新米鍼灸師、つぼみのぽかぽか実習日誌 〜ひねって もんで ひびかせます!~   作:碧河 蒼空

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あずきは飲み物

 『はりきゅうマッサージ処・なごみ』の午後の診察が一段落した頃。

 私は、学校の『あん摩実習』で習ったばかりの『軽擦(けいさつ)』を、自分の腕でシュッシュッと復習していた。

 

「……つぼみ。そんなところで一人虚しく腕をこすっていないで、あずきを使いなさい」

 

 カウンターの奥でカルテを整理していた九条先生が、眼鏡の縁をクイッと押し上げて言った。

 

「えっ、あずきさんの体を……練習台にしてもいいんですか?」

「練習台だなんて、喜んでー! さあつぼみちゃん、遠慮はいらないわ。この際、私のこの煩悩の塊(わがままボディ)を好きに調理しちゃって!」

 

 あずきさんは、待ってましたとばかりに空いているベッドへ勢いよく飛び乗った。バフッ! とタオルの弾けるいい音がして、彼女は枕に顔を埋めたまま、楽しそうに足をバタつかせる。

 

「じゃあ、学校で習った通りにやってみて。……あずきは今日、ずっと立ちっぱなしだったから。ふくらはぎがパンパンなはずよ」

「は、はい! 軽擦……撫でるように、密着させて……。失礼します……っ」

 

 私はごくりと喉を鳴らし、あずきさんの足に掌を当てた。

 ……柔らかい。でも、先生の言う通り、脛の横の筋肉は固く張っている。

 私は掌全体をピタリと密着させ、ゆっくりと、心臓の方へ向かって滑らせる。皮膚の表面を一定の圧でなでさする、基本の手技だ。

 

「……あ、あったかーい……。つぼみちゃんの掌、ふかふかしてて極楽だよぉ……」

 

 あずきさんが、ふにゃふにゃした声を漏らす。

 よし、完璧。そう思った瞬間だった。

 

「……つぼみ。形は綺麗だけど、密着がスカスカだわ。隙間にアリが通れるレベルね」

 

 背後から、氷のように冷たい九条先生のツッコミが響いた。アリって、先生、例えが厳しすぎませんか!?

 

 振り返る暇もなく、先生が私の真後ろに立ち、私の手の上から彼女の細く、吸盤のように吸い付く掌をガシッと重ねてきた。

 

「ひゃうっ……! せ、先生!?」

「いい? 軽擦は皮膚と掌の間に、ミクロの隙間も作らない。相手の体温と自分の体温が溶け合うまで、真空状態にするの。……こうよ」

 

 先生の力が、私の手をプレス機のように介してあずきさんの足へと伝わる。

 ただの『なでなで』が、一瞬にして、肌と肌が分子レベルで結合したかのような、超・密着状態へと変貌した。

 

「……あ、ふぁ……っ! 溶ける……っ! 私、今ならスライムとして生きていける気がするぅぅ……!」

 

 あずきさんが、あまりの密着感と撫でられる心地良さのあまり、ベッドの上で作画崩壊を起こしている。

 

「……今の感覚、忘れないこと。掌のシワ一本一本を、相手の皮膚に合わせるの」

「は、はい……っ! でも先生、密着しすぎて……先生の心音まで、背中からドクドク伝わってきますぅ……っ!」

 

 私の背中に、先生の体温と鼓動がダイレクトにフルコンタクトしてくる。

 先生の香木のような香りと、あずきさんの「もう骨抜きだよぉ……。今の私なら、ストローで吸えると思う……」という、力の抜けきった声。

 

 夕暮れの『なごみ』は、今日も少しだけ騒がしくて、そして目眩がするほど温かかった。

 

 いつか、この先生のようにアリを通さないレベルの密着度で、誰かの疲れを絡め取れるようになりたい。

 真っ赤になった頬を風で冷ましながら、私は先生の手の、あの圧倒的なバキューム感を忘れないようにぎゅっと握りしめた。

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