新米鍼灸師、つぼみのぽかぽか実習日誌 〜ひねって もんで ひびかせます!~ 作:碧河 蒼空
九条先生の指先が、私の腰の少し上あたりで円を描くように動く。
薄い布越しだというのに、その指が触れている場所だけが、まるでスポットライトを浴びたみたいに熱い。
「あずき、準備」
「はーい、一番細いやつですね」
あずきさんがパチンと、プラスチックのケースを開ける小気味いい音を立てた。
私は枕に顔を埋めたまま、ぎゅっと目をつぶる。
まな板の上の鯉、という言葉が頭をよぎったけれど、今の私はそれよりもずっと無力な、ただの虚弱なもやしっ子だ。
「……少し、動くわよ」
先生の手が、私のシャツの裾をほんの少しだけ持ち上げた。
ひやりとした外気が肌に触れ、私は思わず背中を丸めてしまう。
先生の指先が、今度は直接、私の肌に触れた。
「……っ!」
心臓が跳ねる。
冷たい。でも、その芯には確かな体温があって。
彼女の指が、背骨の脇にある、自分でも気づかなかったこり」を的確に捉えた。
「力を抜いて。……吸って、吐いて」
言われるがままに息を吐き出した、その瞬間。
トントン、と軽い衝撃。
——ズーン。
それは、あの日駅前で感じたものよりも、ずっと深くて重い響きだった。
身体の奥深くに、目に見えない杭を打ち込まれたような感覚。
痛いわけじゃない。でも、逃げ出したくなるような、それでいてもっと奥まで突き詰めてほしくなるような、不思議な痺れが全身を駆け巡る。
「……はぁ、あ……っ」
ベッドに沈み込んだまま、私は情けない声を漏らしてしまった。
痛いわけじゃない。ただ、身体の奥深くを「ズーン」と重い何かに優しくノックされたような、不思議な痺れ。
腰から力が抜けて、まるで自分が温かい綿あめにでもなったような心地だった。
「あはは! つぼみちゃん、すっごくいい反応! 先生の指先、魔法みたいでしょ?」
横で見ていたあずきさんが、パチパチと手を叩いて笑う。
恥ずかしくて枕に顔を埋めるけれど、そこからもお日様のような、落ち着く香りが漂ってくる。
「……よく耐えたわね。そこは、あなたみたいに疲れが溜まっている子には、一番響く場所なのよ」
九条先生の声は、どこか満足げだった。
彼女の指が、刺激した場所の周りを、よしよしとなだめるように撫でる。
そのひんやりとした感触が、熱を持った肌に心地よくて、私は思わず「ふにゃあ……」と気の抜けた息を吐き出した。
「さて。身体が解れたところで、あずき。つぼみに『基本のき』を教えなさい。まずは、もぐさを捻るところからよ」
「了解でーす! さあつぼみちゃん、起きて起きて。修行の始まりだよ!」
あずきさんに肩を揺すられ、私はフラフラしながらもなんとか起き上がった。
不思議なことに、あんなに重かった身体が、今は驚くほど軽い。
視界も、さっきよりずっと明るく見える。
案内されたのは、小さな木製の作業机だった。
そこには、ふわふわとした、薄黄色の綿のようなものが山盛りになっている。
「これ、ヨモギからできてるんだよ。これをね、指先でこう……細く、小さく、三角形に捻るの」
あずきさんが見せてくれたのは、米粒よりも小さな、綺麗な円錐形。
真似してやってみるけれど、私の指の間では、綿がただボロボロと崩れるばかり。
「あぅ……。……あずきさん、これ、意外と難しいです……」
「そうでしょ? でもね、これが上手になると、お灸の熱さが『熱っ!』から『あちち……あ、気持ちいい……』に変わるんだよ」
二人で並んで、もぐさをコネコネと捻る。
窓の外からは、お向かいの家の風鈴の音がチリンと聞こえてくる。
九条先生は、少し離れたところで静かにお茶を淹れていて。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、院内には穏やかで、ちょっとだけ煙たい、幸せな時間が流れていた。
九条先生が、湯呑みをこちらに差し出しながら、ふっと目を細めた。
「……つぼみ。明日からは、もう少し体力をつけなさい。掃除の合間に、あずきと一緒にお灸の練習もしてもらうから」
「はい……っ、がんばります……っ!」
私は、指先についたヨモギの香りを嗅ぎながら、元気よく返事をした。
憧れの先生。賑やかな先輩。
そして、自分の身体の中に新しく灯った、温かな余熱。
私のはりきゅうな毎日は、こうして、くすぐったくて優しい刺激と共に、本格的に幕を開けたのだった。