僕の常識が息をしていない   作:最高司祭アドミニストレータ

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黒曜石の棺 - (閉話)

 全身を貫かれたはずの衝撃と、肉体が引き裂かれる痛烈な感覚の余韻。広川剛志の意識は、冷たいコンクリートの床に背中を打ち付けた瞬間に、間違いなく底知れぬ闇の奥底へと沈んでいったはずであった。

 

 無数のショットガンの銃声が鼓膜を突き破り、閃光が網膜を焼き尽くす。自らが信じた地球の調和という理想と共に、広川は自らの死を完全に受け入れていた。永遠の時を生きる超越者と名乗ったあの少女よる処刑。それに相応しい、圧倒的で絶対的な最期だった。

 

 

「…ん?」

 

 

 広川の閉じていたまぶたが、ピクリと痙攣した。鼻腔を突くのは、生々しい血の匂いではなく、講堂に立ち込める濃密な硝煙の臭いだけである。広川はゆっくりと目を開いた。ぼやけた視界の先に映ったのは、東福山市役所の薄暗い講堂の天井であった。

 

 死後の世界などではない。自分は確かに、先ほどまで演説をぶっていたあの講堂の床に仰向けに倒れている。

 

 広川は己の体に意識を向けた。無数の鉛弾を浴び、蜂の巣にされたはずの肉体。しかし、痛みはどこにも存在しなかった。

 

 それどころか、スーツの生地が僅かに焦げているだけで、流血の跡すら見当たらない。広川は目を丸くし、自分の胸元を触り、次いで手足を動かしてみた。完全に五体満足である。

 

 

(どういうことだ…? 私は、死んだはずでは…?)

 

 

 広川の明晰な頭脳は、眼前で起きている現実を全く処理しきれなかった。自らの死を確信した直後に、一切の傷なく生存しているという物理的な矛盾。彼の表情は、未知の事象に遭遇して思考が完全にフリーズしてしまった、いわゆる「宇宙猫」のような状態に陥っていた。

 

 理解が追いつかない広川が、床に這いつくばったまま呆然としていると、コツ、コツ、という規則正しい足音が近づいてきた。

 

 視界の端に、漆黒のタクティカルギアに身を包んだ美少女、アレックス・スティルウォーターのブーツが見えた。彼女の背後には、顔面をガスマスクで完全に覆い隠した『オブシディアン・ユニット』の隊員たちが、音もなく付き従っている。

 

 少し離れた場所では、広川を包囲して一斉射撃を行った特殊急襲部隊の隊員たちが、銃を構えたまま警戒を解かずに立ち尽くしている。彼らの位置からは、演台の陰に倒れ込んだ広川の姿ははっきりと見えていないのだろう。彼らは皆、広川が完全に息絶えたものと信じ切っている様子であった。

 

 オブシディアン・ユニットの一人が、広川の傍らに片膝をついた。その手には、先ほど一階ホールで市民たちに向けられていた移動式スキャナーが握られている。

 

 無機質な動作でスキャナーが広川の全身をなぞる。それは、ターゲットが「寄生生物か人間か」を判別するための選別作業であった。広川は自分が正真正銘の人間であることを知っている。同時に彼らにとっては、自分がパラサイトを庇護していた最大の敵であることも事実である。

 

 スキャンを終えたオブシディアン・ユニットの隊員が、立ち上がってSATの隊員たち、そしてインカムを通じて作戦本部へと向かって、よく通る声で報告を上げた。

 

 

「対象、広川剛志の死亡を確認」

 

 

 その声を聞いて、広川はさらに目を丸くした。自分が息をして、こうして目を開いているにも関わらず、「死亡を確認」という明確な虚偽の報告を行ったのだ。さらに、別のオブシディアン・ユニットの隊員が、その報告に間髪入れずに言葉を重ねた。

 

 

「スキャンの結果、対象は寄生生物であることを確認。人間への擬態を解く前に、絶命した模様」

「っ!?」

 

 

 広川は思わず声を上げそうになったが、アレックスが冷ややかな視線を向けて人差し指を口元に立てたため、咄嗟に口をつぐんだ。自分が死んだという嘘にとどまらず、自分がパラサイトであったという真っ赤な嘘まででっち上げたのである。

 

 少し離れた場所で待機していたSATの隊員たちの間に、ざわめきが広がった。

 

 

「市長は…あの広川市長は、化け物だったのか…っ」

「くそっ、やっぱり政治の中枢まで連中に乗っ取られていたんだ! 撃って正解だった!」

 

 

 彼らは、オブシディアン・ユニットの偽りの報告を微塵も疑うことなく、広川が人間の皮を被った化け物であり、今の一斉射撃で正当に駆除されたのだと完全に納得してしまっていた。

 

 

(彼らは一体、何を企んでいる…?)

 

 

 広川の思考が混乱の極みに達している中、アレックスがSATの隊員たちに向かって声を張り上げた。

 

 

「よし、対象の無力化は完了した。お前たちはこのフロアの残敵掃討に当たれ。市長の死体の処理は、我々オブシディアン・ユニットで引き受ける! パラサイトの細胞組織は危険だからな。私が直接封印する!」

 

 その言葉に、SATの隊員たちは「了解しました!」と短く答え、広川に近づくことなく、すぐさま講堂の他の出入り口へと散開していった。講堂の演台裏には、広川とアレックス、そして数名のオブシディアン・ユニットだけが残された。

 

 アレックスは、SATの隊員たちが完全にいなくなったことを確認すると、懐から真っ黒なブロック状の物体を取り出した。それは周囲の光を全て吸い込むような、底知れない漆黒の光沢を放つ黒曜石であった。

 

 彼女がそのブロックを床に置くと、それはカチャリという音と共に瞬時に展開し、人間一人がすっぽりと収まるほどの大きさを持つ「黒曜石製の棺」へと姿を変えた。

 

 

「さあ、入れ」

 

 

 アレックスが顎でしゃくる。オブシディアン・ユニットの隊員たちが、広川の腕を掴み、半ば強制的にその棺の中へと押し込んだ。

 

 

「ま、待て! 貴様らは私をどうするつもりだ! 私は…!」

 

 

 広川が抗議の声を上げる間もなく、重厚な黒曜石の蓋がガチャンと音を立てて閉められた。完全な暗闇と沈黙が訪れる──広川はそう覚悟した。しかし、棺の蓋が閉まった瞬間、彼の視界を眩い光が満たした。

 

 

「…え?」

 

 

 広川は瞬きを繰り返し、自らが置かれている状況を疑った。狭く息苦しい棺の中に閉じ込められたはずの彼の目の前には、およそアパートの1DKほどもある、広大で清潔な空間が広がっていたのである。

 

 足元にはふかふかの絨毯が敷かれ、壁紙は暖かみのあるアイボリーで統一されている。部屋の中央には座り心地の良さそうな革張りのソファが置かれ、その向かいには巨大な薄型液晶テレビが鎮座している。

 

 さらに部屋の奥を見渡せば、最新型のゲーム機が接続されたモニター、壁一面を埋め尽くす大量の漫画本が並んだ本棚、そしてガラス張りの清潔なシャワールームまでが完備されていた。

 

 傍らに置かれた大型冷蔵庫を開けてみると、中には新鮮な食材や高級な飲料、色とりどりのデザートまでもが、まるでホテルのスイートルームのように隙間なく詰め込まれている。

 

 テレビもゲームも漫画もシャワーも、人間が快適に生活するための何もかもが、この空間には不自由することなく充実していた。

 

 

「な、なんだここは…!? 棺の中ではないのか!?」

 

 

 広川はソファに座り込み、頭を抱えた。先ほどまでの「宇宙猫」状態が、さらに深刻なレベルへと突入していく。自分は無数の銃弾を浴びて死を覚悟した。しかし無傷で生き残り、死んだという偽装工作が行われ、さらにはこの物理法則を完全に無視した異次元の快適空間に軟禁されている。

 

 狂っている。自分の理解を超えた事象が、雪崩のように押し寄せてきている。

 

 その時、空間の天井に設置されていると思われる見えないスピーカーから、アレックスの透き通った声が響き渡った。

 

 

『よう。居住環境の具合はどうだ? 広川剛志』

 

 

 広川は弾かれたように立ち上がり、天井に向かって叫んだ。

 

 

「答えろ! これは一体どういう原理なのだ!? 私が入ったのは、人間一人サイズの棺だったはずだ。なぜこのような空間が広がっている! それに、私が無傷で生きているのはなぜだ! 貴様は永遠の時を生きる超越者だと名乗ったな! この空間も、貴様のその神のような力によるものなのか!」

 

 

 広川の言葉には、先ほどの演説の際に見せたような、彼女へのある種の畏敬の念が込められていた。彼女は地球の寿命すらも超越し、物理法則すらねじ曲げる神のごとき存在。この理不尽な空間も、彼女の深遠なる計算に基づいたものに違いない。

 

 だが、スピーカーから返ってきたのは、広川のその荘厳な期待を木端微塵に粉砕する、あまりにも俗っぽく、そして理不尽な怒鳴り声であった。

 

 

『うるさい! そんなこと私が知るか! 技術開発部が作った拡張インベントリなんだから、細かい仕様なんていちいち把握してるわけないだろ! 黙って与えられた恩恵を受け入れて、そこで漫画でも読んでおけ!』

「……は?」

 

 

 広川はポカンと口を開けた。技術開発部? 作ったから知らん? 彼女は今、この不可解な現象の理由を「自分が作ったわけじゃないから分からない」と、まるで取扱説明書を読んでいない適当な消費者のような態度で切り捨てたのだ。

 

 

「ま、待て! ならばなぜ私を生かし、このような場所に保護するのだ! 私は人間を見限り、パラサイトを庇護した罪人だぞ! 理由を説明しろ!」

 

 

 広川がさらに問い詰めるが、スピーカーからはチッという苛立った舌打ちの音が聞こえただけだった。

 

 

『NPCのくせに質問が多いぞ。お前はそこで、外のイベントが終わるまで待機だ。飯を食って寝ていろ。これ以上文句を言うなら、通信を切ってテレビの電源も落とすからな』

「なっ…!」

 

 

 プツッ、という無機質な電子音が鳴り、通信は一方的に遮断された。

 

 

「……」

 

 

 広川は広々とした快適な空間の中央で、一人取り残された。どういう原理で外の彼女と通信ができているのかすら不明だが、通信が切れた以上、彼にできることは何もない。

 

 広川はソファに深く腰を沈め、天井を仰ぎ見た。

 

 

「時間の枷から解放された知覚種族、だと…?」

 

 

 広川の脳裏に、先ほどまで彼女に対して抱いていた「冷徹なる超越者」という評価が、音を立てて崩れ落ちていく感覚があった。

 

 彼女の正体は、神でも超越者でもない。ただの、他人が作った便利なシステムを我が物顔で使いこなし、説明を求められれば逆ギレで誤魔化す、理不尽で乱暴な小娘なのではないか。

 

 広川は彼女に対して、決定的な評価の暴落を感じずにはいられなかった。

 

 しかし、ひとまず言われた通り大人しくしている以外に選択肢はないのも事実である。外では自分が「死んだパラサイト」として処理され、自分が信じたパラサイトのネットワークは、今まさに警察の武力によって壊滅させられている最中なのだ。

 

 自分は生きながらにして、社会的な死を迎えた。その上で、理由すら指示されていない軟禁状態に置かれている。自分をどうするつもりなのか、彼女の真意は全く読めない。

 

 広川は、テーブルの上に置かれた高級なミネラルウォーターのボトルを手に取りながら、再び深い溜め息を漏らした。

 

 

「全く、人間という種の底知れなさは、私の絶望すらも超えていくというのか…」

 

 

 最新のゲーム機が置かれたモニターが、主のいない部屋で虚しくデモ画面を流し続けている。

 

 広川剛志の地球を救うための壮大な戦いは、黒曜石の棺の中に広がるアパートの一室という、あまりにもシュールで快適すぎる空間の中で、完全に幕を下ろしたのだった。




原作時間軸さん「カノン•イベントはどうした!?」
分岐時間軸さん「すまねえ、またもや分岐イベント発生しちまったぜ」
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