優希が初めて他者との明確なズレを自覚したのは5歳の誕生日だった。
きっかけはピアノの習い事で、友達に『ラ・カンパネラ』を教えていた時のこと。優希の上達は早く、初めて聞いた曲は1ヶ月足らずで習得できる。それを見ていたピアノ教室の生徒が教えて欲しいと頼んだことで、先生役をやることになった。
しかし、
「ピアノの鍵盤は約50gだから、君の指圧で弾くためには指を0.06秒ほど固定する感覚かな。曲をある程度スローペースにするとしても、次の鍵盤に移動するまでの時間を1/7=0.14秒と見積もると、指を置く速さと次の動作に移行する速さがコンマ感覚で一致する状態を目指すんだよ。ビデオ録画でもして、速さを測ってみな?手の動きの速さは、反復によって改善できるけど普段の練習をどの程度やるか計画立てれば習得速度はグッと早まるね、理解した(アンダスタン)?」
「……え、いや、どういうこと?いつもそんな難しいこと考えてるの?」
「ん?ただの算数じゃない?即興の感覚っていうより事前の準備の話だけど」
「えー、でもすごくかっこ良かった!もうちょっと教えてよ!」
「あー、うん。……まあ良いけど。多分、君に適したやり方じゃなさそうだよねぇ」
自分には当たり前に分かることを10回や20回と聞いてやっと理解できる。あるいは教えても、分からない人間がいる。自分の知能の発達はどうやらその他大勢とはかけ離れているらしい。
口を開けば、訳のわからないことをいつも言っている変な奴。それが天地優希の他人から受けた評価だった。
学校のテストで満点を取れば、周りは大袈裟に褒める。優希からすれば意味が分からない。勉強など既に解が出された問題、つまり暗記力比べ。適切なインプットとアウトプット。目標達成までのシミュレーションを適切に行えば、100点以外の点数が出る訳はないのだが。
不思議に思って母に尋ねたところ、次のような返答が返ってきた。
「ふふ、そうね。優希、それは遺伝子のせいなのよ。人間は誰しも平等ではない。貴方のように、勉強を苦にも楽にも感じていない人間もいれば、嫌いで嫌いでしょうがない人もいる。不測の事態が起こらないよう綿密に計画を立てる人もいれば、その場の感情に任せる人もいる。同じ考え、身体的特徴、環境にいない以上、"出来る人"と"出来ない人"がいるのは仕方ないことなの」
「でも、社会的に評価されるのはテストで良い点を取ったり、努力をきちんとしたり、課題解決の能力に長けた人じゃないんですか?なのになんで、みんなその決まった正解の形を目指さないんですか?」
優希のある意味では合理的な解を、母は優しく諭す。
「変えようと思って変えられるものではないから、ということになるわね。残念だけど。でもね、だからこそ貴方は他者の良いところを見つけられる人間になりなさい。自分が恵まれているように、他人にも恵まれている部分があることを心得て、それを見つけてあげなさい。そうすれば、世界が、そして貴方が、もっと幸せになれるわ」
「利他主義、とはちょっと違うんですね。他者を利することと、自己の利益を追求することは必ずしも競合しない、と?」
会話を省略し、必要な言葉以外を尽くさない姿勢は優希の悪癖だった。それを分かっているからこそ、優希の両親は、真の意味で優希を教え育む。
「そうよ。ただ、貴方は言葉の本質を読みすぎる嫌いがあるわね。その論理についていけない人間もいることは忘れてはダメよ」
「分かりました、お母さん(マム)」
自分よりも賢い人間には素直に従う。代わりに間違った理論は誰であれ真っ向から否定する。天地優希は、運命(さだま)っていた。
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星南、美鈴、佑芽と別れた優希は、一人思い悩んでいた。
3人に聞かせた自らの理論に一抹の疑問を覚えていたためだ。
「美鈴と佑芽は創出、星南は応答。これは間違いない。ただ解像度については、どうにもしっくりこないなぁ。市場における価値の生産という方式では美鈴と佑芽が同系統だろう。でも、アイドルという観点で見るなら2人は全く違うタイプだ。あの3人をもっと適切に表現するフレームワークは必要、かもね」
一人、ベンチに座りブツブツ呟いているとランニングをしている女子生徒が視界に映り込んだ。思考が行き詰まっていることあり、誰かと話がしたくなっていたというのもあるだろう。優希は立ち上がり、少女に向かって駆け足で近づいた。
「そこのイケてる女の子ー、ちょっと良い?」
「え、私?良いけど、何?」
オレンジ髪の少女は突然声をかけられて、身に覚えがないのかきょとんとした表情を浮かべる。
「私、初星の学校見学に来たんだけど、校舎内の施設とか制度よりそこにいる人(アイドル)を知りたいタイプでさ。実際のアイドルってどんな感じなのかな〜っていろんなところでインタビューしてるんだよね。もし良かったら、イケてるお姉さん。是非、お話聞かせてくーれない?」
「おー、露骨なお世辞だね〜。ま、良いよ。あたしは紫雲清夏。初星学園アイドル科の1年1組だよ」
「おっと、これは失敬。そちらから名乗らせちゃったね。私は天地優希、アイドル兼プロデューサー志望でーっす」
何故か、右手を頭の高さに持っていき敬礼を崩したようなポーズで自己紹介をする優希。どことなく戯けた感じを残しながらも、優希は清夏を見運命(さだ)める。二人は歩きながら話し始めた。
「清夏って、もしかして結構運動神経良いでしょ?なんかやってたの?」
「あー、バレエをね。もう引退しちゃったけど」
「へー、引退。……ん?そういえば紫雲清夏ってどこかで聞いたような」
「あー、大会とか出たことあるからそれでじゃない?ま、昔の話だよ」
「……そうだね。でも、バレエってどうなん?結構ダンスに活かせるところもあったりする?」
過去の実績を現在の何がしかと繋げるのは相手から話を引き出す上でとても役に立つ。自分について肯定的に受け止められれば期待に応えたくなるのが人間の習性だからだ。
しかし、清夏は少しだけ優希の予想とは違う反応を示した。
「そうだね。ダンスには一家言あるって感じかな。でも、それはバレエをやってたからっていうよりはプロデューサーに支えて貰ってたからって方が大きいかな。本当は、ダンスにあんまり良い気持ちは持ってなかったんだけど、踊りを楽しんでいた時の私に戻してくれたことには感謝してる。だから、期待には応えたいなって……どしたの?」
いきなりきょとんとした表情になった優希に清夏が言葉を止める。
「あー、いや。なんか、今一瞬星南さんに被って見えたんだよね。なんでか分かんないけど」
あまりにも唐突な名前に、清夏は思わずといった口調で聞き返す
「え、星南って『一番星』の?えー、そうかな?似ても似つかないでしょ」
「確かに同じタイプって感じには見えないよねー。なんでだろ?」
優希は中途半端に首肯する。自分の心にあるしこりが取りきれていないという表情だった。
そこで無理矢理にでも共通点を思い浮かべてみる。
まず浮かんだのは、どちらも卓越した先天的な才能の持ち主であること。この若さにもかかわらず、バレエで世界を相手に渡り合ったのは努力もそうだが身体機能に恵まれていたというのもあるだろう。恵まれたものをもち、それを伴い、結果を出してみせた。
その他には特段考えるべき要素はないように思えるが、何が引っ掛かっているのかいまいち掴みきれない。これはもう一歩踏み込む必要があるだろう。
そう判断した優希は、飽くまで優希の中ではもう一歩分程度の提案をすることにした。
「ねぇ、ダンス対決しない?」
プロデューサー評価-今回はお休み
次回:ナチュラル・グッド・ボーン 〜あるいはセンスの要件〜