いよいよ退院前日。
今日も学校が終わってからダッシュで芦花の元へ向かう。
ナースステーションに声をかけてから芦花の病室の扉を開けると、担当の先生と芦花が何やら話をしていた。
「失礼しまーす……」
「お、彼氏君、ちょうど良いところに」
こそこそと入ると、先生がこちらを向いた。
ずっと通っていたので、さすがに俺の顔を覚えたらしい。
お医者さんは、そのまま俺に向かって説明を始めた。
「いよいよ今日抜糸しようと思ってね。これで綾紬さんも包帯要らなくなるよ」
「おお、マジすか」
「まあまだ松葉杖とかは要るけど……だいぶ楽になるんじゃないかな」
「そこは俺が頑張って支えるんで」
「ははは、頼もしい彼氏君だねえ」
先生は軽く笑ったあと、芦花の方に向き直った。
そして俺を枕元の椅子に誘導しながら言う。
「じゃあ始めるね。結構チクチクするから、彼氏君の手とか握っていいよ」
ということなので、遠慮無く芦花の手を握った。
少しひんやりとした芦花の手の感触。
ここ2週間弱ですっかり慣れてしまったな。
先生が分厚い包帯とガーゼを剥がす。
それから、ピンセットとはさみで糸を抜いていく。
「……っっっ」
静かな病室に、金属の器具がぶつかる音が響く。
それから時折痛みをこらえる芦花のうめき声。
芦花が目をぎゅっと瞑って、俺の手を強く握ってくる。
痛みを引き受けることはできないけれど、せめてここにいるよと示したくて、しっかりと握り返してやる。
芦花にこの想いを目で伝え……目を瞑ってるから見えてないや。
芦花は目を瞑っていても可愛いなあ……
どれくらい経っただろうか、時計を見る限り10分程度か。
「はい、おしまい。前にもお話はしたけど、骨を固定してる中のボルトは半年から一年後くらいにまた手術して抜く予定です。それから明日には退院だから、準備を忘れずにね。それじゃあお大事に」
手早く器具を片付け、先生は病室から出て行った。
「とりあえず無事に退院できそうで良かったな芦花」
先生を見送ってから芦花に声をかけたのだが、反応がない。
「芦花?」
芦花は、ベッドの上に投げ出された自分の左足を、じっと見つめていた。
遮るもののなくなったそのすねを、震える指先で、恐る恐るなぞっている。
その顔は、見たこともないほど絶望に染まりきっていた。
「あ、あしが……」
「芦花!? どうした!? 脚痛むか!?」
「違うの……これ……なに……?」
涙声で芦花が脚を指さす。
その指の先、芦花の綺麗だった左すねには、赤紫色の目立つ大きな傷跡が刻まれていた。
さらにその周りには、ボルトを通したいくつかの歪な穴の跡。
「これは…………」
絶句した。
いや、考えてみればわかる話だった。
脚にボルトを入れるためには皮膚を切らなきゃいけないし、そりゃ跡が残るに決まっている。
時間経過できっと薄くなるんだろうし、普通の人なら気にするようなことじゃない。
だから先生も特に何も言わなかったし、明るく振る舞っていたのだろう。
でも、芦花は違う。
言うまでもないけど、美容系インフルエンサーは見た目が命だ。
カメラの画質がどこまでも進化している今の時代、どれだけ薄くなろうと、脚に一生消えない傷跡が残るということそのものが、芦花にとっては死を宣告されることと同義であった。
おまけに、もう一度ボルトを抜く手術をしなければならない。
芦花の絶望は、きっと海よりも深かった。
「芦花……」
「嘘……こんな……うぅっ……!」
芦花が身を震わせ、ベッドに突っ伏して泣き崩れた。
病室には小さく芦花のすすり泣く声が響く。
俺はやっぱり、芦花に寄り添う以上のことは出来なくて。
芦花を幸せにすると誓っておいて、この体たらく。
この前の決意も、これまでの人生も、何一つ役に立たない。
悔しさで、芦花とは反対側の拳を爪が刺さるほど強く握った。
次の日。
空はどんよりと厚い雲に覆われている。
降水確率は50%だそうだが、今のところ雨は落ちてきていない。
一応惰性で学校には来たものの、一限が始まっても授業には全く集中できない。
脳裏には、エンドレスで昨日の芦花の絶望に満ちた顔と赤黒い傷跡が交互に流れている。
黒板の文字も教師の説明も、頭の中に入り込む隙間など無かった。
今頃芦花は退院の準備だろうか。
少しは自分の中で絶望を咀嚼できただろうか。
それとも一人になってまた泣いているのだろうか。
結局昨日は面会時間いっぱいまで芦花をずっと抱きしめていた。
それしか出来なかったから。
気の利いた言葉一つかけてあげられなかった。
芦花は途中で泣き疲れて眠ってしまって、俺はそんな芦花の頭をただゆっくりと撫でていた。
昨日を思い返しながら、ぼんやりと考える。
このまま芦花がインフルエンサーをやめたとして、俺と芦花は幸せになれるんだろうか。
大前提として、すねに傷があろうが無かろうが、俺は芦花のことを変わらず大事に出来る。
それは決意するものでもなくて、水が高いところから低いところに流れるくらい当たり前のことだ。
俺は芦花の見た目だけが好きなんじゃなくて、綾紬芦花という人間を好きになったのだ。
傷一つついたくらいでこの気持ちが変わるわけがない。
だけど、芦花自身が自分を認めてあげられるだろうか。
ふとした瞬間にすねの傷を思い出して顔を暗くする芦花の幻覚がまぶたに浮かぶ。
きっとそれはただの妄想ではなくて、限りなくこのまま進んだ先にある未来だろう。
嫌な未来を振り払うように、顔を上げて教室を真回す。
真実は相変わらずうとうととしていて、酒寄は背筋をピンと伸ばしてノートを取っている。
一瞬気絶しているとかではなく、今日はちゃんと元気なようだ。
酒寄か。
酒寄はすごいよな。
原作では自力でかぐやの義体を作って、ハッピーエンドをつかみ取ったんだから。
俺も酒寄みたいに自分で……
ん?
俺も酒寄みたいに?
脳天に雷が落ちたような衝撃と、その直後に湧き上がってくるような高揚感。
そうだ、俺も!
俺も芦花のために!
俺は机に置いてある自分の鞄をひったくるようにして持ち、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
「先生、体調悪いので早退します!」
「え!? あ、おい朝来!?」
教師の声を置き去りにして、廊下を走る。
階段を駆け下りる。
靴を履き替えて、校門を駆け抜ける。
気づけば、分厚い雲の隙間から一筋光が差し込んでいる。
その光に導かれるように、病院への道をひたすら走る。
別に走ったところですぐに何かが変わるわけじゃない。
だけど、この衝動を、決意を、覚悟を、今すぐ直接、芦花に伝えたい!
病院が見えてきた。
チラリと時計を見ると、芦花の退院予定時刻ギリギリ。
間に合ったか……?
病院前の信号が青になった瞬間、車椅子に乗った芦花が病院から出てきた。
ナイスタイミング!
「芦花!!!」
「圭!? 学校は?」
驚く芦花の手を取って、芦花の前にひざまずく。
「芦花、俺決めたよ。芦花のすねの傷、俺が消してみせる。東大医学部行って、人工皮膚作って、また芦花が夢を追えるように、芦花が未来を諦めなくて済むように頑張る。だから」
走った直後で整わない呼吸を必死で抑えながら、真っ直ぐに芦花の瞳を見つめる。
「だから、俺を信じてくれませんか」
芦花は無言のまま、静かに目からポロポロと涙をこぼし始めた。
な、泣かせたかったわけじゃ……!
「圭ちゃん」
俺が動揺していると、頭上から俺を呼ぶ声がした。
顔を上げると、芦花の後ろ側にニヤニヤと笑みを浮かべるお義母さんがいた。
さらには隣に苦笑いのお義父さんと看護師さん。
お義父さんが俺に語りかける。
「あのね圭くん。娘をそこまで想ってくれるのは本当に嬉しいし、格好いい誓いではあったんだけどね」
「は、はい」
「ここ、病院の正面玄関。めちゃくちゃ人通りある」
一気に顔が沸騰した。
やってしまった、衝動的に動きすぎた……!
「あ、えと、すみません! 俺、芦花しか見えてなくて……!」
「ふふっ、あはははは!」
それまで涙を流していた芦花が、俺の慌てようを見て耐えきれずに吹き出した。
涙の跡を残したまま、いつもの、俺の大好きな笑顔で、お腹を抱えて笑っている。
そこには昨日の絶望の色なんてかけらも無かった。
「もう……圭はときたま突っ走って突拍子も無いことするよね」
芦花はそう言って目尻の涙を拭ってから、俺が握ったままだった手に、もう片方の手をそっと重ねて、ぎゅっと握り返した。
「圭のこと、信じるよ。私も諦めないから。——期待してる、私の王子様」
芦花は最後にいたずらっぽく笑った。
傷痕を隠すためのロングスカートが、風にふわりと揺れる。
いつの間にか雲は消えて、そこには綺麗な青空。
俺も芦花も、夏の始まりを告げる太陽に照らされながら、未来への希望に笑いあった。
あの、昨日の舞台挨拶見ました?
なーーーにが最後のファンサじゃい、ただの長めの夏休みやないかい!
最初「超かぐや姫の上映は終わってしまいましたが、Blu-rayが手元に届くくらいまでこの作品だらだら続けて、皆さんのちょかぐ熱の薪にしてもらえればなと思ってます」って後書きを用意してたのに!
もうね、今はただただありがとうと言いたい。
ただ私の二次創作モチベの源泉は「飢え」なので、こうも供給が潤沢だとですね……