その声は、感情を排した純粋な知性の響きであった。スクリーンの中で、広大な熱帯雨林が重機によって無残に切り開かれ、炎に包まれていく映像が流れる。

 

 

「人間の数が百分の一になれば、海へと垂れ流される毒の量も、百分の一になるだろうか。この地球という巨大な生命体にとって、人間という種はあまりにも増えすぎた。彼らは呼吸をするたびに二酸化炭素を吐き出し、歩くたびに土を汚し、思考するたびに新しい毒を創造する。彼らが作り出した原子力という名の火は、彼ら自身の手には負えず、ただ海を、空を、そして未来を侵食し続けている」

 

 

 田宮良子は視線を海へと移した。重油に汚れ、魚たちが腹を上にして浮かぶ死の海。

 

 

「人間は言う。自然を守らなければ、と。だが彼らが守ろうとしているのは、自分たちが生き残るために都合の良い自然に過ぎない。彼らにとっての『保護』とは、エゴの延長線上にある管理に過ぎないのだ。…だが、もし、この星そのものが自らの身を案じて、ある決断を下したのだとしたら?」

 

 

 その時、背後の階段を登る、規則正しい足音が響いた。現れたのは先日、東福山市の市長へと当選したばかりの男、広川剛志であった。彼は巨大なスクリーンの前で独白を続ける田宮の背中を見つめ、深いため息をついた。

 

 

「またですか、田村君。いや、今は田宮君と呼ぶべきかな。君はここに来る度に、そんな暗い計算ばかりしている。市長としての政務をこなす私の身にもなってほしいものだ。外では記者が内では役人が、常に私の言葉を待ち構えているのだから」

 

 

 広川は田宮の隣に並び、スクリーンを見上げた。そこには、光り輝く大都市の夜景が映し出されていた。

 

 

「しかし、君の言うことも理解はできる。この美しく輝く光の裏側で、どれほどの命が削り取られているか。この街を維持するために、どれほどの毒が地球の血管へと注がれているか。…それを知っているのは、おそらく我々だけだ」

 

 

 田宮良子は、広川の方を向くことなく、ただ一点を凝視したまま、物語の始まりのような言葉を口にした。

 

 

「…地球上の誰かが、ふと思ったのだ。人間の数が半分になったら、いくつの森が焼かれずに済むだろうか、と。地球上の誰かが、ふと思ったのだ。皆の命を守らなければ、と。その『誰か』とは、神かもしれないし、あるいは地球そのものの意思かもしれない。私たちは、その願いを具現化するために遣わされたのだとは思わないか?」

 

 

 広川は少しだけ口角を上げ、満足げに頷いた。

 

 

「その通りだ。人間という種は、もはや自浄作用を失った。増えすぎた寄生虫が宿主を殺そうとしている今、その毒を消すための『薬』が必要なのだ。…なぁ後藤、君もそう思うだろう?」

 

 

 広川が視線を向けた先。スクリーンの死角、暗がりに置かれた椅子に、一人の男が座っていた。

 

 後藤はテーブルの上に置かれた最高級のステーキを、ナイフとフォークを使い、極めて上品に、そして一分の隙もない動作で切り分けていた。彼は一口、赤身の残る肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼してから答えた。

 

 

「生物は皆、命令に従っているだけだ。クモは教わりもしないのに、完璧な幾何学模様の巣を張る方法を知っている。小鳥は迷うことなく、数千キロの旅路を越えて目的地へ辿り着く。彼らは自らの意志でそうしているわけではない。遺伝子の奥深くに刻まれた、抗いようのない命令に従っているに過ぎないのだ」

 

 

 後藤の声には、人間特有の揺らぎや迷いが一切なかった。

 

 

「命令…?」

 

 

 田宮良子が、興味深げに問いを返した。

 

 

「そうだ。脳を奪った時、私は明確な命令を受けた。それは思考ではなく、本能に近い、絶対的な義務の感覚だ。クモが巣を張り、鮭が川を遡るのと同じ。選ぶ余地などどこにもない」

「一体どんな命令を受けたというのだ」

 

 

 田宮の問いに対し、後藤は最後の一切れの肉を嚥下した。そして、彼はポケットから取り出したナプキンで口元を拭うと、不意に口の中から何かを吐き出した。

 

 チリンと冷たい音を立てて皿の上に落ちたのは、金色の輝きを放つ、小ぶりな女性用のピアスであった。それにはまだ微かに生々しい熱量と、鉄の匂いが残っている。

 

 後藤はそのピアスを冷ややかな目で見つめ、再び田宮の瞳を射抜くように見た。

 

 

「この種を──喰い殺せ」

 

 

 その言葉は冷酷な死刑宣告のように、静まり返った空間に響き渡った。

 

 

「私の脳を支配したその『声』は、それ以外を語らなかった。人間を管理しろとも、自然を救えとも言わなかった。ただ、喰い殺せ、と。私たちは、彼らを捕食するために生まれた。彼らを殺すことそのものが、私たちの存在理由であり、地球という天秤のバランスを取るための唯一の方法なのだ」

 

 

 広川剛志は皿の上のピアスを見つめ、一瞬だけ目を細めた。だが、すぐにその視線から人間らしい感傷を消し去った。

 

 

「喰い殺すこと…。それが君たちの、そして私の目指すべき『清掃』の形というわけか。過激だが、合理的だ。人間という害虫を間引くのに、それ以上の説得力はあるまい」

 

 

 田宮良子は後藤の言葉を咀嚼するように、長い沈黙を守った。

 

 

「命令、か…。私の中にも、その声は響いているのだろう。私は知りたい。なぜ、私たちが生まれたのか。なぜ、その命令が下されたのか。喰い殺すという行為の先に、何があるのかを。人間たちは自分たちを、『万物の霊長』と呼ぶ。ならば、その霊長を喰らう私たちは、何と自称すべきなのだろうな」

 

 

 広川は静かに立ち上がり、スクリーンの光を背に受けた。

 

 

「答えはすぐに出るだろう。市役所の機能も、私の手中に収まった。今この瞬間も、仲間たちは着々と数を増やし、社会の隙間を埋めている。…さぁ、明日の政務がある。今日のところはここまでにしよう」

 

 

 広川が階段を降りていく音が響き、後藤もまた音もなく椅子から立ち上がり、闇へと消えていった。

 

 残された田宮良子は、再びスクリーンに向き直った。そこには原子力発電所の巨大な冷却塔が、絶え間なく毒を孕んだ蒸気を吐き出し続けている映像が映し出されていた。

 

 彼女は隣のベビーカーに目を向けた。そこには人間の男性との間に宿した、新しい命がある。

 

 

「この種を喰い殺せ。その命令に背くこと。それが、私が私であるための、最初の実験になるのかもしれない」

 

 

 田宮の独り言はスクリーンの微かな電子音にかき消され、誰に届くこともなく消えていった。




原作時間軸さん「ふっ、すべては予定通り!」
分岐時間軸さん「ふっ、すべては計画通り!」
原作時間軸さん「おん?」
分岐時間軸さん「あ?」
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