特殊急襲部隊SATの副隊長を務める加藤は、額に滲む冷たい汗を拭う余裕すらなく、手にした重いショットガンを強く握りしめ、パニックに陥る群衆を鋭い眼差しで睨みつけていた。
つい先ほど、おとなしく誘導に従っていたはずの群衆の中に紛れ込んでいたパラサイトが、突如としてその醜悪な正体を現し、加藤の部下の一人に容赦なく襲いかかった。
幸運にも、その部下は出撃前に特別顧問と名乗る謎の少女から強制的に着せられた薄っぺらい防具のおかげで、無傷で生還を果たすことができた。
だが、人間の顔が不気味に裂け、中から鋭利な刃物のような化け物が飛び出したという圧倒的な事実が引き起こした市民たちのパニックは凄まじかった。
もはや、警察という組織の威圧だけではどうにもならない限界点に達しようとしていた。
「隊列を崩すな! 元の位置に戻れ!」
加藤は腹の底から怒号を張り上げたが、悲鳴と泣き声が飛び交う広いホールでは全く効果がなかった。誰もが「自分が次の標的になるのではないか」という極限の疑心暗鬼に駆られ、互いに押し合いへし合いを続けている。
加藤が威嚇射撃を行うべきか迷い、銃口を天井に向けようとした、まさにその時であった。ホールの正面入り口から、一人の少女が悠然とした足取りで歩み入ってきたのである。
漆黒のタクティカルギアに身を包んだその姿は、周囲の混沌とした状況から完全に浮き上がっており、異様であった。加藤は事前のブリーフィングで、彼女が『黒曜石部隊(オブシディアン・ユニット)』と呼ばれる特殊部隊のリーダーであることを、山岸隊長から直接聞かされていた。
だが、彼女の周囲にはオブシディアン・ユニットとやらの隊員たちの姿は、誰ひとりとして存在しなかった。リーダーである彼女のみが、堂々と単独で現れたのだ。別行動でも取っているのかと、加藤が疑問に思ったのも束の間であった。
美少女アレックスは、騒乱のホールの中央でピタリと足を止めると、重苦しいバリスティックバイザーを跳ね上げ、見事な亜麻色の髪と整った美しい顔立ちを露わにした。
「私は、アレックス。内閣総理大臣と契約を交わしたスーパーエリートエージェントである。アメリカ人のアレックスとでも呼んでくれたまえ」
彼女は拡声器も使わずに、非常によく通る透き通った声で高らかに自己紹介をホール全体に放った。加藤を含めた重武装の特殊部隊員たちばかりか、パニックに陥っていた市民たちでさえ、そのあまりにも場違いで堂々とした態度に気を取られ、一瞬だけ静まり返った。
だが、美少女アレックスが次に放った言葉が、その僅かな静寂をすぐに底知れない困惑へと塗り替えた。
「おいそこのモブども! 当たり判定が広がるから固まるな! ソーシャルディスタンスを保て! 範囲攻撃の餌食になりたいのか!」
アレックスは呆れたように指をさして、身を寄せ合って震える市民たちに向かって怒鳴りつけた。さらに彼女は、分厚い盾を構えて必死に防衛線を構築しようとしている加藤の部下たちに向かって、心底不満げに顔をしかめたのである。
「あーもう! 誘導が下手くそすぎる! そこにいる防具付きの隊員! シールドを構えてヘイトを稼げ! タンクの役割を果たせ!」
加藤は、自分の耳を本気で疑った。彼女はいったい何を言っているんだ。モブだの当たり判定だの、タンクだのと意味不明な言葉を羅列して、完全に頭が狂っているとしか思えなかった。
ここは血で血を洗う、苛烈な掃討作戦の最前線なのだ。遊び半分で来ているのなら、今すぐにでも彼女は病院に行ったほうがいいんじゃないかと、加藤は本気で心配した。
そんな加藤の真面目な内心を知る由もなく、美少女アレックスは周囲をキョロキョロと見回して楽しそうに笑みを浮かべた。
「おおっと、敵対モブが湧いたな! 湧き潰しが甘かったか!」
群衆の端で、再び一人の男が異常な痙攣を起こし始めていた。パラサイトが新たな獲物を求めて、再び凄惨な変形を始めようとしているのだ。加藤が部下に急いで射撃の指示を出そうと息を大きく吸い込んだ瞬間であった。
美少女アレックスの手に、いつの間にか立派な弓が握られていた。
加藤は驚愕のあまり目を見開いた。どこから出したんだ、その弓は。加藤の常識が激しくきしむ音を立てる。彼女はつい先ほどまで両手に何も持っていなかったはずだし、背中にあのような巨大な武器を背負っていたわけでもない。
まるで、虚空から手品のように取り出したとしか思えない現象であった。
美少女アレックスは素早く弦を引き絞り、放たれた矢がパラサイトの頭部に正確無比な軌道で突き刺さった。矢は命中した瞬間に激しく燃え上がり、パラサイトは火の玉となって不気味な悲鳴を上げながら、悶絶して倒れ込んだ。
加藤がその超常的な光景に言葉を完全に失っていると、美少女アレックスは弓をまたどこかへと一瞬で消し去り、部隊全体を満足げに見回した。
「これより私の指揮下に入ってもらう。拒否権は無い。私の言葉は、内閣総理大臣の言葉だと思え。ふっ、一度言ってみたかったんだ」
彼女は誇らしげに笑みを浮かべて言い放った。圧倒的な実力を見せつけられた加藤は、もはや反論する気力すら湧いてこなかった。
その直後であった。
カッコよく、映画のワンシーンのように完璧なタイミングと洗練された足取りで、数名のオブシディアン・ユニットの隊員たちがホールに突入してきたのである。
彼らは全員が顔を完全に隠すフルフェイスのヘルメットを被り、一糸乱れぬ機械的な動きで広場に展開した。それぞれが特殊な移動式スキャナーを携えており、パニックに陥る市民たちを強制的にスキャンして、パラサイトの識別作業を冷徹に再開しようとした。
強引に機器を向けられた市民の一人が、極限の恐怖からついに反発の声を上げて抵抗を試みた。
「ちょっと待てよ! いきなり何の真似だ!」
中年男性が、スキャナーを持つ隊員を乱暴に突き飛ばそうとした。加藤が事態の悪化を防ごうと止めに入ろうとしたが、美少女アレックスの動きの方が遥かに素早かった。彼女はスタスタと歩み寄り、怒り狂う市民の男の前に立った。
「これを持ってくれないか」
美少女アレックスは、どこからともなく取り出した、金と緑に輝く奇妙な人形のような小さな像を、男の胸に静かに押し付けた。
「これは…えっ」
男が反射的にその像を受け取り、戸惑いの声を漏らす。その直後であった。
「すまない。銃が暴発してしまった。君はこれから死ぬ」
美少女アレックスはアサルトライフルを構え、一切の躊躇なく、男の胸に向けて引き金を引いた。乾いた銃声がホールに鋭く響き渡る。
加藤の心臓が、恐怖で完全に凍りついた。民間人を、問答無用で射殺したのだ。しかし視界に、信じられない奇跡のような光景が飛び込んできた。
男の胸を貫いたはずの銃弾が命中した瞬間、男が持っていた奇妙な像が眩い光を放ち、空中に浮かび上がったのである。激しい光の粒子が男の体を暖かく包み込み、男は弾き飛ばされて床に倒れ込んだ。
しかし、血は一滴も流れておらず、男はすぐに激しく咳き込みながら、勢いよく身を起こしたのである。持たせた不死のトーテムで、彼は完全に復活したのだ。
自分の身に何が起きたのか理解できず、男は究極の恐怖に顔を引き攣らせて、ガタガタと激しく震え出した。
「わかってもらえたかな? 自分が人間だと思うのなら…とっとと床に伏せやがれ! 逆らえばゾンビにしてやる!」
美少女アレックスの冷酷で楽しげな脅迫が響き渡ると、パニックを起こしていた一般人たちは床に這いつくばり、両手で頭を必死に抱えた。誰一人として、彼女の絶対的な指示に逆らおうとする者はいなくなった。
「よしよし、いい子だ。なんだ、やれば出来るじゃないか。簡単なことだろう?」
美少女アレックスは満足げにうなずいて、従順になった市民たちを冷ややかに見下ろした。完全にホールは彼女の手によって制圧されたのである。加藤は、この少女がパラサイトよりもよほど恐ろしいバケモノであると、心の底から確信した。
一般人が完全に指示に従うのを確認して、美少女アレックスはさらに言葉を続けた。
「私の指示に従え。作戦が完遂されるまではな。途中で勝手にエリアから出ようとする輩がいたら、遠慮なく物理で排除させてもらうからな」
美少女アレックスのその言葉は、凍てつくような冷たさを伴って市役所の一階ホールに響き渡った。床に這いつくばる市民たちは、誰一人として声を上げることもできず、ただガタガタと肩を震わせていた。
その異様で、あまりにも理不尽な光景を前にして、特殊急襲部隊SATの副隊長である加藤は、ついに奥歯を強く噛み締めて前に進み出た。警察官としての矜持が、そして一般市民を守るべき者としての倫理観が、目の前の少女の狂気じみた行動をどうしても見過ごすことを許さなかったのだ。
「ふざけるな…! いくらなんでもやりすぎだ!」
加藤の怒声が、ホールに鋭く響いた。ショットガンを下ろし、アレックスに向かって厳しい眼差しを向ける。
「相手は丸腰の民間人だぞ! いきなり銃を向けて撃ち抜くなんて、正気の沙汰じゃない! もしその…変なアイテムが発動しなかったらどうするつもりだったんだ! お前は無抵抗の人間を殺したかもしれないんだぞ!」
加藤の胸中は激しい怒りと混乱で満ちていた。確かにあの男は無傷で生き返った。だが、引き金を引いた瞬間の彼女には一切の迷いがなかった。
それは紛れもない殺人未遂、いや、彼女の感覚の中では明確な「殺害」だったはずだ。国家権力の手を借りてパラサイトを駆除する作戦とはいえ、市民を実験動物のように扱う権限など誰にも与えられていない。
加藤の激しい抗議を受け、美少女アレックスは足を止めた。
彼女はゆっくりと振り返り、ヘルメットのバイザーの下から、全く感情の読めない、底知れぬ深さを持った緑色の瞳で加藤を見つめ返した。その視線には、怒りも、焦りも、罪悪感すら微塵も存在しなかった。
「何を喚いているのかと思えば…お前は本当に、仕様を理解していない人間だなァ?」
アレックスは呆れたようにため息をつき、アサルトライフルの銃身を軽く肩で叩いた。
「いいか、よく聞け。あの『不死のトーテム』があれば、致死ダメージを受けた瞬間に強制的に復活するんだ。これは絶対に揺るがないシステムの絶対法則だ。人間であれば、確実にな」
「システムの法則だと…? これは現実だ! ゲームじゃないんだぞ!?」
加藤が食い下がるが、アレックスは涼しい顔で言葉を遮った。
「現実だからこそ、確実に識別する必要があるんだろうが。お前たち警察の用意したX線スキャナーは確かに優秀だが、パニック状態の群衆の中では処理落ちするリスクがある。だが、この方法は100パーセント確実だ」
アレックスは床にへたり込み、自分の胸を何度も触って生きていることを確認している中年男性を一瞥した。
「いいか、加藤。もしあいつが人間の皮を被ったパラサイトだった場合、あのトーテムの加護は絶対に発動しない。なぜなら、奴らの細胞構造とあのアイテムの魔力判定は互換性がないからだ。つまり、パラサイトであれば致命傷を受けてそのまま死ぬか、あるいは死の直前に正体を現して反撃してくるかの二択だ。どちらに転んでも、敵対モブであることが確定し、周囲の市民への被害が出る前に迅速に処理できる」
加藤は息を呑んだ。彼女の言っていることは、倫理観や道徳という人間社会の絶対的なルールを完全に度外視すれば、これ以上ないほどに効率的で合理的なパラサイトの識別方法であった。
「だからといって、一般人に銃を向けていい理由にはならない! もし万が一のことがあったら…!」
「万が一はない。私がそう設定したからだ。パラサイトかどうかの確認として、これは必要なことだった。結果として、奴は人間であることが証明され、おまけに周囲に強烈な恐怖のデバフをばら撒くことで、これ以上のパニックや無謀な逃走を防ぐことができた。一石二鳥、完璧なプレイングだろう?」
アレックスは、自らの凶行を「完璧なプレイング」と呼んでのけた。
加藤の背筋を、氷のような悪寒が駆け上がっていく。この少女の頭の中には、人間の命の重さという概念が存在しない。すべてはヒットポイント、デバフ、判定といったゲームの数値として処理されているのだ。
だが、さらに恐ろしいのは、彼女のその狂気じみた論理が、この人類の存亡を賭けた凄惨な戦場において、警察の生ぬるいマニュアルよりも遥かに確実に「結果」を出しているという事実だった。
「お前たちが市民の命を大事にしているのは分かる。立派なロールプレイだ。だがな、加藤。今この瞬間にも、お前たちが守ろうとしているその群衆の中に、人間の脳髄を啜る化け物が紛れているんだぞ。生ぬるい配慮で敵を見逃し、後で大惨事になるのと、一度だけ強制イベントを発生させて全員を安全に管理するのと、どちらが『クリア』に近いか、少しは頭を使え」
アレックスの言葉は、冷徹な刃となって加藤の信念を容赦なく切り裂いた。加藤は口をパクパクと動かしたが、反論の言葉を見つけることができなかった。
彼女の言う通り、もしあのままパニックが続いていれば、群衆の中でパラサイトが暴れ出し、防具を持たない市民たちが次々と惨殺されていただろう。結果だけを見れば、彼女の理不尽な恐怖支配が、皮肉にも多くの命を救っているのだ。
加藤が言葉に詰まっていると、周囲に展開していたオブシディアン・ユニットの隊員たちが、一斉にアサルトライフルを構え直した。
彼らはリーダーであるアレックスの凶行を止めることもなく、感情を一切見せない無機質な動作で、床に這いつくばる市民たちを監視し続けている。中身が人間なのかどうかも分からないその黒い集団は、アレックスの狂気を体現する恐るべき手駒であった。
「わかったら、おとなしく持ち場に戻ってタンクの仕事を全うしろ。お前たちはただ、私の作った安全地帯の中で、モブどもが逃げ出さないように見張っていればいい」
もはや彼女にとって、加藤との問答はチュートリアルの会話イベント程度の意味しか持っていないようだった。
「加藤。ここは任せる。私は…狩りを楽しんでくるよ」
美少女アレックスは、にやりと悪魔のような笑みを浮かべた。その緑色の瞳には、未知のダンジョンを探索する冒険者のような、純粋で無邪気な好奇心が燃え上がっていた。
「この市役所の上の階には、まだ連中がウヨウヨしているはずだからな。経験値を誰にも横取りされるわけにはいかない」
美少女アレックスは、にやりと悪魔のような笑みを浮かべた。彼女はライフルを肩に担ぎ直すと、加藤の背後に控えていた多数の特殊急襲部隊の隊員たちに向かって、傲慢なほど堂々とした手振りで指示を出した。
「お前たち、私のパーティーに入れてやる。ついてこい。前衛と後衛のバランスを考えて陣形を組むぞ。遅れた奴から経験値が入らなくなるからな」
その指示は相変わらず意味不明なゲーム用語に塗れていたが、圧倒的な実力と狂気を見せつけられたSATの隊員たちは、逆らうこともできずに無言で彼女の後へと続いた。数十名に及ぶ精鋭のSAT隊員を引き連れ、アレックスは上の階へと続く薄暗い階段に向かって歩き出す。
その彼女のすぐ斜め後ろには、漆黒のタクティカルギアに身を包んだ『オブシディアン・ユニット』の隊員が、たった一名だけ影のように寄り添って従っていた。
加藤は、遠ざかっていく漆黒の少女と自分の部下たちの背中を、ただ茫然と見送ることしかできなかった。
一階ホールには、加藤たち残されたSATの隊員と、床に這いつくばって震える大勢の市民たち、そして、アレックスが配置していった残りのオブシディアン・ユニットの隊員たちが静かに佇んでいる。
彼らは言葉を一切発することなく、ガスマスクの奥から冷徹な視線を放ちながら、移動式スキャナーを持って機械的な動作で市民の監視と選別作業を再開していた。
その動きには一切の無駄がなく、人間の持つ疲労や感情の揺らぎというものが微塵も感じられない。加藤には、彼らが本当に人間なのかどうかすら疑わしく思えてならなかった。
その時、加藤の耳に装着されたインカムから、ノイズ混じりの通信が入った。別ルートから市役所の制圧に向かっている他部隊からの状況報告である。
『こちら第2部隊。裏口および地下搬入口の封鎖を完了した。当部隊に合流したオブシディアン・ユニットの隊員一名が、偽装して逃走を図ったパラサイトを瞬時に識別し、単独で無力化に成功。現在、周辺のクリアリングを継続中』
『こちら第3部隊。別館の制圧中。同じく配置されたオブシディアン・ユニット一名の支援により、隠し部屋に潜伏していた個体を発見。対象を排除した』
次々と飛び込んでくる他部隊からの報告に、加藤は背筋が凍るような思いがした。
(他部隊にも…あの中身の分からない隊員が、それぞれ配置されているというのか…!)
総理大臣直属のスーパーエリートエージェントだと、名乗った少女。彼女は単に、個人の戦闘力が異常なだけではない。
この『オブシディアン・ユニット』という、感情を持たず命令を完璧に遂行する不気味な私兵の集団を、市役所のあらゆる要所に的確に分散配置させていたのだ。彼らはそれぞれがパラサイトの擬態を見破る目を持ち、そして容赦なく処理する圧倒的な暴力を持っている。
「あの少女は…この作戦の全てを、自分の盤上でコントロールしているのか…」
加藤は乾ききった唇を舐め、力なく呟いた。床に伏せる市民たちの微かなすすり泣きと、特殊部隊員たちの重い呼吸音だけが、ホールに虚しく響いている。
「…各員、警戒を怠るな。市民を絶対に立たせるな」
加藤は深い深い溜息をつきながら、残された部隊に向けて指示を出した。
彼にできるのは、あの狂った美少女が残していった『恐怖の安全地帯』を維持し、パニックを起こさせずに市民を守り抜くことだけだった。
原作時間軸さん「えっ、怖っ」
分岐時間軸さん「えっ、普通でしょ?」
原作時間軸さん「普通じゃない!!」