清少納言、と少女は名乗った。
「あり? あまりご存じでない感じ?」
そんなわけはない。魔術師であれば、否、そうでなかったとしても、義務教育レベルで日本史を学んでいれば、その名前は必ずと言っていいほど耳にする。
清少納言。平安期の歌人、もしくは作家で、男性中心の社会にありながら豊富な知識で数々の散文を残し、それは現代にも『枕草子』という名で語り継がれている。
この国の人間であれば、『女性』『作家』の2つのワードで紫式部と並び真っ先に思い起こされる人物であり、知名度の面では最高クラスと言って差し支えない。よしんばその名を知らずとも、“春はあけぼの”という有名な枕詞を聞けば、「ああ、あの作者か」となるのは想像に難くない。
「おーおー嬉しいねぇ。まあその呼び名は通称……ってか殆ど肩書で、本名は清原諾子(きよはらの なぎこ)ってありきたりな名前だったりするんだけどね。
マスターのオジサマも、面倒なら今風に『なぎこさん』って呼んじゃっていいよ?」
知っている。これでも私は魔術師として、日本史にも深い知識を有すると自負している。家名である清原の頭文字と、役職である小納言を融合して清少納言。しかし彼女自身が小納言の位を得ていたわけでもなく、一説にはその役職の人物に匹敵するほどの才女であるが故に付けられた渾名なのだとか。
「お、おおぅ…マジで詳しいじゃん。結構な未来なのにそんなコトまで記録に残ってんの?
そもそもウチの作品が今の今まで語り継がれてんのがガチ信じらんないんだけど。千年だぜ、千年!
あたしちゃんもかなり長生きした方だと思うけど、そんなあたしちゃんが10回生まれ変わっても掠りすらしてないよ。和紙ってやべーモンだったんだな……」
いや、そんなことはいい。それよりもまず、そんな彼女がどうしてこの聖杯戦争に呼ばれたかだ。冬木の聖杯では、アジア圏の英霊は原則として呼び出すことが出来ないはずだ。
「え? いや知らんし。聖杯の概念が無い地域からは召喚できない? へぇ──でもあたしちゃんどういうわけか聖杯って言葉に何となく聞き覚えあるんだよなぁ。魔力リソースがどうとか人理がどうとか……お月さまお天道さまに仏さまに願えば死後安らかに眠れるって伝承みたいなのはあたしちゃんの時代にもあったし、星でも月でも太陽でも財宝でも、それっぽいものに願ったことがあるなら可能性はゼロじゃないんじゃない?」
そう言われたら……あり得なくはない、のか?
流れ星に願う、というのは子どもでも知る民間伝承だ。方法は地域によって異なるが、流星に神秘性を見出して奇跡を希うのはどの時代でもあり得ること。星座を代表に星を神に見立てた魔術など枚挙に暇がない。彼女の生きた時代、即ち西暦1000年頃には既に七夕の伝説は伝わっており、記憶が正しければ他でもない彼女自身がそれに触れている。
ならば聖杯という単語そのものは知らなくても、それに類似した概念を知る人物が願いを叶えるため、聖杯の呼びかけに答えるのが何が何でも絶対に不可能だとは言い切れず、事実として彼女がこうして私の目の前に立っている以上、どんなに確率が低かろうとそれが0にはなり得ないのだろう。
「………」
改めて、現代風の衣服を身に纏う、あまりに派手な髪色の少女の姿を見る。
清少納言。もしくは清原諾子。本人曰くなぎこ──作家。歌人。時の皇后の女房、つまりは侍女。現代風に言えば使用人。正しい意味での
「……清少納言が、アーチャー?」
完全に予想外だ。勿論、如何に最高級の触媒を用意しようと、かの王が私の呼び掛けに応えない可能性は想定していたが、まさかここまで戦闘とは無縁な存在が呼び出されるとは思ってもみなかった。
第一、清少納言に一体何が出来るのだ。枕草子の続編でも書いてもらうのか? 聖杯によって現代の知識を身に付けた才女であれば、それはもう見る人が見れば涙が枯れるほど賞賛すべき作品を生み出せるのかもしれない。しかし、それを聖杯に願いを賭けたサーヴァントが大人しく読んでくれるものか。よしんば懐柔出来たとして──いや、その前提からして無理がある。
無茶だ。無謀だ。絵空事だ。他でもない私自身が、それを本気で成し遂げられるとは微塵も思っていない。
(遠坂の悲願が──)
視界が暗くなる。意識が遠くなる。理性が、本能が。私を構成するあらゆる全てが“諦めろ”と断じている。
それを認めたくないように、あるいはそれすらも考えずに済むように。まるで防衛機能の如く、その日の私の記憶はそこで途絶えるのだった。
☆☆☆
──わからぬ。
──まったく何事も、我々にはわからぬ。
…………………
……………
………
「もう……もう! なぎこさんってばお上手なんですから」
皇后の女房、と一言で纏めても、その印象は現代のそれとはまるで異なる。
今でこそ単に妻に並ぶ伴侶の呼び方の一つとして一般的に語られる単語であるが、当時の役割はそれはもう重要なものであった。身の回りの世話から秘書的な業務、来客の対応や遊び相手まで多種多様であり、心から信頼できる人材にしか任せられない仕事。また、その関係で全体的に高い教養が求められ、幼少期から専門の教育を受けた貴族の娘にしか許されない職業だったという。有り体に言えばエリートだ。
「サーヴァントと聞いて畏っていたのですが、とても気さくな御方で──」
加えて、彼女が日常的に過ごしていたのは、ただでさえ調整に苦労しそうな宮中。魔術師の伴侶だとはいえ、あくまで一般人の域を出ない葵であれば、絆されるのも無理はないだろう。
しかし葵も、おそらくは偽名だと認識しているその「なぎこさん」が、まさか本名だと聞いたら果たしてどんな反応をするだろうか。ほんの少しだけ好奇心に駆られてしまったが、いくら身内とはいえ、そんな一時のくだらない衝動でいたずらに真名を明かす必要もない。常に余裕を持って優雅たれ──そう。彼女こそが、我々が勝利するために呼んだ最優のサーヴァントなのだ。………そう思い込まないとやってられない。お前のどこがアーチャーだ。おっと失敬。
閑話休題。
「それでマスターのオジサマ? 何か作戦とかは考えてんの?」
あっという間に葵や凛の信頼を稼いだ少女が、とても軽い調子で語りかけてくる。少なくとも、事前に聖杯戦争に備えていただろう私を尊重して、ひとまず作戦を聞く認識はあるらしい。自由な振る舞いの割に意外と律儀というか、言動に反して聡明な判断で逆に困惑してしまう。
「えぇ〜?? 穴熊ぁ? せっかくシャバに来たんだし、もっとテンション上げてこうぜぇ???」
しかし、作戦を聞いたアーチャーは露骨に不満げな態度をする。そんな呑気に出歩いていたら後ろから刺されて終わりだろふざけるな。おっと優雅優雅。ではなく、彼女はどうしてこれほど余裕綽々なのだろうか。まさか自分が戦場の真っ只中に居ることを理解してないのか?
「ちゃぁんと理解してるさぁ。別にオジサマがそう言うならそれでもいいんだけど、序盤から穴熊決め込んでたら、気付いた時には他全員が結託してるとかあるんじゃないの?」
「………む」
業腹であるが、一理あると思ってしまった。というのも、他でもない私自身が、反則に近い方法でアサシンこと綺礼や、教会そのものと同盟を結んでいるからだ。
綺礼のサーヴァントがアサシン。信じ難いが彼女がアーチャーだというのなら、必然キャスターのサーヴァントは敵側に回っていることになる。私も己が優秀な魔術師である自負はあるが、それでも神代の魔術師を凌駕できるほどとは自惚れていない。そうでなくても、敵の魔術師に不正を見咎められ、結託して襲い掛かられたら──
「……いや、そんなんなら最初から反則すんなよな……」
アーチャーが何かしら呟いた気がしたが、今の私はそれどころではなかった。うっかりしていた。聖杯戦争はバトルロワイヤル形式。叶えられる願いが一つしかない以上、当然他者との結託などあり得ないとばかり考えていたが、確かに
「そう! つまりは序盤から単独で動いて、綺礼チャン?とは無関係アピールするのが最優先なのさ!」
「むむ……そう、なのか?」
「もち。さ、善は急げだよオジサマ。あたしちゃんは真正面からだとたぶん厳しいから、なんかごちゃついてるショッピングモールとかその辺で遊……視察して、じっくり地の理を確保していかなきゃ!」
「…………?」
どこか、僅かばかりの違和感を覚えたような気はした。けれど、背中を押して強引に急かしてくるアーチャーに押し切られる形で私は冬木の舞台へと歩みを進めていく。意地でも穴熊を決め込むべきだったと後悔するのは、彼女が無数の紙袋を手にホクホク顔でショッピングモールを後にした、それからおよそ5時間後の出来事である。
…………………
……………
………
「我が名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した!!」
とある倉庫街。一人の巨漢が、まるでそこが世界の中心であるかのような名乗りを挙げる。いや、彼にとっては紛れもなくその場所こそが世界の中心なのだろう。世に知れた征服王、アレクサンドロス3世ことイスカンダル。世界征服を半ばまで成し遂げた彼であれば、世界が自分を中心に回っていると考えても不思議はない。
「どうよオジサマ。わざわざ出向いた価値はあったんじゃないの?」
「う、うむ……」
答えてから「別に使い魔で覗き見すれば良かったのでは」とは思ったが、その手法で覗き見てるであろう時計塔のロードの存在を思い出して口籠る。遠坂にも使い魔の技術はあるが、宝石魔術はその性質上使い魔などの隠匿には向いていない。万が一妨害でもされてその名が知れず仕舞いであったら、初手から圧倒的なディスアドバンテージを背負うところだった。
彼であれば戦の度に何度でも名乗り挙げそうだな、という当然の結論は一先ず置いておく。
しかし唐突な真名暴露に呆気に取られていると、何と彼はそのままその場に集うセイバー、ランサーにそれぞれ声を掛け、あろうことか同盟を持ち掛ける。聖杯という景品の性質からその誘いは無碍にされるが、その誘いにはしがらみがなければ思わずその場で応えてしまいそうな、言うなれば圧倒的なカリスマを感じさせた。
だが、すげなく断られた彼も、その印象に違わずカラッとしているのか、特に気にした様子もなく、今度はその対象を外部に──覗き見している我々へと定めてくる。
その内容は要約すると、今顔を出して来ない陣営は臆病者だ。私はそれをずっと馬鹿にしてやる──というもの。安い挑発、幼稚な企みだが、不思議と周囲を飲み込む力がある。
「これ、出た方が良い感じだよね」
「そうだな……」
彼の挑発に乗る形なのは癪だが、臆病者だと誹られるよりは良い。常に余裕を持って優雅たれ──この地の御三家、冬木の
「さぁさ御座れぃ! 我こそはアーチャーのサーヴァントとして現界した、名を……あ、ダメ? なら……そう、キラキラのアーチャーとでも呼ぶがよい!!」
まるで歌舞伎か何かのように、妙に角張った大袈裟な態度で彼女は名乗りを挙げる。ところどころ、いや最初から何もかもおかしいように思うが、彼女の場合はそれが平常運転なのが笑えない。
「な、なんだあいつ……!?」
この場にいる唯一と言っていい常識的な感性の持ち主であろうマスターの少年が声を上げる。もっと言ってやってくれ。ではなく、周囲のサーヴァントが尽くガッチリと武装しているのに、現代風の傾いた衣装で堂々と現れた、派手な髪色のアーチャーを名乗る少女を目にしたら困惑したくもなるだろう。
そして私も私で後悔した。何なのだキラキラのアーチャーとは。流石に真名を名乗るのは止めさせたが、こんな珍妙な名乗りを挙げるならいっそ真名を暴露した方がマシだったかもしれない。少なくとも、彼女の知能指数はその一言で十分に窺い知れたであろう。謀略を警戒する価値もない相手である、と。
「ほう! 何やらコソコソ隠れてるのが居ると思えば、よもや当世風の美女がお出ましとは。どうだ? 其方も我が覇道を共にするつもりはないか?」
「ごーめんね。そのお誘いは魅力的だけど、あたしちゃんには既に仕えるご主人様がいっから」
おそらくは彼女の言う“ご主人様”とは私のことではなく彼女が生前に仕えたという中宮定子を指すのだろうが、どちらとも読み取れる曖昧な言い回しだ。伝承では余程献身的に仕えていたようだし、巫山戯た態度をしていても、主人については嘘をつきたくないのだろう。
「むむぅ……そうか、つれないのう」
「で、どっすんの? あたしちゃんといっちょヤる?」
「まあ待て。何やら次なる来客が……おお?」
何故かやたらと好戦的なアーチャーをよそに、ライダーが別の場所に視線を向けると、いつからそこに現れたのか、気付けば全身を靄で覆ったような不気味な黒い鎧の人物が、低い唸り声を上げてこちらを睨んでいた。
「なーんかアレ、ウチらを睨んでない?」
アーチャーの呟きは正しく、理由は不明だがあのバーサーカーらしき謎のサーヴァントは、見るからにこちらを標的としている。ジリジリと、けれど確かにこちらへと歩み寄る不気味なサーヴァントに、さしものアーチャーも過敏に反応した。
「よく分かんないけど……お触り厳禁!」
アーチャーがどこからか丸い球体──鞠を取り出すと、ダイナミックな挙動でそれを謎のサーヴァントへ向け蹴り飛ばす。まさか鞠を使うからアーチャーなのかと私が内心で戦々恐々していると、直後に横からアーチャーの悲鳴。
「あいっったぁああ!! 何!? ウチの渾身のシュートが返されたんですけど!!?」
額をスリスリと摩るアーチャーに、今の一瞬の交錯を悟る。むしろ鞠などという巫山戯た武器で良かったかもしれない。あのサーヴァントが何をしたのかは分からないが、これがもしもアーチャーの額を射抜くに足る武器であれば──
「狂化で理性が失われている割にはえらく芸達者な奴よのぅ」
顔に笑みを浮かべながらライダーが告げる。鎧を相手に鞠での攻撃は論外ではあるが、仮にもサーヴァントが“渾身の”というだけあって、攻撃そのものは私の目で追えるスピードではなかった。単に弾くのならば理解は出来るが、正確にアーチャーの額へと打ち返したならば確かにおかしい。
悶えるアーチャーに、それを好機と見た謎のサーヴァントが急接近する。あまりに理性を感じさせる動き。ただの人間である私には、それに対応出来ずに、
「ふん!!!!!」
がしゃぁん!と至近で轟音が鳴り響く。金属同士がぶつかり合った特有の音。反射的に閉じられていた瞼を開ければ、そこには私の目の前で何故か巨大なハンマーを手にしたアーチャーが、吹き飛ばされた謎のサーヴァントを険しい顔で見つめている。
「いきなり“キング”は取れねェだろうよい!」
再び接近して来たサーヴァントをそう告げて横薙ぎで弾き飛ばすと、彼女は「効くだろぉ〜とっときだぜぇ〜」と呟いて、
「さぁさ刮目! 事情は良く知らんけど、あたしちゃんの
そう発言し、アーチャーはどこからか取り出した小型の機械をバーサーカーに向けると、まるで先の交錯すらも遊戯の一種であったかのように、普段と変わらない調子で宣言した。
「──『
えもーしょなるえんじん、ふるどらいぶ。
どう考えてもこの国の言語ではない言葉の羅列。使われてるのは英語で、明らかな造語であるが、意味合いとしては『感情が大爆発する』といったところか。しかし、私がその意を噛み砕いてる暇もなく、一瞬だけ二人の姿がブレたかと思えば、何故か直後に動きが急激に鈍くなった推定バーサーカーが居て、それを満足げに見たアーチャーは不意に告げる。
「よっしゃ、逃げっべ」
「──は?」
「いや無理無理無理。あたしちゃんってばこう見えて結構なインドアだぜぇ〜?? あんなバケモンに敵うわけないっしょ。ほら早く早く」
「──………」
思わず放心する私をよそに、彼女は宣言通りに私を器用に担ぎ上げると、そのまま到底インドアにはあり得ない凄まじい速度で撤退していく。
あまりに前途多難な展開。絶望とも呼べる波乱の戦争は、こうして幕を開けてしまうのだった。
聖杯を知る清少納言→カルデアの記録が残滓として存在する→対サーヴァントに優れている
逢坂の関:A
清少納言の深い教養と、それに付随するレスバ力の高さを示すスキル。転じて、相手を言いくるめるスキル。
Aランクであれば、宮中にひしめく権謀術数の老獪を相手にしても、一歩も引かず真正面からの論破を可能とする。
清少納言には多数の男性を言いくるめた有名な逸話がある。故に、現代の魔術師程度であれば会話が多少強引でもスキル補正で押し切れる。イスカンダルのカリスマも同様に、一流ではあっても平凡の域を出ない魔術師が抗える道理はない。