大型ショッピングモールの地下駐車場は!特有の薄暗さとひんやりとした空気に包まれていた。休日の夕方という時間帯でありながら、その区画だけは不自然なほどに人影が途絶えており、静寂がコンクリートの壁に反響していた。
泉信子はたくさんの食材が詰まった買い物袋を両手に提げながら、隣を歩く倉森陽子に優しく微笑みかけた。
「陽子ちゃん。今日はお手伝いしてくれて、本当にありがとうね。おかげで、すごく助かったわ」
陽子は嬉しそうに頷いて、信子のコートの裾を小さな手でしっかりと握りしめた。
「ううん! 私、おばちゃんとお買い物できて、すごく楽しかったよ!」
二人は信子が停めていたファミリーカーに近づき、信子がトランクを開けようと鍵を取り出した、その瞬間であった。周囲の空気が急速に凍りつき、目に見えない重圧が二人の全身にのしかかってきた。
「泉信子ですね。あなた方の非論理的な狩りは、我々の組織運営の深刻な障害となっています」
声は背後から響いた。信子がゆっくりと振り返ると、そこにはいつの間にか三人の男女が音もなく立ち塞がり、完全に退路を塞いでいた。
真ん中に立つのは、仕立ての良い高級なスーツを隙なく着こなした、インテリジェンスを感じさせる男であった。彼の左側には清潔な白衣を身に纏い、首から聴診器を下げた女が立っている。そして右側には、無骨な防刃ベストと制服を着用した、大柄な警備員の男がそびえ立つように配置されていた。
彼らは東福山市役所に勤務し、広川剛志の足元で人間社会の中枢に完璧に溶け込んでいる、精鋭のパラサイトたちであった。スーツの男は市長秘書であり、白衣の女は市役所内部の医務室や健康管理センターを任されているナースであり、制服の男は夜間警備を担う者であった。
「あなたたちは最近になって、我々の同胞を次々と無力化しているようですね。その非常識な行動原理には大いに興味がありますが、これ以上の損害を見過ごすわけにはいきません」
市長秘書が冷徹な表情のまま、淡々と宣告した。彼の瞳には人間に対する同情や感情の揺らぎなど一切存在せず、ただ機械的に排除対象を見定めているだけであった。
ナースの女が一歩前に進み出て、残忍な笑みをその端正な顔に浮かべた。
「こんな幼い子供を連れて、どうやって私たちから逃げるおつもりかしら? 悲鳴を上げる前に、その柔らかい脳髄を啜ってあげるわ。あなたたちの死体は私たちの研究材料として、有効活用してあげるから安心してちょうだい」
ナースは舌なめずりをしながら陽子をじっと見つめ、恐怖を与えようと画策した。警備員の男は無言のまま、鋭利で巨大なブレードへと変形させ、コンクリートの床にガリガリと不快な音を立てながら、火花を散らした。
彼らは母親と幼い子供という人間社会における、圧倒的な弱者を前にして、精神的な揺さぶりをかけら絶望の淵に突き落とそうとしていた。
通常の人間であれば、この時点で恐怖のあまり腰を抜かして泣き叫ぶか、無謀にも子供を庇って命乞いをするかのどちらかであろう。
しかし彼らが相手にしているのは、アレックスという歩く混沌によって徹底的に鍛え上げられた、最強の主婦であった。
信子は陽子を自分の背後に!そっと隠すと深く長いため息をついた。パラサイトたちが期待したような絶望の表情は、そこには微塵もなかった。
「…市役所のエリートさんたちが揃いも揃って、こんな薄暗い地下駐車場でサボりかしら? 税金泥棒もいいところね」
信子は全く怯えることなく、むしろ非常に不機嫌そうな顔つきで三人のパラサイトを睨みつけた。
「それにあなたたちのその制服。綺麗に見せかけて隠してるつもりでしょうけど、酷い血の臭いがしてたまらなく汚いわね。そんな悪臭を漂わせて街を歩くなんて、常識を疑うわ。まとめて洗濯機に放り込んで、強力な漂白剤で真っ白にしてあげるわよ」
信子のその堂々たる挑発にパラサイトたちの顔から、人間らしさという仮面が完全に抜け落ちた。市長秘書の顔がピキリと歪み、ナースの笑顔が怒りで引き攣った。
「人間の雌風情が。我々高等生物を愚弄するか」
秘書の顔面が中央から音を立てて裂け、無数の鋭い触手が蠢き始めた。ナースの頭部も同様に変形し、両腕が巨大な鞭のように伸びていく。警備員は両腕を刃に変えて、殺意を全開にして踏み込んできた。
信子は全く慌てることなく、車のトランクに置いていたエコバッグの中から、静かに一つのアイテムを取り出した。それは柄から刃先にかけて眩いばかりの黄金の輝きを放ち、不思議な文字が浮かび上がっているエンチャントされた、黄金のシャベルであった。
信子はシャベルを両手でしっかりと構え、重心を低く落として武術の達人のような、隙のない構えをとった。背後に隠れる陽子に向かって、優しく力強い声で呼びかけた。
「陽子ちゃん、おばさんの後ろから絶対に離れないでね。すぐにお掃除して終わらせるから」
「うん、分かったよおばちゃん。私、アレックスお姉ちゃんからもらったお守りがあるから、全然怖くないもん」
陽子は小さな両手で、一本の木の棒を強く握りしめていた。それはアレックスが、ノックバックの魔法を付与して陽子に持たせていた、護身用の武器であった。
薄暗い地下駐車場の蛍光灯がチカチカと点滅する中。一人の主婦と三体の精鋭パラサイトたちによる常軌を逸した死闘の幕が、今まさに切って落とされたのである。
「まずは生意気な口を利くその首から切り落としてやる」
ナースのパラサイトが最も早く動き出し、巨大な鞭と化した右腕を信子の首めがけて猛スピードで振り抜いた。空気を切り裂く鋭い風切り音が、地下駐車場に響き渡る。
しかし、信子は動じなかった。彼女は黄金のシャベルを垂直に立てて、ナースの鞭を正面から受け止めた。ガキィィィンという甲高い金属音が鳴り響き、シャベルから激しい火花が散った。
「なにっ」
ナースが驚愕の声を上げる。人間が素手で持つ道具で、パラサイトの一撃を受け止められるはずがないのだ。
だがしかし。アレックスのクラフトした黄金のシャベルは、パラサイトの細胞組織よりも「一応は」遥かに強靭な耐久力を誇っていた。
「あら大振りすぎるわよ。もっと腰を入れないとダメね」
信子はシャベルで鞭を弾き返すと同時に、一歩前に踏み込み渾身の力を込めて、シャベルを水平に薙ぎ払った。黄金の軌跡が宙を描き、シャベルの平らな面がナースの腹部にクリーンヒットした。
ドゴォォォォンという、凄まじい衝撃音が爆発した。シャベルに付与されたノックバックの効果が最大限に発揮され、ナースの体はまるで弾丸のように後方へ吹き飛び、駐車してあったミニバンの側面に激突して、車体を大きく凹ませた。
「ガハッ! 馬鹿な…人間の筋力で…」
ナースは血を吐きながら、床に崩れ落ちた。
「油断するな。この女は普通の人間ではないぞ」
市長秘書が叫び三本の触手による連続突きを、信子へと浴びせかけた。同時に警備員が信子の死角に回り込み、両腕のブレードで挟み撃ちを狙う。前門の虎後門の狼という絶体絶命の状況であったが、信子の瞳には焦りの色は一切なかった。
彼女はアレックスとの過酷な日常の中で、常人離れした動体視力と反射神経を身につけていたのである。信子は市長秘書の突きをシャベルの柄で巧みに逸らしながら、体をコマのように回転させた。
その回転の遠心力を利用して、背後から迫る警備員のブレードをシャベルの刃で、強烈に叩き落とした。
「甘いわよ」
警備員のブレードが根元からへし折れ、男がバランスを崩した瞬間。信子はそのままの勢いで、シャベルを警備員の顎の下に突き入れた。アッパーカットの要領でかち上げられた警備員の体は、天井の配管に激突してそのまま床に落下しピクリとも動かなくなった。
「これで二人目。残るはあなただけね」
信子はシャベルを肩に担ぎ直し、息一つ乱さずに市長秘書を見据えた。市長秘書は、驚愕と混乱で触手の動きを止めていた。自分たちは市役所で選ばれた精鋭のパラサイトであるはずだった。それがたった一人の人間の主婦によって、ものの数分で半壊させられたのである。
彼らの計算能力では、目の前の現象を到底処理しきれなかった。
「信じられん。我々がこのような理不尽な暴力に屈するなど、あってはならない」
秘書は狂乱したように全ての触手を展開し、信子に向かって捨て身の突撃を敢行した。
「理不尽なのは、あなたたちの存在そのものよ。私たちの平和な生活を脅かす害虫は、徹底的に駆除するわ」
信子はシャベルを高く振り上げ、迎え撃つ体勢をとった。黄金の輝きと血に塗れた刃が、地下駐車場の薄暗い空間で激突しようとしていた。
信子と市長秘書の触手が交錯する瞬間、激しい衝撃波が周囲の車の窓ガラスをビビリと震わせた。秘書のパラサイトは自らの命を削るかのように、触手の速度を限界まで引き上げて、信子の防御をこじ開けようと必死に刃を振るい続けた。
しかし、信子は全ての攻撃を完璧に弾き返していた。
「どうしたの、エリートさん。さっきまでの威勢の良さはどこへ行ったのよ」
信子の余裕の笑みが、秘書のプライドを粉々に打ち砕いていく。このままでは埒が明かないと悟った秘書は戦術を変更し、攻撃の矛先を信子の背後に立つ陽子へと切り替えた。
「まずはそのガキから血祭りにあげてやる」
秘書の一本の触手が信子の頭上を越えて、真っ直ぐに陽子の小さな心臓を狙って伸びていく。信子がそれに気づき、シャベルを引き戻そうとしたが、僅かに間に合わない距離であった。
「陽子ちゃん逃げて!」
信子の叫び声が駐車場に響いた。陽子は逃げなかった。彼女は両手で握りしめた木の棒を、ゴルフのスイングのように力強く構え、自分に向かってくる鋭利な刃をしっかりと見据えた。
「えーい」
陽子が無邪気な掛け声と共に、木の棒を思い切り振り抜いた。パラサイトの刃と木の棒が激突した瞬間、信じられない現象が起きた。アレックスが付与したノックバックの魔法が暴走気味に発動し、秘書の触手を通じて莫大な反発力がパラサイトの本体へと伝わったのである。
「おおおぉぉぉっ!?」
市長秘書の体が見えない巨大な大砲で撃たれたかのように、空中に跳ね上がり、そのまま駐車場の太いコンクリートの柱に激突して深くめり込んだ。パラサイトの強靭な細胞も、その理不尽な物理エネルギーの前には耐えきれず、彼は完全に戦闘不能となった。
「やったあ! 私、おばちゃんを守れたよ!」
陽子が木の棒を掲げて、嬉しそうに飛び跳ねた。信子は呆然とした後、すぐに優しい笑顔に戻って陽子の頭を撫でた。
「すごいわ陽子ちゃん。とってもかっこよかったわよ。さすが、アレックスちゃんのお墨付きね」
精鋭であるはずのパラサイト三体は、一人の主婦と幼い少女によって完全に制圧されたのである。地下駐車場には再び静寂が戻り、二人の勝利を讃えるかのように、遠くの排気ファンが低い音を立てて回っていた。
原作時間軸さん「やってしまえー!! 今こそ泉新一を曇らせるんだー!!」
アレックスさん「すまねぇ、お守りあげたんだ」
原作時間軸さん「クソったれがー!!」
分岐時間軸さん「草」