褪せ人、帰還す   作:John.Smith

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エルデンリングやってたらダンジョンで無双させたくなった。
たぶん続かない。


第一話「十年分の静寂」

 世界が、砕けようとしていた。

 

 足場などというものは、もはや存在しなかった。黄金の光と虚無の暗黒が溶け合った空間に、星の欠片が無数に漂い、その全てが脈動するように明滅している。重力はもはや気まぐれで、一歩踏み出すたびに「地面」という概念そのものが書き換えられた。

 

 三咲陽太は、血の味を噛み締めながら立っていた。

 

 黒地に金の装飾が施された誓約騎士の兜。白亜のマントを纏ったレダの鎧。鍛え上げられた手甲と足甲。それらは今、無数の傷と返り血を纏っていた。

 

 対峙する存在は、言葉による形容を拒んでいた。

 

 エルデの獣——黄金律の番犬にして、エルデンリングの守護者。その体躯は宇宙の深淵そのものを纏い、黄金の体毛の隙間から星が零れ落ちる。尾を一振りするたびに空間ごと抉れ、咆哮のたびに黄金の衝撃波が同心円状に広がって、触れた岩盤を紙のように砕いた。

 

 これが、最後の敵だ。

 

 陽太の全身は悲鳴を上げていた。受けきれなかった一撃が左の脇腹を抉っており、呼吸のたびに何かが軋む。右の手甲には罅が入り、指先の感覚が途切れ途切れになっていた。聖杯瓶には、まだ一滴だけ残っている。

 

 使うべき場面は、今ではない。

 

 また死ぬかもしれない。

 

 その思考が過ぎった瞬間、陽太は静かに笑った。

 

 何度目だ、それは。

 

 狭間の地に来てから、自分は数えきれないほど死んだ。マルギットの鎚に潰された。ゴドリックの竜腕に焼かれた。ラダーンの流星に呑み込まれた。マレニアの刃に斬り裂かれ、腐敗の花が咲く中で何度も何度も——それでも立ち上がって、また前へ進んだ。

 

 祝福が導くから、ではない。

 

 いつからか、そんな理由は消えていた。

 

 ただ行かなければならなかった。自分以外に、誰もいなかったから。

 

 

 腰に提げた四つのタリスマン——集う信徒の誓布、ラダゴンの肖像、アレキサンダーの破片、ゴッドフレイの肖像——が静かに脈打ち、陽太の体の全てを底上げし続けている。祈祷の威力を高め、詠唱を加速させ、力を込めた一撃の切れ味を研ぎ澄ます。タリスマンは戦う者の基盤だ。それ自体が牙になるのではなく、牙を持つ者の力を引き出すものだ。

 

 しかし今、その恩恵すら消耗しかけていた。

 

 開戦前に聖印を構え、信仰の奥底から力を絞り出した。黄金の光が体を包み、全ての攻撃が鋭さを増した——黄金樹に誓って。その恩恵は今も体の中で燃えているが、時間がない。

 

 

 獣が咆哮した。

 

 黄金の衝撃波が四方から迫る。陽太は左へ大きく踏み出して波動をやり過ごし、着地の勢いを殺さずそのまま獣の懐へ飛び込んだ。右腰のレダの剣——黄金の交差樹が刻まれた、かつての旅路で命を懸けて奪った剣——の柄を両手で握り直す。

 

 間合いに入った瞬間、陽太の体が動いた。

 

 全身のバネを解放するように踏み込んだ刹那、剣が光を帯びた。黄金の軌跡を引きながら獣の前脚の付け根を抉り、体を回転させながら二閃、三閃と続ける。連続する斬撃が獣の体表を刻み、黄金の血飛沫が星屑のように散った。

 

 針の騎士の剣技。

 

 レダから奪ったこの剣に宿る技。この最後の戦いで、何度振るったか分からない。

 

 獣が体を捩り、巨大な尾を薙ぎ払う。陽太は地を蹴って後方へ跳び、距離を取った。しかし獣は止まらない。四つ足で虚空を蹴り、星の海を泳ぐように迫ってくる。

 

 聖印を構えた。

 

 来い——と、陽太は思った。

 

 意識を信仰の奥底まで沈める。体の中に積み上げた全ての信仰が、右手に集まっていく。黄金の律の力、ラダゴンが操った神聖なる稲妻の系譜——聖印の先端で、光が槍の形を成した。一本ではない。乱立する複数の光槍が虚空に現れ、迫り来る獣の眉間めがけて一斉に解き放たれた。

 

 轟音が、星の海に響き渡った。

 

 騎士の雷槍。

 

 黄金の稲妻が獣を連続して貫き、巨体が一瞬だけ怯む。全身が痙攣するように震え、星の体毛が焦げて崩れた。

 

 しかし——倒れない。

 

 それだけの一撃を受けて、エルデの獣は、まだ立っていた。

 

 陽太の喉から、乾いた息が漏れた。術の源泉が、底を突きかけている。指先が震えている。しかし聖杯瓶はまだある——今だ。

 

 瓶を傾けた。黄金の雫が喉を流れ、体の奥で何かが満ちる感触がある。軋んでいた脇腹の痛みが遠のき、指先に力が戻る。

 

 構え直した。

 

 術の源泉が、最後の一射分だけある。

 

 陽太は、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 

 黄金樹の聖印が熱くなった。ゴッドフレイの肖像が、タリスマンの中で最も強く脈打ち——溜めた力が頂点に達した瞬間を、体が知っている。

 

 聖印の先端に、光が生まれた。

 

 黄金ではなかった。白銀でもなかった。

 

 もっと深い、もっと純粋な何かだった。ミケラの道——黄金律の外側に自ら踏み出した神が遺した、無垢なる聖性の極致。それが今、陽太の信仰を媒介として形を成していく。重なり合う光の輪が次々と生まれ、互いに干渉しながら収束し、前方に向かって放たれた。

 

 光輪は獣に命中した瞬間に爆ぜなかった。

 

 食い込んだ。

 

 内側から、連続して弾けた。一撃、二撃、三撃——重なり合った光の輪が体内で次々と炸裂し続ける。獣の咆哮が、悲鳴に変わった。星の体毛が剥がれ、黄金の体躯に深い亀裂が走る。

 

 ミケラの光。

 

 影の地の最果てで、約束の王ラダーンを討ち倒した末に手にした、この旅路で最後に得た祈祷。聖属性の頂点に立つ一撃が、エルデの獣の核心を揺さぶった。

 

 それでも——獣は、倒れなかった。

 

 亀裂から黄金の光が滲み出しながら、それでもエルデの獣は立ち上がった。半身が崩れかけながら、それでも番犬としての本能が四肢に力を与え続けている。黄金律の守護者は、律そのものに守られていた。術では届かない何かが、その核の奥に残っている。

 

 陽太の手から、聖印が落ちそうになった。

 

 術の源泉はゼロだ。聖杯瓶も空だ。

 

 残っているのは——剣だけだ。

 

 陽太は、レダの剣を両手で握り直した。

 

 走った。

 

 半壊した獣の胸元へ、全体重を乗せて飛びついた。亀裂の中に、刃を突き立てる。ミケラの光が穿った傷口の奥深くへ、力の限り押し込む。

 

 獣の内側で、何かが——砕けた。

 

 

 光が、世界を塗り潰した。

 

 エルデの獣が発した断末魔は音ではなかった。世界の概念そのものが崩壊するような振動が、陽太の体を内側から揺さぶり、視界を白く飛ばした。膝が折れた。どこかで自分は崩れ落ちたのかもしれないが、その感覚すら遠くなっていた。

 

 遠くで——エルデンリングが、修復されていく。

 

 世界の縫い目が塞がれるような、静かで、巨大な音が響いた。

 

 終わった。

 

 その思考が浮かんだ瞬間、光が陽太を呑み込んだ。

 

 

 地面に叩きつけられた。

 

 石だ。荒削りな岩の感触が、両手に伝わる。

 

 陽太はゆっくりと顔を上げ、体を確かめた。

 

 傷がない。

 

 脇腹を押さえると、あれほど軋んでいた痛みが——消えている。指先も、手甲に罅が入っていた右手も、鎧に刻まれていた無数の傷跡も、全てが夢だったように消えていた。体が、最初の状態に戻っている。

 

 不思議とは思わなかった。狭間の地では死ぬたびに体が戻った。それと同じことが、ここでも起きているのだろう。

 

 ただ、ここがどこかは分からなかった。

 

 薄暗い。壁が近い。何かの遺跡か、洞窟か——荒削りな石畳の廊下が前後に延びており、壁面には見たことのない発光体が青白い光を放っている。狭間の地の建造物ではない。どこかへ飛ばされた、ということだけが分かった。

 

 誓約騎士の兜が頭にある。レダの鎧が体を覆っている。腰にはレダの剣が提げられ、タリスマンが所定の位置で脈打っている。全ての装備が、狭間の地を出た瞬間のまま、ついてきていた。

 

 立ち上がり、あたりを見回した。

 

 どちらへ向かえばいい——

 

 悲鳴が、聞こえた。

 

 女の声だ。廊下の奥、角の向こうから。次いで、重い衝突音。何かが崩れる音。そして、切迫した息遣い。

 

 陽太は走った。

 

 

 角を曲がった先の光景に、陽太は一瞬だけ足を止めた。

 

 広い空間だった。石造りの広間に、魔物が満ちていた。

 

 岩のような外皮で覆われた巨躯のものがいた。蜥蜴に似た体躯で天井を這うものがいた。人型だが四本腕を持つ歪な形のものがいた。陽太の目に映る限りでも十を超えている。そしてその全てが、広間の中央へと向かっていた。

 

 少女がいた。

 

 年齢は陽太と同じか、少し下か。短い黒髪と、傷だらけの軽鎧。右手に大剣を握ったまま背中を石柱に預け、膝を折りながらも剣の切っ先を魔物たちへ向けていた。左の脇腹から血が滲んでいる。足元に魔物の残骸が積み重なっているところを見れば、相当数を切り伏せてきたのだろう。しかし、もう限界だと体が言っていた。

 

「——来るな」

 

 声だけは、まだ張っていた。

 

 しかし魔物たちは止まらない。じりじりと包囲を締めながら、倒れかけた獲物へ向かって歩みを進めている。

 

 陽太は少女と魔物たちの間に、音もなく踏み込んだ。

 

 魔物たちの視線が、一斉にこちらを向いた。

 

 腰のレダの剣に手をかけた——しかし、指が止まった。

 

 魂の底から、何かが伝わってくる。

 

 熱だ。他の武器や防具が静かに眠っている場所で、それだけが違う温度を持っていた。押しつけるように、しかし静かに——今ここで使え、と言っているような感触がある。

 

 陽太は少し考えてから、手を魂の深部へ向けた。

 

 引き出すと、手の中に重さが生まれた。

 

 レダの剣より一回り大きな大剣。黄金と黒が混ざり合った刀身が、薄暗い広間を淡く照らしている。柄を握った瞬間、何かが指先を通じて伝わってきた——広大な扇状に、波のように黄金が広がっていく映像。あらゆるものを薙ぎ払う力の残滓。これはそういう剣だ、と刃が教えていた。

 

 神の遺剣。

 

 名が、自然に浮かんだ。

 

 最初の一体が跳躍した瞬間、陽太は意識を絞り込んだ。

 

 剣身に、往時の黄金が宿っていく。狭間の地の黄金律が、刃の中で脈打つ。タリスマンたちが一斉に熱を持つ——アレキサンダーの破片が戦技の切れ味を研ぎ澄まし、ゴッドフレイの肖像が溜めた力の頂点を見極める。

 

 柄を握る手に、あの感触が戻ってくる——扇状に広がる波、薙ぎ払う黄金。剣が、その力の使いどころだと伝えていた。

 

 放った。

 

 黄金の波が、扇状に広がった。

 

 黄金波。

 

 広間の全てを薙ぐように黄金の衝撃波が迸り、石造りの壁を震わせた。押し寄せていた群れが波に呑まれるように吹き飛んでいく。一体、また一体と塵になって消えていく。生き残ったものは一体もいなかった。

 

 広間に、静寂が戻った。

 

 陽太は剣を下ろし、一度だけ息を吐いた。

 

 振り返ると、少女が石柱に背を預けたまま、こちらを見上げていた。驚愕と、警戒と、かすかな安堵が入り混じった目だった。しかし顔色が悪い。失った血の量が、体の限界を超えていた。

 

 陽太は少女の前に膝をついた。

 

 脇腹の傷を確認すると、少女が小さく息を呑む。深い。これ以上放置すれば、まずい。

 

 陽太は聖印を取り出した。

 

 少女の目が、聖印に向いた。何かを言おうとして——しかし言葉が出る前に、陽太は信仰を絞り込んだ。

 

 黄金の光が、聖印の先端から溢れ出した。

 

 攻撃に使う術のような鋭さはない。豊穣な、温かい何かだった。かつて狭間の地を満たしていた黄金樹の恵み——その根源にある生命を満たす力が、今この場所で形を成していく。光は少女の全身を包み、傷口へ、失われた血へ、疲弊した肉へと染み渡っていった。

 

 黄金樹の回復。

 

 少女の顔色が、見る間に戻っていった。青白かった肌に血の気が差し、荒かった呼吸が深く落ち着いていく。押さえていた手の下で血が止まり、傷口が塞がれていく。それだけではなかった——光が触れるたびに、すでに遠のきかけていた命の灯が、根を張り直すように戻ってくる。枯れかけた大地に雨が染み込むような、あるいは消えかけた焰に息が吹き込まれるような——この世のものとは思えない豊かさで、生命が満たされていった。

 

 光が収まった頃、少女はゆっくりと体を起こした。

 

 自分の手を見て、脇腹を押さえ、それから陽太を見た。

 

「……歩ける」

 

 かすれていた声が、しっかりとした。

 

「出口を探しましょう」

 

 陽太は立ち上がり、手を差し伸べた。少女はその手を、一瞬だけ見てから握った。

 

 

 出口を見つけるまで、十分もかからなかった。

 

 廊下が幾度か折れ曲がった先に、上方へ向かう石段があった。登り切ると重い石扉があり、二人がかりで押し開けると夜の空気が体を包んだ。

 

 見知らぬ空があった。街の光が雲を橙に染めている。遠くで電車の音がする。アスファルト。電柱。コンクリートの建物。

 

 狭間の地ではない。どこか別の——

 

 陽太は立ち止まった。

 

 この景色の中に、知っている何かがある。この光の色。この空気の質感。この匂いの重なり——

 

 少女が石段に腰を下ろし、大きく息を吐いた。もう顔色は戻っている。しかし目は、まだ陽太を見ていた。値踏みするような、しかし敵意のない目だった。

 

「名前は」

 

「三咲陽太」

 

「九条深雪」

 

 短く名乗ってから、深雪は続けた。

 

「どこの所属だ」

 

「どこにも」

 

「……ここがどこか、分かるか」

 

 陽太は正直に答えた。

 

「分かりません」

 

 深雪の眉が、わずかに動いた。

 

「蒲田だ。東京」

 

 東京。

 

 その単語が、陽太の中で何かを引き起こした。十七歳の夏、消える前に自分がいた場所。この匂いも、この光も——繋がった。

 

「……日本、か」

 

 気づいたら、声に出ていた。

 

 深雪が眼差しを鋭くした。

 

「どこから来た」

 

 陽太はしばらく黒い空を見上げた。

 

 答えようがなかった。

 

 

 深雪は、陽太の沈黙を不思議そうに見ながら、探索者のことを話してくれた。

 

 ダンジョンが最初に現れたのは十年前のことだという。地面に突然口を開けた裂け目。潜ると現実から切り離された迷宮が広がっており、魔物が棲んでいた。先ほどまで自分がいた場所が、それだ、と陽太は理解した。

 

 そしてその迷宮で魔物を倒した人間は——力を得るというのだ。炎を操る者が現れた。鉄を素手で曲げる者が現れた。触れた岩を砕く膂力を持つ者が現れた。時間の流れを歪める者が現れた。覚醒、と世間は呼んでいると深雪は言った。

 

 覚醒した人間は探索者として国家資格を持ち、ダンジョンへの入場許可と素材の売買権を得る。ランクはSからDまでの五段階。深雪はAランクだと、さらりと言った。

 

 Sランクのダンジョンは今なお攻略されておらず、挑戦者が三十名以上命を落としているという話を聞いた頃、陽太は静かに口を開いた。

 

「今日あの場所に、どれくらいいたんですか」

 

「今夜のあそこか」

 

 深雪は少し考えてから言った。

 

「Bランク相当の階層だ。単独で入ったのは判断ミスだった」

 

「Aランクでも」

 

「数に押し負ける。お前が来なければ死んでいた」

 

 淡々とした口調だった。事実として受け入れている声だった。

 

 それから深雪は陽太を見た。

 

「さっきの術は何だ。回復も、あの黄金の波も、この国の探索者には見たことがない」

 

「……古い術式です」

 

「どこで覚えた」

 

 陽太はしばらく沈黙した。

 

「少し遠いところで」

 

 深雪は答えを求めて押すことはしなかった。ただ、目だけが何かを見定めていた。

 

 魔物を倒して力を積み上げ、より奥へ進み、より強大な敵と戦う——その構造を、自分はよく知っていた。十年間、それをやり続けてきた。

 

 しかし、ここには他に人間がいる。

 

 面倒なことになりそうだ。

 

 帰ってきた理由など分からない。特別な使命があるとも思えない。ただ静かに生きたい——それだけだ。力は秘める。どこかに部屋を借りて、働いて、眠る。

 

 そう決めた。

 

 しかし深雪が、改めてこちらを向いた。

 

「三咲」

 

「はい」

 

「探索者の登録は、しているか」

 

「していません」

 

「なら、する気はあるか」

 

 陽太はしばらく夜空を見上げた。

 

 するつもりはなかった。

 

 しかしあの広間の魔物の数を思い返すと——少し、考えた。

 

 うまくやれるかどうかは、まだ分からなかった。




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