外の世界では冷たい木枯らしが吹き荒れ、街路樹の葉を無慈悲に毟り取っていた。しかし、泉家のリビングには、石油ストーブの柔らかな熱気と、どこか場違いなほどの平穏が満ちていた。
窓の外はアレックスの手によって強化された、黒曜石の防壁が庭を囲むようにそびえ立ち、物理的な破壊を一切受け付けない鉄壁の要塞と化している。
かつては平凡な建売住宅だったこの場所は、今や国家機密レベルの防衛能力を備えたセーフハウスへと変貌を遂げていたのである。
リビングのソファでは、倉森が震える手で差し出された熱いココアのカップを握りしめていた。彼の隣では娘の陽子が、ミギーの伸ばした触手の先端を指でツンツンと突きながら、無邪気な笑みを浮かべている。
「見てお父さん。この右手ちゃんおめめがクリクリしてて、とってもかわいいよ」
「よ、陽子? あんまりベタベタ触るんじゃない。それはその…生命の神秘というか、超越的な何かだからな」
倉森は引き攣った笑みを浮かべながら、愛娘の暴挙を止めようとしたが、その視線は新一の右腕に釘付けになっていた。
『新一。この幼い個体は好奇心が旺盛すぎる。私の視覚中枢への物理的な干渉は、控えるように教育してほしい』
ミギーが不満げに瞬きをしながら新一に語りかける。
「ごめんミギー。陽子ちゃんは君のことが気に入ったみたいなんだ。…倉森さん、本当に大丈夫ですから。ミギーは僕が、しっかりコントロールしています」
新一は苦笑しながら、陽子の相手をミギーに任せた。信子が台所から、焼き芋の乗った皿を運んできた。彼女の腰には依然としてあの黄金色のシャベルが、護身用として吊り下げられていた。その所作は、完璧なまでの良妻賢母そのものであった。
「さあ倉森さん、陽子ちゃん。遠慮しないで食べてね。あの子のアレックスちゃんが畑で作った特製のサツマイモよ。元気が出るわ」
「あ、ありがとうございます奥さん。本当に感謝の言葉もありません」
倉森は深々と頭を下げた。自分たちが命を狙われる原因となった田宮良子という存在。その衝撃的な真実を新一から聞かされた瞬間。彼はついに耐えきれなくなったように、乾いた笑い声を漏らし始めた。
「…信じられません。私を雇っていたあの理知的で冷徹な田宮さんが…寄生生物? あは、あはは。そうか。そうだったんですね。彼女のあの人間味のなさは性格ではなく、そもそも人間じゃなかったからなんだ」
倉森は虚空を見つめながら力なく笑い続けた。
「あはは、笑うしかありませんよ。私は死神の正体を突き止めようとして、死神本人から給料を貰っていたんですから」
新一はそんな倉森の姿を、複雑な心境で見つめていた。パラサイトの真実を知りすぎた、人間が辿る精神的な崩壊。それをこの家族は、アレックスという特異点の存在によって強引に乗り越えてしまったのだ。
リビングの隅では、さらに異様な光景が展開されていた。父の一之が全身をシアン色に輝くダイヤモンドの鎧で包んだまま、その上から厚手のどてらを羽織って新聞を読んでいたのである。
ヘルメットのバイザーは半分開けられていたが。彼は食事の時間以外は決してその防具を脱ごうとはしなかった。
「父さん。いい加減その格好で過ごすのはやめたら? 家の中は安全だって、母さんも言ってるじゃないか」
「新一、お前は何も分かっていない。アレックスが言っていたんだ。いつどこで、中立モブが敵対化するか分からないと。それにこの鎧を着ていると、不思議と心が落ち着くんだ。はは、重みがあるからな?」
一之は震える声で答えながら、必死に紙面を追っていた。新一は一之の姿を見て顔を顰めた。
「…うわ、キモい。…けど、こればっかりは同情するよ。父さん」
一之のあまりの怯えようと、それゆえに最強の防具を脱げないという矛盾。それは、この異常な世界における最も人間らしい反応なのかもしれないと、新一は感じていた。パラサイトという脅威を前にして、誰もが母や里美のように戦士になれるわけではないのだ。
ミギーが一之の鎧を観察しながら新一に囁いた。
『新一。あの個体の恐怖心は極限状態を維持している。皮肉なことにその恐怖が、彼に最強の防御装備を常時着用させている。生存戦略としては、極めて合理的だ。今の彼を殺すには、原子レベルの分解が必要になるだろう』
「…父さんを分解しないでくれよ」
ソファの反対側では里美が新一の教科書を広げていた。
「ねえ泉くん。この数式の解き方なんだけど、ミギーちゃんに聞いてもいいかな?」
「いいけど…ミギー、里美に教えてやってくれるか」
『了解した。数学的な論理構築は、私の最も得意とする分野だ。シンイチの脳を経由するよりも、直接音声で出力したほうが効率が良い』
ミギーは里美の隣まで触手を伸ばし、多項式の因数分解について極めて正確かつ冷徹な講義を開始した。里美は熱心にメモを取りながら、「へえ。そう考えると簡単だね」とミギーに微笑みかける。その様子は、もはや家庭教師とその教え子のようであった。
倉森はその光景を見て、ようやく少しずつ毒気が抜けていくのを感じていた。
「…不思議な家ですね。ここには化け物もいるし、最強の装備もある。でも、世界で一番安心できる場所のような気がします」
「それは多分、母さんが普通だからですよ」
新一は台所で夕飯の準備をしながら、楽しそうに鼻歌を歌う信子の背中を指差した。
パラサイトを金のシャベルで粉砕したその腕で、今は丹念に大根の皮を剥いている。その圧倒的な「日常の継続力」こそが、この要塞化された家の中に平和な空気を留めている真の要因だった。
「さあ、夕飯ができたわよ。今日はアレックスちゃんが置いていった最高級の和牛で、すき焼きよ」
信子の掛け声と共に、家族と倉森親子がテーブルを囲む。
一之は鎧のままでも器用に箸を使い、肉を口に放り込んでいる。陽子はミギーに肉を一切れお裾分けしようとして、信子に「ミギーちゃんには味が濃すぎるわよ」と叱られていた。里美は新一の茶碗に肉をよそい、新一はそれを感謝しながら口に運ぶ。
歪で不自然極まりない光景。
だが、ここにあるのは間違いなく、新一が守り抜こうと誓った愛おしい日常の一欠片であった。
「…倉森さん、ゆっくり休んでください。ここは世界で一番、安全なセーフハウスですから」
新一の言葉に、倉森は初めて心からの安堵の微笑みを浮かべた。
最強の家族による冬の陣。それは、来るべき決戦を前にした、嵐の前の静かな温かな休息のひと時であった。
信子の淹れたお茶の香りが、リビングの隅々まで行き渡る。一之は鎧の中で小さく、しかし確かに満足げなため息をついた。
泉家の平和な潜伏生活は雪の降る夜の中に、力強く根を下ろしていたのである。
原作時間軸さん「おいそこ! これじゃ攻めること無理じゃないか!?」
アレックスさん「すまねぇ、英語じゃないと分からないんだ」
原作時間軸さん「嘘つけ!」
分岐時間軸さん「草」