褪せ人、帰還す   作:John.Smith

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仕事で忙しなく動いていたら中々書く時間を取れませんでした。すみません。


第十四話「人の貌」

 蒲田のコンビニの前で、深雪は足を止めた。

 

 店の窓ガラス越しに、テレビモニターが光っていた。ニュースだった。声は届かない。テロップだけが読めた。

 

 《ダンジョン内死亡事故、今月に入り急増——原因は依然不明》

 

 探索から数日が経っていた。あのダンジョンの奥へ潜り、気配を追い、光を見て、そして——何もいなかった。その事実だけが残っていた。拭い去れない不気味さとして。

 

 深雪はテロップを一秒見てから、目を逸らした。

 

 原因不明。その言葉が、腹の底に小石を落としたように沈んだ。公的には原因不明だ。探索者の間を流れる話は、もう少し具体的だった。低ランクで人が死んでいる。傷が整いすぎている。魔物の仕業には見えない——と。

 

 「結局、あのダンジョンでは何も出なかった」

 

 歩き出しながら、深雪は言った。独り言のつもりではなかったが、声に出してみると独り言に近かった。

 

 「……それが、ずっと引っかかってる」

 

 間があった。アスファルトに二人分の足音が響いた。通りの向こうで自転車のベルが鳴り、誰かが笑っている声が風に乗ってきた。日常の音が、いつも通りに続く。

 

 「……見せなかっただけかもしれません」

 

 陽太が静かに言った。前を向いたまま、顔を上げなかった。

 

 深雪はその言葉を、歩きながら飲み込んだ。消えたのではなく、姿を隠しただけ。あの気配は今もどこかにある。そういう意味だった。

 

 何も起きなかったことを、深雪はどこかで安堵していた。あの探索を終えて街に戻り、日常に戻った。その落ち着きが正しかったのだと信じたかった——陽太の一言が、その根を静かに引き抜いた。

 

 「……そうか」

 

 それだけ言った。

 

 陽太は深雪の半歩後ろを歩いていた。いつものことだ。だが今日は、その距離がいつもより少しだけ遠く感じた。

 

 言葉にならないまま、足音だけが続いた。

 

 深雪のスマートフォンが振動した。センターからの呼び出しだった。

 

 

 水瀬梓は書類をテーブルに置く時、必ず角を揃える。

 

 探索者センターの応接室。午後の光が窓から斜めに入る静かな部屋で、梓は深雪と陽太の前に三枚の書類を等間隔に並べた。すずは深雪の隣に座り、背筋を伸ばしていた。

 

 「低ランクのダンジョンで、複数の死亡事故が続いています」

 

 梓は書類の一枚を深雪の前へ滑らせた。

 

 「報道の通り、公的には原因不明として処理されています。ただ、内部の調査では——」

 

 「傷が整いすぎている、ということか」

 

 深雪が先に言うと、梓は一度だけ頷いた。

 

 「ええ。致命傷が一箇所、正確に入っています。争った形跡が殆どない。遺留品の散乱もない。……魔物の仕業とは、思えない入り方です」

 

 すずが隣で手を止めた。書類に触れようとして、指が固まった。

 

 「……人が、人を殺しているということですか」

 

 梓はすずへ視線を向けたが、表情を変えなかった。

 

 「断定はできません。しかし、否定できる根拠も今のところありません」

 

 穏やかな声だ。だから却って重い。断定しない、という言葉の中に、既に確信の色が滲んでいた。

 

 「魔物の学習という可能性は」

 

 「複数のダンジョンで同様のケースが確認されています。魔物の行動様式が一致するとは考えにくい」

 

 深雪は書類を机に戻した。低ランクで人が死ぬ——それ自体が本来ありえないことだった。危険度が低い。構造が単純で、逃げ場がある。初心者が入る場所だ。そこで致命傷を一箇所だけ正確に入れた何かがいる。

 

 「九条さん」

 

 梓の声のトーンが、少しだけ落ちた。書類の端を、一度だけ揃え直した。

 

 「亡くなった方の一人は、先月に資格を取ったばかりです。十九歳でした」

 

 深雪は答えなかった。

 

 「誰かに追って欲しいと思っています。センターとしての依頼、ということにはなりますが——」

 

 梓の目が、一瞬だけ書類の外へ向いた。窓ではなく、机の上の、何もない場所へ。それだけだった。次の瞬間には、いつもの落ち着いた声が戻っていた。

 

 「私個人としても、お願いしたいのです」

 

 窓の外で、鳩が欄干に降り立った。その音だけが、部屋の静寂を僅かに乱した。

 

 

 指定されたダンジョンは、住宅地の外れにあった。

 

 元は食料品か日用品を扱う類の商店だったらしい。シャッターが下りたまま閉まっており、ガラス面には黒い幕が貼られていた。軒先に小さな受付テントが設けられ、施設のランク表示は最下段だった。探索者の資格を取ったばかりの者が最初に潜るような場所だ、と説明書きにあった。

 

 幕を潜ると、足元はタイルだった。

 

 目地が等間隔に入った、どこにでもある床材だった。壁面に等間隔でLED灯が設置されており、通路の奥まで均等に明るかった。壁は加工された石材で、角が整えられている。天井は低く、圧迫感がない高さに抑えられていた。空気は僅かにひんやりとしているが、不快ではない。管理されている、と分かる温度だった。

 

 「……普通ですね」

 

 すずが周囲を見渡しながら言った。

 

 「構造が変わっているわけでもないですし、見慣れた感じです」

 

 「ああ、だからこそ油断できない。先に進もう」

 

 普通だった。低ランクのダンジョンとして、あるべき姿のまま、そこにあった。魔物の気配は奥から僅かに漂う程度で、それも想定の範囲に収まっている。壁に亀裂があるわけでも、通路が不自然に入り組んでいるわけでも、照明が届かない死角があるわけでもない。

 

 こういう場所で、人が死んでいる。

 

 梓が見せた書類を思い返した。致命傷が一箇所、正確に。争った形跡が殆どない。深雪は通路を歩きながら、問題があるものを探した。不審な物は特に見つからない。至って普通のダンジョンだった。見つからないことと、書類に書かれていたことが、頭の中で噛み合わない。

 

 何かがおかしい、という感覚がある。壁を見る。床を見る。天井を見る。どこにも異常がない。それでも、その感覚が消えなかった。ここは安全な場所のはずだ、という認識と、何故かそう思い切れない何かが、深雪の中で並んでいた。

 

 陽太が半歩、足を緩めた。

 

 歩みを落として、周囲の空気を確かめるような速度になった。深雪はその変化を視野の端で捉えて、黙って前を向いた。

 

 通路の奥から、声が聞こえた。人の声だった。

 

 

 魔物の声ではなかった。

 

 切れ切れに、「来るな」「頼む」という断片が通路を伝わってきた。深雪が先行した。すずは深雪の背後につく。陽太は最後尾から半歩遅れて続く。

 

 通路が開けた所に、男がいた。

 

 三十代半ばほどか。探索者の装備を身につけていたが、素材から窺うに、ランクは低そうだった。壁に背をつけて、右手に剣を握っていた。正面に、ずんぐりとした魔物が三体、横に広がって男を壁際へ押し込んでいた。

 

 陽太が動いた。

 

 深雪には軌跡が殆ど見えなかった。剣が収まる頃には、通路に魔物の気配は残っていなかった。

 

 男が壁から力を抜き、ずるずるとしゃがみ込んだ。膝の皮が破れて、乾いた滲みの跡がある。目が充血していた。唇が震えている。

 

 「……助かった」

 

 掠れた声だった。

 

 「いきなり、人に襲われて……必死で逃げてたら、魔物に囲まれて……」

 

 すずが一歩、男の方へ踏み出した。「大丈夫ですか。傷は」

 

 「傷は大したことない。それより——」

 

 男は顔を上げた。深雪を見た。次に陽太を見た。視線が二人の間を動いた。

 

 「なあ……あれが噂の、やつなのか。探索者を、殺して回ってるって。俺の仲間も、突然——」

 

 「状況を話せ」

 

 深雪は遮った。

 

 男の話は断片的だった。入ってすぐ後ろから何者かに襲われた。仲間と一緒だったが、気づいた時には離れていた。顔は見えなかった。体格も、はっきりとは——「でも、あいつは普通じゃなかった」と繰り返した。

 

 「仲間とはどこで離れた」

 

 「この奥にある広間の手前で。急に後ろから——気づいたらひとりだった」

 

 「背後からの奇襲か。相手は一人か?」

 

 男が視線を落とした。記憶を手繰るような間があった。

 

 「暗かったから……よく見えなくて。すみません」

 

 深雪は黙った。陽太は聞いていたが、何も問わなかった。

 

 「怖かったですよね」

 

 すずが男を労わるように言った。声に棘がなかった。咎める色もなかった。男はその柔らかさに少し落ち着いたのか、一度だけ頷いた。

 

 話しながら、男の目線が動いた。深雪の装備を一度。陽太の装備を一度。すずの腰の剣を一度。ほんの一瞬のことで、すずは気づかなかった。陽太は前を向いたままだった。

 

 「同行させてくれないか」

 

 男が立ち上がりながら言った。

 

 「こんなことを言うのは情けないが、一人じゃ怖い。出口まで……頼む」

 

 すずが深雪を見た。

 

 「深雪さん……」

 

 「放っておくわけには」と言いかけて、口を噤んだ。深雪の表情を読んだからだった。すずは陽太を見た。陽太はただ黙って男を見つめている。

 

 深雪は一拍置いた。

 

 「……調査がある」

 

 「調査?」

 

 「ここで起きた事故の確認がある。それが終わるまで一緒に来てもらう。出口へ送るのはその後になる」

 

 男が一度、口を動かした。何か言いかけて、止めた。

 

 「……分かった」

 

 「では行くぞ」

 

 男が立ち上がった。その拍子に陽太と目が合った。一瞬だった。男の肩が、ごく僅かに揺れた。陽太の表情には何もなく、ただ前を向いた。

 

 深雪は男を連れて、歩き始めた。

 

 

 出発して間もなく、通路の先に人が倒れていた。

 

 男が一瞬立ち止まり、すぐに走り出した。深雪の横を追い越すように、倒れた人影の前に膝をつく。

 

 「そんな……こいつ……俺の仲間だ……!」

 

 探索者の装備だった。男と同じくランクの色は低い。こちらの歳はまだ若く——二十代前半に見える。仰向けで、静かに目が閉じていた。争った形跡はなかった。装備に乱れがない。投げ出されたのではなく、横たえられたように見えた。静かに、丁寧に。

 

 深雪は骸に近づき、傷を確かめた。

 

 致命傷は一箇所だった。胸部。刃の入り方が垂直に近く、力みのない角度だった。最短の経路で急所を選んでいる。骨の位置を把握した上での入り方で、魔物の爪や牙ではあり得ない。人の手が、この角度と深さを計算した。

 

 「……これも、人の仕業か」

 

 意図せず声が、平坦に出た。

 

 傷の周囲を、もう一度だけ見た。血の滲み方が少なかった。刃が入った後、長い時間が経っていない。つまり、男の仲間を殺した犯人はまだそう離れてはいないはず。そして争った跡がないことから、被害者は危険を認識する前に倒れた。

 

 梓の言葉が、死体の前で像を結んだ。

 

 刃が入った方向から体格を割り出せる。深雪は骸の周囲を一歩ずつ回った。着地した際の土の踏み込みがない。正面から向き合ったのではない。相手は被害者の動線を先読みして進路上に待っていたか、背後を取った。いずれにせよ、技術がある。経験がある。そして慌てていなかった。感情が乱れた行為ではない。深雪は膝を伸ばして立ち上がった。確認できることは以上だった。それ以上を読み取るには、今の深雪に材料が足りなかった。

 

 すずは少し後ろで立ったまま、骸を見ていた。探索者として活動している以上、全く耐性がないわけではないだろうが、いつもの快活さは鳴りを潜め、表情は固まっていた。

 

 「……お気の毒に」

 

 それだけを、どうにか絞り出した。

 

 男はなおも頭を下げたまま、動かない。肩が小さく揺れていた。

 

 陽太が骸の傍に膝をついた。傷の縁に指を近づける。触れるか触れないかの距離で、刃の角度を視線で辿る。数秒、その姿勢のままだった。顎が僅かに動いた——傷の入り方を、自分の中の何かと照合するような静止だった。それだけ確かめると陽太は静かに立ち上がった。

 

 「……魔物では、ないでしょうね」

 

 短い言葉だった。断言でも推測でもなく、事実を確認する口調だった。

 

 誰のものか——その先を言わずに、前を向く。深雪は骸をもう一度見た。その先を、まだ断定できなかった。

 

 男の嗚咽が、通路に低く響いた。

 

 「行くぞ。立ち止まっても、どうにもならない」

 

 

 次の広間では魔物の群れが出た。

 

 天井の暗がりから八体が一斉に降りてきた。胴が太く四肢の短い蜥蜴型で、着地した瞬間に四方へ広がった。前後を封じるように展開する。

 

 「散開——!」

 

 深雪が叫んだ。左手を前に向ける。冷気が床を這い、前方の三体の足を氷で縫いつけた。すずが右側へ回り込んで片手剣を構える。男が深雪の後ろへ下がった——陽太は既に動いていた。

 

 最小限の動きだった。一体が向かえば半歩退いて刃の軌道を反らし、二体が同時に来れば体を一度回して衝突の力を別の方向へ流す。力任せではない。相手の重心を読み、地形を読み、体格の差を利用していた。深雪は自分の前の敵を処理しながら、陽太の剣筋の端を目の隅で追った。

 

 深雪が氷で縫い止めた三体へ、すずが走り込んだ。右から刃を合わせて踏み込み、ひとつを転ばせた。動きに粗があった——膝が浮いた瞬間、押し込みが甘くなる。しかしその乱れを体の本能で補い、踏み留まった。一体目を仕留め、顔色を変えないまま二体目へ向き直す。半年前とは違う、と深雪は横目で確かめた。

 

 深雪自身の前には残り四体がいた。一体の腕が頭上から来た。左手を翳した——冷気の束が前方へ伸び、相手の足元と床をまとめて縛りつける。藻掻く間に踏み込んで一撃で仕留めた。次が横から低く来た。体を半身に絞って軌道を外し、通り過ぎた瞬間に追った。三体目が後方から迫った——即座に反撃しようと踏み込んだ瞬間、既に蜥蜴は倒れていた。深雪には陽太が通り過ぎる残影しか見えなかった。残り一体を深雪が正面から押さえ、それで群れが散った。

 

 その時、一拍、陽太の動きが止まった。

 

 足を踏み出しかけて、その手前で留まる——半呼吸ほど停止したが次の瞬間には動き出していた。何事もなかったように。

 

 戦闘で陽太が乱れる場面を、深雪はこれまでに一度も見ていなかった。相手の剣を受けたわけでも、地形に足を取られたわけでもない。体の内側で何かが引っかかった——そういう止まり方だった。深雪はその一拍を頭の隅に刻んだ。

 

 陽太が共闘の中で、男の何を見たのか——確かめる間がなかった。深雪の前の敵が突進してくる。

 

 群れが散った後、通路に静寂が戻った。すずが一度だけ肩を回して、軽く息を整えた。「……いきなり八体は多くないですか」と言った。怖かったというより、文句に近い声。男はまだ剣を下げたまま呼吸が乱れていた。倒れた影を見て、見て、ようやく剣を鞘に戻した。

 

 陽太は、すずの方へ目を向けていた。

 

 「持っていてください」

 

 すずの手の前に、何かを差し出した。指先ほどの大きさで、鱗のような形をしている。すずが反射的に手を開く。

 

 「何ですか、これ?」

 

 「持っているだけで構いません」

 

 陽太はすずの質問には答えなかった。すずが深雪を見たが、深雪にも分からない。すずは小さく首を傾けてから、それをジャケットの内側のポケットへ滑り込ませた。

 

 

 通路が狭まっていった。

 

 左右の壁が近づき、道幅が狭くなる。隊列は自然と縦一列になった。通路が暗くなるにつれ、男の歩調が緩んだ。深雪が先頭に立ち、すずが続き、男がすずの後ろへ滑り込んだ。陽太は最後尾になった。

 

 列の内側へ滑り込む動きだった。怯えた人間が前を空けたがらない形に見えた。深雪はそれを警戒の外に置いた。

 

 壁の岩肌が迫る。天井が低くなる。深雪、すず、男、陽太——四人が一本に引き伸ばされた。先頭の深雪には、後方の様子が見えなくなっていた。

 

 後ろの足音が、一つ消えた。

 

 狭い通路では、背後の気配が耳に入る。四人分の足音のうち、一つが途切れた。誰の足が止まったかまでは分からなかった。振り返ろうとした瞬間——

 

 すずの背中で、金属の光が走った。

 

 男が刃を返していた。前にいた深雪ではなく、すずへ向けて。躊躇いがなかった。すずが気づいた時には間に合わなかった。深雪が踏み出した。男が刃を引きながら振り向き、通路を塞ぐように深雪の前に立った。体が届かなかった。

 

 すずが前へ崩れた。

 

 「すず——!」

 

 深雪の声が通路で割れた。すずは膝をついたまま前に倒れた。両手を床につき、耐え切れずそのまま崩れ落ちると、そのまま動かなくなった。男がゆっくりと刃を引いた。深雪は男との間へ飛び込んだ。

 

 男が笑った。

 

 細剣が男の剣を受けた。噛み合った。押し込んだ——力が出なかった。出せなかった。Aランクとして積み上げた計算が、後輩の崩れ落ちる姿を目に焼きついた瞬間に、霧散していた。足が動く。腕が動く。呼吸が続く。しかし込めるべき力の根が、切れていた。

 

 男の剣が下から来た。受けるのではなく流す——本来ならそのまま次の一手へ繋げる動きのはずだった。繋げなかった。足が一拍止まった。男が当然のように踏み込んでくる。深雪が後退する。

 

 おかしかった。

 

 動きは体に刻まれているはずだった。選択ではなく、反射で出るはずのそれが、今夜は選択の手前で止まっている。視野の端にすずが倒れている——その像が貼りついて、剥がれなかった。眼球ではなく意識が追っていた。意識の一部を、すずに向け続けていた。

 

 男との剣が交差する。深雪は横へ逸らした。男が踏み込んでくる。深雪が後退する。通路の幅が動きを制限していた——横へ回り込めない、大きな動きができない、それはお互い様だったが、男の動きには迷いがなかった。横へ踏み出したかと思えば、縦の力押しから角度を変えてくる。深雪はそれに細剣で応じ、間一髪で逸らした。体の動きは正確だった——体は動いている。だが決め手に届かない。届きそうになるたびに、壁際に倒れた後輩の輪郭が焦点を奪った。男はそれを感じ取った上で、急いでいなかった。

 

 「最初は、カッとなっただけだった」

 

 男が呟くように語った。斬りながら、粛々と。剣の動きに起伏がなかった。感情が入らない、仕事のような動きだった。深雪を斬る行為と、自分の話をする行為が、男の中で同じ重さで並んでいた。

 

 「分配の話で揉めて、つい——そいつは死んだ。それだけのはずだった。でも二度目をやった時、気づいた」

 

 「黙れ」

 

 「裏切られて絶望する顔が、あった。あれが見たくて、繰り返した。何度も」

 

 また後退した。男の独白が耳に入る度に、思考が乱れる。乱れを意志で抑えようとするが上手く行かない。

 

 男が踏み込んでくる。深雪が細剣を横へ滑らせて刃を受け流す。壁に背がつきそうになった。半歩、前へ切り返した。男が止まった。止まった理由が分からなかった——試しているのか、この距離で十分だと判断しているのか。深雪には読めなかった。

 

 男の独白は自分の犯行だけに閉じていた。他の誰かには触れない。各地の事故については何も言わない——余計なことを語る気がない、という確信が言葉の奥に透けた。これ以上話す必要がない、という確信。

 

 「あのお人好しも、いい顔してたぞ」

 

 男がすずの方へ顎をしゃくった。

 

 「ああいうお人好しだから、死ぬんだよ」

 

 深雪の中で、何かが音を立てて断ち切れた。

 

 思考ではなかった。感情でも、なかった。Aランクとして身に刻んできた冷静さとか、戦場での判断基準とか——そういうものが根こそぎ、一瞬で吹き飛んだ。すずを嘲った声が耳の底に落ちた瞬間、深雪の手の中の細剣が、男の喉元へ向かう軌跡を描き——

 

 すずの倒れた場所に、光が宿った。

 

 白に近い金の輝きが数秒だけ滲み、深雪と男の動きを止めた。深雪がその源に目をやると、陽太がすずの傍に膝をついていた。深雪と男が斬り結ぶ隙間で、誰にも気取らずに陽太はすずの元までたどり着き、一人やるべきことを実行していた。光が消えると、陽太は静かに立ち上がった。

 

 すずが、動いた。

 

 倒れていた体が、手をついた。手が床を押した。膝が立った。顔が上がった——「死んだはず」の後輩が、今、立ち上がっていた。

 

 男が固まった。

 

 視線が、すずに向いた。そこだけが止まった。殺したはずの者が、今、立っている。男の口元が小さく動いた。声は出なかった。計算が外れた時の顔だった。

 

 その一拍の隙に、今度はすずの剣が男の背中に添えられていた。膝は揺れ、手も震えていたが、決して男を逃さないという意志で反抗する体を押さえていた。

 

 「勝手に……殺さないでください……っ」

 

 声の震えを抑えて言い切った。

 

 深雪の細剣が止まった。一度は男の喉元へ向かいかけた切っ先を、静かに下す。

 

 深雪は一歩、すずへ向かった。男への警戒はそのままに。すずの肩に手をかけ傷を確かめる——浅かった。命に届いていなかった。ジャケットの内側に、陽太が渡した鱗があった。その鱗はほんの少し、熱を帯びていた。

 

 すずが生きていた。

 

 その事実が、深雪の中を一度かけ抜けた。

 

 

 男が現れた瞬間から、陽太には疑心があった。

 

 見慣れた色が、あの目にあった。怯えの奥に、何かを測る光がある——信頼を装いながら相手の重みを計る、あの色だ。長い時間の中で、陽太は何度もその目を見てきた。見るたびに、次に来るものが分かった。

 

 話しながら、視線が動いた——深雪の装備を一度、陽太の装備を一度、すずの腰の剣を一度。怯えた人間の目が向く場所ではなかった。出口を確かめる目でも、助けを求める目でもなかった。戦力を測る目だった。証言の間も、おかしかった。どこで離れたかは語れた。相手の姿を問われた時、間が生まれた——長すぎる間だった。恐慌の中にいた者が記憶を探るのではなく、語るべきことを選ぶ間だった。

 

 骸の傷が、それを裏付けた。

 

 致命に至った最初の傷は、逃げようとした者の動きを先読みして入れられていた。獣が仕留める傷は衝動から入る。この傷は違った。重心の計算があった。確信を持って振り下ろした者の、人間の刃の痕だった。

 

 魔物との戦闘で、確信に変わった。

 

 群れとの混戦の中、男が一拍、後退した瞬間があった。剣を引き、体重を後足へ移し、次の動きを測った。魔物を前にした者の反応ではなかった。視野が広く、仕留めるべき位置を計算していた。狩りに慣れた者の、待ちの形だった。骸の傷と、繋がった。

 

 戦闘が終わると、男がすずの側へ一歩、寄っていた。

 

 (すずが、狙われるかもしれない)

 

 取り出したのは古い時代、人の身体に生じた諸相の混ざった鱗——坩堝の名残だ。生命の原初が人に刻んだ先祖返り。古くは神聖視され、文明の後には穢れとして扱われた。それを集めて作られたタリスマンは、致命の一撃による損傷を軽減する。陽太は長く魂に格納したまま持ち続けていた。自分には、必要のないものだったから。

 

 だから、すずに渡した。答えを聞かせる時間はなかった。

 

 

 「——全部お前の仕業か」

 

 立ち直ってから、深雪は男を見た。刃を前に保ったまま、掠れた声で言った。

 

 男の顔に、一瞬の空白が走った。

 

 「……何の話だ」

 

 「最近の死亡事故だ。各地で探索者が死んでいる——それも、全部お前か」

 

 「……ああ、それか」

 

 否定でも肯定するでもなく、意味を噛み砕こうとしている口調だった。やがて男の表情が動いた。

 

 「短期間で繰り返せば、流石にセンターも動く。調査が入ればダンジョンの入場記録からすぐに身元が割れる。わざわざ、そんな目立つ真似はしない」

 

 その言葉には、後ろ暗いものを誤魔化そうとする響きはなかった。淡々と事実として告げる声だった。当たり前だろうと言うように。

 

 深雪の思考が、止まった。

 

 では、誰が。その問いが生まれた瞬間、すずの手が少し緩んだ。致命は避けたが、傷を受けた際の消耗がまだ抜けていなかった。陽太はすずの傍にいて間合いが遠かった。三人の動きが数瞬だけ噛み合わなかった。

 

 男はその隙を見逃さず、走り出した。

 

 肩越しに、一言だけ落として。

 

 「また始めるだけだ」

 

 足は緩めず、振り返らなかった。

 

 いつの間にか通路の奥に、白みがかった霧が壁のように立ちはだかっていた。男は僅かでも逃亡の可能性に賭け、迷わずそこへ向かった。

 

 霧の縁まで、あと数歩——

 

 影が、霧の中から出た。

 

 音もなく、霧の縁から軌道だけが現れ、走る標的の体をその速度のままに捉えた。一撃。それだけで男が前へ倒れた。

 

 一瞬の出来事に深雪は動けなかった。足は地面に張り付けられたように固まっていた。動くという選択が、その一拍の間に存在していなかった。

 

 倒れる男の傷を見る。骸に入っていた傷とは違う。男がすずを刺した傷とも、質が違った。それは力みがなく、速く、正確で——確実に命を断つ。そういう傷だった。

 

 それどころか先ほどの太刀筋は——

 

 気付けば陽太がすぐ隣に立っていた。剣は構えず——霧の方を向いたまま、ただ立っていた。その横顔に、深雪はごく細い綻びを見た。

 

 男の骸が、霧に呑まれるように消えていった。

 

 

 男の気配が消えた後、霧だけが残った。

 

 通路を塞ぐ白みがかった霧は動かなかった。壁のように立ちはだかり、奥への道を覆っている。霧の中から光の線が一本、細く流れ出て、そのまま奥へ吸い込まれていった。薄い皮膚の下を流れる血のように、輝きが霧の内側で緩く脈打っていた。

 

 すずが一歩、霧へ近づいた。

 

 指先が霧の縁に触れた瞬間、すずの足が止まった。実体を持たないはずの霧の壁は、すずを拒むように確かな感触を持って押し返した。それ以上は進むな、と言っているようだった。すずはもう一度確かめるように手を伸ばすが、霧は変わらずそこに在ってすずを通さなかった。

 

 「すず、下がれ」

 

 深雪が言った。

 

 「で、でも——」

 

 「ここで待て。傷は治っても体力は戻っていないだろう」

 

 すずは唇を噛んだ。霧と深雪を交互に見て、それから陽太を見た。陽太は無言で首を横に振った。視線は依然として霧の奥を見据えたまま。

 

 「……分かりました」

 

 喉元まで出掛かった反抗の言葉を飲み込み、すずが言った。

 

 守られた者が見送る側に回る——その重さが、声に滲んでいた。それでも残ることを受け入れた。

 

 霧の前に、深雪と陽太が立つ。

 

 深雪は霧を見た。

 

 霧の表面が緩く揺れている。深雪の呼吸に合わせて揺れているようにも見える。あるいは、霧の内側にある何かが、呼吸しているように。

 

 陽太が踏み込んだ。踏み込む直前の横顔に浮かんでいたのは恐れではなかった。知っているものを前にした時の、静かな緊張だった。次の瞬間には、霧が陽太の輪郭を呑んだ。

 

 深雪も間を空けず続く。

 

 白が体を包んだ。視界が消えた。足の裏だけが石畳を伝えていた。

 

 霧の中で、先ほど見た動きが戻ってきた。

 

 鳥肌が立った。美しかった。美しくて、ゾッとした。あれほどの太刀筋を——深雪はこれまでに何度も、隣で見ていた。

 

 まるで、陽太のようだった。




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アベンジャーズ計画に神代ブリテンの騎士が追加されました(作者:アルトリウス(深淵歩きはしない方))(原作:MARVEL)

アベンジャーズ結成前。▼現代ブリテンで起きた異常事件を調査していたSHIELDは、地中から目覚めた一人の男を発見する。▼彼の名はアルトリウス・ペンドラゴン。▼アーサー王の弟にして影武者、敗北知らずの剣を持つ神代ブリテンの騎士だった。▼これは、そんな王の影がアベンジャーズ計画に加わっていく話。


総合評価:3070/評価:8.4/連載:21話/更新日時:2026年05月28日(木) 20:00 小説情報

科(化)学系チート持ち転生者のお話(作者:金属粘性生命体)(原作:多重クロスオーバー)

▼ 数百世紀先の技術と創作上の技術を持って転生した男の好き勝手生活。▼ ディストピアルート、闇堕ちルート、どちらから先に読んでも問題ないようになってます。作者の個人的には闇堕ちルートの方がおもろいと思う。▼(作者の架空科学なので一切整合性はとりません、雰囲気で読め)▼ オタクルートを外伝にしました。↓がリンクです▼ https://syosetu.org/n…


総合評価:3268/評価:7.52/連載:107話/更新日時:2026年05月06日(水) 10:00 小説情報

血しぶきハンター(作者:みこみこみー)(原作:HUNTER×HUNTER)

幾万もの悪夢の夜を繰り返したその果てに、月の魔物を屠り上位者と成った狩人は、流星街で目覚める。


総合評価:4908/評価:8.01/連載:11話/更新日時:2026年04月23日(木) 15:00 小説情報

(仮)購買意欲が勝った転生者(作者:Celtmyth)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

 死んで、転生する事になった彼が望んだ能力は戦うものではなかった。


総合評価:3780/評価:8.12/連載:11話/更新日時:2026年06月21日(日) 17:00 小説情報


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