僕の常識が息をしていない   作:最高司祭アドミニストレータ

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短め。平間と辻が登場。


異形の物証 - (閉話)

 東福山市の一角に位置する、古びた中華料理店。規制線を示す黄色いテープが、夜風に吹かれてバタバタと音を立てている。回転灯の赤い光が、薄汚れた店の看板と、周囲に集まった野次馬たちの顔を断続的に照らし出していた。

 

 警視庁捜査一課、平間警部補は、店の入り口で煙草を揉み消すと、重い足取りで現場へと足を踏み入れた。鼻を突くのは、中華料理特有の酸化した油の臭い。そして、それ以上に強烈な、鉄錆のような血の臭いだ。

 

 

「平間さん、お疲れ様です」

 

 

 店内に入ると、部下の辻刑事が青ざめた顔で駆け寄ってきた。彼はハンカチで口元を押さえており、相当に気分が悪そうだ。

 

 

「酷いもんです。鑑識も、こんな現場は見たことがないと」

「ミンチ殺人か?」

 

 

 平間が短く問うと、辻は首を横に振った。

 

 

「いえ。確かに厨房には『ミンチ状の肉片』が散乱していますが、それは被害者と思われる人間のものです。問題は、被疑者とおぼしき店主のほうです」

 

 

 辻の視線が、厨房の奥を指し示す。そこには、鑑識官たちが取り囲むようにして検証を行っている、一つの「死体」があった。

 

 平間は無言で厨房へと進んだ。

 

 床は血溜まりで滑りやすくなっており、靴底が「ヌチャッ」と嫌な音を立てる。作業台の上には、身元の判別もつかないほど破壊された人間の部位が散らばっていた。被害者は少なくとも一名。おそらく、ここで殺害され、食材として処理されていたのだろう。

 

 吐き気を催すような凄惨な光景だが、平間は数々の現場を踏んできたベテランだ。眉一つ動かさずに、その奥にある「店主」の死体へと目を向けた。

 

 

「…なんだ、こりゃあ」

 

 

 平間の口から、思わず乾いた声が漏れた。そこに転がっていたのは、中年男性の遺体だ。小太りで、白い調理服を着ている。

 

 だが、その「頭部」が異常だった。

 

 顔の皮膚が裂け、内側から何かが爆ぜたかのように変形している。そこにあるべき頭蓋骨や脳髄の代わりに、貝柱のような繊維質の筋肉と、鋭利な刃物を形成していたであろう硬質な組織が、ごちゃ混ぜになって固まっていたのだ。

 

 死後硬直なのだろうか、それとも死の瞬間に変形が解けたのだろうか。その頭部は、人間のものではなく、深海の未知の生物か、あるいは悪趣味なSF映画の造形物を思わせた。

 

 

「鑑識。死因は?」

 

 

 平間が尋ねると、年配の鑑識官が困惑した表情で顔を上げた。

 

 

「心臓への刺創による失血死と思われます。左胸に、鋭利な刃物で貫かれたような傷があります」

「凶器は?」

「見つかりません。現場にある包丁やナイフとは、傷口の形状が一致しない。もっと細長く、鞭のようにしなる何かで、一突きにされたような…」

 

 

 鑑識官は言葉を濁し、再び死体の頭部を指差した。

 

 

「警部補。問題なのは、この頭です」

「ああ。被り物か何かか?」

「いえ、その…皮膚が繋がっています。それに、これを見てください」

 

 

 鑑識官がピンセットで、変形した組織の一部をつまみ上げた。

 

 

「細胞が…まだ生きているかのように、ピクリとも動かないんです」

「ん? 死んでるんだから、動かんだろ」

「そういう意味ではありません。組織の壊死スピードが、異常に速い。この刃のような部分。成分分析を待たなければ断定できませんが、人間の骨や歯の成分とは全く異なります。強いて言うなら、金属に近い硬度を持った有機物…」

 

 

 平間は死体の前にしゃがみ込んだ。じっと見つめる。人間の体をした、人間ではない何か。最近、都内で頻発している「ミンチ殺人」。その被害者の遺体は、どれも常軌を逸した力で破壊されていた。人間の力では不可能なほどの。

 

 

(こいつが…犯人側か?)

 

 

 平間は店主の胸にある刺し傷を見た。一撃必殺。心臓を正確に貫いている。躊躇い傷も、防御創もない。

 

 

(こいつを殺した奴がいる。それも、相当な手練れだ)

「辻」

 

 

 平間が呼ぶと、辻刑事が直立不動で応えた。

 

 

「はい」

「第一発見者は?」

「匿名通報です。公衆電話から、若い女性の声で『変な店がある』と。逆探知する前に切れました」

「目撃情報は?」

「近隣住民から、『夕方頃に制服姿の学生らしき男女が店に入っていくのを見た』という、証言が出ています。女子生徒のほうは、外国人のように見えたと」

「学生、だと…?」

 

 

 平間は眉をひそめた。こんな血なまぐさい屠殺場のような店に、学生カップルが入っていった? 

 

 店主は殺され、学生たちは消えた。

 

 まさか、その学生たちがこの化け物を倒したとでも言うのか? 

 

 

「…妙だな」

 

 

 平間は立ち上がり、煙草を取り出そうとして、ここが現場であることを思い出して舌打ちをした。

 

 

「この死体、警察病院へ運ぶぞ。科捜研にも連絡だ。徹底的に解剖させろ」

「は、はいぃ!? しかし、管轄が…」

「ミンチ殺人との関連性がある重要参考人だ。俺が責任を持つ」

 

 

 平間は鋭い眼光で、死体の「刃物のような頭部」を睨みつけた。人間になりすまし、人間を食う化け物。それが単なる都市伝説や妄想ではなく、物理的な実体を持って目の前に転がっている。

 

 

(この国で、何が起きようとしているんだ…?)

 

 

 鑑識官たちが遺体袋のジッパーを閉める音が、奇妙に大きく響いた。その音は、平間たち警察組織が、未知の領域──「人間ならざる者」との戦争へと足を踏み入れたことを告げる、号砲のようにも聞こえた。

 

 

「行くぞ、辻。今日は長い夜になる」

 

 

 平間は背を向け、出口へと歩き出した。その背中には、刑事としての本能的な警戒心と、得体の知れない恐怖が張り付いていた。

 

 事件は、ただの殺人ではない。人類の定義を揺るがす何かが、この日常の裏側で蠢き始めている。

 

 その確信だけが、平間の胸の内で冷たく重く沈殿していった。




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