体育館にはバスケットボールが床を叩くダムダムという重い音と、スニーカーがキュッキュッと擦れる音が反響していた。
今日の体育は、男女合同のバスケットボール。普段なら男子生徒が活躍し、女子生徒がそれを応援するという図式になりがちな時間だが、今日の主役は完全に一人の少女に奪われていた。
「パスだアレックス! こっちフリーだぞ!」
「任せろ! エンダーパール投擲感覚で送る!」
男子チームに混ざってコートを疾走するのは、亜麻色の髪をなびかせたアレックスだ。彼女の動きは、明らかにバスケットボールのセオリーを無視していた。ドリブルはぎこちなく、ボール運びも素人そのものだ。
だが、身体能力の基礎ステータスが根本的に違っていた。
相手チームの男子がシュートを放つ。誰もが入ったと思ったその瞬間。
「ブロック配置!」
アレックスが垂直飛びをした。その高さは、バスケットゴールのリングを優に超えボードの上端に届くほどだった。彼女は空中で滞空しながら、ボールを叩き落とす。重力を無視したかのような跳躍力に、体育館中が静まり返る。
直後、爆発的な歓声が上がった。
「すっげえ! 何だあいつ! ゴムマリかよ!」
「アレックスちゃんカッコイイー! 王子様みたい!」
黄色い声援を浴びながら着地したアレックスは、鼻の下を指でこすりドヤ顔を決めた。
「ふふん。基礎ステータスの違いを見せつけてしまったな。ポーションなしでこのジャンプ力。私のキャラビルドに死角はない」
彼女は満足げに女子生徒たちの方へ手を振り、さらに「キャーッ!」という悲鳴に近い歓声を巻き起こしていた。
コートの隅でその様子を見ていた泉新一は呆れ顔で溜息をついた。
『新一。あの雌の筋肉組織はどうなっているんだ? 収縮速度とバネ係数が人間の限界値を超えている』
右手のミギーですら困惑気味だ。
「知らないよ。あいつ曰く『ビーコンの効果範囲内だから』とか言ってたけど、意味不明だし」
その時だった。体育館の重い扉が開き、担任の教師と共に一人の男子生徒が入ってきた。
「集合! 注目!」
教師の号令で生徒たちが集まる。アレックスもボールを小脇に抱え、「なんだなんだ? レイドボス出現か?」と軽口を叩きながら列に加わった。
「えー。急な話だが、今日から転入生が来ることになった。紹介する」
教師に促され、その男子生徒が一歩前に出る。背が高く手足が長い。整った顔立ちには、爽やかな笑みが張り付いている。
女子生徒たちがざわめいた。
「うわっイケメン!」
「背高いね。モデルさんみたい…おっふ!」
「島田秀雄です。前の学校でもスポーツは得意でした。よろしくお願いします」
彼の声はハキハキとしていて、好青年そのものだった。完璧な転校生。誰もが好感を抱くであろう、理想的な第一印象。
しかし、新一の右手がピクリと反応した。
『新一』
ミギーの警告。
『仲間だ』
新一の背筋に冷たい電流が走る。またか。田宮良子に続き、また学校にパラサイトが送り込まれてきたのか。しかも、今度は生徒として。日常のすぐ隣に。
新一が戦慄していると、隣にいたアレックスがふいに鼻を鳴らした。
「チッ」
あからさまな舌打ちだった。周囲の女子がギョッとして振り返るほどの不快感を、彼女は露わにしている。
島田が生徒たちの列を見渡し、アレックスの前で視線を止めた。
「やあ、君がアレックスさんだね? 噂は聞いているよ。外国から来たとか」
島田は爽やかな笑顔を崩さず、右手を差し出した。握手を求めるポーズだ。
「よろしく。仲良くしてほしいな」
普通の女子なら頬を赤らめて、手を握り返す場面だろう。
だが、アレックスは差し出された手を無視し、腕組みをしたまま島田を上から下まで、ジロジロとねめつけた。その視線は、美術の授業で村野に向けたものとは違う。バグったプログラムを見る、デバッガーのような冷徹で軽蔑を含んだ目だ。
「おい転校生」
「?」
アレックスが口を開く。
「お前のスキン。解像度は高いけど、表情差分が死んでるぞ。NPC以下の演技だな」
体育館の空気が凍りついた。島田の笑顔がピキリと固まる。
「……え?」
「聞こえなかったか? その笑顔だよ。テクスチャの貼り付けミスか? 口角の上がり方が不自然すぎて、アンキャニー・バレー現象起こしてるぞって言ってんだよ」
アレックスは容赦なかった。
「美形モデリングなのは認めるが、中身がお粗末すぎる。まるで『ハァン』しか喋らない、村人と会話してる気分だ。『ハァン』とかしか言わないあいつらの方が、まだ愛嬌があるぞ?」
「ア、アレックスちゃん!?」
周りの女子たちが慌てて止めようとするが、彼女は止まらない。
「悪いが、私はグラフィックよりもゲーム性重視なんだ。お前みたいな『中身スカスカの高グラフィックキャラ』は、一番嫌いなタイプでね。パスだパス。パーティ申請なら他を当たれ」
彼女はそう言い捨てると、島田の手をパチンと払いのけ踵を返した。
「さあバスケの続きだ! あんなバグキャラに構ってる暇はないぞ!」
島田は、その場に立ち尽くしていた。彼の顔から表情が抜け落ちていた。それを、新一だけが見逃さなかった。島田の瞳の奥が一瞬だけ爬虫類のように細まり、漆黒の殺意が渦巻いたのを。
『新一。これはまずいな』
ミギーが囁く。
『奴は今、明確に不快感を示した。アレックスという存在を危険因子、あるいは排除すべき障害として認識したぞ』
新一は冷や汗を拭った。アレックスの毒舌はパラサイトの「擬態」という最大の武器を、一瞬で見抜いてしまったのだ。本人はただ「ゲーム的に気に入らない」と言っているだけなのだろうが、それは図らずも核心を突いていた。
島田はすぐに笑顔を貼り直し「あ、あはは。厳しいなあ」と頭をかいた。しかし、その声には抑揚がなく無機質な響きが混ざっていた。
彼は新一の方をチラリと見た。その視線は「お前も同類だな? 飼い犬の躾はどうなっている」と問いかけているようだった。
(知らんがな。僕はあいつのご主人様じゃないぞ)
『そうなのか? 私の記憶が正しければ、アレックスのご主人様は新一だと認識しているが…』
(うん! 間違ってるね!)
授業が再開されボールを追いかける、アレックスの背中を見ながら、新一は絶望的な気分になった。
田宮良子の監視。
校内に放たれた、新たな捕食者・島田秀雄。
さらにその両方を無自覚に挑発し続ける、トラブルメーカーのアレックス。
新一の脳裏に以前、田宮良子から水族館で脅された言葉が蘇る。
『島田は監視役だ。もし手を出せば、あなたのガールフレンドと全校生徒が人質になると思いなさい』
そしてもう一つ。警察内部に潜むという、「A」という名のパラサイトの存在。包囲網は確実に狭まっている。逃げ場のない学校という檻の中で、死の気配は濃度を増していくばかりだった。
「ナイスシュート!」
「何故だろう。殴りたくなってきた」
『我慢するんだ新一。どぉどぉ』
何も知らないアレックスが無邪気にゴールを決めた瞬間、新一は震える右手を強く握りしめるのだった。
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