大型ショッピングモールの地下駐車場は、特有の薄暗さとひんやりとした空気に包まれていた。
泉新一はコンクリートの太い柱の陰で息を殺しながら、目の前で展開されている信じがたい光景を凝視していた。新一と右手のミギーは別の区画を警戒していたが、ミギーが強力なパラサイトの波長を三体分同時に感知したため、慌ててこの地下駐車場へと駆けつけてきたのである。
しかし、新一が助けに飛び出そうとした足は、完全にコンクリートの床に縫い付けられていた。
「母さん…それに陽子ちゃんまで…」
新一は震える声で呟いた。視線の先には、大量の食材が詰まった買い物袋を足元に置いた母の信子。彼女のコートの裾をしっかりと握りしめる、倉森陽子の姿があった。
その二人を取り囲むようにして三人の男女が立ち塞がり、完全に退路を塞いでいたのである。
『新一。あの中央のスーツの男と、白衣の女と制服の男。全て完全に脳を乗っ取った同種だ。しかもこれまで遭遇した個体よりも、感情の制御が完璧に行われている。戦闘力も、極めて高いと推測されるぞ』
ミギーが右手の甲から目玉を出して、冷静に状況を分析した。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ、ミギー。あの三人は、市役所のエリートたちかもしれない。絶対に母さんたちを狙って、待ち伏せしていたんだ。早く助けないと…っ」
新一が飛び出そうと右手に力を込めた、その時であった。スーツを着た市長秘書の男が、冷徹な声で宣告を始めた。
「泉信子ですね。あなた方の非論理的な狩りは、我々の組織運営の深刻な障害となっています」
白衣を着たナースの女が、残忍な笑みを浮かべて舌なめずりをした。
「こんな幼い子供を連れてどうやって、私たちから逃げるおつもりかしら? 悲鳴を上げる前に、その柔らかい脳髄を啜ってあげるわ。あなたたちの死体は、私たちの研究材料として有効活用してあげるから、安心してちょうだい」
制服姿の警備員は無言のまま、右腕を鋭利で巨大なブレードへと変形させて、床に火花を散らした。
新一は絶望的な状況に歯噛みした。
「くそっ。あいつら母さんと陽子ちゃんをいたぶるつもりだ。ミギー行くぞ」
新一が柱の陰から飛び出そうとした瞬間。信子の口から信じられないほど、不機嫌そうな声が響き渡った。
「…市役所のエリートさんたちが、揃いも揃ってこんな薄暗い地下駐車場でサボりかしら? 税金泥棒もいいところね」
新一は思わず足を止めて、ズッコケそうになった。
「えっ、母さん? 何を言ってるんだ?」
信子は全く怯える様子もなく、三人のパラサイトを鋭く睨みつけていた。
「それに、あなたたちのその制服。綺麗に見せかけて隠してるつもりでしょうけど、酷い血の臭いがしてたまらなく汚いわね。そんな悪臭を漂わせて街を歩くなんて、常識を疑うわ。まとめて洗濯機に放り込んで、強力な漂白剤で真っ白にしてあげるわよ」
新一は開いた口が塞がらなかった。
「おいおい嘘だろ。相手は三体もいるんだぞ。母さんは自分がどんな状況にいるのか、分かってるのか」
『新一。君の母親の心拍数は、驚くほど安定している。恐怖の感情は一切感知できない。むしろ、攻撃の意思が高まっているぞ』
ミギーの言う通り信子は、買い物袋から眩い黄金の輝きを放つエンチャントされたシャベルを取り出して、完璧な構えをとった。パラサイトたちの顔面が怒りで裂け、無数の触手や刃が飛び出してくる。
「人間の雌風情が、我々高等生物を愚弄するか」
「母さん危ない!」
新一が叫ぶ間もなくナースのパラサイトが、巨大な鞭と化した腕を信子の首めがけて振り抜いた。しかし、信子は黄金のシャベルを垂直に立てて、その鞭を正面からガキィィィンと受け止めたのである。
「嘘だろ!? 人間の力であんな一撃を止められるはずがないじゃないか」
新一は目を疑った。 信子はシャベルで鞭を弾き返すと同時に、一歩踏み込み渾身の力でシャベルを水平に薙ぎ払った。
黄金の軌跡がナースの腹部にクリーンヒットし、ドゴォォォォンという凄まじい衝撃音が爆発した。ナースの体は弾丸のように後方へ吹き飛び、ミニバンの側面に激突して、車体を大きく凹ませたのである。
「す…すごい。アレックスの装備のノックバック効果が、完全に発揮されている。母さん凄すぎるよ」
新一は柱の陰で呆然と呟いた。市長秘書が触手による連続突きを放ち、警備員がブレードで挟み撃ちを狙う。が、信子はまるで熟練の武術家のように攻撃を躱し、警備員の顎の下にシャベルを突き入れた。
アッパーカットでかち上げられた警備員は天井の配管に激突して、床に落下しピクリとも動かなくなったのである。
「信じられない。あの精鋭パラサイトたちが、母さんたった一人に圧倒されている」
新一は自分の右手の存在意義すら、見失いそうになっていた。市長秘書は仲間が次々と倒されたことでパニックに陥り、攻撃の矛先を信子の背後に立つ陽子へと切り替えた。
「まずはそのガキから血祭りにあげてやる」
秘書の触手が信子の頭上を越え、陽子の小さな心臓を狙って、真っ直ぐに伸びていく。信子はシャベルを振り抜いた直後であり、体勢が崩れていて陽子を庇うことができない距離であった。
「陽子ちゃんが危ない! ミギー、急ぐぞ!」
新一は今度こそ助けに入らなければと柱から身を乗り出して、全力で駆け出そうとした。
しかし、陽子は全く逃げようとしなかった。彼女の小さな両手には、先日アレックスから宅配便で届いたばかりの、ただの木の棒がしっかりと握られていたのである。
「え〜い♪」
陽子は無邪気な掛け声と共に、その木の棒をゴルフスイングのように力強く構えた。新一は走りながら、目をむいて絶叫した。
「木の棒!? あんなもので何が出来るんだ!?」
新一の悲痛な叫びは、地下駐車場に虚しく響いた。パラサイトの鋼鉄の刃がただの木の棒を粉砕して、陽子の体を貫く最悪の光景が新一の脳裏をよぎった。
だが、パラサイトの刃と木の棒が激突した瞬間。パァァァンという乾いた音と共に、信じられない現象が起きたのである。アレックスが木の棒に付与していた、ノックバックの魔法が暴走気味に発動し、秘書の触手を通じて莫大な反発力がパラサイトの本体へと逆流した。
「おおおぉぉぉっ」
市長秘書の体が、見えない巨大な大砲で撃たれたかのように、空中に跳ね上がり、そのまま駐車場の太いコンクリートの柱に激突して、深くめり込んだのである。パラサイトの強靭な細胞も、その理不尽な物理エネルギーの前には耐えきれず、彼は完全に戦闘不能となって崩れ落ちた。
「やったあ! 私、おばちゃんを守れたよ!」
陽子が木の棒を掲げて、嬉しそうに飛び跳ねた。信子はすぐに優しい笑顔に戻って、陽子の頭を撫でた。
「すごいわ陽子ちゃん。とってもかっこよかったわよ。流石アレックスちゃんから宅配便で届いた、お墨付きの武器ね」
新一は駆け出していた足をもつれさせて、コンクリートの床に盛大に転倒した。
「い、痛っ、嘘だろ? ただの木の棒で、パラサイトが吹き飛んだ。アレックスの奴、いったいどんなチート魔法をあの棒にかけたんだよ」
新一は床に這いつくばったまま、呆然として陽子が握っている木の棒を見つめた。
『新一。あの木棒には対象を後方へ弾き飛ばす、強烈なエネルギー場が形成されているようだ。あれはもはや鈍器ではなく、攻防一体の超兵器と呼ぶべきだろう』
ミギーが冷静に分析する声が新一の脳内に響いた。しかし、新一はもはやツッコミを入れる気力すら、失っていた。
「あら新一じゃない。こんなところで転んで何やってるのよ?」
信子が床に倒れている新一に気づいて、呆れたような声をかけた。
「母さん…僕たちミギーの波長感知で慌てて助けに来たんだけど…完全にお呼びじゃなかったみたいだね」
新一は苦笑いしながら、ゆっくりと立ち上がってズボンの埃を払った。
「新一お兄ちゃん! 私、悪いパラサイトをやっつけたよ!」
陽子がトテトテと駆け寄ってきて、木の棒を自慢げに見せつけてきた。
「うん。見てたよ陽子ちゃん。すごく強かったね。でも、次からは絶対に無理しちゃダメだよ。本当に心臓が止まるかと思ったんだから」
新一は陽子の頭を優しく撫でながら、心底ホッとした表情を浮かべた。
「本当に驚いたよ。あの市役所のパラサイト三体が、母さんと陽子ちゃんにあっという間に倒されちゃうなんて。僕とミギーの出番なんて、全くなかったじゃないか」
新一が肩をすくめて言うと、信子は黄金のシャベルをエコバッグの中に隠しながら、得意げに笑った。
「当たり前でしょ。主婦の買い物時間を邪魔するような非常識な連中は、私が許さないわよ。それに陽子ちゃんのお守りは、アレックスちゃんが絶対に安全だって太鼓判を押して、宅配便で送ってくれたんだから信用していいのよ」
「そのアレックスの太鼓判が一番信用できないんだけどな。…まあ今回は本当に助けられたから、後でちゃんとお礼を言っておくよ」
新一は倒れている三体のパラサイトの残骸を、ちらりと見た。人間社会に潜伏していた精鋭たちは、自分たちが最も見下していたはずの一般人の主婦と幼い子供によって、完全にプライドごと粉砕されたのである。
彼らの計算能力では最後までアレックスの付与魔法という、異常な変数を処理しきれなかったのだろう。
「さあ新一。手ぶらで来たなら、荷物持ちを手伝いなさい。早く帰らないと、お父さんや里美ちゃんが心配するわよ。今日は、すき焼きの材料をたくさん買ってきたんだから」
信子は買い物袋の半分を新一に押し付けると、陽子と手を繋いでファミリーカーのトランクへと向かった。
「分かったよ母さん。…ミギー、どうやら僕たちの戦いはパラサイトとの死闘から、母さんたちの規格外の力に対する驚きへとシフトしているみたいだな」
『同感だ。泉家のメス個体たちの戦闘能力は、私の想像を遥かに超えて進化し続けている。これは、生物学的に非常に興味深い現象だ』
ミギーの言葉に、新一はため息をつきながら買い物袋を抱え上げた。
地下駐車場には再び静寂が戻り、最強の家族の日常の買い物はパラサイトの脅威を完全に凌駕して、平和な帰路へと続いていくのであった。
原作時間軸さん「ははは! これで泉新一は闇堕ちするであろう! 倉森もなナァ!」
分岐時間軸さん「残念でしたァ?」
原作時間軸さん「クソッタレー!!」
作者「次回はクリスマス回! その後の回で、アレックスが登場します」