『千恋*万花 ー神代残響譚ー』   作:yukey

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第17話 巫女姫が背負うもの、その先にある手がかり

 

 

 芳乃の後ろを追って、静かな廊下を歩く。

 

 夜の朝武家は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。

 人の気配は薄く、聞こえるのは自分たちの足音ばかり。廊下の端に置かれた行灯の明かりが床板に淡く伸びて、妙に現実感を薄くしている。

 

 この先で聞く話は、きっと軽いものじゃない。

 

 朝武家の呪い。

 芳乃がずっと背負ってきたもの。

 ノートに書かれていた断片的な記録の、その先。

 

 ――知る。

 ――向き合う。

 ――その上で、解く方法を探す。

 

 そう決めたはずなのに、胸の奥がわずかに強張るのを止められない。

 

 やがて芳乃が足を止め、静かに襖へ手をかけた。

 

「こちらです」

 

 小さくそう言って、部屋へ通してくれる。

 

「お邪魔します」

 

 中へ入ると、以前にも感じた通り、芳乃らしい部屋だった。

 華美ではなく、けれど質素というわけでもない。整えられた文机、きちんと重ねられた本、さりげなく飾られた季節の花。部屋そのものが、まるで芳乃の人柄を映しているみたいだった。

 

「どうぞ、お座りください」

「ああ」

 

 座布団に腰を下ろす。

 芳乃も向かいに正座し、静かにこちらを見た。

 

 しばし沈黙。

 

 先に口を開いたのは、芳乃だった。

 

「将臣さん」

「ん?」

「……呪いのこと、どこまで把握されましたか?」

 

 真っ直ぐな問いだった。

 ごまかしのない、腹を括った声音。

 

 俺も息を整えて頷く。

 

「確定してることばかりじゃないけど……ノートに書かれていた内容をまとめると、朝武家の呪いの始まりは、かなり昔の跡目争いみたいだ」

 

 芳乃は黙って頷く。

 

「当時の朝武家には、長男と次男がいた」

「……はい」

「長男は傍若無人で、短絡的で、感情のまま動くような人物だったらしい。逆に次男は思慮深くて、民からも家臣からも慕われていた」

「…………」

「それで、家督を継がせるなら次男を、って声がだんだん強くなっていった」

 

 芳乃の表情は静かなままだった。

 けれど、膝の上に置かれた指先にわずかに力が入る。

 

「それに納得できなかった長男が、ついに謀反を起こした」

「はい」

「父を恨み、弟を憎み……実の親兄弟に呪詛をかけた」

 

 そこまで口にすると、部屋の空気が一段重くなった気がした。

 

「その呪詛のせいで、穂織の土地は災厄に見舞われた。凶作による飢饉、流行り病、豪雨による土砂崩れや川の氾濫……」

「……ええ」

「弱りきったところに、隣国まで攻め込んできた」

 

 自分の口で言っていても、あまりに出来すぎた不幸の連続だと思う。

 まるで土地そのものが、徹底的に衰弱するよう仕向けられたみたいに。

 

「それを打ち払うために、次男は祈祷を行って、神刀――叢雨丸を授かった」

「はい」

「そして、その時に人柱として選ばれたのが……生まれつき身体の弱かった、農民の娘」

「……ムラサメ様、ですね」

 

 芳乃の声は静かだった。

 けれどその中には、はっきりと敬意がこもっていた。

 

「ああ」

 

 俺は頷く。

 

「叢雨丸によって不幸は祓われて、隣国との戦にも勝った。長男は最後、次男に討たれたらしい」

「…………」

「ただ、その時に長男は言葉を残した」

 

 ノートの文面を思い返しながら、俺は低く告げた。

 

「――この恨みは必ず晴らす。どれだけかかろうともだ。忘れるな。絶対に許さない。末代まで呪ってくれる。全てを滅ぼしてやる――」

 

 言い終えた瞬間、しんと静まり返る。

 

 虫の声すら、遠く感じた。

 

「……そこまでが、ノートに書かれていた内容だ」

 

 芳乃は目を伏せて、ゆっくりと頷いた。

 

「はい。大筋では、その認識で間違っていません」

 

 やっぱりそうか。

 

 なら、ここから先は推測になる。

 

「それで、ここからは俺の考えなんだけど」

「はい」

「朝武家の犬耳。あれは呪いの証なんだろ?」

「ええ」

「だったら、あの呪詛には犬神みたいな動物霊が使われた可能性が高いと思う」

 

 芳乃は少しだけ目を見開いた。

 けれど、否定はしない。

 

「ただ、引っかかることがある」

「引っかかること、ですか?」

「呪いの結果が、犬耳が生えるだけっていうのは……正直、変だ」

 

 そう言うと、芳乃は少しだけ苦笑した。

 

「……もっともな疑問です」

 

 その笑みは、どこか自嘲じみていた。

 

 そして、芳乃は膝の上で指を重ね直す。

 

「将臣さん。朝武家の呪いは……犬耳だけではありません」

「!」

「本当の呪いは、別にあります」

 

 その一言で、空気がまた一段深く沈んだ。

 

 俺は黙って、続きを待つ。

 

 芳乃は真正面から俺を見つめた。

 

「朝武家にかけられた本当の呪い。それは……女性しか生まれない呪い。そして、若死にの呪いです」

 

 思わず息を呑む。

 

「女性しか、生まれない……?」

「はい。呪いがかけられて以来、朝武家には女子しか生まれなくなりました」

「そんなことが……」

「信じがたいのはわかります。ですが、事実です」

 

 芳乃の声に迷いはない。

 長年、自分自身の現実として向き合ってきた重みがそこにはあった。

 

「そして、朝武家の女性は、一人子を成すと急激に身体が弱くなります」

「……っ」

「二人以上を産むことは、ほとんどできません」

「…………」

「さらに、若死にの呪いもあります。長く生きられた方でも五十代。多くの歴代の巫女姫は、それより若くして亡くなっています」

 

 犬耳なんて、表面の話だった。

 本当の呪いはもっと深く、もっと残酷だ。

 

 見た目の異質さじゃない。

 生まれ方と、生き方そのものを縛る呪い。

 

「それは……芳乃も?」

「はい」

 

 芳乃は静かに頷いた。

 

「私も例外ではありません」

「…………」

「母も、早くに亡くなりました」

 

 その言葉が、重く胸に落ちる。

 

 芳乃が呪いを解きたいと思っているのは、ただ巫女姫としての責任感からじゃない。

 わかっていたつもりだった。

 

 けれど、本人の口から聞くと、重さがまるで違う。

 

 芳乃は一度目を伏せ、静かに息を吐いた。

 

「私は、巫女姫としての役目を果たすべき立場です」

「……ああ」

「朝武家の者として、穂織を守る責任があります」

「うん」

「ですから、呪いを解きたいと思うのは当然のことです。穂織のためにも、朝武家のためにも、それは必要なことです」

「……」

「ですが……それだけでは、ありません」

 

 そこで、芳乃の声が微かに揺れた。

 

「私は……嫌なのです」

 

 俺は目を見開いた。

 

 芳乃がここまで生の感情を言葉にするのは、珍しい。

 

「母のように、歴代の巫女姫のように、呪いに蝕まれていくのは……嫌です」

「芳乃……」

「朝武家の女として生まれたのだから仕方がない。巫女姫として、そうあるべきだ。そう思おうとしたこともありました」

「……」

「けれど、それで諦められるほど、私はできた人間ではありません」

 

 少しだけ唇を噛む。

 

「私は、生きたいのです」

「……っ」

「ちゃんと未来を望みたい。呪いに怯えながらではなく、普通の幸せを願ってもよいのだと……そう思いたいのです」

「…………」

「本当は、ずっと怖かったのです」

 

 芳乃は、膝の上の手をぎゅっと握った。

 

「自分もいずれ母のようになるのではないか。自分も、歴代の巫女姫と同じように、若くして命を落とすのではないか」

「……」

「そう考えるたびに、心のどこかで見ないふりをしていました」

「芳乃」

「それでも、現実は消えてくれません。私は例外ではない。朝武家の女として生まれた以上、その呪いから逃れられないかもしれない」

「…………」

「だから、なんとしてでも呪いを解きたいのです」

 

 静かな告白だった。

 

 泣き崩れるわけでもない。

 感情を爆発させるわけでもない。

 

 それでも、その言葉には誤魔化しようのない切実さがあった。

 

 巫女姫としてじゃない。

 一人の女の子としての、本音だった。

 

 俺は息を吐き、頭の中で情報を並べ直す。

 そして、ずっと引っかかっていた違和感を口にした。

 

「……ひとつ、気になることがある」

「何でしょうか」

「動物霊と、人の恨み。それだけで、現代まで続く呪いになるのかってことだ」

 

 芳乃が少し眉を寄せる。

 

「いくら強い恨みでも、何百年も形を保ったまま続くのは……普通じゃない気がする」

「普通では、ない……」

「うん。もちろん、そもそも呪いなんて普通って言葉で片づけられるもんじゃないけど……それでも、長すぎる。強すぎる。しかも、形が妙に整いすぎてる」

 

 俺は頭の中で引っかかっているものを、一つずつ言葉にしていく。

 

「犬耳が現れる」

「……はい」

「女性しか生まれない」

「はい」

「子を一人産むと急激に身体が弱くなる」

「…………」

「それでいて、血筋そのものは続いてる。これ、ただ呪いが強いってだけじゃなくて、何か別の理屈が働いてる気がするんだ」

 

 芳乃は黙って聞いている。

 

 俺はさらに続けた。

 

「それに、もうひとつ」

「はい」

「長男の呪いが“全てを滅ぼしてやる”だったなら、ちょっと矛盾してる気がする」

「矛盾……ですか?」

「本当に朝武家を滅ぼしたいだけなら、もっと直接的に血筋を断ててもおかしくない」

「……」

「女子しか生まれなくて、しかも若死にする。そんな呪いなら、何代か続いた時点で血が途絶えてても不思議じゃないだろ」

「……そう、ですね」

「でも、実際には朝武家は現代まで続いてる」

 

 そこで一度言葉を切る。

 

「つまり、この呪いは“滅ぼしたい”だけの形じゃない」

「…………」

「むしろ、苦しませながら続かせてる。細く長く、逃げ場のない形で」

「…………」

「まるで……滅ぼすことそのものより、別の何かを残すことが目的みたいだ」

 

 芳乃の瞳が微かに揺れた。

 

 俺自身、まだ確信なんてない。

 ただ、長男の恨みだけで説明するには、噛み合わない部分が多すぎる。

 

「動物霊と人の恨みだけで、ここまで綺麗に、ここまで長く続く呪いになるのは不自然だ」

「……はい」

「単純に“長男の恨みでした”で終わる話じゃない気がする」

「別の原因がある、と」

「うん。たぶん、呪いの根っこに別の要素がある」

 

 俺は少し身を乗り出した。

 

「だから、一緒に探そう」

「将臣さん……」

「ノートの内容、水晶石の欠片、駒川さんのところにある資料。使えそうなものは全部使って、一つずつ潰していけばいい」

「…………」

「まだはっきりしたことはわからない。でも、単純に長男の呪いだけじゃないのかもしれない。だったら、そこを探る価値はある」

「……はい」

「俺も一緒に考える。もう、芳乃一人で背負う話じゃない」

 

 しばらくして、芳乃の目元がふっと和らいだ。

 

「……ありがとうございます」

「礼を言われることじゃないよ」

「いいえ」

 

 芳乃は小さく首を振る。

 

「将臣さんは、こうして私の話を受け止めてくださいました」

「受け止めるくらい、するだろ」

「それでも、です」

 

 ほんの少しだけ笑う。

 それは、いつもの巫女姫然とした笑みじゃなかった。少し肩の力が抜けた、年相応の柔らかい表情だった。

 

「……私、今まで怖かったのかもしれません」

「怖かった?」

「口にしてしまえば、現実になってしまう気がして」

「……」

「自分が呪われていることも、長く生きられないかもしれないことも……言葉にした瞬間、決定的になるようで」

 

 その気持ちは、わかる。

 言葉にすることで、曖昧だった不安が輪郭を持ってしまうことはある。

 

「でも、将臣さんに話して……少しだけ、楽になりました」

「そっか」

「はい」

 

 芳乃は深く一礼する。

 

「ありがとうございます、将臣さん」

「だから固いって」

「ふふ……ですが、お礼はきちんと申し上げたいので」

 

 そう言われると、なんだかこっちが照れる。

 

「……まあ、どういたしまして」

「はい」

 

 その後も、いくつか細かな確認をした。

 

「歴代の巫女姫の記録って、家に残ってたりするのか?」

「すべてではありませんが、古いものも含めてある程度は残されています」

「系譜みたいなものも?」

「ええ。ただ、あまり表に出すようなものではありませんので、見られる場所は限られています」

「呪いのことは、家の中でどこまで共有されてる?」

「詳細まで把握している方は多くありません。お父さん、茉子……それから玄十郎さんやみずはさん等、一部の限られた者だけです」

「なるほど……」

「ただ、女性しか生まれないことや、巫女姫が短命であること自体は、長く家の中で知られてきた事実です」

「でも、それを“呪い”として全部結びつけて理解してる人は少ないってことか」

「はい」

 

 資料の所在、古文書の有無、ノート以外に似た記録があるかどうか。

 そういう細かいことを一つずつ擦り合わせていく。

 

 決定打になる話は出なかった。

 それでも、今日の意味は大きい。

 

 朝武家の呪いが、伝承でも曖昧な不幸でもなく、今なお芳乃の人生そのものを縛っている現実だと、はっきり知れたからだ。

 

 話が一区切りついたところで、俺は立ち上がった。

 

「今日はもう遅いし、この辺にしようか」

「……そうですね」

「また何か思い出したことがあったら教えてくれ」

「はい。将臣さんも、何か気づいたことがあれば」

「もちろん」

 

 襖の前で振り返る。

 

 芳乃は座ったまま、静かにこちらを見ていた。

 

「芳乃」

「はい?」

「絶対、解こう」

「…………」

「その呪い」

 

 一瞬、芳乃は目を丸くした。

 それから、ゆっくりと、でも確かに頷く。

 

「……はい」

 

 その返事を聞いて、俺は部屋をあとにした。

 

 

   ◇

 

 

 自分の部屋へ戻る道すがらも、頭の中ではさっきの話が何度も反芻されていた。

 

 女性しか生まれない呪い。

 若死にの呪い。

 犬耳は、その表層に過ぎない。

 

 あまりにも重い。

 そして、あまりにも不自然だ。

 

「……長男の恨みだけで、ここまで綺麗に続くか?」

 

 思わず独り言が漏れる。

 

 血を絶やしたいなら、もっと直接的な形でもいいはずだ。

 なのに朝武家は続いてきた。苦しみを抱えたまま、細く長く。

 

 まるで――何かを維持するために。

 

「……いや、まだ考えるには材料が足りないか」

 

 そう呟いて部屋の襖を開ける。

 

 すると。

 

「……いた」

「む? なんじゃご主人、帰ってくるなりその顔は」

「いや……よかった、帰ってたか」

 

 思わず漏れた言葉に、ムラサメちゃんがきょとんと目を瞬かせた。

 

「なんじゃ、そんな顔をして。我輩が戻っておるのが、そんなに意外かの?」

「意外っていうか……普通に心配してた」

「心配?」

「ああ。お前、一人で山の方まで探しに行ってただろ。何もないとは思ってても、やっぱり気にはなる」

「……ふ、ふん。そう素直に言われると調子が狂うのう……」

 

 ムラサメちゃんはそっぽを向いたが、声は少しだけ弾んでいた。

 

 俺は小さく息を吐く。

 無意識のうちに、肩に入っていた力が少し抜けた気がした。

 

 芳乃から重い話を聞いたあとだったからかもしれない。

 部屋に戻って、ちゃんとムラサメちゃんがいてくれる。それだけで、思った以上に安堵している自分がいた。

 

「それで? 何か見つかったのか?」

「うむ。見つけたぞ」

 

 ムラサメちゃんが得意げに胸を張る。

 

「水晶石の欠片じゃ。山の方に、気配の濃い場所があっての」

「本当か?」

「うむ。じゃが、夜のうちに行くのは勧めぬ。足場も悪いし、無闇に動くと面倒じゃ」

「だよな……」

 

 昼間ならともかく、夜の山は危険すぎる。

 

「明日の放課後に行くか」

「うむ。それがよかろう」

「回収できそうな場所なんだよな?」

「手が届かぬような場所ではない。ご主人と我輩なら十分じゃ」

 

 なら問題ないか。

 

 座布団に腰を下ろして息を吐くと、ムラサメちゃんが少し真面目な顔になる。

 

「……芳乃から、聞いたのかの」

「ああ」

「重かったじゃろう」

「うん」

 

 短く答えると、ムラサメちゃんは静かに目を伏せた。

 

「朝武家の呪いは、見えておる部分より、ずっと性質が悪い」

「そうだな」

「じゃが、ご主人が知ったなら、もう一人ではない」

「……ああ」

 

 その言葉が、少しだけ胸に沁みた。

 

「それにしても、ほんと厄介だよな」

「何がじゃ?」

「呪いの形だよ。血を絶やしたいならもっと直接的でもいいのに、わざわざ続く形になってる」

「……」

「女子しか生まれない、子を産むと弱る、若死にする。それでも家は続く。これ、ただの恨みの暴発にしては出来すぎてる」

「ご主人もそう思うか」

「思う。長男の呪いだけじゃない、何か別のものが混ざってる気がする」

「うむ……我輩にも断言はできぬ。じゃが、違和感があるのは確かじゃ」

 

 ムラサメちゃんも同じ感覚を抱いていたらしい。

 

「なら、なおのこと欠片を集めねばならぬな」

「だな。今のところ一番動かせる手がかりだし」

「うむ」

 

 その後は明日の段取りを軽く確認して、早めに休むことにした。

 

 布団に入って目を閉じても、芳乃の言葉が耳に残る。

 

 ――私は、生きたいのです。

 

 あの一言が、何度も胸の奥で響いた。

 

「……絶対、終わらせる」

 

 小さく呟いて、俺は眠りに落ちた。

 

 

   ◇

 

 

 翌朝。

 

 朝の澄んだ空気の中、木刀を構える。

 

 朝武家に来てから続いている稽古は、もう日課のひとつになっていた。

 土を踏みしめる音。木刀がぶつかる乾いた音。張りつめた呼吸。朝の冷たさも、身体が熱を持ち始める頃には意識の外へ追いやられていく。

 

「そこまでだ」

 

 祖父ちゃんの低い声が響き、俺は木刀を下ろした。

 

「……はぁっ、はぁ……」

「今日は動きが鈍いな」

「わかる?」

「考え事をしておる」

 

 即答だった。

 

 さすがというか、誤魔化せる相手じゃない。

 

「まあ……ちょっとな」

「呪いのことか」

「……うん」

 

 祖父ちゃんはそれ以上詮索せず、木刀を脇へ置いた。

 俺も息を整えてから、切り出す。

 

「祖父ちゃん、ちょっといい?」

「何だ」

 

 相変わらずぶっきらぼうだが、話を聞く気はある声だった。

 

「今日の放課後なんだけど、呪いのことで手がかりになりそうな物を、ムラサメちゃんと一緒に取りに行く予定なんだ」

「…………」

「だから、今日は稽古に行けそうにない。悪い」

「構わん」

 

 即答だった。

 

「今はそちらを優先しろ」

「ありがと」

 

 やっぱり、この辺りの判断は早い。

 事情を理解した上で、必要な方を優先させてくれているんだろう。

 

 すると祖父ちゃんは、そのまま続けた。

 

「その代わり、ひとつ頼みがある」

「頼み?」

「リヒテナウアーさんのことだ」

「レナさんのこと?」

 

 聞き返すと、祖父ちゃんは頷いた。

 

「春休みの間、あの子はずっと旅館の手伝いをしておった」

「ああ、そういえば」

「女将からも、礼をしてやりたいと話があった」

「へえ」

「休日の予定は空いておるか」

「休日?」

「うむ。お前の都合を先に聞いておく」

「あー……今のところは特にないかな」

「ならよい」

 

 祖父ちゃんは短くそう言ってから、本題を告げた。

 

「休日に、穂織を案内してやってくれんか」

「遊びに連れていくってこと?」

「そうだ」

 

 なるほど。

 確かに、あれだけ旅館を手伝ってたんだ。何かしらお礼をしたいってなるのは自然か。

 

「別にいいけど……俺でいいのか?」

「お前がよい」

「なんでまた」

「年も近い。リヒテナウアーさんも、その方が気兼ねが少なかろう」

「……まあ、それはそうか」

 

 玄十郎の言うことにも一理ある。

 あまり年上ばかりだと、レナさんも気を使うだろうし。

 

「わかった。学院で予定聞いてみる」

「うむ」

「都合つけば、休日に案内するよ」

「頼んだ」

 

 そこで話は終わった。

 

 

   ◇

 

 

 稽古のあと身支度を整え、俺はいつも通り芳乃と茉子の二人と一緒に学院へ向かった。

 

 朝の穂織の空気はまだひんやりとしていて、道端の草木には夜露が残っている。

 こうして三人で並んで歩くのも、もうすっかり日常になっていた。

 

「将臣さん、今日は少し眠そうですね」

 芳乃が心配そうにこちらを覗き込む。

 

「昨日、遅かったからな」

「昨晩はお話が長引きましたからね」

 茉子が涼しい顔で言う。

 

「いや、そこをはっきり言わなくてもいいだろ」

「事実ですので」

「否定はできないけどさ」

 

 そんな軽いやり取りを交わしながら歩いていると、不思議と肩の力が抜けていく。

 昨日聞いた話は重かった。けれど、こうしていつも通りの朝があるだけで、少し救われる気がした。

 

「将臣さん」

「ん?」

「……昨晩のこと、ありがとうございました」

 芳乃が静かに言う。

 

 その声に、俺は少しだけ目を瞬かせた。

 

「また礼か」

「きちんとお伝えしておきたかったので」

「ほんと固いな」

「芳乃様はそういうお方ですから」

「茉子まで」

 

 すると茉子は、少しだけ口元を緩めた。

 

「ですが、昨晩よりお顔が穏やかになっておられるのは確かですよ、芳乃様」

「……そうでしょうか」

「はい」

「なら、よかった」

 

 そう答える芳乃の表情は、本当に少しだけ柔らかかった。

 

 そんなふうに話しながら、三人で学院の門をくぐる。

 教室へ入ると、いつもの顔ぶれが揃っていた。

 

「おはよう、将臣!」

「おはよう、廉太郎」

「お前、朝からちょっと顔死んでね?」

「ほっとけ」

 

 そこへ、明るい声が飛んできた。

 

「おはようございます、将臣さん!」

 

 振り向くと、レナさんがにこにこと手を振っていた。

 

「おはよう、レナさん」

「芳乃さん、茉子さんも、おはようございます!」

「おはようございます、レナさん」

「おはようございます」

 

 朝から元気だな、本当に。

 

 そんなことを思いつつ、俺はタイミングを見て本題を切り出した。

 

「そうだ、レナさん。今度の休みって予定ある?」

「お休み、ですか?」

「うん。春休みに旅館の手伝いを頑張ってたお礼に、穂織を案内してやってくれって頼まれてさ」

「えっ、本当ですか!?」

 

 ぱっと顔が明るくなる。

 

「はい! とても嬉しいです!」

「ならよかった」

「ぜひ、お願いします!」

 

 素直に喜んでくれると、こっちも誘いやすい。

 

 そこで俺は、芳乃と茉子の方へ視線を向けた。

 

「芳乃、茉子」

「はい?」

「何でしょうか」

「今度の休み、レナさんを穂織で遊びに連れていくことになったんだけど、二人も来るか?」

 

 そう言うと、芳乃が少し目を瞬かせた。

 

「私たちも、ですか?」

「嫌じゃなければ。俺一人より、その方がレナさんも楽しめるかなって」

「私は構いません」

 

 芳乃は柔らかく頷いた。

 

「レナさんさえよろしければ、ご一緒したいです」

「もちろんです!」

 

 レナさんが嬉しそうに身を乗り出す。

 

「ヨシノとマコも一緒なら、とても嬉しいです!」

「では、私もお供します」

「茉子はそう言うと思った」

「将臣さん、今の言い方ですと、私が断る可能性を期待していたように聞こえるのですが」

「ちょっとだけ」

「正直ですね」

 

 茉子はくすっと笑った。

 

「ですが、留学生の歓待も大事なお役目ですので」

「絶対それだけじゃないだろ」

「さあ、どうでしょう」

 

 涼しい顔でとぼけるのが、いかにも茉子らしい。

 

 ここでふと、俺はもう一人に視線を向けた。

 

「……廉太郎も誘うか」

「お、俺?」

「いや、こういうの人数多い方がいいだろうし……でも、お前、休みの日はデートとかあるんじゃないか?」

 

 そう言うと、廉太郎が妙な顔をした。

 

「は?」

「いや、なんかこう……お前ってそういう予定ありそうだし」

「どんなイメージだよ、それ」

「なんとなく」

「ざっくりしすぎだろ」

 

 すると、そのやり取りを聞いていた茉子が、くすっと笑った。

 

「鞍馬君、その日はご予定でもおありなのですか?」

「いや、別にねえけど」

「では問題ありませんね」

「いや、だから最初からそう言ってんだろ」

 

 芳乃も小さく口元を緩める。

 

「鞍馬君がご一緒なら、よりにぎやかになりそうですね」

「芳乃様まで」

「ふふ」

 

 そこへレナさんが、ぐいっと身を乗り出してきた。

 

「レンタロウも来るでありますか?」

「まあ、誘われてるしな」

「ぜひ一緒に行きましょう!」

「お、おう……なんだよ、そんなに勢いよく」

「大人数の方が楽しいです!」

 

 レナさんが胸を張る。

 すると廉太郎は、困ったように頭をかいたあと、にやっと笑った。

 

「まあ、面白そうだしな。行くわ」

「軽いなあ」

「将臣が言うなっての」

 

 そこまでは普通の流れだった。

 だが次の瞬間、茉子がさらっと爆弾を投げる。

 

「ですが、鞍馬君が休日に空いているとは少々意外でした」

「なんでだよ」

「てっきり、彼女お二人とご予定でもあるのかと」

「おい待て」

 

 廉太郎が即座に突っ込む。

 

「彼女、二人?」

 レナさんがきょとんとする。

「茉子、そこで変な情報を増やすな」

「違うのですか?」

「違うわ!」

「まあ、用事があるとすれば、そちらかと思っておりましたが」

「常陸さん!?」

 

 芳乃まで、少しだけ楽しそうに続けた。

 

「その日は用事があるから、と軽い感じで差し出される鞍馬君というのも、少し想像してしまいました」

「巫女姫様まで乗るのか!?」

「ふふ……申し訳ありません」

「全然申し訳なさそうじゃねえ!」

 

 教室の空気が一気に和む。

 

 レナさんは目を丸くしたあと、楽しそうに笑い出した。

 

「レンタロウ、人気者なのですね!」

「違うからな!? そこ、変なふうに受け取るなよ!?」

「いい意味です!」

「いや、どういう意味だよ!」

 

 そのやり取りに、俺も思わず吹き出した。

 

「まあ、なんだ。じゃあ廉太郎も来るってことでいいな」

「おう。結局そうなるなら最初からそう言え」

「一応気を遣ったんだよ」

「余計なお世話だ」

 

 レナさんが嬉しそうに手を叩く。

 

「にぎやかですね!」

「まあ、いつものことだな」

「はい! でも、私はそういうの、好きです!」

「そっか」

「はい。みんなで出かけるの、楽しみです!」

 

 こうして休日の約束は、思ったよりあっさり決まった。

 

 

   ◇

 

 

 放課後。

 

 帰り支度を済ませた俺は、芳乃と茉子へ声をかける。

 

「今日はちょっと別行動でいいか?」

「水晶石の欠片、ですね」

「ああ」

「お気をつけて」

「将臣さん、無茶はなさらないでくださいね」

「わかってるって」

 

 ……たぶん。

 

 その“たぶん”が顔に出たのか、茉子がじとっとした目を向けてくる。

 

「今、とても不安になる間がありましたが」

「気のせいだ」

「そういうことにしておきましょう」

 

 芳乃も少し心配そうだったが、最後には小さく頷いた。

 

「帰ったら、お話を聞かせてください」

「うん。何かわかったら、すぐ伝える」

「はい」

 

 その後、俺は人目を避けつつムラサメちゃんと合流し、山の方へ向かった。

 

 夕暮れの山道は、昼間より少し不気味だ。

 木々のざわめきがやけに大きく聞こえ、足元の落ち葉が歩くたびに音を立てる。

 

「こっちじゃ、ご主人」

「ほんとに迷わないな」

「我輩を誰だと思っておる。こういう気配を辿るのは得意じゃ」

 

 ムラサメちゃんの案内で進んでいくと、やがて少し開けた場所に出た。

 

「この辺りだ」

「見た感じ、何もなさそうだけど」

「地面をよう見よ」

 

 言われて視線を落とす。

 

 すると、落ち葉と土の隙間に、微かに光るものが見えた。

 

「あれか」

「うむ」

 

 しゃがんで慎重に土を払うと、小さな透明の欠片が現れる。

 ぱっと見は普通の石に見える。だが、手に取った瞬間、指先にぴりっとした感覚が走った。

 

「……これ、水晶石か」

「間違いないの」

 

 以前見つけたものと同じだ。

 ただの鉱石じゃない。何かしらの力を帯びているのが、今の俺にはわかる。

 

「よし、回収完了」

「では、駒川のところへ持っていくかの」

「ああ」

 

 俺たちはそのまま山を下り、診療所へ向かった。

 

 

   ◇

 

 

 夕方の診療所は比較的静かだった。

 待合室の人影も少なく、落ち着いた空気が流れている。

 

 受付の奥から顔を出した駒川さんが、俺を見るなり少し目を細めた。

 

「いらっしゃい。今日はどうしたの?」

「駒川さん、これを持ってきました」

 

 俺は回収した欠片を差し出す。

 

 駒川さんはそれを受け取ると、すっと表情を引き締めた。

 

「……また見つけたのね」

「はい。ムラサメちゃんが場所を見つけてくれました」

「そう」

 

 もちろん、駒川さんの視線はムラサメには向かない。

 見えていないのだから、当たり前だ。

 

「少し調べてみるわ。前の欠片と合わせれば、何かわかるかもしれない」

「お願いします」

「ただし、あまり期待しすぎないで。わかることにも限界はあるから」

「それでも十分です」

 

 駒川さんは小さく頷き、欠片を丁寧に保管箱へしまった。

 

「それと、将臣くん」

「はい」

「無茶しないこと。手がかりが欲しいのはわかるけど、怪我をして診る側の手間を増やすのはやめてちょうだい」

「……すみません。以後、気をつけます」

「“気をつけます”じゃなくて、“しません”」

「しません」

「よろしい」

 

 やっぱりこの人、優しい顔して言うことはきっちり言うな。

 

 必要な用事を終えて、俺は駒川さんに礼を言って診療所をあとにした。

 

 

   ◇

 

 

 帰り道。

 空はもうすっかり夕闇に沈みかけていた。

 

 手ぶらになったはずなのに、胸の内だけが妙に忙しい。

 

 昨夜、芳乃から聞いた本音。

 今日、見つけた水晶石の欠片。

 その先に待っているかもしれない、呪いの正体。

 

「……なんか、一気に色々動き始めたな」

 

 思わずそう呟くと、隣を歩くムラサメちゃんがふっと笑う。

 

「止まっておったものが、ようやく流れ出したのやもしれぬな」

「そうだといいけど」

「案ずるな、ご主人。手がかりは少しずつでも集まっておる」

「……だな」

 

 まだ全部は見えない。

 でも、確かに前には進んでいる。

 

 芳乃が背負ってきたもの。

 朝武家を縛る呪い。

 その奥に隠れている、本当の原因。

 

 全部まとめて、暴いてやる。

 

 そして――終わらせる。

 

 そう心の中で言い聞かせながら、俺は夕暮れの道を朝武家へと戻っていった。

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