新米鍼灸師、つぼみのぽかぽか実習日誌 〜ひねって もんで ひびかせます!~ 作:碧河 蒼空
「――放課後だぁぁぁ! 脳みそのエネルギーが完全に枯渇したよぉ!」
校門を抜けた瞬間、メイちゃんが真っ青な空に向かって両手を広げた。その顔は、先ほどの解剖学の時とは打って変わって、生命力に満ち溢れている。
「メイ、切り替えが早すぎよ。……で、今日はどこへ行くつもり?」
リンちゃんが呆れつつも、鞄を肩にかけ直す。今日は私のバイトのシフトが入っていない、貴重な完全オフの日。いつもなら学校が終わると足早に『なごみ』へ向かう私だけど、今日ばかりは放課後の自由な空気を満喫できる。
「決まってるじゃない、リンちゃん! 脳を活性化させるには、ブドウ糖! つまり、駅前に新しくできたパンケーキ屋さんだよ!」
「あら、パンケーキですの? 素敵ね、わたくしも一度行ってみたかったんですわ」
サユリさんが上品に微笑む。私は、いつもとは反対方向の駅へ向かう足取りの軽さを感じながら、みんなと一緒に歩き出した。
駅前のカフェ。運ばれてきたのは、これでもかというほど生クリームが盛られた、ふわふわのパンケーキだった。
「ひゃっほー! 見てよこれ、厚みがすごい! さっき習った上腕骨の……ええっと、大結節(だいけっせつ)のデコボコよりずっと立派だよ!」
「……メイ、食べ物まで解剖学で例えるのはやめなさい。食欲が落ちるわ」
リンちゃんがフォークを片手に釘を刺すが、メイちゃんはどこ吹く風で、クリームの山に突き進んでいく。
「んん〜! 幸せ……。ねえつぼみん、これ、東洋医学的にはどういう効果があるの?」
メイちゃんに振られて、私はフォークを止めて考え込んだ。
「ええっと……甘いものは『甘味(かんみ)』って言って、胃腸の働きを助けたり、疲れを癒やしたりする効果があるんだよ。でも、食べ過ぎると体の中に『湿(しつ)』が溜まって、体が重だるくなっちゃうかも」
「『しつ』……? あ、もしかして、メイがいつも体が重いって言ってるのは、メロンパンの食べ過ぎじゃないの?」
リンちゃんの鋭い指摘に、メイちゃんの動きがピタリと止まる。
「そ、そんなことないもん! これは……これは私の、明日の実習のためのエネルギーを蓄えてるだけだもん!」
「あら、メイさん。食べ過ぎてしまっても、お灸を据えれば大丈夫ですわ。わたくし、先ほどの実習で覚えた『胃の六つ灸』を、メイさんのそのふっくらしたお腹で試してみたくて……」
サユリさんが、カバンの中からさりげなく艾(もぐさ)を取り出そうとする。
「待ってサユリちゃん! こんなオシャレなカフェで私を丸焼きにしないで! お店の人に怒られちゃうよぉ!」
メイちゃんの必死な抵抗に、私とリンちゃんは思わず吹き出してしまった。
「……ふふ。お灸の特訓は、また明日の実習室でね」
私はパンケーキを一口、口に運ぶ。
確かに、甘いものは今の私の、少しだけ擦り減った心にちょうどいい処方箋だった。
笑い声が響くテーブル。
難しい解剖学も、なごみでの厳しい特訓も、この賑やかな放課後があるから頑張れる。
シフト休みの午後は、ただのクラスメイトから、少しずつ「仲間」へと変わっていく私たちの姿を優しく包んでくれた。
「よし、エネルギー充填完了! 明日もお灸、ひねりまくるぞー!」
「次は爆発させないようにね、メイちゃん」
私の言葉に、また一つ、明るい笑い声が弾けた。
明日の実習は、きっと今日よりも少しだけ、上手くいく気がした。