『千恋*万花 ー神代残響譚ー』   作:yukey

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第5話 白き巫女姫様との再会と、突然すぎる責任の行方

 

「待たせた。将臣」

 

 低く、腹に響くような声が夜の境内に落ちた。

 

 社の奥から戻ってきたじいちゃん――鞍馬玄十郎の姿を見て、俺はようやく小さく息を吐いた。

 ……いや、安心したわけじゃない。むしろ逆だ。

 

 じいちゃんが戻ってきたということは、つまり。

 

 叢雨丸を折った件について、いよいよ正式に話が始まるということだ。

 

 抜いただけでも大事なのに、俺はそれを折った。

 自分で思い返しても意味が分からない。

 いや、やったのは間違いなく俺なんだけど、どう考えてもやらかしの規模が大きすぎる。

 

 しかも、じいちゃんは一人じゃなかった。

 

 その後ろに、二人の人影がある。

 

 一人は、神主装束に身を包んだ柔和そうな男性。

 穏やかに笑っていて、ぱっと見は人当たりのいい優しそうな人だ。だけど、その笑顔の奥に、神社の主らしい底の見えなさも感じる。

 

 そして、もう一人。

 

 白と赤の巫女服。

 夜の闇に浮かぶような白い髪。

 月明かりを受けて淡く光るその髪は、雪みたいに透き通って見えた。

 

 整った顔立ちに、静かで凛とした雰囲気。

 それでいて、冷たいわけじゃない。近寄りがたい神聖さと、どこかやわらかな優しさが同居している。

 

 朝武芳乃。

 

 穂織の巫女姫様。

 そして、昔の俺がこの土地で出会った少女。

 

 ……綺麗だな、と思った。

 

 いや、昔から可愛かった。

 でも今は、可愛いより先に綺麗が来る。

 

 そのうえ、数年ぶりの再会だ。

 さすがにちょっと、心臓に悪い。

 

「早速だが将臣」

 

 じいちゃんが俺を見据える。

 

「お前には叢雨丸を折った責任を取ってもらう」

 

「責……任」

 

 やっぱりそこだよな!

 

 心の中で叫びつつ、俺の喉がひくつく。

 そりゃ責任はある。俺がやったんだから当然だ。

 でも改めて言われると重い。重すぎる。

 

 何をどう償えっていうんだ。

 弁償? 無理だろ。

 だってあれ、どう考えても金でどうにかなる類の刀じゃない。

 

「そんなに固くならなくても大丈夫だよ、将臣君」

 

 やわらかい声でそう言ったのは、神主姿の男の人だった。

 

「いきなり怒鳴ったりはしないからさ」

 

「その言い方だと、別方向で何かありそうなんですけど……」

 

「あはは。まあ、話としてはそれなりに重いかな」

 

「やっぱり軽くはないんですね……」

 

 俺が引きつると、その人は気さくに笑った。

 

 ……話しやすそうではある。

 でも絶対、この人ただ優しいだけじゃないな。

 

 じいちゃんが簡潔に紹介する。

 

「こちら、健実神社の神主、朝武安晴様。そして、巫女姫様であられる芳乃様だ」

 

「久しぶりだね、将臣君」

 

 安晴さんが、親しげにそう言った。

 

「……お久しぶりです、将臣さん」

 

 芳乃がすっと頭を下げる。

 

 その仕草一つで育ちの良さが分かる。

 声も落ち着いていて綺麗だ。柔らかいけど、芯が通っている。

 

「あ、ああ。久しぶり、芳乃」

 

 そう返すと、芳乃はほんの少しだけ表情を和らげた。

 

 ……なんかもう、再会の時点でだいぶ心臓が忙しいんだけど。

 でもそんなことを考えてる場合じゃない。

 俺はいま、神社の大事な刀を折った当人だ。

 

 すると芳乃が、少しためらいながらも俺に尋ねてきた。

 

「あの、叢雨丸を抜いたというのは……本当なのですか?」

 

「あー……本当。正確には、抜いたっていうか……折ったんだけど」

 

「折った……」

 

 芳乃の顔がぴたりと固まる。

 

 そりゃそうだよな。

 巫女姫様の立場なら、冗談じゃ済まない話だろうし。

 

 けれど芳乃は、すぐに視線を横へ動かした。

 そこには、俺の隣でふわふわ浮いている小柄な少女がいる。

 

「ムラサメ様。本当なのですか?」

 

「うむ。本当じゃ」

 

 ムラサメが胸を張って答えた。

 

「我輩が許したのだ」

 

 そのやり取りを見て、俺は思わず口を挟んだ。

 

「ってことは、芳乃もムラサメちゃんが見えるのか?」

 

 その瞬間。

 

 芳乃の目が、はっきりと丸くなった。

 

「……ムラサメ、ちゃん……?」

 

 あ、やっぱりそこ引っかかるよな。

 

「いや、その……なんというか、自然にそう呼ぶようになったというか……」

 

 言い訳がましくなる俺に対して、ムラサメはえらそうに腕を組んだ。

 

「よいではないか。我輩は気にしておらぬ」

 

「いや、気にしてないのは分かるけどさ」

 

「ご主人がそう呼ぶことを、我輩は許しておる」

 

「ご主人……」

 

 今度は芳乃がそっちに反応した。

 

 白い髪を揺らしながら、芳乃は俺とムラサメを交互に見る。

 その瞳には驚きがありありと浮かんでいた。

 

「ムラサメ様が、そのように将臣さんを……?」

 

「なんか俺も最初はそんな感じだったよ」

 

「最初からご主人として扱っておるぞ」

 

「そこはブレないな……」

 

 ムラサメの断言に、俺は軽く頭を抱える。

 

 すると芳乃は、まだ少し驚いたままぽつりと漏らした。

 

「私の知るムラサメ様は、もっと近寄りがたく、気高い印象でしたので……」

 

「今も気高いぞ?」

 

「いや、それは分かるけど」

 

「ただし、ご主人は別じゃ」

 

「堂々と特別扱いするのやめてくれない?」

 

 なんというか、こそばゆい。

 しかも芳乃の前だから余計にだ。

 

 そこでじいちゃんが短く告げる。

 

「巫女姫様は朝武の直系だ。ムラサメ様が見える」

 

「はい。幼い頃から見えております」

 

 芳乃が頷く。

 

 それを聞いて、俺はふともう一人のことが気になった。

 

「ってことは、安晴さんも見えるんですか?」

 

「あー、僕は見えないよ」

 

 安晴さんは肩をすくめて笑った。

 

「僕は入婿だからね。朝武の血を引いてるわけじゃないし」

 

「なるほど……」

 

「だから、こういう時は芳乃や将臣君の反応で“ああ、今そこにいるんだなあ”って察してる感じ」

 

「それで普通に話についていけるの、地味にすごいですね」

 

「神主をやってると、そのへんは案外どうにかなるもんだよ」

 

 安晴さんはそう言って笑った後、少しだけ表情を改めた。

 

「それでさ、将臣君」

 

「は、はい」

 

「責任を取る覚悟はあるかな?」

 

 口調は柔らかい。

 でも、その意味は全然柔らかくない。

 

 俺は背筋を伸ばした。

 

 ここで逃げるつもりはない。

 逃げたところでどうにかなる話でもないし、なにより、これは俺が起こしたことだ。

 

「……あります。俺がやったことですから」

 

「うん、いい返事だ」

 

 安晴さんは満足そうに頷いた。

 

「じゃあ、叢雨丸を抜いた責任として――」

 

 来る。

 

 俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 

 賠償か。奉公か。

 神社の雑務を一生手伝えとか、そのあたりだろうか。

 

 そう思った次の瞬間。

 

「――僕の娘と結婚してもらいたい」

 

「「けっ!! けっこんんん!!!???!」」

 

 俺と芳乃の声が、見事に重なった。

 

 静まり返った夜の境内に、二人分の絶叫が響き渡る。

 

「お、お父さん!?」

 

 芳乃が真っ赤になって安晴さんを見る。

 

「な、何を急に仰っているのですか!?」

 

「いやいやいやいや待ってください!?」

 

 俺も負けじと叫ぶ。

 

「責任ってそういう責任なんですか!? 飛躍しすぎじゃないですか!?」

 

「そうかな? わりと筋は通ってると思うけど」

 

「通ってないですって!」

 

「お父さん、せめて順番というものがあるでしょう……!」

 

 芳乃が珍しく強めの口調になる。

 でも言葉遣いはあくまで丁寧で、そのへんがいかにも芳乃らしい。

 

 ただ、白い頬は耳まで真っ赤だ。

 たぶん俺も同じくらい赤い。

 

「いやあ、でも大事な話だからさ」

 

 安晴さんは悪びれずに笑っている。

 この人、絶対ちょっと面白がってるだろ。

 

「笑いごとじゃないです!」

 

「お父さん、将臣さんが本気で困っておられます!」

 

 また俺と芳乃の言葉が重なった。

 

 一瞬、お互いそれに気づいて同時に黙る。

 

 ……やめろ。

 こういうタイミングで息が合うな。余計に変な空気になるだろ。

 

「うん、相性は悪くなさそうだね」

 

「判断が早い!」

 

 俺が即座にツッコむと、安晴さんは「あはは」と笑った。

 

 それから、ようやく少し真面目な顔になる。

 

「分かった分かった。じゃあ、順番に説明するよ、将臣君」

 

「お願いします……」

 

「まず前提として、叢雨丸はただの刀じゃない。朝武家とこの穂織に深く関わる、特別な神刀なんだ」

 

「……はい」

 

「それを抜ける人間は限られている。いや、ほとんどいないと言った方がいいかな」

 

 安晴さんの声音が、少しだけ低くなる。

 

「将臣君は朝武の血筋じゃない。それなのに叢雨丸を抜いて、しかもムラサメ様に認められた」

 

「うむ。我輩が認めたのじゃ」

 

 ムラサメが胸を張る。

 

「ご主人は面白い男だからの」

 

「選定理由が軽いんだよ!」

 

「大事であろう?」

 

「大事かもしれないけどもっとこう、運命とか資質とかないのか!?」

 

「結果として我輩のご主人になったのじゃ。十分であろう」

 

「強い……」

 

 反論できない。

 いや、納得はしてないけど。

 

 そんな俺たちのやり取りを見て、芳乃はまた少しだけ驚いたように目を瞬かせていた。

 やっぱり、ムラサメがここまで砕けた態度を取るのは、芳乃から見ても相当珍しいんだろう。

 

 安晴さんは苦笑しつつ続ける。

 

「まあ理由はともかく、朝武家からすると、将臣君はもう“ただの外の人”じゃいられないんだ」

 

「外の人じゃ……いられない」

 

「そう。見なかったことにはできないし、何も知らないまま帰していい話でもない」

 

 その言葉が、じわりと胸に沈んだ。

 

 そうだ。

 

 これはただのラブコメみたいな騒動じゃない。

 俺は叢雨丸を折った。

 ムラサメに認められた。

 その時点で、穂織の深い部分に足を踏み込んでしまっている。

 

 もう、以前みたいにただの帰省客ではいられない。

 

「それで……結婚、なんですか」

 

 どうにかそう絞り出すと、安晴さんは軽く頷いた。

 

「うん。分かりやすく言えばそういうことかな」

 

「分かりやすく言いすぎなんですよ……」

 

 俺が脱力すると、じいちゃんが低く言った。

 

「将臣」

 

「なに、じいちゃん」

 

「お前はもう、穂織の外側には戻れん」

 

 短い言葉だった。

 でも、それだけで十分すぎるほど重かった。

 

 じいちゃんは無駄なことを言わない。

 そのじいちゃんが言うなら、それはもう現実なんだろう。

 

「……将臣さん」

 

 おずおずと、芳乃が俺の名前を呼ぶ。

 

 見ると、その瞳には戸惑いがあった。

 でも同時に、目の奥には逃げずに受け止めようとする強さもある。

 

 やっぱり芳乃は、儚げな見た目だけの子じゃない。

 白い髪に白い肌で、触れれば壊れそうなくらい綺麗なのに、芯は驚くほど強い。

 

「わ、私は……その、急にこのようなお話をされても、すぐには……」

 

「うん、それは分かる。俺も全然頭が追いついてない」

 

「……ですよね」

 

 芳乃は少しだけ肩の力を抜いた。

 

 その反応を見て、俺も少しだけ冷静になれた。

 

 そうだ。

 困っているのは俺だけじゃない。芳乃だって、いきなりこんな話を持ち出されているんだ。

 

 なら、ここで俺だけが一人で取り乱しても仕方ない。

 

 俺は大きく息を吸って、安晴さんを見た。

 

「安晴さん」

 

「うん?」

 

「結婚の話は正直、急すぎます。でも、責任から逃げるつもりはありません」

 

 自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと続ける。

 

「叢雨丸を折ったことも、俺が穂織に深く関わることになったことも、ちゃんと向き合います」

 

 それを聞いて、安晴さんは少しだけ目を細めた。

 

「うん。そう言ってくれるなら十分だよ、将臣君」

 

 その声はやわらかいままだったけど、さっきより少し真面目だった。

 

「もちろん、今すぐ結婚しろって話じゃない」

 

「そ、そうですよね……!」

 

 俺と芳乃が同時に安堵する。

 

 安晴さんはそこで、ちらりと芳乃を見る。

 

「ただ、将臣君にはこれから朝武家と深く関わってもらうことになる。その中で、芳乃のこともちゃんと考えてほしい……ってことかな」

 

「そ、それはつまり……」

 

「まあ、婚約者候補くらいの感じで受け取ってくれれば」

 

「候補でも重いです!」

 

 反射的に叫ぶ俺の隣で、芳乃が俯いた。

 

「こ、婚約者候補……」

 

 白い髪の隙間から見える耳まで真っ赤だった。

 俺ももう、自分の顔が熱いのを自覚していた。

 

「うむ。よいではないか」

 

 ムラサメが満足そうに頷く。

 

「ご主人と巫女姫様、なかなかお似合いじゃぞ」

 

「やめてくれ頼むから!」

 

「ムラサメ様まで……!」

 

 俺たちが揃って悲鳴を上げた、その時だった。

 

 ふわりと夜風が吹き抜ける。

 

 木々がざわめき、境内の空気が一瞬だけ張り詰めた。

 

 さっきまでの混乱とは種類の違う緊張が、その場を包む。

 

 安晴さんの表情が変わる。

 じいちゃんの目も、すっと鋭くなる。

 

「……将臣君」

 

 安晴さんが、今度は冗談の色を消して俺を見る。

 

「ここから先は、もっとちゃんと話さないといけない」

 

「ちゃんと、というと……」

 

「朝武家のこと。叢雨丸のこと。ムラサメ様のこと。そして、この穂織にかかっている呪いのことだ」

 

 その言葉に、胸が大きく脈打った。

 

 来た。

 

 いよいよ核心だ。

 

 俺は前世の知識で、この穂織に呪いがあることだけは知っている。

 でも、覚えているのは大雑把なことだけだ。細かい部分は曖昧で、肝心なところほど抜け落ちている。

 

 だからこそ、ここから先は自分の耳で聞いて、自分の目で見て、向き合わなきゃいけない。

 

 ――ただ、その前に。

 

 これだけはどうしても言わせてほしい。

 

 久しぶりに再会した白髪の巫女姫様と、数分後に結婚話が持ち上がるなんて、誰が予想できるんだ。

 

 本当に聞いてない。

 

 俺の穂織生活、開幕からイベント密度が濃すぎるだろ……。

 

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