僕の常識が息をしていない   作:最高司祭アドミニストレータ

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勝つのは、どっちだ。


後藤とアレックス - (閉話)

「この種を喰い殺せ」

 

 

 後藤の脳裏で永遠に響き続けるその絶対的な命令が、彼の全身の細胞を極限まで活性化させた。彼は司令塔として、自身を構成する五体のパラサイトすべてに完全な戦闘態勢への移行を命じた。両腕の筋肉が異様な脈動を打ち、瞬く間に鋭利で巨大な鋼の刃へと変貌を遂げる。

 

 周囲を取り囲む漆黒のオブシディアン・ユニットたちが、後藤の異変を察知して再び一斉射撃の態勢に入った。後藤はもはや、彼らの存在など意に介さなかった。彼の標的はただ一つ、この部隊を率いる指揮官であり、未知の異常性を秘めた少女のみである。

 

 

「死ね」

 

 

 後藤の巨体が、物理法則を無視したかのような爆発的な速度で宙を舞った。散弾銃から放たれる無数の鉛弾が彼の硬質化した皮膚に当たって火花を散らすが、彼の突進をほんのわずかでも遅らせることはできなかった。アレックスとの距離を一瞬にしてゼロに詰めた後藤は、右腕の巨大な刃を彼女の胸部めがけて容赦なく突き出した。

 

 肉を裂き、骨を砕く確かな手応えが後藤の右腕に伝わった。後藤の刃は、アレックスの華奢な体を完全に貫通し、背中から血に濡れた切先を突き出していた。鮮血が床に滴り落ち、彼女の体は力なく後藤の刃に串刺しになっていた。

 

 

(終わった。どれほど奇妙な言動をしようと、所詮は脆弱な人間だ)

 

 

 後藤がそう確信し、腕を引き抜いて次の標的へと向き直ろうとした、まさにその時であった。

 

 アレックスの手に握られていた、金と緑に輝く奇妙な小さな像が、突如として眩い光を放ち始めたのである。

 

 光の粒子がアレックスの全身を暖かく包み込み、後藤の刃によって致命的に破壊されたはずの心臓や内臓、そして傷口そのものを、瞬く間に修復していく。流れた血すらも光に溶けて消え失せた。

 

 次の瞬間、強烈な衝撃波が放たれ、後藤はたまらず後ろへと数歩後ずさった。光が収まった後、そこには傷一つなく、制服の破れすら完全に元通りになったアレックスが、何事もなかったかのように平然と立っていた。

 

 

「な、んだと…?」

 

 

 後藤の冷徹な思考が、激しく軋んだ。肉体を再生する能力はパラサイトも持っているが、それは残された細胞を再構築する物理的な過程を伴う。

 

 しかし、目の前で起きた現象は違う。死という確定した結果が、魔法のような力によって強制的にキャンセルされ、完全な無傷の状態へと「巻き戻された」のだ。

 

 生物学の根底を覆すその光景に、後藤は生まれて初めて、理解不能な未知の事象に対する根源的な困惑を覚えた。後藤は体勢を立て直し、再び刃を振り上げようとした。が、異変はすでに彼自身の肉体の中で始まっていた。

 

 

「…ッ!?」

 

 

 後藤の右腕を構成していた強靭な刃が、突如としてその形態を保てなくなり、泥のようにドロドロと崩れ落ちたのである。

 

 驚愕して足を踏み出そうとすると、今度は両脚の筋肉が痙攣し、まったく言うことを聞かない。それどころか、胴体を構成するパラサイトまでもが、後藤という司令塔の命令を拒絶し、まるでそれぞれが独立した生き物のように勝手に蠢き始めた。

 

 

(どういうことだ…私の細胞が、私自身の統率を拒んでいる…!?)

 

 

 最強の集合体である後藤にとって、自身の肉体のコントロールを失うなどということは、絶対にあり得ない事態であった。彼は必死に脳から命令を送り、五体のパラサイトを再び一つにまとめ上げようとしたが、細胞は反発し合い、彼の肉体はその場に崩れ落ちるようにして膝をついた。

 

 そんな後藤の無様な姿を見下ろし、美少女アレックスは冷たい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

 

 床に崩れ落ちた後藤の肉体は、自らの意志を離れ、醜く痙攣を続けている。五つのパラサイトがひとつの肉体に同居するという奇跡的な均衡は完全に崩れ去り、右腕は無秩序に膨張し、左脚はひくひくと無意味な収縮を繰り返していた。

 

 司令塔である後藤の脳からの電気信号は、末端の細胞に届く前にことごとく遮断されている。

 

 

「何が起こったって顔をしているな?」

 

 

 彼女の透き通った、感情の底が見えない声が、硝煙の立ち込める静まり返った講堂に響く。その足音が後藤の目の前で止まった。見上げることしかできない後藤に対し、アレックスはまるで観察ケースの中の昆虫を眺めるような視線を送っていた。

 

 

「上手く攻撃が出来ない? 統率しているはずなのに、統率が難しくなっている?」

 

 

 アレックスの言葉は、後藤の肉体と神経系に起きている異常を正確に言い当てていた。完璧に組み上げられたはずの集合体としての機能が、内部から音を立てて瓦解している。

 

 

「貴様…私に、何をした…」

 

 

 後藤は、痙攣する喉の筋肉を無理やり動かし、何とか声を絞り出した。毒物か、未知の化学兵器か。しかし、この講堂での戦闘において、彼が外部から何らかの攻撃を受けた記憶はない。

 

 放たれた無数の銃弾はすべて弾き返したはずであり、彼女の刃が後藤に傷を負わせたのは一度きりだが、それも直後に再生している。ならば原因はどこにあるのか。

 

 アレックスは、不思議そうな顔をする後藤に向かって、ゆっくりと、そして残酷な種明かしを始めた。

 

 

「食べたからじゃないかな? ほら、ピアスを付けた女のステーキをさ」

 

 

 後藤の脳裏に、数時間前の光景が鮮明にフラッシュバックした。市長室で広川剛志の前で、自らの本能と絶対の命令を示すために喰い殺し、口から金属のピアスだけを吐き出したあの人間の女。

 

 広川が用意した上質な食事だと認識していた。彼は確かに、その人間の肉を咀嚼し、消化管へと送り込み、自らの強大なエネルギーの源へと変えたはずだった。

 

 

「…あの女の肉に、毒でも仕込んでいたというのか。人間の知恵が及ぶ程度の毒で、私の細胞がこれほどまでに破壊されるはずがない」

「ただの毒じゃないさ。生料理して食べただろうが、実は彼女…私が作った人間なんだ」

 

 

 アレックスの言葉に、後藤の冷徹な思考回路が完全に停止した。

 

 作った、だと。人間を。

 

 交配による品種改良やクローン技術といった、人間の科学の延長線上にある生易しいものではない。「作った」という言葉の響きと彼女の態度は、全くの無から有を生み出すような、文字通りの『創造』を意味していた。

 

 あの血の滴るステーキの正体は、アレックスがこの世界には存在しない特殊なステータス異常──『デバフ』と彼女が呼ぶ概念を付与して「クラフト」した、罠の肉塊だったのだ。そんなものを直接体内に取り込み、細胞レベルで融合させてしまったのだから、内部から統制が崩壊するのは当然の帰結であった。

 

 後藤の瞳に、かつてないほどの巨大な疑念が渦巻いた。人間を創造できる存在。死という不可逆の結果を否定し、時間を超越する力を持つ少女。ならば、と後藤は考えた。

 

 

(お前が…我々を創造したか?)

 

 

 パラサイトという種族が、ある日突然、地球上の空から降ってきた理由。誰が何の目的で「この種を喰い殺せ」という抗いようのない命令を与えたのか。広川はそれを地球の防衛本能だと信じていた。後藤自身も、それは大いなる自然の意思であると仮定していた。

 

 しかし、もし目の前の彼女が、この世界の理すらも自由に創造し、法則を書き換えることのできる存在であるならば。

 

 我々パラサイトという強大な種族もまた、大いなる意思などではなく、彼女の気まぐれな遊戯のために作られた、哀れな駒に過ぎないのではないか。自分たちの存在意義そのものが、根本から揺らいでいく。

 

 後藤の深い疑念をよそに、アレックスの衝撃的な告白はさらに続いた。

 

 

「これまで君たちパラサイトが脳を奪われた人間たちも、殺された人間たちも用意した」

「私は知っている。この世界で発生する物語を」

 

 

 物語。その単語の曖昧な意味を測りかねている後藤に対し、アレックスは両手を広げ、まるで舞台の上の脚本家のように楽しげに語り続ける。

 

 

「多くの悲劇があった。泉信子はパラサイトに襲われ、身体を乗っ取られて死亡した。新一にとって最大のトラウマとなり、闇落ちした。結果的にヒロインの村野里美に救済されたからよかったが、彼以外にも不幸なルートを進んだ者は多い」

 

 

 後藤は混乱の極みに達した。泉信子。あの黄金のシャベルを振り回し、同胞たちを圧倒的な物理的暴力で粉砕していた、あの怪力無双の主婦が、パラサイトごときに襲われて殺される? 

 

 あり得ない。あの女の戦闘力と防御力は、後藤の目から見ても常軌を逸している。強固な装甲を纏った同胞ですら、彼女の前ではただの動く的でしかなかった。パラサイトの不意打ちごときで死ぬような、脆弱な人間であるはずがないのだ。

 

 だが、アレックスはさもそれが「本来起こるべき未来」であったかのように平然と語っている。別次元の可能性、あるいは別の時間軸の記憶。彼女はあらゆる事象の分岐を俯瞰し、これから何が起こるはずだったのかを全て知っているのだ。

 

 

「だから物語を書き換えようと思った。主人公は泉新一ではなく、ね」

 

 

 アレックスは、後藤の顔を覗き込み、にやりと残酷に笑って見せた。

 

 

「つまりだ。何が言いたいのかと言うとだ…」

「中華料理店も島田秀雄も、すべてこの私が敷いてやった道なんだ」

 

 

 後藤の中で、怒りという感情すらも凌駕する、深く底知れない絶望が広がっていった。自分たちは、地球の意思に選ばれた優れた存在でも、人間という害悪を間引くための崇高な捕食者でもなかった。すべては、この規格外の少女が思い描く「新しい物語」を進行させるための、単なる舞台装置に過ぎなかったのだ。

 

 島田が学校で暴れて踊らされ、同胞たちが夜の街で次々と狩られたのも、すべて彼女が敷いたレールの上での必然的な出来事だった。自分たちの必死の生存競争すらも、彼女の手のひらの上での見世物に過ぎなかったのだ。

 

 後藤の肉体は完全に麻痺し、もはや指一本、細胞の一つすら動かすことすらできなかった。五体のパラサイトは完全に意思疎通を絶たれ、ただの不細工な肉の塊として講堂の床に無様に転がっている。

 

 

「君はラスボスに相応しくない。舞台は変わったからね」

 

 

 アレックスは、パラサイト最強の集合体である後藤に対して、あまりにもあっさりと失格の烙印を押した。彼女にとって後藤は、もはや倒すべき強敵としての価値すらなく、進行の邪魔になった用済みの小道具でしかないのだ。

 

 

「棺を用意しろ。人間ひとり分の狭い狭い、黒曜石製の棺をだ」

 

 

 アレックスが背後へ向かって指示を出すと、控えていたオブシディアン・ユニットの隊員たちが音もなく進み出た。広川の時と同じように、彼らは漆黒のブロックを床に展開し、重厚で頑丈な棺を瞬く間に組み立てた。

 

 

「車に載せろ。市役所を出るぞ」

 

 

 後藤は身動き一つできないまま、無言の隊員たちに引きずられるようにして持ち上げられ、ひんやりと冷たい黒曜石の棺の中へと放り込まれた。棺の重い蓋が閉められる直前、後藤の狭まった視界の端で、アレックスがオブシディアン・ユニットの一人に向かって声をかけるのが見えた。

 

 

「ここまで案内してくれてありがとう、田宮先生」

 

 

 その言葉に反応し、真っ黒なフルフェイスヘルメットをゆっくりと脱いだ隊員の素顔を見て、後藤は微かに目を見開いた。

 

 そこにいたのは、間違いなく彼らの同胞であり、群を抜く高い知能を誇る田宮良子であった。彼女は人間たちと共にこの市役所に侵入し、後藤や広川の居場所、そして建物の構造を完全に案内していたのだ。

 

 

(田宮…貴様、人間側に寝返ったというのか…)

 

 

 後藤は心の中で激しく問うたが、麻痺した喉からは声にはならなかった。田宮良子の顔には、かつての冷徹な誇りや探求者の輝きはなく、どこか深い諦観と苦悩が入り混じった、酷く人間臭い表情が浮かんでいた。彼女の腕には、大切に抱いていたはずの人間の赤ん坊の姿はない。

 

 アレックスは、立ち尽くす田宮良子に向かって冷酷な笑みを浮かべ、決定的な脅迫の言葉を静かに口にした。

 

 

「田宮先生。我が子の命が欲しくば、大人しく言う事を聞いておくれ。これからもな」

 

 

 田宮良子は無言のまま、ただ静かに、ゆっくりと頷いた。彼女の裏切りは、同胞への嫌悪でも、人間という種への共感でもなかった。自らの腹を痛めて産んだ赤ん坊を人質に取られたがゆえの、どうしようもない哀しい屈服であった。

 

 パラサイトという、感情を持たないはずの合理的な生物に芽生えた「母性」という最大の不合理。アレックスはそれすらも正確に見抜き、冷酷に利用し、手駒として完全に支配しているのだ。

 

 

「よし。棺も田宮も、すべて私の車に乗せろ」

 

 

 アレックスの最後の無慈悲な命令が下された。ガチャン、という重い音と共に、黒曜石の棺の蓋が完全に閉じられ、後藤の視界は一切の光を失った完全な闇に閉ざされた。

 

 最強の集合体として生まれ、人間を喰い殺すことだけを存在理由としていた後藤。彼の揺るぎない誇りも、圧倒的な戦闘力も、すべては美少女アレックスという理不尽な神の手によって、遊び半分にへし折られてしまった。

 

 後藤の意識は、自らの種族の本当の創造主とは一体何者なのかという、永遠に答えの出ない問いに苛まれながら、どこまでも続く静かな絶望の中へと沈んでいったのだった。




原作時間軸さん「後藤ォォォ!!」
分岐時間軸さん「ふっ」
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