泉家の朝は表面上は、以前のような穏やかさを取り戻したかのように見えた。が、食卓を囲む四人と一匹の間には、隠しきれない緊張の糸が張り詰めていた。
窓から差し込む冬の柔らかな光が、新一の右手に当たると包帯の下で、ミギーが微かに形を変える感触が伝わってきた。
新一は朝食のトーストを半分ほど食べたところで、重い沈黙を破る決意を固めた。彼は隣でニコニコと卵焼きを頬張る村野里美と、その向かいで泰然自若とお茶を啜る母の信子。そして、依然として顔色が悪く味噌汁を啜る手さえ震えている、父の一之を順番に見据えた。
「…母さん、里美、父さん。僕はやっぱり、一人で戦うべきだと思うんだ。島田の件で分かった。奴らは怪物だ。これ以上、家族の皆を巻き込みたくない。警察も動いているし、僕はミギーと一緒にこっそりと潜伏しているパラサイトを始末していくよ」
新一の言葉に、ミギーが右手の甲から目玉を出して同調するように瞬きをした。
『合理的だな、新一。集団での行動は標的が大きくなるだけでなく、個々の戦闘力の差が戦術的な足枷となる可能性がある。今の私の計算では、一般人の生存率は極めて低い』
その提案を真っ向から否定したのは、母の信子であった。彼女は手にしていた箸をカチリと置き、鋭い眼光で新一を射抜いた。
「あんたバカァ? ミギーちゃんも含めて泉家の大事な息子なんだから、母親が黙って見送るわけないでしょ。アレックスちゃんにも言われたわ。パーティの解散は、リーダーの独断では認められないってね」
「でも母さん。あの警察の男の件だって、一歩間違えれば死んでいたんだ。母さんがいくら強くても限界はある。里美だってあんなに無茶をして服までボロボロにして、もしあの時、防具の効果が切れていたらと思うと、僕は夜も眠れないんだよ」
新一が里美を振り返ると、彼女は優しい微笑みを湛えたまま首を振った。
「泉くん、私も守るって言ったでしょ。私、もう怖くないの。アレックスちゃんが教えてくれたんだ。この世界は攻略可能な難易度だって。私が泉くんの隣にいないなんて、そんなの安全な場所に隠れている方がずっと怖いよ」
二人の女性の圧倒的な覚悟を前にして、新一は二の句が継げなかった。最強の母と無敵のヒロイン。彼女たちの瞳には一点の曇りもなく、むしろ来るべき狩りを心待ちにしているような、武人としての凄みすら感じられた。
そこへ、ガタガタと椅子の脚が床を叩く音が響いた。父の一之である。彼は震える手で眼鏡を直すと、絞り出すような声で呟いた。
「新一、お前の気持ちは痛いほど分かる。私は正直に言えば、今すぐにでもこの家を捨てて、地球の裏側まで逃げ出したい。怪物なんて、テレビの中の話だけで十分だ。あんな生き物と同じ空気を吸うなんて、狂気の沙汰だよ。嗚呼、思い出しただけでまた意識が遠のきそうだ」
「だったら父さん。父さんだけでも安全な場所に…」
新一が言いかけた言葉を信子の冷ややかな声が遮った。
「あなた、いつまでそうやって縮こまってるの。新一が命を懸けてるのに、家長がソファーの陰で震えてるだけなんて、私は許さないわよ。あの子が置いていった『あれ』、もう準備してあるんだから」
信子は立ち上がると廊下の突き当たりにある物置から、ひとつの大きな木箱を引きずってきた。その箱の表面にはアレックスの乱暴な筆跡で、『パパ専用ガチガチ重装防備セット』と書かれた貼り紙がある。
信子が箱の蓋を開けると、室内が瞬時に鮮やかなシアン色の光に包まれた。箱の中に収められていたのは、これまでのアレックスの装備とは一線を画す、全身を覆うフルプレートの防具一式だった。
透き通る青い輝きを放っている。ヘルメットからチェストプレートにレギンスに至るまで、全てのパーツが不自然なほど軽く、そして鋼鉄の何百倍もの硬度を予感させるほどに、研ぎ澄らされていた。
「これ、アレックスちゃんが特注で作ってくれたのよ。泉一之という一般人を生存させるための、最終解答だそうよ」
信子に促され一之は生贄として差し出された罪人のような顔で箱に近づいた。彼は震える指先で青く輝くチェストプレートに触れた。
「…軽い。プラスチックのような重さだが、触れると指が折れそうなほど硬いのが分かる。これを私が着るのか? こんな特撮ヒーローのような格好を」
「いいから着るのよ。さもないと私がこの金のシャベルで、あんたのケツを叩いて外へ放り出すわよ。それとも家族が戦ってる間、一人で家で震えながらまた気絶してたいの?」
信子の目が据わっている。それはパラサイトを粉砕した時と同じ、有無を言わせぬ絶対者の威圧だった。
「わ、分かったよ! 着ればいいんだろう着れば!」
一之は泣きそうな顔をする。信子の手助けを受けて、青い鎧を身に纏い始めた。
数分後、泉家のリビングには眩いばかりに青く輝く騎士が誕生していた。
「どうだ新一、ミギーちゃん。今の私の姿は」
相変わらず情けないほどに震えている。だが、その全身を包む圧倒的なまでの防具の存在感は、何者も寄せ付けない鉄壁のオーラを放っていた。
新一は絶句した。ミギーが右手の甲から触手を伸ばし、一之の肩のプレートをペチペチと叩く。
『新一、これは驚愕の密度だ。原子構造が完全に整合されている。私の刃でも傷一つ付けることは、おそらく不可能だと思われる。この鎧を着ている限り、物理的な一撃で彼を死に至らしめることは、パラサイト側にとってはほぼ不可能に近いだろう』
「カッコいいですよ。すごく青いけど」
里美が拍手をする。一之は「重くない。重くないんだ。むしろ体が軽くなったような気がする」と、恐る恐る足踏みをした。一之の顔色は、まだ真っ青だった。
「防具が強くても、私の心がこの恐怖に耐えられるとは思えない。やっぱり、お留守番じゃダメかな」
一之が最後のお願いとばかりに、信子を上目遣いで見る。信子は手にしていた金のシャベルの面を、一之の鼻先の数センチでピタリと止めた。
「いい? あなたよく聞きなさい。あの子が言ってたわ。『パパの役割はタンクだ』って。つまり怪物の攻撃を、そのピカピカの体で全部受け止めるのよ。新一と里美ちゃん、そして私に指一本触れさせないのが貴方の仕事。もし敵から逃げ出したりしたら、このシャベルで貴方の頭を新種のブロックに変えてあげるわ…分かった?」
「ひ、ひぃぃッ! 分かった! やるよ! やればいいんだろ! 私は泉家の家長だ! 盾になってやるよ!」
一之は半狂乱気味に叫び、青い籠手を握りしめた。恐怖が臨界点を超えて、逆に変なスイッチが入ってしまったようだった。
新一はその光景を見ながら、深い絶望と同時に、得体の知れない勇気が湧いてくるのを感じていた。青く光る父。金のシャベルを持つ母。そして隣には笑顔で怪物を投げ飛ばすヒロイン。
(…こんなパーティどこを探してもいないよ。アレックス、君の仕業だな)
新一は右手を強く握りしめた。
「分かった。みんなでいこう。パラサイト狩り…いや、この街の大掃除だ」
『面白い。人類の進化とは違う、ツールの進化による集団戦か。私の計算にはない変数が、多すぎて興奮が抑えられないな。新一』
こうして泉家と村野里美による、史上最も非常識で最も頑強なパラサイト掃討作戦の幕が、今開けようとしていた。
怯える父。
怒れる母。
覚醒する恋人。
新一は自らの背後に立つ心強すぎる家族の姿を、一生忘れないだろうと確信した。
「さあ、あなた。まずはあそこの公園の、怪しいおじさんのところまで走るわよ。遅れたらペナルティよ」
「待ってくれ信子。いきなりダッシュは膝に来るんだ」
冬の朝の静寂を青い輝きと、騒々しい怒声が切り裂いていく。泉一之の家長としての過酷な一歩が、今ここに踏み出されたのである。
原作時間軸さん「ナァニコレ?」
分岐時間軸さん「ふっふっふ。泉家の方々、村野里美さん。おゆきなさい!」