『千恋*万花 ー神代残響譚ー』   作:yukey

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今回の投稿から18時に投稿する事になります。


第13話 穂織で繋ぐ、最後の配信

 

 

 翌日の昼過ぎ。

 

 俺――有地将臣は、段ボールの山に囲まれた新しい部屋の真ん中で、小さく息を吐いた。

 

「……よし。大物はだいたい揃った、か」

 

 机の上には、デスクトップPC本体、モニター、マイク、オーディオインターフェース、マイクアーム、照明、小型のウェブカメラ。

 東京から送った機材を一つずつ取り出して並べていくと、まだどこか仮住まいめいていた部屋が、少しずつ“仕事場”の顔を見せ始める。

 

 生活用品だけなら、ただの引っ越し後の部屋だ。

 けれど、こうして仕事道具まで並ぶと、ようやく実感が湧いてくる。

 

 これからしばらく、本当にここで暮らしていくんだな、と。

 

「さて……まずは配線だな」

 

 電源タップを引き寄せて、机の下に潜り込もうとしたところで、襖がこんこんと軽く叩かれた。

 

「将臣さん。入ってもよろしいでしょうか?」

「ご主人ー。我輩もおるぞー」

 

 この組み合わせ、最近よく見るな。

 

「どうぞ」

 

 声をかけると、襖が開き、芳乃とムラサメが顔を覗かせた。

 

 芳乃は部屋の中を見て、少しだけ目を丸くする。

 ムラサメはそのまま遠慮なく中へ入り、きょろきょろと辺りを見回した。

 

「おお……なんじゃこれは。さっぱり分からぬが、えらく物々しいのう!」

「見たことのない物ばかりです……」

 

 その反応に、思わず苦笑する。

 

「まあ、普通はそうなるよな」

「お手伝いできればと思って来たのですが……」

「うん」

「どこから手をつければよいのか、さっぱり分かりません」

「正直で助かる」

 

 芳乃は少しだけ気まずそうに目を伏せたが、すぐに表情を整えた。

 

「ですが、せめて見て覚えようかと」

「見て覚えるって、職人の弟子みたいだな」

「将臣さんのお仕事は、私たちにとって未知のものですから」

「我輩も興味津々じゃ! かように怪しげな道具が並べば、気にもなるというものじゃろう!」

 

 ムラサメが机の上のマイクアームを指さした。

 

「これは何じゃ? 武器かの?」

「違う。マイクを支えるやつ」

「まいく……?」

「声を拾うための道具」

「ほう……つまり、ご主人の声を捕まえて閉じ込める呪具というわけじゃな!」

「言い方が怖いな」

「でも、少し分かる気はします」

「芳乃までそっちに寄らなくていい」

 

 そんなやり取りをしながら、俺は配線を進めていく。

 

 モニターの位置を決め、PC本体を机の下に置き、ケーブルを一本ずつ繋いでいく。

 芳乃とムラサメは少し離れた位置に座って、本当に見学するだけに徹していた。

 

 ……いや、ムラサメは見学だけじゃないな。

 

「ご主人、この細長い板は何じゃ?」

「キーボード」

「おお……文字を書く板かえ!」

「まあ、そんなもん」

「筆も墨もいらぬのか! いやはや、まこと未来の品よのう!」

「未来ってほどでもないけどな」

 

 次はマウスをつまみ上げる。

 

「では、これは何じゃ?」

「マウス」

「鼠?」

「名前だけな」

「ぜんぜん鼠に見えぬではないか。ほれ、耳も鼻もないぞ?」

「そこは俺に言われても困る」

「じゃが、尻尾らしきものはあるのう」

「コード付きだからな」

「ふむ……半分鼠、といったところかの」

「違う」

 

 さらに机の下を覗き込んだムラサメが、声を上げた。

 

「見よ芳乃! ご主人の部屋、蛇だらけじゃ!」

「蛇じゃない。ケーブル」

「似たようなものではないか」

「全然よくないな」

「しかし、にょろにょろとうねっておるではないか。まこと蛇の眷属のようじゃぞ」

「そこだけ切り取るな」

 

 芳乃が小さく口元を押さえた。

 

「ふふ……」

「笑ったな?」

「少しだけです」

「我輩は間違っておらぬと思うぞ?」

「この理屈だと、配線してる俺は蛇使いになるんだけど」

「おお、それはなかなか格好よいではないか。ご主人、ついに蛇まで従えるようになったか」

「なってない」

 

 照明を見れば、

 

「なんじゃこれは。陽の光を瓶詰めにした宝具かの?」

 

 と首を傾げ、

 

 ヘッドホンを見れば、

 

「ふむ。耳当ての進化系じゃな。音を逃がさぬ工夫が施されておる」

 

 と妙に感心し、

 

 ウェブカメラを見れば、

 

「こやつは小さな見張りの目じゃろう? むう、じっとこちらを見ておって、少々落ち着かぬのう」

 

 と真面目に分析し始めた。

 

 完全に機材見学会だった。

 

「ご主人の仕事場は、よう分からぬが、なんだか強そうじゃの!」

「最後の感想が雑なんだよ」

「じゃが、これらを使って戦っておるのであろう?」

「まあ……戦ってはいるな」

「ならば合っておる。うむ、我輩は間違っておらぬ」

 

 そんな中、芳乃が部屋の隅の段ボールへ目を向ける。

 

「将臣さん。この箱は本でしょうか?」

「ああ、たぶん資料と画集、その辺だな」

「でしたら、本棚に収めましょうか」

「助かる。ざっくり分類しながら入れてもらえるとありがたい」

「承知しました」

 

 芳乃は畳の上に膝をつき、丁寧に段ボールを開けた。

 中から本を一冊ずつ取り出して、静かに仕分けていく。

 

「ずいぶん多いのですね」

「絵の資料とか参考書が多いからな」

「なるほど……」

 

 服飾資料、背景資料、ポーズ集、色彩関係の本。

 几帳面に分けていく手つきはさすがだった。

 

 だが、その途中で。

 

「あ……」

 

 芳乃の手が止まった。

 

「ん?」

 

 振り向くと、芳乃が少し大きめの本を両手で持ったまま、微妙に固まっている。

 

 その視線は表紙に向いていた。

 

 ……嫌な予感がする。

 

「芳乃?」

「将臣さん」

「はい」

「これは、資料……なのですよね?」

 

 そう言われて見た瞬間、俺も固まった。

 

 あっ。

 

 水着資料用の写真集だ。

 しかもよりによって、表紙がかなり攻めている。

 大胆な水着を着たグラビアモデルが、挑発するようなポーズでこちらを見ていた。

 

 なんで今それを引くんだよ……!

 

 芳乃は表情こそ崩していないものの、耳が少しだけ赤い。

 

「ええと……その……」

「はい」

「確かに資料ではあるんですが」

「はい」

「違うんだ」

「何がでしょうか」

 

 声音が静かすぎて逃げ道がない。

 

 ムラサメが横から覗き込む。

 

「なんじゃそれは?」

「あ、おい見るな」

「おおっ! なんとも肌色の多い本じゃのう! これはまた、目のやり場に困るわい!」

「お前は無邪気に言うな!」

 

 芳乃が、写真集と俺を交互に見る。

 

「将臣さんは、このようなご本もお読みになるのですか?」

「その聞き方だと、だいぶ誤解がある」

「誤解、ですか?」

「これは水着のデザインとか、布のしわとか、体の見え方とか、構図とか、そういうのを見るための資料!」

「水着の……」

「そう! 夏イラストとか衣装デザインとか、そういうのに使うんだよ!」

 

 芳乃はもう一度表紙を見下ろした。

 

「たしかに、衣装の形はよく分かりそうです」

「だろ?」

「ですが……」

「ですが?」

「もう少し穏やかな表紙のものはなかったのですか?」

「今、俺も猛烈にそう思ってる」

「そうなのですね」

「そうなんです!」

 

 ムラサメがきらきらした目で言う。

 

「つまりご主人は、絵を描くために、かように肌色の多い本を集めておるのじゃな! いやはや、業の深いことよのう!」

「語弊がひどい!」

「だが間違ってはおらぬじゃろ?」

「間違ってはいないけど、言い方が致命的なんだよ!」

 

 芳乃は少しだけ困ったように目を伏せた。

 

「私は、その……殿方のご本というものに詳しくはありませんので」

「うん、そうだろうな」

「少し驚いてしまいました」

「本当にすまん」

「いえ……」

「誤解させる置き方してた俺が悪い」

「……少しだけ、びっくりしただけです」

「少しだけではなかった顔してたけどな……」

 

 思わず頭を抱えると、芳乃は写真集をそっと閉じた。

 

「資料だと分かりましたので、棚に収めておきます」

「いや待て、それは俺がやる!」

「ですが」

「その手の棚整理を芳乃に任せるのは、さすがに俺の良心が死ぬ!」

「そんなにでしょうか」

「そんなにです!」

 

 そこで芳乃が、ほんの少しだけ笑った。

 

「……分かりました」

「助かる」

「では、この辺りは将臣さんにお任せします」

「そうしてくれると本当に助かる」

「我輩も見てみたいのう」

「だめ」

「なぜじゃ?」

「教育に悪い」

「我輩はもう十分に生きておるぞ? 今さら少々のことでは動じぬわ」

「そういう問題じゃない」

 

 ようやく空気が戻り、俺は胸を撫で下ろした。

 

 危なかった。

 かなり危なかった。

 

 気を取り直して、配線作業に戻る。

 

「将臣さん」

「ん?」

「こうした道具があれば、どこでも同じようにお仕事ができるのですか?」

「ネット環境がちゃんとしてれば、だいたいはな」

「ねっと環境……」

 

 芳乃が小さく首を傾げる。

 

 あ、これは分かってない顔だ。

 

「この家の回線って、どれくらい安定してるか分かるか?」

「かいせん、ですか……?」

「インターネットの速さとか、止まりにくさとか」

「……申し訳ありません。そのあたりは、あまり」

「いや、芳乃が謝ることじゃないけど」

 

 すると芳乃はすっと立ち上がった。

 

「お父さんを呼んでまいります。そうしたことは、私よりお父さんの方が詳しいかと」

「助かる」

 

 芳乃が部屋を出ていく。

 その背を見送りながら、ムラサメが腕を組んだ。

 

「芳乃は真面目じゃのう」

「そうだな」

「そして先ほどの本にも、最後は落ち着いて対処しておった。いやはや、大したものじゃ」

「そこ掘り返さなくていいから」

「よい嫁になるのう」

「全部そこに繋げるのやめろ」

 

 しばらくして、芳乃が安晴を連れて戻ってきた。

 

「将臣君、呼ばれたけど、何か困ったことでもあったかい?」

「あ、安晴さん。ネット回線のことを確認したくて」

「ああ、その辺か」

 

 安晴は部屋の隅の機器を見て、柔らかく笑った。

 

「一応、光回線にはしてあるよ。普段そんなに重い使い方はしていないし、通話や動画くらいなら問題ないはずだ」

「配信もいけそうですか?」

「絶対とは言えないけど、穂織の中じゃかなり安定してる方だと思う」

「それなら十分です」

 

 一番気になっていた部分だったから、素直にほっとする。

 

「将臣君の仕事は、やっぱりその“ねっと”が大事なんだね」

「かなり大事です。これが駄目だと、ほぼ全部止まるんで」

「それは大変だ」

「そういうものなのですね……」

 

 芳乃が真面目な顔で頷いている。

 たぶん今、彼女の中で“現代の恐ろしいもの一覧”に回線落ちが追加された。

 

 やがて設置は一通り終わった。

 

 電源よし。

 映像出力よし。

 音声周りも問題なし。

 

「……よし。じゃあ起動するか」

 

 電源ボタンを押すと、PCのファンが静かに回り始める。

 モニターにロゴが映り、OSが立ち上がった。

 

「おおっ」

「つきました……!」

「不思議な箱であるな……いや、箱というより祠のようでもあるのう!」

 

「まだここからだぞ?」

「これで終わりではないのですか?」

「むしろ始まり」

「長そうだのう!」

「長い」

 

 実際、ここからが本番だ。

 

 マイク感度、BGMの音量、配信ソフトのシーン切り替え、コメント欄の表示位置、通知の出方、ウェブカメラの画角。

 環境が変われば、細かい調整は必須になる。

 

 その途中で、安晴が画面を覗き込んだ。

 

「この絵が、将臣君の表に出る姿なのかい?」

「はい。配信や仕事告知で使ってる立ち絵です」

「本人なのに本人じゃない、不思議な感じだねえ」

「まあ、そういう世界なんで」

「それにしても、格好いいですね」

「芳乃」

「はい?」

「今ちょっと照れたから、あんまり真っ直ぐ言わないでくれ」

「……? 本当のことを申し上げただけですが」

「それが一番効くんだよな……」

 

 ムラサメが画面を覗き込みながら首を傾げる。

 

「ご主人の名は、ここでは将臣ではないのじゃな」

「ああ。仕事名義みたいなもんだ」

「仕事名義?」

「ペンネーム。イラストレーターとしては“アリマサ”でやってる」

「アリマサ……」

 

 芳乃がその名を静かに繰り返す。

 

「将臣さんのお名前から取ったのですか?」

「そう。“有地”の“アリ”と、“将臣”の“マサ”から」

「なるほど……元のお名前の面影があって、覚えやすいですね」

「そう言ってもらえると助かる」

「アリマサ先生、ということかの!」

「その呼び方はちょっとむず痒いな」

「では、アリマサ殿じゃ!」

「余計に大げさになったな……」

 

 小さく笑いが起こる。

 

 こういう何気ない反応が、妙に嬉しかった。

 自分の仕事の名前を、この家の人たちに知られるのは少し照れくさい。

 でも嫌じゃない。

 

「じゃあ最後に、ウェブカメラの確認も兼ねて連絡取るか」

 

 連絡先を開いたところで、ふと手が止まる。

 

 ……背景。

 

 今日はリハーサルだから、ウェブカメラにはこの部屋そのものが映る。

 本番では背景画を差し込むつもりだが、今はまだ実際の部屋が見える状態だ。

 

「すみません、ちょっと確認なんですけど」

「はい」

「今からカメラ繋ぐんですけど、確認の段階だと現実の部屋が映るんで、画角的にまずいものがないか見てもらってもいいですか」

「たしかに、その確認は必要ですね」

「こういうの、一回事故ると洒落にならないんで」

「分かりました」

 

 カメラの位置を調整して見せると、安晴が頷いた。

 

「この範囲なら大丈夫だと思うよ。特定に繋がるようなものも見えていないし」

「ありがとうございます」

「本番ではこのままではないんだろう?」

「はい。本番の配信では背景画像に差し替えます。田舎の部屋っぽい背景を用意してあるんで、実際の部屋は出さない形で」

「ほう……」

「便利なものですね」

「便利ですけど、設定ミスると終わります」

「やはり恐ろしいのですね……」

「そこまでではないけどな」

 

 ムラサメがウェブカメラを見つめる。

 

「つまりこの小さき目は、本当の部屋を映し」

「うん」

「本番では幻を見せるのじゃな! うむ、なかなかに妖しげでよいではないか!」

「言い方はだいぶ物騒だけど、まあ近い」

「やはり術ではないか! 現世の者どもは妙な術を編み出すものよのう」

「現代技術な」

 

 通話先は葛葉。

 引っ越しの件も、休止配信の件も、事前に相談している相手だ。

 

 コールを鳴らすと、ほどなくして画面が繋がった。

 

『あ、映った。アリマサ、聞こえてる?』

「はい、聞こえてます。そっちはどうですか?」

『音は大丈夫。映像も問題なさそうね』

 

 画面越しの葛葉は、いつものように落ち着いた顔でこちらを見ていた。

 年上らしい余裕のある声音。

 けれど、その奥には少し呆れたような、困ったような柔らかさも混じっている。

 

『今はちゃんと部屋が映ってるのね』

「はい。今日は動作確認なんで、素のカメラ映りを見てもらってます」

『なるほど。本番は?』

「本番は背景画像に差し替えます。田舎の部屋っぽい背景を用意してあるんで、実際の部屋は出さない予定です」

『ああ、それなら安心ね。将臣くん、その辺は最初からちゃんと考えてるものね』

「身バレは洒落にならないですから」

『ええ、本当にね。そこは油断しないでちょうだい』

 

 その横から、安晴が軽く会釈した。

 

「初めまして。朝武安晴です。将臣君には、こちらで世話を焼かせてもらっています」

『あ、どうも。葛葉です。いつもお世話になってます』

 

 葛葉は、少しだけ姿勢を正した。

 

「地方に移る事情については伺っています。しばらくはこちらで生活を整えることを優先させるつもりです」

『それは助かります。こっちとしても、今は無理をさせる時期じゃないと思ってるので』

「少しでも無茶をしそうなら、こちらで止めます」

『あら、それはありがたいですね』

「そこ、即答されるとちょっと複雑なんですけど」

『だって、将臣くんってそういうところあるじゃない』

「否定しづらいですね……」

 

 葛葉が、ふっと小さく笑った。

 

『でも、顔色は悪くなさそうで少し安心したわ』

「まあ、ちゃんと休まされましたから」

『“休んだ”じゃなくて“休まされた”なのね』

「その表現が一番しっくりきます」

『でしょうね』

 

 やれやれ、というように肩をすくめる。

 それだけで、少し気が緩んだ。

 

『向こうはどう? まだかなりバタついてる?』

「そうですね。引っ越し直後なんで、生活も作業環境もまだ整えてる途中です」

『まあ、そうなるわよね』

「でも、やることがはっきりしてる分、変に悩まずに済んでるところはあります」

『ならいいわ。将臣くん、黙って抱え込む方が危ないもの』

「そんなにですか」

『そんなによ』

 

 きっぱり言われて、苦笑する。

 

『告知の内容は、事前に詰めた通りでいくのよね?』

「はい。“地方に引っ越すこと”“その影響でしばらく配信は休止すること”“でも引退じゃなくて、SNSとイラストの仕事は続けること”の三点を中心に話すつもりです」

『うん、それでいいと思う。変に細かく話しすぎなくていいわ』

「分かってます」

『リスナーが知りたいのは事情の全部じゃなくて、今後どうなるかだもの』

 

 俺は配信ソフトを操作し、本番用のレイアウトを表示した。

 テロップ、説明文、SNS誘導。

 そして背景には、落ち着いた田舎の部屋風の背景画。

 

「本番だと、こんな感じです」

『ああ、なるほど』

 

 葛葉が画面を見て、少し表情を和らげる。

 

『いいじゃない。自然だし、変に作り込みすぎてないのもいいわ』

「実際の部屋を出すわけにいかないんで、雰囲気だけ寄せました」

『うん。こういうので十分。見る側も落ち着くと思う』

「そうなら助かります」

 

 少し間を置いてから、葛葉が続けた。

 

『あの子のことも含めて、変に重くしすぎない方がいいわよ』

「分かってます」

『いつも通りでいいの。将臣くんは、その方が伝わるタイプだもの』

「そこは意識します」

 

『ま、説教はこのくらいにしておきましょうか』

「助かります」

『ほんと、返事だけはいいのよね』

「長所ということで」

『自分で言うんじゃないの』

 

 くすっと笑われて、こっちも少し肩の力が抜けた。

 

『とにかく今日は、長引かせすぎないこと。告知だけちゃんとやって、あとは少し反応を見て締める。それで十分よ』

「はい。そのつもりです」

『それと、完全に沈黙するのはだめ。ラフでも進捗でも何でもいいから、負担の軽い形で何かしらは出しなさい』

「分かってます。できる範囲でやります」

『うん。それがいいわ』

 

 最後に、葛葉は少しだけ表情を和らげた。

 

『もう一度言うけどどこに住もうが、多少仕事の仕方が変わろうが、将臣くんがちゃんと描き続けるなら、それでいいの』

「……葛葉さん」

『本当に、ちゃんと帰ってきなさいよ。いろんな意味で』

「はい」

 

 今度は迷わず頷けた。

 

『よろしい。じゃあ、動作確認の続きをやりましょうか。音量もう一回出して』

「了解です」

 

 その後も音量、画面、コメント表示、通話周りまで一通り確認していく。

 大きな問題はなく、無事にリハーサルは終了した。

 

 通話が切れると、部屋の中に静けさが戻った。

 

「本当に、遠くの方とこうして普通に繋がれるのですね……」

 

 芳乃が静かに息を吐く。

 

「まあ、今どきはな」

「しかも、配信になると背景まで変えられるのですね」

「見せちゃまずいものを隠すためでもある」

「なるほど……便利ですが、不思議です」

「我輩はやはり術だと思うぞ! いやはや、まこと面妖な世であるな」

「お前はもうそれでいいよ」

 

 夜。

 

 食事と風呂を済ませ、時間が近づいてくる。

 

 部屋に戻り、椅子に座る。

 モニターの向こうには待機画面。

 事務所から事前告知は出ている。

 だから完全な不意打ちではない。

 それでも、自分の口から話すとなると少し重い。

 

「将臣さん」

 

 振り返ると、襖のところに芳乃が立っていた。

 その後ろにムラサメもいる。

 

「……大丈夫か?」

「はい。どうか、あまり気負いすぎないでください」

「おう」

「将臣さんらしく話せば、それで十分だと思います」

「芳乃にそう言われると、なんか落ち着くな」

「そうですか?」

「うん」

「なら、よかったです」

 

 ムラサメも胸を張る。

 

「ご主人なら平気じゃ! もし何かあれば、我輩が画面の向こうの者どもを斬ってくれようぞ!」

「絶対やめろ」

「なぜじゃ!」

「配信史上最悪の事故になる」

「むう……それは困るのう」

 

 思わず笑ってしまう。

 そのおかげで、肩の力が少し抜けた。

 

「ありがとう。見ててくれるんだろ?」

「もちろんです」

「無論じゃ! 最後まで見届けてしんぜよう!」

 

 その言葉に背中を押され、俺は開始ボタンを押した。

 

 待機画面が切り替わり、コメント欄が一気に流れ始める。

 

『きたー!』

『アリマサ先生こんばんは!』

『待ってた!』

『元気そうで安心』

『今日はお知らせ回か』

 

 思っていたより空気は落ち着いていた。

 事前告知のおかげだろう。

 

「こんばんは。アリマサです。今日は来てくれてありがとう」

 

 本番では、背景は昼間に確認した現実の部屋ではない。

 用意しておいた、落ち着いた田舎の部屋風の背景画に切り替えてある。

 見慣れないはずなのに、不思議としっくりきていた。

 

『背景いい感じ』

『雰囲気変わった?』

『ちょっと落ち着いた部屋っぽい』

『引っ越し先イメージかな』

 

「その辺も含めて、今日は順番に話していく」

 

 まずは近況。

 体調に問題はないこと。

 環境が変わって少し慌ただしいこと。

 

 そのうえで、本題に入る。

 

「改めてになりますが、都合により地方へ引っ越すことになりました」

 

 コメントがゆるやかに流れる。

 

『おお……』

『やっぱりそうだったか』

『大変そう』

『前向きなやつならよかった』

 

「それに伴って、生活の立て直しとイラストの仕事が重なる関係で、しばらく配信をお休みします」

 

『了解!』

『待つよー!』

『引退じゃないよね?』

『仕事優先でええぞ』

 

「大事なところなのでちゃんと言うと、完全な引退ではありません。配信はいったん休止しますが、SNSは動かしますし、イラストの仕事も続けます。落ち着いたら、また配信も再開する予定です」

 

『よかったあああ』

『そこ聞きたかった』

『SNS動くなら助かる』

『再開待機』

 

 コメント欄の流れが、少しだけ明るくなる。

 

 俺はそこで一度息を整えてから、次の話題に移った。

 

「あと、担当まわりを心配してる人もいると思うけど、その辺も大丈夫です。今受けてる仕事も含めて、イラスト関係はちゃんと続けていきます。新規立ち絵とか記念絵とか、その辺――」

 

 そこまで言ったところで、コメント欄に見慣れた名前が流れた。

 

『星野凛:私のことは?』

 

 来た。

 

『本人きたwww』

『凛ちゃん!?』

『その入り方なのw』

『待ってました』

 

 俺は思わず額を押さえた。

 

「いや、お前、絶妙なタイミングで入ってくるな」

 

『星野凛:だって気になるじゃん!』

『星野凛:電話していい?』

 

 コメントを読んだ、次の瞬間だった。

 

 ぴりりりり、と部屋の中に着信音が鳴る。

 

 一瞬、何が起きたのか分からず、コメント欄が数秒遅れて爆発した。

 

『早いwww』

『もう鳴ってるw』

『行動が速すぎる』

『自由すぎるだろw』

 

「待て待て待て、今の着信音マイク拾ったよな?」

『拾ったw』

『ばっちり聞こえた』

『確認してからかけろw』

 

 画面の端では、通話通知がしっかり主張している。

 本当に、ワンクッションって概念がないなこの人。

 

「……出るぞ」

 

 そう言うと、コメント欄はさらに勢いづいた。

 

『いけー!』

『出ろ出ろ!』

『神回の予感しかしない』

 

 俺は苦笑しながら通話を受け、すぐに音声をパソコン側へ回した。

 配信用ソフトの設定を切り替え、通話音声を入力に乗せる。

 ついでに用意してあった素材フォルダから、凛の立ち絵を呼び出した。

 

 配信画面の端に、見慣れた星野凛の立ち絵がぽんと表示される。

 

『おおおおお』

『立ち絵出た!』

『本格的w』

『対応が慣れてる』

 

「慣れてるって言うな。慣れたくて慣れたんじゃない」

 

 そう言った直後、元気すぎる声が配信に乗った。

 

『もしもーし! みんな聞こえてるー!?』

「聞こえてる」

『よかったー! 改めましてこんばんはー! 星野凛でーす!』

 

『こんばんはー!』

『元気すぎるw』

『全部持ってったw』

『立ち絵かわいい』

 

 ほんと、この人は登場の仕方からして騒がしい。

 

『いやだってさー、アリマサくん、担当まわりは大丈夫ですって雑にまとめようとしたでしょ!?』

「雑にはまとめてない」

『まとめようとしてた!』

「してない」

『してたもん!』

「お前、自分の話題になると急に圧が強いな」

 

 コメント欄が草で埋まる。

 

『草』

『いつもの二人だ』

『安心する掛け合い』

 

 凛はそんな空気を当然のように受け止めながら、そのまま続けた。

 

『だってみんな気になるじゃん! アリマサくん地方に行っちゃうって、じゃあ私の新規立ち絵とか記念絵とか、月の配布絵とかどうなるのーって!』

「そこは大丈夫。イラストの仕事は続けるって今ちょうど説明してた」

『ほんとに?』

「ほんとに。今受けてる分も、その先の担当分も、基本的にはちゃんとやる」

『やったー!』

 

『助かった』

『担当継続ありがてえ』

『そこ一番気になってた』

 

『じゃあさじゃあさ、配信は? 前みたいに、ちょっと遊びに来たりとかは?』

「それはしばらく難しい」

『うっ』

「生活の立て直し優先なのと、こっちでやることも増えるからな。前みたいに気軽には出づらい」

『そっかぁ……まあ、そこは仕方ないか』

 

 少しだけトーンを落とした凛の声に、コメント欄も少し静かになる。

 

『でも、消えるわけじゃないんだよね?』

「消えない」

『SNSも動く?』

「動く」

『絵も描く?』

「描く」

『じゃあよし! それならちゃんと戻ってきてよ!』

「戻るよ」

『約束ね?』

「約束」

 

 そのやり取りに、コメント欄がどこかやわらかくなる。

 

『よかった』

『凛ちゃんちょっと寂しそう』

『でも安心した』

『この空気好き』

 

 少しだけ間を置いてから、凛がいつもの調子に戻った。

 

『でもさー、アリマサくんが配信に出づらくなるってことは、私が一人で頑張らないといけないってことでしょ?』

「まあ、そうなるな」

『えー、困るんだけどー!』

「知らんがな」

『そこは“凛ならできるよ”とかあるでしょ!』

「凛ならできるよ」

『言い方が雑!』

 

『草』

『言ったw』

『雑でも言ったからセーフ』

 

「というか、凛は一人でも十分やれるだろ」

『それはそうだけど! それとこれとは別!』

「面倒くさいな」

『ひどーい! みんな聞いた!?』

 

『聞いた』

『面倒くさいは草』

『いつも通りで安心した』

 

 軽口を叩き合っているうちに、さっきまで少し重かった空気が、いつもの調子に戻っていく。

 

 たぶん、これでいい。

 

 しんみり終わるより、こうやって少し笑って締めた方が、向こうも安心できる。

 

『じゃあみんな! アリマサくんはしばらく配信お休みだけど、絵の仕事は続けるし、SNSにもいるし、完全にいなくなるわけじゃありません! 勝手に引退させないように!』

「人の配信で仕切るな」

『だって言っといた方がいいじゃん!』

『助かる』

『その通り』

 

 俺は小さく息を吐いてから、改めてマイクに向かった。

 

「……というわけで、今日はちゃんと区切りだけつけておきたかった感じです。急な変化で心配をかけたと思うけど、向こうでやることをやって、ちゃんと戻ってきます」

 

『待ってる』

『無理せずね』

『元気でいてくれたらそれでいい』

 

 凛が明るく声を上げる。

 

『じゃあ、しんみりしすぎる前に締めよう! アリマサくん、一緒に!』

「はいはい」

 

 苦笑しながら、俺は頷いた。

 

「それじゃあ、今日はこの辺で。また会う時まで、よろしく」

 

『またねー!』

『おつかれー!』

『待ってる!』

 

 配信を終了する。

 画面が切り替わり、部屋の中に静けさが戻った。

 

「……終わった」

 

 思わず椅子の背にもたれかかる。

 どっと疲れた。

 でも、変な重さは残っていない。

 

 ちゃんと伝えるべきことは伝えられた。

 そう思えた。

 

 その時、ぱちぱちと控えめな拍手が聞こえた。

 

 振り向くと、いつの間にか襖が少し開いていて、芳乃とムラサメ、それから安晴までいた。

 

「見てたんですか」

「はい」

「最後まで、しっかりと」

「お疲れさま、将臣君……いや、アリマサ君、と言うべきかな?」

「そこは将臣でいいです」

 

 なんだか授業参観の後みたいで妙に照れる。

 

 ムラサメが目を輝かせる。

 

「すごかったぞ、アリマサ!」

「もうそっちで来るのか」

「たくさんの者が文字で叫び、あの星野凛という娘が突然乱入し、お主がそれに普通に応じておった! いやはや、見事な捌きであったのう!」

「普通ではなかったと思うけどな」

「だが慣れておった! あれはもはや歴戦の勇士のそれじゃ!」

「慣れたくて慣れたわけじゃない」

 

 芳乃が静かに言った。

 

「少し、驚きました」

「驚いた?」

「はい。もっと一方的にお話しされるものかと思っていたのですが……皆さんとの距離が思っていたより近くて」

「ああ」

「将臣さんの生活の一部を、少しだけ見せていただいた気がします」

「……そうか」

「それに、背景を変えたり、映るものを選んだり……そういう細かな気遣いも含めて、将臣さんのお仕事なのですね」

「まあ、そういう部分もあるな」

「大変そうですが、すごいと思いました」

 

 安晴も柔らかく笑う。

 

「不思議なものだねえ。姿は見えないのに、ちゃんと人と人が繋がっている感じがしたよ」

「そうですね」

「将臣君が穂織に来る前、どんなふうに過ごしてきたのか、少し分かった気がする」

「大げさですよ」

「いや、でも本当にそう思ったよ。君はあちらで、ちゃんとアリマサとしての場所を作っていたんだね」

 

 その言葉は、思っていたより胸に沁みた。

 

 東京での生活。

 仕事。

 配信。

 人との繋がり。

 

 それは穂織とは別の世界に見えるかもしれない。

 けれど、どちらも間違いなく俺の生活だった。

 

 そして今、その二つがようやく繋がった。

 

「将臣さん」

 

 芳乃が少しだけ柔らかく微笑む。

 

「また落ち着いたら、見せてください」

「配信を?」

「はい。今度はもう少し、その……アリマサさんのお仕事のことも教えていただけると嬉しいです」

「もちろん」

「我輩も出るぞ! いや、出たいのう!」

「お前はまず映る方法から考えろ」

「ぬう……そこが難儀なのじゃ」

「でも、見てみたいですね」

「芳乃まで乗るのか」

「少しだけです」

「その“少しだけ”が信用ならないんだよな……」

 

 そう言うと、芳乃がふっと小さく笑った。

 

 その笑顔を見て、肩の奥に残っていた最後の緊張も、ようやくほどけていく。

 

 配信は終わった。

 一つの区切りはついた。

 

 けれど、終わりじゃない。

 

 ここから少し潜って、やるべきことをやって、また戻る。

 そのための準備が、今ようやく始まったのだ。

 

 机の上では、配信を終えたモニターが静かに光っている。

 

 穂織の夜は静かだった。

 けれど不思議と、その静けさは寂しくなかった。

 

 この場所でも、ちゃんと前に進める。

 

 そんな手応えを、少しだけ掴めた気がした。

 




配信を終えて、風呂も済ませ、自室でようやく一息ついた頃だった。

 机の上に置いていたスマホが、小さく震える。

 画面を見ると、相手は星野凛だった。

 ……まあ、来るよな。

 少し苦笑しながらトーク画面を開くと、案の定というべきか、いつもの調子の一言が飛び込んできた。

『今日はありがとー!』

 その軽さに、思わず肩の力が抜ける。

 俺はベッドに腰を下ろしながら、短く打ち返した。

『こっちこそありがとな』

 送ってすぐ、既読がつく。
 その速さに、向こうもまだ起きていたのだと分かって少しだけ笑った。

『コメント来た時点で、ああ来たなって思ったけど』
『電話していい? の直後に着信鳴るのは反則だろ』

 すると、間髪入れず返ってくる。

『だって確認取ったもん!』

「確認と実行が早すぎるんだよ……」

 思わず独り言が漏れた。

 さらに追い打ちみたいに、次のメッセージが来る。

『テンポ大事だからね』

 その文面が、あまりにも凛らしい。

 俺は小さく笑ってから、少しだけ真面目に打ち込んだ。

『でも、おかげで助かった』
『変にしんみりしすぎずに済んだし、ああやっていつもの感じにしてくれたの、普通にありがたかった』

 少し間が空く。

 珍しく返事を考えているのかと思った次の瞬間、返ってきたのはやっぱり凛らしい言葉だった。

『でしょー?』
『感謝していいよ?』

『ちょっとだけな』

 そう返すと、すぐにまた既読がついて、

『ちょっとだけなんだ』

 と、ほんの少し拗ねたような文が飛んでくる。

 画面越しなのに、なんとなく頬を膨らませている姿が想像できてしまって、俺はまた苦笑した。

『でも、担当まわりのこと、ちゃんと気にしてくれてたのは伝わった』
『立ち絵も記念絵も配布絵も、そこはこれからもちゃんとやるから安心しろ』

 その返事は、少しだけ間を置いてから届いた。

『よし』
『そこ聞けて安心した』

 短い言葉だった。
 でも、その二行に、配信中にはあえて軽く流していた本音が滲んでいる気がした。

 だから俺も、余計な飾りはつけず、そのまま打つ。

『しばらく前みたいに気軽に配信出たりは難しいと思うけど』
『消えるわけじゃない』
『仕事も続けるし、落ち着いたらちゃんと戻る』

 送ると、すぐに返ってくる。

『約束ね』

 その一言に、俺は少しだけ目を細めた。

『約束』

 短く返す。

 たったそれだけのやり取りなのに、不思議と胸の奥が少しだけ温かくなった。

 すると、また凛からメッセージが届く。

『じゃあ待ってる』
『あと今度は着信切らないでね』

『切ってないだろ』

『次はもっと綺麗に凸るから』

『綺麗な凸って何だよ』

『知らない!』
『でも今日はほんとおつかれ!』

 最後まで最後らしくならないやつだな、と思う。

 けれど、そういうところに救われたのも事実だった。

 俺は小さく息を吐いてから、最後に一文だけ打ち込んだ。

『今日はほんとありがとな』
『助かった』

 送信して、スマホを伏せる。

 少しして、また短く震えた。

 画面を見なくても、なんとなく分かる。

 きっと向こうは、いつもの調子で返してきているのだろう。

 静かな穂織の夜の中で、俺は少しだけ笑った。

 離れても、全部が途切れるわけじゃない。

 そう思えたことが、今は妙にありがたかった。
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