新米鍼灸師、つぼみのぽかぽか実習日誌 〜ひねって もんで ひびかせます!~   作:碧河 蒼空

4 / 13
ひびきの魔法

 九条先生の指先が、私の腰の少し上あたりで円を描くように動く。

 薄い布越しだというのに、その指が触れている場所だけが、まるでスポットライトを浴びたみたいに熱い。

 

「あずき、準備」

「はーい、一番細いやつですね」

 

 あずきさんがパチンと、プラスチックのケースを開ける小気味いい音を立てた。

 私は枕に顔を埋めたまま、ぎゅっと目をつぶる。

 まな板の上の鯉、という言葉が頭をよぎったけれど、今の私はそれよりもずっと無力な、ただの虚弱なもやしっ子だ。

 

「……少し、動くわよ」

 

 先生の手が、私のシャツの裾をほんの少しだけ持ち上げた。

 ひやりとした外気が肌に触れ、私は思わず背中を丸めてしまう。

 先生の指先が、今度は直接、私の肌に触れた。

 

「……っ!」

 

 心臓が跳ねる。

 冷たい。でも、その芯には確かな体温があって。

 彼女の指が、背骨の脇にある、自分でも気づかなかったこり」を的確に捉えた。

 

「力を抜いて。……吸って、吐いて」

 

 言われるがままに息を吐き出した、その瞬間。

 トントン、と軽い衝撃。

 

 ——ズーン。

 

 それは、あの日駅前で感じたものよりも、ずっと深くて重い響きだった。

 身体の奥深くに、目に見えない杭を打ち込まれたような感覚。

 痛いわけじゃない。でも、逃げ出したくなるような、それでいてもっと奥まで突き詰めてほしくなるような、不思議な痺れが全身を駆け巡る。

 

「……はぁ、あ……っ」

 

 ベッドに沈み込んだまま、私は情けない声を漏らしてしまった。

 痛いわけじゃない。ただ、身体の奥深くを「ズーン」と重い何かに優しくノックされたような、不思議な痺れ。

 腰から力が抜けて、まるで自分が温かい綿あめにでもなったような心地だった。

 

「あはは! つぼみちゃん、すっごくいい反応! 先生の指先、魔法みたいでしょ?」

 

 横で見ていたあずきさんが、パチパチと手を叩いて笑う。

 恥ずかしくて枕に顔を埋めるけれど、そこからもお日様のような、落ち着く香りが漂ってくる。

 

「……よく耐えたわね。そこは、あなたみたいに疲れが溜まっている子には、一番響く場所なのよ」

 

 九条先生の声は、どこか満足げだった。

 彼女の指が、刺激した場所の周りを、よしよしとなだめるように撫でる。

 そのひんやりとした感触が、熱を持った肌に心地よくて、私は思わず「ふにゃあ……」と気の抜けた息を吐き出した。

 

「さて。身体が解れたところで、あずき。つぼみに『基本のき』を教えなさい。まずは、もぐさを捻るところからよ」

 

「了解でーす! さあつぼみちゃん、起きて起きて。修行の始まりだよ!」

 

 あずきさんに肩を揺すられ、私はフラフラしながらもなんとか起き上がった。

 不思議なことに、あんなに重かった身体が、今は驚くほど軽い。

 視界も、さっきよりずっと明るく見える。

 案内されたのは、小さな木製の作業机だった。

 そこには、ふわふわとした、薄黄色の綿のようなものが山盛りになっている。

 

「これ、ヨモギからできてるんだよ。これをね、指先でこう……細く、小さく、三角形に捻るの」

 

 あずきさんが見せてくれたのは、米粒よりも小さな、綺麗な円錐形。

 真似してやってみるけれど、私の指の間では、綿がただボロボロと崩れるばかり。

 

「あぅ……。……あずきさん、これ、意外と難しいです……」

「そうでしょ? でもね、これが上手になると、お灸の熱さが『熱っ!』から『あちち……あ、気持ちいい……』に変わるんだよ」

 

 二人で並んで、もぐさをコネコネと捻る。

 窓の外からは、お向かいの家の風鈴の音がチリンと聞こえてくる。

 九条先生は、少し離れたところで静かにお茶を淹れていて。

 さっきまでの緊張が嘘みたいに、院内には穏やかで、ちょっとだけ煙たい、幸せな時間が流れていた。

 九条先生が、湯呑みをこちらに差し出しながら、ふっと目を細めた。

 

「……つぼみ。明日からは、もう少し体力をつけなさい。掃除の合間に、あずきと一緒にお灸の練習もしてもらうから」

「はい……っ、がんばります……っ!」

 

 私は、指先についたヨモギの香りを嗅ぎながら、元気よく返事をした。

 憧れの先生。賑やかな先輩。

 そして、自分の身体の中に新しく灯った、温かな余熱。

 私のはりきゅうな毎日は、こうして、くすぐったくて優しい刺激と共に、本格的に幕を開けたのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。